レジスタンスとメイドさん 3
環境が変わってルビがうまく付けられなかったり、数字や記号が半角全角で混ざっていたり……お見苦しいですが、ご了承ください。
更新が遅くなりましたが、難産だったというより単純に量が多いのです。普段の3倍はあります。ご注意を。
作戦当日の朝、にわかに騒がしくなってきたゼクストの町を零夏は建物の屋根に登って一望していた。
新型機の試験は昼頃だが、早朝には大型級飛宙船が幾隻も入港した。試験を視察する要人達も件の新型機も、そして設計図も出揃っている。
もっとも警備が厳重なタイミングだが、同時に新型機と設計図がどこに隠されているか、それがもっとも明確な瞬間でもある。
困難なことは避けられないが、今までレジスタンスが観察してきた中で唯一可能性がある瞬間。
「くそっ、落ち着かないな」
零夏の真上を舞鶴が轟音を残し飛び抜けていく。ちゃっかりコピー量産されている帝国軍最新鋭機は、この作戦における大きな障害に違いない。
彼は胸のざわめきを覚える。この作戦は順調にはいきそうにない、そんな予感があった。
闘技場へと続く、左右を建物で挟まれた区画。共和国軍の駐屯地から闘技場までは必ずここを通過する。
作戦の時間が近付き、零夏は屋根の影に隠れた。
周囲の建築物には零夏と同じく作戦決行を待つレジスタンス達。
「アニキーッ」
「静かにしろ、スキンヘッド」
屋根の上を走ってきた彼を零夏はたしなめる。
「す、すまねぇ。リーダーから伝令だぜ」
「なんだ、俺だけにか?」
「アニキだけにだ、予定通り機体を奪取したら12番ゲートから侵入してほしいってよ」
「12番だと?あそこは……」
零夏はレジスタンスの入手した地図と自身の解析魔法を照らし合わせ、この場にいる誰よりも作戦領域を詳細に把握している。
勿論、解析結果を薮医者に報告してはいるが。
「極秘任務らしい。他のメンバーにはばれないように、こっそりと移動してくれ」
「……判った、善処しよう。だが危なくなれば引き返すぞ」
零夏もいい加減、この案件の裏事情に感付いていた。
その上で、この状況での指示の拒否は不自然と判断した。
「ところでアニキ、あの姫はどーしたんだ?」
「アジトで待機しているが」
「大丈夫かよ、人手が足りなくて護衛も録にいねぇだろ」
その通り、現在薮医者すら出撃中であり不在。今はリデアのみがアジトに潜んでいる。
「そうだな。彼女は見た目通り腕っぷしも弱いし、『魔法も苦手』だしな。まあ情報が漏れてもいない限り、こんなジャストタイミングでアジトに突入してくるってこともないだろ」
作戦後は俺が守るから、彼女が無防備になる時間は最低限で済むと断っておく。
「じゃあよ、じゃあよ!」
「伝令は判ったから、持ち場に戻れ」
スキンヘッドを追い返し、零夏は遠方を見通す。
「来るぞ、目標」
解析魔法は、獲物である共和国正式採用人型機・英無頼を既に認識していた。
任された警備の担当場所へ向かう為に、町を一列となって前進する英無頼。
クリスタル共振通信にノイズが混じり、隊長は眉を潜めた。
『どうした、トラブルか?』
今日という重要な日に無線が不調を来す。装置の故障より何らかの妨害工作と考えた方が得心出来た。
だがしかし、時計塔からの返答は肯定だった。
『―――こちら通信し……機材がいかれた、すぐに直―――』
そのまま断絶する無線。時計塔の大型共振装置はノイズを撒き散らし、さながら町を包むジャミングと化してしまった。
『ふん、きな臭いな。まあいい、お前達、現場へ急ぐぞ』
『了解……す』
随伴機との通信にもノイズが混ざり、隊長は舌打ちした。
構わず前進する英無頼。
零夏達が潜む区画に進入した時、彼らの上空で金属がひしゃげる音が轟いた。
『なんだ?……うおっ!』
前方に落下してきた小型級の飛宙船。建物の間に墜落した船は、見事に道を塞いでしまった。
『なんだ、民間船か?』
『隊長、船員を救助しましょう!』
『……いや、回り込んで警備場所へ急ぐぞ』
『そんなっ!』
一年前であれば、事前に下された命令を守る為とはいえ目の前の事故を放置などすれば糾弾されることは避けられなかった。しかし紅蓮の支配する今の共和国……統一国家では違う。
命令を達成出来ないのは懲罰へと繋がる。自身の命を擲ってでも他者の命を救えるほど、彼は勇敢ではなかった。
『最後尾、後退し―――』
再び響く金属音。
『隊長、後ろにも船が墜落しました!こちらもすぐには通れません!』
『空中衝突事故だったか、ならば相手がいるのは当然だな』
前後を塞がれ閉じ込められた人型機部隊。
遅れるわけにはいかない、隊長はすぐさま決断した。
『前方の船を押し退けるぞ!副隊長、手を貸せ!』
この狭い区画で人型機がすれ違うのは容易ではない。故に先頭の二機が押す役割を勤めることにした。
英無頼のマニュピュレーターが船に添えられた時、彼らの足元で人影が動く。
「待て!貴様ら、止めるのだ!」
船から脱出した人物、その制服を見て隊長は顔色を変える。
『ぐ、紅蓮の騎士殿!?』
細身の紅蓮の騎士。伺い見ていた零夏はその人物がマリアと腕を組んでいた、バス船で拉致された騎士と同一人物だとすぐ理解した。
(あの騎士がレジスタンスの作戦に参加しているってことは、やっぱりあれば全て茶番か)
口には出さないものの、零夏は茶番の本当の意図をほぼ正確に推測している。
「この船には騎士団幹部の御子息が乗っておられる!貴様ら、救助を行え!」
紅蓮の騎士が共和国軍人に対して叫ぶ。
幹部の息子に何かあれば、命令無視どころの話ではない。
隊長は行動の優先順位を入れ換えた。
『ま、まずは船を横にしましょう』
墜落の際に、飛宙船は縦になってしまっている。これでは作業に支障を来すと隊長は進言する。
だが騎士はそれを許可しない。
「馬鹿者、これ以上衝撃を与えてどうする!横に直した表紙に御子息が致命傷を負ったら、貴様は責任を取れるのか!?」
『ではせめて、救援を呼びましょう。我々には医療に精通した者がいません』
「無線がいかれて前後も塞がれているのだ、ここにいる者で対処するしかなかろう!うだうだするな、物理的に首が飛ぶぞ!」
近距離の僚機とならばともかく、指令室とはノイズがひどくてとても連絡が取れない。少々苦しい理由ではあったが、懲罰を恐れた隊長は騎士の言葉に従った。
駐機姿勢となり英無頼から天士達が飛び降りる。
そこに、屋根に潜んでいた零夏達がジャンプして機体に乗り込んだ。
「なっ、誰だ機体を動かしているのは!?」
奪った英無頼の一機が紅蓮の騎士に扮した仲間を拾い上げ、安全な建物の屋根に移動させる。
『ゲハハハハ!ここがテメェ等の墓場だ!』
訓練された軍人とはいえ人型機に敵うはずがない。天士達が降伏し身動きを封じられた後、レジスタンスは御子息も何も乗ってなどいない飛宙船を押し倒した。
その音を合図に、時計塔を制圧していたレジスタンスは通信を不完全な状態で復活させる。
『こちら時計塔、もう大丈夫だ!クリスタル共振装置は直った!』
『こちら護衛部隊、通信の音質がおかしいようだが』
『応急処置だから仕方がない、今日はこれで我慢してくれ』
意志疎通には問題ないながらも、音が変質してしまっている。これも作戦の内だ。
機体を奪ったことを、声質の変化を悟られないようにする為の処置である。
『先程船の衝突事故があったようだが、なにか情報はないか?』
『一般人だ、無視すべきだ』
『……了解』
頷き合い、レジスタンス達が搭乗した英無頼は目的地へと進む。
「英無頼……共和国の正式採用機か」
零夏は英無頼に乗ったことがない。型遅れの戦巫女は民間機として多くの自由天士に愛用されているので搭乗経験があるが、現役で使用されている機体は機密という観点からまず自由天士の手に渡ることはない。
初飛行を済ませたばかりの雀蜂を愛機としているエカテリーナのような例外天士もいるが。
共和国軍人に成り済まし、零夏は一人12番トンネルに入る。
闘技場は地下に多くのトンネルを備えている。一般人出入口や人型機搬入口、非常口などその様子はまるで蟻の巣だ。
だだっ広い闘技場で敵機を空爆出来れば紅蓮に対して極めて有効なダメージを与えられることは間違いない。しかし、それを実現するには上空制圧する舞鶴を迅速に排除し、地下の人型機戦力を闘技場へと追い込む二面同時作戦を必要とする。どちらも困難な目標である。
故に、奇襲。練度と数に劣るレジスタンスが紅蓮の部隊に立ち向かうには元より他に選択肢などない。
それほど周到な準備を行ったところで、作戦の成功基準は敵機の無効化ではなく新型機設計書類の破壊という辺りがむしろ泣けてくる。
更に言えば、これは厳密には問題でもなんでもないのだが、零夏は共和国軍人を殺すことを躊躇っていた。
憎い紅蓮の騎士であれば葛藤もほどほどで済んだだろう、しかしこの新型機性能試験の警備には元共和国軍人も駆り出されている。
紅蓮だから、共和国軍だからと一括りにしてしまうのは乱暴な考えだと判っている。だが零夏は紅蓮と戦う覚悟こそ散々したものの、共和国軍と戦う覚悟などしていなかった。
(いや、これこそ今更な話だ。俺はもう共和国軍人に損害を与えている)
奪い取ったこの機体の天士は罰を受けるのだろうか。このシートに座っていた天士がいなくなった時、路頭に迷う一家があるのではないか。そんな答えなどない思考が零夏の中で渦巻いていた。
「だいぶ進んだな」
トンネルを歩き早数分、零夏の操る英無頼は闘技場の中央地下まで到達していた。
ここはどの出口に繋がるにも中途半端な、横道的なトンネルだ。おかげでここまで敵機にも出くわさなかったが、それは同時に防衛上要点ではないことを指し示している。
作戦の変更を訝しんだのはこれが理由だった。ここに侵入したところで戦術的意味などない。
もっとも、これが二重作戦であることは零夏も覚えている。裏に何らかの意図があるのは明白であり、それを知らされていない以上出たとこ勝負するしかない。
溜め息を吐いたとき、零夏の耳元で誰かが呟いた。
『上から来るぞ、きおつけろー♪』
次の瞬間、零夏の乗る英無頼は吹き飛んだ。
格納庫の地下、レジスタンスの隠れ家にてリデアは暇をもて余していた。
「あー、いつまでこうしてればいいんじゃ」
リデアの性格からして大人しく帰りを待つなど性に合わない。
彼女がここにいるのは、レジスタンス側からの指示だった。
この指示に零夏が賛同したこともあり、リデアは他所の家から勝手に居座った猫の如く傲慢不遜にゴロゴロしている。
「む、誰か戻ってきた?」
なんとなく零夏ではないと察し、愛用の杖を握る。
階段を降りてきたのはスキンヘッドであった。
「スキンヘッド?お主は仕事がないのか?」
「ちゃんと工作はしてきたさ。俺はレジスタンスとして職務を果たした上で幸運にも帰還。それでいいだろう?」
「ほう、『幸運にも』とな」
「そうだ、なんせ作戦に参加して数少ない生存者だからな」
剣呑な光を帯びた目のスキンヘッドに、自然と身構えるリデア。
疑惑は彼の手に握られたナイフで確信へと変わった。
「裏切りか」
「違うな、俺はレジスタンスに入る前から紅蓮の一員だったんだよ」
スキンヘッドは腕を振り上げる。ナイフの鋭い切っ先にリデアは目を細めた。
「と、なると今回の作戦も駄々漏れか。困ったのぉ」
そう言って肩を竦めるリデア。
「だがそれじゃあ足りないんだ。紅蓮は実力主義、実績の分だけ出世する」
レジスタンスに紛れ込んだスパイであるスキンヘッドだが、上層部に評価される材料を常に探していた。
「そんなところに現れたのがあんたらだよ。紅蓮内部で追い掛けてるガキ共が転がり込んできたんだ、これ以上のチャンスはないと確信したさ」
紅蓮の宿敵とされる白鋼の天士と、彼が守る姫君。
それを始末すれば出世は間違いない、スキンヘッドはそう考えたのだ。
「『ソフィー様』、恨みはないが死んでくれや」
「なるほど、そういうことか……いや殺したら駄目じゃろ」
二人のことは機密事項な為に、伝言ゲームの要領で間違った伝わり方をしていた。
「ソフィーは生け捕りにする手筈のはずじゃぞ、っと」
迫るナイフを、リデアは無詠唱障壁魔法で防ぐ。
「なっ!?魔法は使えないんじゃないのかよ!」
驚愕するスキンヘッド。
「誰がそう言ったのじゃ?」
「お前の王子様だよ、くそっ話が違う!」
何度もナイフを突き立てるも、障壁は決して破られない。
冒険者の魔法使いが張る障壁であればいつかは破壊出来るかもしれない。しかし、相手は魔導姫。無詠唱の弱体化した障壁であっても下手な装甲板より堅かった。
「レーカの奴、わしが餌にされておると気付いておったな……」
一体何時から、とリデアは自身の記憶を洗い直してみた。
リデアの覚えている限り、零夏が彼女をレジスタンスの前で名前呼びしたことはない。
(割と最初っから、かい……)
普段は惚けているが、零夏は勘がいい男である。
最初に不審を抱いたのは、飛宙船でのこと。零夏とリデアを監視していると思われたレジスタンスの視線は、だがスキンヘッドの方に集中していたのだ。
奇妙な点に一度気付いてしまえば、違和感は様々な場面で見受けられた。
リデアが姫であることを執拗に確認していたことや、夜間に一人で出歩いていたこと。
零夏は解析魔法にて紙に書かれた内容が中間報告でしかないことは確認したので泳がせていたが、とうの昔にスキンヘッドの命運は詰んでいたのだ。
「そういうことよ。残念ね、とても」
地下室に、第三者の声が生まれた。
茶髪のポニーテール、実用的なエプロンドレスの少女。
「なっ、リーダー!?なぜここに!」
「勿論、貴方を捕まえる為」
マリアはスキンヘッドを、悲しそうに見据えるのであった。
「さて、お初に……ではないがの。レジスタンスのリーダー殿、わしは帝国の姫のリデアじゃ。今回はレジスタンスへの支援についてを話し合いにきた」
「お初にお目にかかりますわ、リデア姫。私はマリア、しがないレジスタンスのリーダーに御座います」
スカートの端を摘まみ上げ、ポーズだけの礼をするマリア。母の教育により、マリアが本心から敬うのはソフィーだけである。
「リデア、リデア姫だって?畜生、そういうことかっ!」
スキンヘッドは理解した、自身が勘違いをしていたことを。
零夏の側にいる姫君=ソフィーと思い込み、検討違いの人物を狙っていたのだ。
「メイドがレジスタンスとはな、盲点過ぎるわい」
「あくまで臨時。杜撰な人ばかりだから面倒を見ているだけ」
大陸横断レース中にきっかけこそあったものの、基本的にはなし崩しであった。
守っているつもりで町中で暴れているドリット最速連合を叱っているうちに慕われてしまい、いつの間にかリーダーに祭り上げられたのだ。
「細かな打ち合せは後で。今問いたいのは今回の件じゃ」
リデアはマリアを軽く睨む。対してマリアは涼しい顔だ。
「今回の作戦は二重作戦と言ったな。一つは紅蓮の新型機量産阻止、そしてもう一つは……」
「スパイと疑わしいメンバーを炙り出すことよ」
マリアが紅蓮の騎士と親密にして、定期船に乗ったのは三重の意味があった。
表向きはレジスタンスによる紅蓮隊員の拉致事件。
裏の事情は零夏をゼクストに誘い出し、作戦の戦力を補強すること。
そして更に裏では、戦力補強作戦の背後でリデアを餌にしたスパイの炙り出し作戦。
広場で隣に座ったのが零夏だと気付いたマリアは、自分自身を餌にこの作戦を強行した。一重に、成功の可能性が低いこの作戦を成功させる為に。
家族を利用することに良心の呵責がないわけではなかったが、戦力がどうしても足りなかったのだ。
紅蓮の女になったフリをして俺をこの町へ誘導。ついでにスパイ疑惑のあったスキンヘッドを零夏達にあてがうころで揺さぶりをかける、一石二鳥の計画。
曲芸的な下策ではあったが、とにかくそれは成功した。
「はっ、流石はリーダー様だぜ」
「私としては杞憂であってほしかったけれど、ね」
「おいおい、組織のリーダーがそんなのじゃ駄目だろうに」
「メイドに何を求めているのよ」
違いねぇ、と笑うスキンヘッド。
その暑苦しい笑みは他の部下達と何ら変わらず、それがマリアは悲しかった。
「思えば、アニキは定期船に乗った時点で感付いていたんだろうな」
「なぜじゃ?」
「定期船に乗る前はいちゃつくリーダーと紅蓮の騎士に嫉妬で憤死しそうだったのに、船に乗った後はあっさりテンションが下がっただろ。どっかで芝居だと確信したんだぜ、きっと」
「相手が男装じゃ、嫉妬するはずもないわね」
芝居と割り切ろうと、マリアも知らない男と密着などしたくはない。
故に作戦に駆り出されたのは、男のフリをしたマリアの母親、キャサリンだった。
男の割には声が高いので、もしやと思い解析。男装の麗人であることはあっさりばれたのだ。
「私としては、もうちょっと妬いたレーカ見ていたかったわ」
この一言は、リデアは無意識に聞こえなかったことにした。
拘束魔法にてスキンヘッドを固めると、マリアがすかさず彼を縛り上げる。
「慣れておるな」
「人を縛ることに慣れているわけじゃないわ、ロープワークはメイドの基本よ」
初耳だったが、本職のメイドがそう言うならそうなのだろうとリデアは納得した。
後日実家に戻った後、専属メイドに話して否定されるのは余談である。
「じゃが、意図的に泳がせていたとはいえ作戦が漏れているのは事実。対策はしておるのか?」
「当然よ。どうやらレーカを闘技場に誘い込んで袋叩きにするつもりみたいだから、その裏をかくように通達してあるわ」
「それはつまり……」
「レーカには、餌兼囮になってもらう」
流石にリデアも零夏が不憫になった。
「鬼じゃ、ここに鬼がいる」
「私が好き好んでレーカを危険に晒しているような言い方をしないで。どうやったって分が悪い戦いなのよ、大丈夫、おまじないはしておいたから」
それが気休めにすらならないことはマリアとて重々承知している。
だからといって、マリアは部下より家族を優先することはしなかった。
その責務が代理であったとしても。彼らの闘いを見てきたマリアには、零夏を利用する以外に選択肢はなかったのだ。
「大丈夫。だって、レーカはいつだって帰ってきた。どんな戦いでも。今日だってきっと戻ってくるわ」
「さて、どうだかな」
スキンヘッドがその懇願という楽観に、冷めた疑念を投げ掛けた。
「どういう意味じゃ?」
「今回の視察、あのお方が来ているぜ」
「『あのお方』?」
首を傾げるマリアに、ニヤリと口角を吊り上げるスキンヘッド。
「最強の精霊使い様だ」
精霊使い。使い手自体が少なく、ましてや最強ともなればリデアにはすぐ察しが付いた。
「―――っ、まずい!」
顔色を変えて立ち上がるリデア。
「どうしたの、誰、最強の精霊使いって」
戸惑うマリア。慌てて戦闘準備を行うリデアは、青ざめた顔で告げる。
「大戦前、怪僧と呼ばれた男がいた。魔法で穿れようと死なず、予言にて帝国を裏から操り、一人の天才……魔導姫の師となりその才能を限界以上まで引き上げた叡知の化身。そして、自身も精霊魔法を操る最強クラスの魔法使い―――」
リデアとてアナスタシアから魔導姫の呼び名を継いだ才女。だが、その怪物に直接対峙して無事でいられる自信などない。
想定外の事態に震える声を噛み締め、絞り出すように断言する。
「―――ラスプーチン。レーカといえど、あやつには勝てない……!」
「ラス、プーチンって……なんでそんなのが来るのよ!?」
マリアだって当然知っている。複数の派閥からなる紅蓮の騎士団においてほぼ全権を掌握している、実質的な最高権力者。
普段からどこにいるかも判らない謎に満ちた人物だが、魔法至上主義者とされている為に新型機の試験視察にはこないと思われていた。
「いや、逆かもしれんな。こちらが行動したからこそ、奴はこの町に来たのかもしれない」
「どういうこと?」
「ラスプーチンは謎が多いが、判明していることもある。レーカを目の敵にしていることとか、な」
一年前の戦闘でラウンドベースに大損害を与えられ、ラスプーチンは白鋼、そして零夏に恨みを持っている。これは関係者であれば周知の事実だ。
「情報がこやつから漏れていたのじゃろ?」
「いだっ」
リデアがスキンヘッドの頭を軽く蹴る。
「レーカが首都から近い場所に現れる、ラスプーチンが来る理由としてはあり得そうじゃ」
「そんな、レーカを誘き寄せたのは間違いだった……?」
愕然とするマリア。家族を危険に晒したのに、それが更なる危機を呼ぶなど想像していなかった。
「何にせよ高見の見物とはいかなくなったな、レーカはわしの希望なのじゃ。そうそう簡単に殺されて堪るものか」
てきぱきとローブに着替え戦装束となるリデア。装備が多いので時間がかかる。
なので、着替えの間に最後にもう一つ質問をしてみることにした。
「せっかくだから聞いておきたいんだが」
「何よ、こんな時に」
「昨日のお主の恥態はなんだったんじゃ?」
うぐっ、とマリアは言葉に詰まった。
「なーにが『ずるいじゃない』じゃ。あまりに女々しくて中断させてしまったぞ」
軟弱者と罵り電撃魔法で気絶させたリデアだが、あれが欲求不満を拗らせた結果ではないことくらい一目で見抜いていた。
「今回の件、誰も彼も嘘を吐き過ぎじゃ」
「―――貴女だって人のことを言えるの?」
負けじと見返すマリア。
「ほう、なぜじゃ?」
「勘よ。貴女の動言だって大概チグハグだったもの」
リデアは「ふん」と鼻を鳴らし、戦闘準備の仕上げに杖を手にする。
多少華美なきらいがあるも、黒ローブに装飾杖はまさしく魔女の出で立ち。
「わしのことはいいじゃろ。で、どうしてレーカを押し倒したのじゃ?」
先に突っかかったことを棚に上げ、意趣返しに先程の質問を繰り返す。
「解っているなら訊かないで。昨日のことは気の迷いよ」
「そうか、てっきり男を縛って喜ぶ性癖でもあるのかと」
「訊かないでって言っているでしょ!」
スキンヘッドを杖で突っつくリデアにマリアは怒鳴る。『縛る』というあたり、マリアがなにを思ってレーカを押し倒したかリデアはちゃんと理解していた。
ようは、既成事実を作ってレーカを拘束したかったのである。
側にリデアがいたあの状況で事に至る可能性など微塵もないが、マリアは内心焦って冷静ではなかったのだ。ここで逃せば、また零夏はどこかへ行ってしまうのではないかと。
一度置いてきぼりをくらっているマリアにとって、それは大きな不安だった。
「さて急がねば、メイドと無駄話している猶予はないのぉ」
惚けた態度で足早に出ていくリデア。その背中を睨み、マリアは何度目になるか判らない確信をした。
あのお姫様とは、馬が合わないと。
直径300メートルの円形闘技場、その中心地が大爆発した。
大爆発、と称するに相応しいほどの破壊。塵となった岩盤が降り注ぎ、衝撃波は闘技場外周を大きく揺さぶる。石造りの観戦スタンドが防波堤として受け止めていなければ、ゼクストの町も少なからず損害を受けていただろう。
吹き飛び宙を舞う英無頼。トンネルを通過していた零夏は、何らかの攻撃を受けて地上に強制排出される。
真下からの攻撃の反動で、岩盤を貫き吹き飛んだのだ。
(このワケわかんねぇ攻撃、まさか神の宝杖か!?)
座標さえ指定すれば全てを貫き敵を撃ち抜く超兵器。零夏も全景を把握しきれないトンデモ兵器だが、その威力は折り紙つきだ。
紅蓮の騎士団にとって零夏は確実に消したい相手だった。故に、万全を期して紅蓮の保有する最強の攻撃手段を行使した。
たまたま照準を共和国首都ドリットに合わせていたからこそ、スキンヘッドからの情報が伝わってから丸一日でゼクストの闘技場まで狙いを移せたのだ。
ただ一撃で城をも消し去る神の宝杖、本来が戦略兵器なので過剰威力極まりないが、出力をセーブしてターゲットを事前に設定した座標へと誘導出来れば確実に相手を仕留められる。
そう、一般論では。
「どういうことだ?」
「形が残り過ぎている……威力を抑えたとはいえ、おかしい」
零夏の搭乗した英無頼が僅かに原型を留めていることに、紅蓮の騎士達は眉を潜める。
神の宝杖の威力ならば、人型機などネジ一本も残らず蒸発するはずだ。
にも拘らず、零夏は生きていた。
唯一ダメージが通らなかった英無頼の頭部モジュール、そのハッチから平然と飛び降りてみせる。
その手にはガンブレード。護身用として一応機内に持ち込んだが、まさか使うことになるとは零夏も思ってもみなかった。
なぜ零夏が生きているか。それは、上から来るぞ、という忠告を無視したからだ。
その声の主の性格からして、上から来ると言った以上は下から来ると確信していた。
足元の地中を錬金魔法にて爆薬に作り替え、自爆覚悟で起爆させたのだ。
ほとんど自滅な行為ではあったが、これには2つの意図がある。
一つは英無頼を吹き飛ばして地上に緊急離脱する為。
そしてもう一つは、撃ち込まれた鉄杭のメタルジェットの浸透を逸らす為。
ようは爆発反応装甲の要領だが、それはあまりに無茶な賭けだった。結果助かったのは奇跡だ。
「個人に対して戦略兵器使うんじゃねーよ、想定外過ぎるわ」
零夏に対してトラップの類はほぼ通用しない。壁の中だろうと地中であろうと見通す零夏の目を欺くのは極めて困難だ。
そんな零夏すら反応しきれないほど急速接近する攻撃など、神の宝杖くらいしか存在しない。そういう意味では紅蓮の判断は正解だ。
「だがそれでも貴様は生き延びた。切り札を切っても尚、我々は貴様を過小評価していたというわけだ」
観戦スタンドから飛び降りた男は、零夏を睨んだままに白々しく拍手する。
躊躇いもせず近付いてくる髭面の巨漢に、零夏は本能から警戒と殺意を覚えた。
(やばい敵だってのはひしひしと感じる……だが、この感情はなんだ?)
彼を見た時から胸を渦巻きだした苛立ちに戸惑ってしまう零夏。
その違和感は、男の名を知った瞬間に解氷した。
「初めましてだレーカ君。私はラスプーチン、しがない僧侶だ」
考えるより先に、零夏はガンブレードを構えていた。
「ご丁寧にどうも、死ねや」
身体強化魔法を行使し、ブレードに内蔵されたショットガンにてスラッグ弾をラスプーチンにぶっぱなす。
ポンプアクションを何度も繰り返し、機械的に弾丸を撃ち込む零夏。
マガジンチューブ内に装填された弾丸を全て消費し、舌打ちした。
ラスプーチンの肉体は防御の必要もなくスラッグ弾を全て弾き返したのだ。
(火器は基本的に通用しない、か。ソフィー曰く、イリアとの闘いでも20ミリガトリングをノーガードで耐えたらしいし望み薄だったが……)
魔法すら使用せずにどうやって、とラスプーチンの肉体の解析を試みる。
そして、絶句した。
「ロボット、だと!?」
ラスプーチンの体は機械で出来ていた。
ほぼ人型機と同じ構造、だが脳だけは生身。ラスプーチンの戦闘スタイルが魔法使いタイプなので無機収縮帯は少なめであり、表面装甲は厚い。
背中に格納されていた翼が展開する。
小型のターボファンエンジン二発が埋め込まれた翼は、イリアのそれよりずっとメカニカルで禍々しい。
(だがおかしい、魔力が足りないはずだ)
零夏は経験から、その体の設計が体積の小ささを魔力で補うものであると直感的に見抜いた。
全身が魔力強化さえている為に、人間の魔力では到底足りないはずなのだ。
にも関わらず、ラスプーチンからは湯水の如く魔力が溢れている。まるで魔力など無尽蔵に汲み上げられると言わんばかりに。
(……違う、本当に汲み上げているんだ!)
膨大な魔力を無限に供給出来る存在、それに零夏は心当たりがある。
「エターナルクリスタル……なのか?」
零夏が異世界へ来た際に魔力を得るために、何者かが施した処置―――エターナルクリスタル化。
「違うな、私はエターナルクリスタルなどという不完全な存在ではない」
ラスプーチンは零夏の言葉を否定する。
「私は天師だ。エターナルクリスタルなど、人体の天師化研究の副産物でしかない」
「天師……?」
「魔法至上主義者。魔法こそが最強の力であり、人型機や戦闘機など偽りの能力でしかないと考える者達だ」
長らく剣と魔法の世界であったセルファークにおいて、個人で強大な戦闘能力を発揮する魔法使いは何よりも尊まれる存在だった。
しかし大型兵器の発達により、パワーバランスは生まれもった才能ではなく兵器を製造する技術力、もっといえば経済力が左右するようになった。
かつては王であろうと、最強の魔法使いには手出しが出来なかった。しかし経済力を注ぎ込んだだけ強化される兵器は、孤独な最強の個人をも飲み込むことすら可能となったのだ。
だがそれで栄光が失われることを納得出来る魔法使い達ではない。プライドだけを醜く肥大化された彼らは、人体実験を繰り返し肉体を強化することを研究し続けた。
その成果こそエターナルクリスタルであり、天師であったのだ。
「おかしなことを、その体にはどう見ても人型機のノウハウが使用されているぞ。魔法至上主義者には受け入れがたいものではないのか、そういうのは」
「目的と手段が入れ替わることはよくあることだ。彼らにとってプライドを満たすことではなく、最強の人間を造り上げることが命題となってしまったのだろう」
浮遊装置を起動させて、ふわりと浮上するラスプーチン。その姿は禍々しくもどこか神々しい。羽のジェットエンジンや可動部を繋ぐケーブルさえなければ。
「貴様の疑念には答えたぞ、私の質問に答えろ。どうやって神の宝杖を直前で察知した」
「はっ、女神様に耳元で愛を囁かれたんだよ」
ラスプーチンは片目を閉じて「ふむ?」と呟く。
「唯一神セルファークが依怙贔屓とは、興味深い。殺すのはやめてサンプルにしてしまおうか」
「言っちゃなんだがよ、下品だぜお前」
「ふっ、冗談だ。予定通りここを貴様の墓場にしよう」
「は、そりゃあ楽しい冗談だな」
零夏はニヤリと笑って見せる。自身を奮い立たせ、怯えを封殺して。
「俺が死ぬ?ボケ老人の戯れ言はほどほどにしとけ。現状はお前を殺す千載一遇のチャンス以外の何物でもねぇよ」
今まで得体が知れず手出し出来なかった宿敵。ナスチヤを殺し、ソフィーに不自由な思いをさせ、ガイルを狂わせた張本人。
実を言えばガイルについては統一国家の騒動だけが原因ではないのだが、要因の一つなのは事実だ。
帝国での逃亡生活を続けたところで、事態が良くなる確信はない。誰かに任せたままで望みを掴めると思うほど零夏は無責任ではなかった。
あの日の誓いを、ソフィーと交わした約束を彼は忘れてなどいない。
(取り戻すんだ、俺達の故郷を―――帰る場所を!)
今こそ命をチップに賭ける時。闘技場の外周に50機の英無頼、上空には舞鶴30機。飛行隊を丸ごと連れてきたんだろうかという馬鹿げた戦力―――ただ、それだけ。
ガンブレードを横に構え、腰を下げ。
呼吸が止まった刹那、矢の如く彼は跳躍した。
数歩でトップスピードに達し、ラスプーチンに一息に接近。数メートル上空に滞空する敵に肉薄する。
目の前にまで迫ったラスプーチンに、渾身の斬撃を放つ。
腕でぞんざいに防御されるも、その程度は想定内。
右足をラスプーチンの股の間に突き刺し、相手の片足に足首をかけることで動きを封じる。
「―――むっ」
肘を顎に打ち、ラスプーチンを後ろへ吹き飛ばす。体勢を崩したのを見計らい、脇腹に左足の膝を打ち込む。
身体強化された零夏の蹴りは、容易くラスプーチンを宙に踊らせる。
バランスを保てない敵の身に零夏は何度も斬りかかる。
なす術もなく零夏の攻撃に甘んじるラスプーチンに、彼は確信した。
(こいつ、接近戦は素人だ)
息を吐く間もない猛攻。袈裟に斬り、横に凪ぎ、下に降り下ろし。
攻防は一方的。ラスプーチンには防御など出来ない。零夏の速度に完全に思考が追い付いていないのだ。
双方共に身体能力は普通の冒険者を超越した域に達しているが、それでも身体強化魔法の強度はラスプーチンが上だ。魔力でのみ強化している零夏に対してラスプーチンは魔力+人体改造による贅力、即ち無機収縮帯の出力。人間の筋力より遥かに強力なそれは、素の状態であっても強化状態の零夏に匹敵する。
つまりは彼我のパワー差はおおよそ2倍。大人と子供の喧嘩に等しい。
それでも零夏が優勢なのは、単に武術の知識と経験の違い。ラスプーチンの肉体設計が防御重視なことから、接近戦が不得手であると零夏は正しく看破しているのだ。
(一発二発で通じなくたって、何十発も打ち込めば!)
零夏の猛攻は三桁に達する勢いだ。だがそれでも、ラスプーチンは顔色一つ変えない。
一撃一撃が中型モンスターを昏倒させられる威力の攻撃なのに、一切通じないのだ。
「堅、過ぎるだろ……!」
歯ぎしりする零夏をラスプーチンは嘲笑う。
「くく、この程度でなにを」
ラスプーチンの魔力が更に増大する。
「ようやく体が温まってきたところだ、本気を出すとしよう」
正拳突き。
素人染みた大雑把な動きの拳は、零夏の腹にめり込んだ。
「ガッ―――!?」
拳は容易くライフル弾の速度をも越え、空気中の水分を水へと変えるほどの衝撃波と共に零夏を貫いた。
真横に吹き飛ぶ零夏。落下などほとんどせず、音速で闘技場の外壁に衝突する。
瓦礫の底、混乱する零夏はすぐには立ち上がれなかった。
頭蓋を反響する耳鳴りと全身の激痛。これほどの痛みを味わうのは異世界にきて初めて。
(なにをされた!?)
今まで掠りもしなかったラスプーチンの攻撃がなぜクリーンヒットしたか。
理由は簡単。単純に、『早かった』。
ラスプーチンの腕力が飛躍的に上昇したのだ。
その理由までは零夏には判らない。ともかくここで追撃されれば終わりなので、急いで瓦礫からの脱出を試みる。
「くそ、体が録に動かないッ」
右手の感覚がない。左手はガンブレードを握っていており、石を一つ一つ除去するのは困難。そもそもそんな悠長な暇はない。
障壁を張った上で、まとめて爆破して吹き飛ばす。
明るい日の下に出て、零夏は呼吸を忘れた。
「腕が―――俺の腕が、ない」
右腕は根本から千切れ、両足は骨が剥き出しとなっている。片足首はどこかで迷子だ。
ガンブレードが盾になったからこそ片側上半身は軽傷で済んだ。ラスプーチンの拳はただ一つで零夏を殺すのに充分過ぎる力が込められており、助かったのはただの幸運。
見えてさえいなければ無視出来た怪我も、一度認識してしまえば痛みとなって零夏の思考を阻害した。
「あ、あああっ」
血の気が引き、足が縺れる。
倒れまいとするもそもそもが踏ん張る足がなく、体重をかけようものなら脳髄まで掻き乱すような激痛に教われる。
びちゃりと血を撒き散らして倒れる零夏。
明確な死のビジョンが脳裏に浮かび、それを振り払うことが出来ない。
「死ぬのか、俺は」
「そうだ。死ぬのだ、貴様は」
いつの間にか側まで接近していたラスプーチンは、零夏の髪を掴み上空へと持ち上げる。
髪の毛を引っ張られる痛みは、だが足に体重をかけるよりはマシだった。
「勝てると思っていたか?バカもここまでくると哀れだな」
(パワーで劣っているのは判っていた。―――だからって、なんでここまで差があるんだ)
再び拳を振り上げるラスプーチン。零夏に有効な反撃手段などなく、それをじっと見つめるしか選択肢はない。
今度の狙いは零夏の頭部。防御など不可能、零夏には奇跡を祈る以外にない。
解析魔法を終えるまでの、僅かな猶予が稼がれるという奇跡を。
かくして、ラスプーチンの拳が動く直前―――直径2メートルはある高出力レーザーが、彼を飲み込んだ。
「やったか!?……いや」
町の上空に浮かぶ箒、その上に立ち光の弓を構えるリデア。
彼女が闘技場より直線距離にして2000メートル離れた場所から放ったそれは、アナスタシアやリデアが得意としてきた長距離砲撃魔法アーリア・レイ。
最上級魔法に分類され、人型機の複合装甲盾をも正面から貫けるリデアの切り札だ。
常人に扱える魔法としては間違いなく最強、だがリデアには強敵を討ち取ったという手応えがなかった。
(通じるはずがあるまい……やつの精霊魔法とは、そういうものなのだから)
予想通り、収まった凝集光から現れたのは無傷のラスプーチン。
2キロも離れていては互いの声は届かない。リデアは遠見の魔法でラスプーチンがなにかを呟き舌打ちしたことだけを視認した。
闘技場をドーム状に覆う光の壁。
「結界魔法か」
初めは薄い膜だったそれも、徐々にはっきりとした色となり内部の様子が見えにくくなっていく。
これはまずいと急いで魔法を組み立てる。
「アーリア・レイ!」
再度光の矢を放つも、結界を破ることは叶わなかった。
レーザーは半球状の結界にぶつかると乱反射し、威力を減退させる。
一瞬結界の色が薄くなったように見えたが、それもすぐに元に戻った。
「さすがじゃラスプーチン、広範囲の結界をこの密度で展開するとは……怪僧の名は伊達ではないな」
流石に二度も空からレーザーが放たれれば、紅蓮の軍人も気付く。
いつの間にか彼女の回りを多くの戦闘機が旋回していた。
上空から堂々と狙撃を行う幼子に怪訝そうな顔をしつつも、舞鶴は冷酷にリデアを狙う。
「通信の一つでもあると思っていたが、無警告か。まあいいがの」
搭載された30ミリ機関砲に晒されれば生身の人間など血の霧と化す。
「まったく、それは帝国の最新鋭じゃぞ。勝手に使いおって」
だというのにリデアは慌てる様子もなく、空を仰いだ。
「時間じゃ。駆逐しろ、悪魔よ」
瞬間、舞鶴に大穴が空いた。
弾痕なんて生ぬるいものではない。美しい流線の機体は抉られ無惨に空中分解する。
リデアのすぐ近くを垂直降下する飛行機が掠めた。
白い直線翼機―――雷神。3門の30ミリガトリングを備えた双発ジェット機は地面スレスレで引き起こし、次の獲物を探す。
突然の乱入者だがそれで浮き足立つ天士達ではなかった。一度は舞鶴の後ろを取った雷神だが、エンジン出力を活かし舞鶴は上昇して逃げる。重火力重装甲の雷神にはとても追い付けない。
容易に背後を奪われた雷神、絶体絶命かと思われたその時雷神上部の宝塔が180度回転した。
105ミリライフリング砲から放たれる鉄鋼弾に舞鶴は粉砕された。
砲を装備した飛行機など世界広しと言えど数えるほどしかいない。紅蓮に与する者達は、ようやく自身の敵対する悪魔の名に行き着き恐慌した。
「薮医者―――ガーデルマンも乗っておるな。無事合流したか」
そう、レジスタンスの用意した銀翼の天使とは帝国軍人のルーデルだ。薮医者の正体はルーデルの相棒ガーデルマン。
帝国軍最強であり、リデアの腹心のコンビ。レジスタンス支援は最初から始まっていたのである。
闘技場へと雷神がアプローチしていることに気付き、慌てて通信魔法を繋いだ。
「わしじゃ。聞こえるか?」
『おお、姫様。どうしましたかな』
「雷神の武装では闘技場の結界は破れん。あれは神術級に達しておる」
神術級魔法。最上級魔法より上位に位置するそれは、個人の限界を越えた力。
魔導姫すらもて余し、発動には入念な儀式が必要となる文字通り神の域に達した攻撃。
仮に科学技術で神術級の威力を発生させようと思えば、それこそ核爆発以外にないだろう。
「お主等は上空制圧に専念するのじゃ」
『了解ですぞ』
「うむ。じゃが、とはいえ―――」
鈍重な雷神は既に敵機を5機は落としている。問題はルーデルの身の危険ではなく、雷神の弾切れだ。
雷神のガトリングはその気になれば一分とかからず打ち尽くしてしまう。そして現状、補給の方法はない。
「雑魚ばかりとはいえ、雷神一機で上空制圧出来ればいいのだが……」
リデアは頭を振って思考を切り替える。弾切れになれば離脱すればいいルーデルと違い、零夏は早急に支援する必要があった。
「ラスプーチン、やはり別格じゃ。じゃが同時に紅蓮も中に手出しを出来ない、レーカが凌いでいるうちに次の手を考えなくては」
彼女の視線の先では、零夏がラスプーチンからの離脱を果たしていた。
「祈ってみるもんだな、奇跡とやらも」
緩んだ手を払い除け、零夏は『両足』でしかと地面に着地する。
右手を開閉し具合を確認、満足げに頷く。
「お転婆姫の狙撃のおかげで、四肢を作り直す時間が得られた」
肉体が見た目復元された零夏。だがこれは治癒ではない。零夏はそんな小器用な魔法は使えない。
零夏は、ラスプーチンの肉体を解析し複製したのだ。足りないものは代用し、複雑な部分は簡略化し、実用に耐えうるものを形作った。
他にも無事だった部分は残しておき、足りない部分だけを機械化する。
半天師ともいうべきか。付け焼き刃だが、完成はしていた。
「バカな」
ラスプーチンは愕然とした。
「一つの世界といっても過言ではないほど精巧な我が肉体を、今この場でコピーだと……!?」
自身の体だからこそ、その緻密さは熟知している。
彼もまた解析魔法を扱えるが、その情報を完全に読み込むことは不可能。生身で残されている脳細胞が、処理に追い付かないのだ。
そう、それがラスプーチンの知る人間の限界。越えられないはずの最後のライン。
だというのに。なのに、目の前の餓鬼はそれを瀕死の間際に越えて見せてた。
「なめんな、俺はずっとメカニックだったんだぞ」
一般人が異世界へ渡り大きな魔力を手に入れれば、普通は魔法使いを志す。
だが零夏は違った。ひたすら、何度も延々と機械工作をしてきた。
ラスプーチンが精霊魔法の怪物であれば、零夏は工作魔法の化身。
こと、製造技術でいえば零夏はまさしく最強であった。
(さて、そんでこの光の膜が……)
零夏は思考回路を走らせる。
魔法は専門外の彼だが、人並み以上の知識はある。故に精霊魔法が何なのかも知っていた。
(自立判断が可能な『打ちっぱなし』の魔法……消費魔力の割に効果は小さいが、独立しているので術者への負担がないんだっけ)
零夏はついミサイルをイメージしてしまうのだが、精霊魔法は通常の魔法と変わらないバリエーション豊かな技術系統だ。
地雷のように設置することも、敵地を偵察させることも可能。燃費の悪さや制御の困難さから使い手は少なくマイナーなものの、上手く利用すれば不利な戦況を逆転させることも可能な高等技術だ。
もっとも、ラスプーチンはそのような運用を行わない。
エターナルクリスタルという無限の魔力にものを言わせた力業と物量。それこそラスプーチンの精霊魔法である。
闘技場を囲む結界も、互いに干渉しエラーを起こす寸前まで重ねがけされた精霊魔法だ。
(しかも、さっき外からの攻撃を受けてもあっさり修復して元の密度に戻りやがった。魔法が自分でコピペして細胞みたいに増殖しているんだ)
つまりは、結界を破る手段はただ一つ。
(大火力による一撃破壊。結界が一枚でも残ればやり直しなんて、とんだ不条理だ)
どうすればいいか思案する零夏、それを見るラスプーチンもまた戦いている。
彼はようやく、零夏を警戒すべき敵として認識した。
「―――だが、それでも火力はこちらが上だ」
眼前の敵、その周囲に現れる数百の光点に、零夏は身震いした。
「は、それしか能がないのか?芸がないな」
「物量以上の戦術など、ない」
なるほど、と零夏は一人ごちた。
ラスプーチンの異常な腕力も、身体強化魔法の重ねがけだと理解する。
無機収縮帯+身体強化×身体強化。とんだインチキだと零夏は思う。
放たれる炎の魔法。一つ一つは中級だが、それでも生身では十分殺傷する威力がある。
(土壁を築き防御するか?いや、初撃は防げてもそこで積む―――!)
零夏に選べる手段などただ一つ、全弾回避のみ。
「やれることはやっておくかっ」
魔法が自身に到達する僅かな猶予の間に、等身大のマネキンを地面から作る。内部に燃料とモーターを仕込んだ手の込んだ品である。
迫る炎弾をギリギリまで引き寄せ、ガンブレードを展開する。
上部の砲身が後ろへ大きくスライドし、カードリッジ内の酸素と水素が注入される。
分厚いブレードが割れるとブレード内部から螺旋状の突起―――ドリルが飛び出す。
銃身がロケットの燃焼室となり、ショットガンとしての機能を喪失。もうショットガンとして使う状況はないと割り切っている。
ガンブレードがライフルではなくショットガンとして製造されたのは、本来零夏が銃火器の扱いに不馴れであった為だ。大雑把な狙いで敵を撃破する、そういう設計思想である。
しかし現在の零夏は解析魔法を利用した精密狙撃まで可能なので、ショットガンよりライフル銃の方が適切である。
それでもなぜガンブレードにライフリングが刻まれていないかといえば、弾丸の多様性に優れているから。
だがどのような特殊弾頭であってもラスプーチンには効かない。躊躇う理由はなかった。
水素ロケットを点火、零夏は側面に急加速する。
「うぐ、ぉおっ!」
零夏を引っ張り飛翔するガンブレード。燃焼時間は10秒、ラスプーチンに辿り着くには十分な時間。
(どうだ、マネキンに向かったか!?)
精霊魔法がミサイルならば、疑似餌も有効はなはず。そう考えて熱と魔力と脈拍を有するマネキンを作ったのだが、残念ながら引っ掛かる間抜けな魔法は一発もなかった。
愚直に己を追う精霊魔法に、零夏は思わず愚痴る。
「いい精度だなくそぉ!お前らみたいなやつ(ミサイル)がいるせいで、ドッグファイトが廃れたんだ!」
弾幕の側面へと回り込み、足も着かぬままカードリッジを宙で取り替える。
「ストオオオオ、カチューシャアアアァァァァ!!」
剣先のドリルが回転、付加された魔刃の魔法が周囲の大気すら切り裂く。
螺旋に迫る傷痕、それをラスプーチンはつまらなそうに笑った。
「届くと思ったか」
「思ってねぇよ畜生、ばーかばーかっ」
障壁をガリガリと削り、制止した。
(あーくそ、エラーギリギリまで重ねがけしているならラスプーチンを守る障壁と闘技場を包む結界は同じ強度のはず、一思いに本体狙った方がお得か……なんて急くんじゃなかったかな)
瞬く間に復元する障壁に、零夏は歯噛みする。
「141枚破られたか。驚愕に値する、最上級魔法をも越える域だ」
「そりゃどーも」
「あと一息頑張りたまえ、残りたった525枚だぞ」
合計666枚。思わず目眩を覚えるほどの防御。
これを貫くには神術級の威力をお膳立てするしかない。
(勝てるのかよ、これ……負けイベントじゃね?)
矢継ぎ早にカードリッジを交換してストーカチューシャを連射するも、ダメージより復元の方が早い。
零夏の無駄な足掻きをラスプーチンはせせら笑う。
「くくく、しかしストーカチューシャ、か」
「ウケる要素なんてねーぞ」
「名付けたのはナスチヤだな、カチューシャはあの娘が好きな歌だった」
今でもあの歌声ははっきり覚えている、とラスプーチンはしみしみと頷く。
それがなまじ挑発ではなく本心から懐かしんでいるように見えたからこそ、零夏は苛立ちを増した。
「そりゃあ是非とも聞きたかったな、なんで殺したんだよクソが」
「世界に対する見せしめ、そして欲しかったからだ」
「―――欲しかった、だと?」
一旦距離を取り、ラスプーチンの周りを駆ける。
「お前はほしいと思わなかったか?あの美貌、あの肉体、女神であろうとあれほどの輝きを秘めてはいなかろう」
「同意見だクソ坊主。だが美女は舐め回すように視姦するのがたしなみだろうが。イエス人妻ノータッチ、ゴッド イズ ア チンチクリーンだろーが」
どこからか『誰がチンチクリンじゃー』という神託が聞こえたが、零夏に気にしない。
最後のカードリッジを装填、ロケットにてラスプーチンに肉薄。
と見せかけて、彼の横を通り過ぎる。
「逃がすかっ」
「逃げねぇよ」
零夏は闇雲にストーカチューシャの無駄撃ちをしていたわけではなかった。宙に浮かぶラスプーチン、その真下に細工をしていたのだ。
「ふわふわ浮いてて足元がお留守だぞ」
直径約5メートルほどの、擂り鉢状に抉れている地面。鋳造魔法で作り上げた、金属製の蟻地獄。
「いつの間に?だがなんの意味がある、落ちるほど間抜けではないぞ!」
「これは弾頭さ」
擂り鉢内にて高性能爆薬を起爆する。
同質量の爆薬による単純な爆風、熱であればラスプーチンには通じない。だがそれが擂り鉢の内部で起こると、異質な現象が起こる。
吹き上げる炎の柱、それにラスプーチンは飲み込まれた。
「ぐおおぉぉぉおおお!!?」
第三者からすれば業火に包まれているかのような光景。実際には周囲の空気が揺らいでいるだけに過ぎない。
その本質はメタルジェット、化学反応などより恐ろしいものだ。
「モンロー効果って言ってな。擂り鉢状の金属と爆薬を用意すれば、本来球状に広がる燃焼エネルギーを一点に集中力させることが出来る。兵器屋にとっては常識だ」
ようは成形炸薬弾である。即興の不出来な模倣だが。
無論、通常の成形炸薬弾を込めた戦車砲弾や人型機兵装ではラスプーチンの障壁は貫けない。だが文字通り桁の違う、直径5メートルの擂り鉢。吹き上がるエネルギーは戦艦とてぶち抜けるほど。
「極太メタルジェットの直撃だ、これでダメージなしなら泣くぞ」
「―――ああ、驚いた。大した威力だ」
憮然と立ち込める水蒸気の中から現れるラスプーチン。
零夏は本気で泣きたくなってきた。
「誇れ、我が障壁を550枚も削ったのだ。これほど大きな威力の攻撃を受けた経験は片手ほどしかない」
浮遊高度を上げるラスプーチン。それだけで、モンロー効果を利用した一転集中攻撃は封じられた。
「誇りを抱いて、死に絶えろ」
手を翳すラスプーチン。
零夏は思い至る。ストーカチューシャが141枚、モンロー効果のメタルジェット攻撃が550枚。ならば同時に放てば、障壁を破れるのではないか、と。
(いや駄目だ、そもそも666枚の障壁を破るエネルギー量を捻出すること自体は簡単なんだ)
単にそれに匹敵するだけの爆薬を調達すればいい。それで殺せるのならば、ラスプーチンはとうの昔に殺害されている。
(問題は、それを一点集中させることだ。障壁の術式が破綻するほどに、一層も残さず貫かなくてはならない)
時間が停止したかの如く、刹那の間に思考を走らせ続ける。
(メタルジェットの中にストーカチューシャをぶちこんだって、モンロー効果の熱でガンブレードが壊れるだけ。そもそもストーカチューシャをぶっぱなす為のカードリッジがもうない、新しく鋳造する隙もくれないだろう)
同じ手が何度も通じるはずがない。生半可な小細工はかえってリスクを増やすだけ。
(参ったな、もう何も有効打が思い付かないぞ……ん?)
ラスプーチンの背後、2000メートル先にてリデアが奇妙な動作をしていた。
(こんな時になにやってんだアイツ)
箒に乗った彼女は、両手の人差し指を突き合わせ何度もツンツンと合わせていた。
魔法の儀式だろうか、と考え、その意図を唐突に理解する。
「はぁ!?」
その無茶な発案に、零夏は思わず声を上げてしまった。
「どうした、もう奇策などさせんぞ」
突然の奇声に警戒するラスプーチン。地中の細工を警戒し常に飛行し続け、周囲を常に解析している彼には隙などない。
「あ、いえお気になさらず」
(隙がなかろうと、もう一度、ちょっとだけでも時間を稼がなくては)
撃破でも脱出でもなく、時間稼ぎ。ならば零夏には選ぶ道が残されている。
結界内の物を次々と解析して、調達可能な物資を選定。
「窒素酸素水蒸気、アルミニウムにカルシウム、石灰石英……レアメタルが足りないが、まあ、なんとかなるだろ」
脳裏にて図面を引き、地面と大気からそれを作り上げる。
最初に浮かび上がるフレーム、空圧シリンダーが張り巡らされ、装甲がそれを包む。
それは腕だった。あまりに巨大で、成長過程である零夏の等身には見会わない鉄腕。
零夏の右腕に備わった、5メートルほどの腕はまさしく人型機のものだった。
「―――圧縮機始動、神経接続、同調開始」
不自然に巨大な腕が降り注ぐ魔法の火球を弾き飛ばし、握り潰す。
その容易さに、零夏は後悔する。
「うわ便利、さっさとやっとけば良かった」
ラスプーチンの顔が盛大にひきつった。
「だよなー、素手で人型機の真似事するなんて馬鹿げているんだな。それなら体を人型機に改造した方がよほどお手軽ってことか」
「簡単に言ってくれる、貴様、何者だ!?なぜそんなことが出来る!」
「なぜって言われても、慣れたし」
ラスプーチンの模倣による擬肢を操っているうちに、零夏は物足りなくなってきたのだ。
魔法使い向けの防御重視の設計。堅実で精巧だが面白味に欠ける構造。
こうなっては、改善案を出してしまうのは零夏の性である。
「けど神経接続か、面白い技術だなこれ」
応用。単純なコピーと違い、それは技術を完全に理解していなければならない。
だからこそラスプーチンは戦慄していた。
「ばかな、賢者達が数百年かけて成熟させた技術だぞ、それを数分で掌握だと……!?」
ありえない。彼の脳裏に過るのはその一文だけ。
「それを、こともあろうか『慣れた』だと……!?この、化け物め……!!」
「お前が言うな」
零夏の鉄拳とラスプーチンの魔法が激突する。
依然としてラスプーチンのパワーは零夏を圧倒しているが、その差は肉体の人型機化によってかなり縮まった。零夏の格闘戦技術によって埋められるほどに。
ラスプーチンの何重にも魔力強化され超音速で迫る拳を、零夏のセラミック複合装甲化した腕が逸らし止める。
零夏の死角から鋭く貫く正拳突きを、ラスプーチンの障壁はこともなげに受け止める。
両者の視線には、じわりと焦りが浮かんでいた。
互いに決め手もなく、時間ばかりが消費されていく状況。このままでは不毛な根比べとなることは明白。
(俺がラスプーチンの攻撃を捌ききれなくなるのが先か、ラスプーチンの集中が途切れて障壁維持をミスるのが先か……あれ、やっぱ不利じゃねーか)
零夏は隙を探す。
(なんでもいい、さっきの一撃をもう一度撃てる隙はないか!?)
常に広く視線を走らせるラスプーチン。零夏だけではなく、周囲にも警戒し手当たり次第に解析しているのだ。
(……?)
違和感を感じる。
一ヶ所だけ、解析が疎かになっている場所があったのだ。
(……ああそうか、そうだよな。お前だって同じ癖があったっておかしくない)
僅かな希望を見出だした零夏は、再び体内を改変する。
「どうした、またなにか企んでいるのか!」
攻撃を行わず回避に専念し始めた零夏に、ラスプーチンは警戒を強める。
零夏の攻撃はラスプーチンの想定外のものばかりであった。一年前のラウンドベース破壊もそう、発想の角度が斜め過ぎて対策が間に合わない。
戦力で勝っていようと、戦況が優勢であろうと油断が出来ない。
一言で言えば、ラスプーチンは零夏にトラウマを持っている。中からなにが出てくるか予想も付かないビックリ箱に思えてならないのだ。
(今度はなんだ、蛇が出るか?猫の死体でも入っているのか?それとも箱に化けた魔物なのか!?)
零夏を認めず、零夏を誰より恐れている男。
それを半ば自覚しているが故に、ラスプーチンはとにかく零夏を殺したかった。
「させん!手など打たせるか、隙などくれてやるか!死ね、今すぐだ!」
地面にも空にも細工はない。ラスプーチンはそう確信し―――
「はは、死角はやっぱりあるようだな」
―――呼吸を忘れた。
「……死角など、ない」
その呟きに、一瞬前の自信が変わらずあると誰が言えようか。
零夏の挙動一つに過剰に警戒し、視界が狭くなっていくラスプーチン。
刹那、零夏はラスプーチン側面へと回り込み、魔力刃のドリルを叩き込んだ。
「ストー、カチューシャ……!な、に?それは弾切れのはず」
障壁を破れないながらも、最上級魔法レベルに至っているストーカチューシャ。ラスプーチンはそれが使用不可能なのを確かに確認していた。
「だよなぁ、体内の解析はやだよなぁ、俺だって嫌さ」
零夏は自身の体内に手を突っ込み、次のカードリッジを抜き出す。
体液にまみれたそれに、ラスプーチンの顔は唖然とする。
「まさか、体の中で新たなカードリッジを製作したのか……!?」
「そういうこった、解析魔法の使い手は体内を解析したがらないクセがあるってことだ!」
動物を解析した場合、グロテスクな臓物を視ることとなる。故に零夏は進んで肉体解析を行おうとはしなかった。
ラスプーチンはテロリストであり殺戮者だが、殺人快楽者ではない。
僅かな希望的観測と、ラスプーチンが零夏をあまり注視していないという事実。これらから零夏は自分の体内が唯一の死角であると考えたのだ。
「だが、だがっ!そんな玩具では我が障壁は破れんぞ!」
「けど、隙は出来るだろ?」
再度地面を錬金し、擂り鉢を形作る。
ラスプーチンと地上が離れているが為に、メタルジェットは届かない。しかし擂り鉢は上空ではなく闘技場の外側へと向いている。
「今度はこっちだ、ぶち抜け結界いいぃぃ!」
点火、熱の柱が闘技場を包む結界へと放射された。
「くだらん、それでも火力が足りんわ!我が障壁と結界はほぼ同等の強度だぞ!」
ストーカチューシャの連射によってラスプーチンを足止めしているものの、それは同時にストーカチューシャを結界破りに回せないということでもある。
そもそもメタルジェットの中にストーカチューシャを打ち込めば、熱でガンブレードが溶けて終わり。ラスプーチンの妨害があろうとなかろうと零夏一人で内部からの結界破りは不可能だった。
零夏一人では。
「今だ、ぶち破れえええぇぇ!」
壁に放射されるメタルジェット、その反対側。外から極太レーザーが結界に打ち込まれた。
「む、ううぅぅっ!」
「ラスプーチン、お前の言を信じるのであれば結界は666枚!メタルジェット攻撃で破れるのが約550枚、残りの116枚はあのお転婆狸娘に任せる!」
内と外から高威力の魔法でぶち破られ、数を減らしていく障壁。
500枚、300枚、100枚―――!次々と障壁は消失し、色を薄くしていく。
裏表から最上級の攻撃は、合計すれば神術級にすら達していた。
「やめろ、クソッ、クソがぁ!」
怒鳴るラスプーチンだが、無慈悲にも零夏のストーカチューシャによる足止めは継続しており。
闘技場にいる人々の耳に、パリン、と音が聞こえた気がした。
一瞬の間、次の時には空が青く染まる。
吹き抜ける風に、誰もが理解する。ラスプーチンの最強の結界が、今この瞬間破られたのだと。
「やった、やっ―――おおぉぉ!?」
人型機が喜ぶ零夏に向かって突っ込んできた。
闘技場に墜落する人型機は、片膝を着きスライディングしつつ停止する。
「なっ、なんだ、誰だ!?下手くそな操縦!」
『わしじゃわし、愛らしい狐姫じゃ。はよ乗り込め』
「なんだよこのへんちくりんな人型機は!?」
ロボット大好きな零夏をもってして、その人型機は奇妙な機体としか思えなかった。
油圧アシストのない無機収縮帯のみの細い手足。空力を意識しているのであろう流線型のアルミニウム装甲。これだけであれば、運動性能に特化させたピーキーな機体と納得も出来る。
異様なのは両肩と両脇に設置された計8発のエンジンだった。
肩にそれぞれ2発の可動式ターボファンエンジン。脇にも左右2発ずつカードリッジ式の固定ロケットエンジンを抱え込んでいる。
普通は頭部に収まっているコックピットも胸部へと移されており、サスペンションによる衝撃の緩和を図られている。ならば首の上にはなにがあるかと言えば、大型の投射機とツノのように左右に生えたペリスコープ。
ひたすらに機動性を追求した設計思想、零夏はこのようなコンセプトの機体を一つしか知らない。
「まるで、白鋼だな」
白鋼の能力をなんとか量産機に落とし込もうとした、そんな風に思えた。
ハッチのある人型機の背中に回り込み、腕が巨大過ぎて乗り込めないことに気付く。
鉄腕を破棄しハッチに入ると、内部で待っていたリデアが先程の独り言に返事を返した。
「ある意味その通りなのじゃろう、これが紅蓮の開発した新型じゃ」
その時、闘技場を囲む結界が再び展開された。
ギリギリの作戦の末に得た成果は、この新型とリデアを結界内に招いたことだけ。この変化で何が変化するか、それは三者の誰も予想が付かない。
「って、腕がないぞ!?」
「取れた」
「取れたって、痛くないのか?」
「アドレナリンってスゲーよな、先までチョコたっぷりだもん」
あんぐりと口を開けっ放しにするリデアを零夏は冷たい視線で見やる。
「なんで君が乗り込んできたんだ、護衛対象殿」
「酷い言い様じゃ、心配して駆け付けたのに」
姫が戦場に乗り込んでくるなと主張するも、リデアとしては零夏は最重要人物。簡単に喪失するわけにはいかない。
呆れている零夏、その時ラスプーチンの魔力の変化を察知した。
「っ、俺に代われ!」
リデアを押し退け生き残っていた左腕で操縦幹のトリガーを押す。
脇のロケットエンジンが点火し、ラスプーチンの放った氷の槍を飛び退くことで回避した。
「うおっ!?」
あまりの瞬間出力に浮き上がる機体、慌ててバランスをとって着地する。
「なんだこれ、機体重量の割に軽過ぎる。普通に戦うだけでポンポン浮いてしまうぞっ」
「白鋼だってポンポン飛んで戦っておるではないか。説明があったろう、新型は機動性重視だって」
それだけではない、機体形状からして加速すれば揚力が発生するように設計されている。まるで、人の形をした飛行機として設計したかのように。
「―――そうか、これはソードストライカーなのか」
ソードストライカーの定義は人型機と戦闘機を変形することではない。半人型戦闘機の名の通り、空力特性に優れて飛行能力を持ちつつ、人型機として運用可能なことだ。
「戦闘機としての形態を切り捨てることで構造を簡略化し、たった一年でソードストライカーを完成させたのか」
「帝国での半人型戦闘機の開発は難航しているというのに……お主、今度手伝いに来ておくれ。なんでも機体強度で行き詰まっておるらしい」
「そのうちな、そのうち!」
零夏は新型を全力で解析して掌握に努める。
人型な以上は空気抵抗が大きくてトップスピードは期待出来ないが、そもそも戦闘機が超音速を出すことなどそうそうない。思いきったコンセプトだが、それなりに上手く仕上がっているのが驚愕だった。
操縦幹を乱暴に掴み、ラスプーチンの魔法を回避しようと思い切り押し倒す。
操縦幹が取れた。
「初期不良!?どこぞの超魔改造F-16じゃないんだぞ!」
抜き手にて操縦系統のケーブルを引き抜き、右腕の神経を直結させる。
「お主、それは神経接続!?天師の技術じゃと―――!?」
「あーこの狸姫、やっぱ天師とか色々知ってやがった!」
「ってあれ、狸になっとる、狐じゃったのに!」
「いいから身体強化しとけ、素じゃGで内蔵破裂とかするぞ!」
コックピット後部にもう一つ座席を急造する。そのまま、零夏は新型機の『仕上げ』に移った。
荒削りな部分を洗練させ、不要な部分を撤去し、零夏の好みに合わせカスタマイズしていく。
「脚部負担平均化、バランサー再調節、センサー死角補完、ドライブシャフト異常振動相殺、エンジンコントロールマクロ構築、マイナスG時カードリッジジャム改善、フラッター発生箇所強きゃ、舌噛んだ……」
それは、紅蓮の技術者からすればさぞや屈辱的な行為であろう。
その場で手直しされていく新型機、この段階まで未解決だった、発覚していなかった問題が消化されていく。
動きを止めた機体、今のうちに撃破しようとラスプーチンの魔法が紡がれる。
ラスプーチン周囲に整列する10本の雷槍。バチバチと周囲に放電し破壊を撒き散らしつつ、射出合図を待つ。
『殺す。確実だ。確かにここで死ねぇ!!』
憤怒のあまりに狂った号令と共に、雷槍が加速する。
「―――システム再起動!」
電力が機体の隅々に行き渡り、魔導術式が原始的な演算を開始する。計4発のコンプレッサー内にて爆薬が起爆、強引にシャフトを回転させターボファンエンジンを始動。
ターボファンエンジンは立ち上がりが遅い。迫る魔法を回避するには到底間に合わない。
零夏は迷わずこの機体特有の装備を使用した。
レスポンスの早い両脇のロケットエンジンが点火し、機体を発進させる。
高い推力による、急激な加速。
だが、それでも。
「駄目じゃ、間に合わないぞ!」
「そういう時はな!」
機体を倒れこませて重量を使い速度を確保、更に地面を蹴って加速させる。
地面スレスレを飛行する機体は雷槍を潜り抜け、安全な空域へと離脱した。
ようやく安定してきたジェットエンジンにてホバリング。ラスプーチンより上に浮いているのは空戦理論以上に零夏の気分の問題である。
「高低差を使って速度を得る、飛行機の基本だ」
『おのれ、散赤花を強奪するとは……小癪な!』
「この新型機のペットネームか?嫌な名前だな、紅蓮らしい」
散赤花。散る赤い花。まさに文字通りの名だと零夏は思う。
精巧で複雑になりがちなソードストライカー、しかし散赤花は人型に限定することで簡単な機構と高い整備性を有している。比較的複雑なエンジンですらも修理=交換という思想なのだ。
人命軽視な薄い装甲、単純構造で比較的安い機体。質に数で立ち向かう機体としか考えられない。
もっとも、ゼロ戦しかり、この手の機体はパイロットの実力に戦果を左右されやすい。一般的な軍人が乗れば高価な棺桶となる算段が高いも、零夏ならば強力な剣となりうるのだ。
「武器は……30ミリ機関砲とレイピアだけか」
零夏自身からも魔力を供給してオーバーヒート覚悟でエンジンを回し、機体を振り回す。
一度に数百発向かってくるラスプーチンの精霊魔法も零夏のトリッキーな操縦には追い付けない。その三次元的な軌道はソードストライカーの真骨頂といえるものであった。
「いい機体だ、回避が随分楽になった。あとは防御を破る方法だが―――」
「き、ぼちわるい……」
目を回すリデア、アイドル姫形無しである。
『くだらん、貴様の力は借り物ばかりだな!莫大な魔力も我々の研究の成果、その機体も我々の物だ!』
「ああそうだ、自分の力だと思い込んでいた大半は借り物だ」
偽ロリ神のお膳立てした能力、既存技術の組み合わせ。
天賦の才能を持つ者達には敵わない。そんなことは、異世界に来てすぐ知った。
ソフィーという、本物の天才が飛宙挺を自在に操るのを見た時から。
「それでもま、人間取り柄の一つくらいあるもんでな」
迫り来る魔法を見据え、にやりと笑ってみせる。
レイピアを抜き、次々と魔弾を切り捨てていく零夏。
『な、なに』
「人型機の操縦精度はナスチヤにも誉めてもらえてるんだ」
イメージリンクの補正抜きで人型機を操りきるセンス、それこそ零夏の生まれ持った能力。
神経接続を会得した今となっては、その精度は更に向上している。
今の零夏は、それこそ人型機のマニュピュレータで米粒に名前を書けるのだ。
戦場を透視する彼にとって、ラスプーチンの放つ音速の魔法など静止しているに等しい。
魔法を完封し、余裕をもって時折ラスプーチン本人にも剣撃を放つ。
嫌がらせでしかない、だが嫌がらせとしては上々。
ラスプーチンはいつの間にか劣勢となっていた戦況に血管が千切れるほど苛立っていた。
「あ!そうだ、セルフ!聞いているんだろう!」
先程の警告が彼女の仕業であるならば、見ているはず。
「神の宝杖ぶっぱなしてくれ、今丁度ラスプーチンが闘技場の真ん中辺りにいる!」
『ムリムリ、あれ管轄外ッス。神でもなんでもないッス、ただの異文化の工芸品ッス』
ふざけたセルフの返事は、完全無欠の否定。
「だよなぁ、どうみてもアメリカのあれだし。その割に下から来たのが気になるが」
闘技場を貫いた攻撃は確かに地中から零夏を貫いた。
(この世界の地下には、アメリカの軍事兵器が埋まっているんだろうか……)
「ってか手伝えよアホ神!」
『むりー。戦争や争いだって立派な人間の営み、神は介入しないの』
「さっき声かけてくれたろ!モロ介入したろ!」
『それは……あれ、なんでだろ。バクった?』
(神ってバグるのかよ……)
意外な事実だった。
「なんにせよ、自分であの障壁をなんとかするしかないってコトか」
(そもそも基本的に、兵器ってのは範囲や規模を大きくするのは容易いが、一点集中の威力を上げるのは難しいもんなんだ。威力を制限なくガンガン上げられる兵器なんて、それこそ……)
「……そうだ。リデア、雷の魔法は使えるか!?」
「む、そりゃ使えるが」
零夏は作戦を説明する。
「そんな無茶な、そもそも魔力が足りんし、わしにはその兵器の知識がないぞ」
「魔法でなんとか出来ないか?俺の考えを読み取る魔法とか、ほらイメージリンクとかあるだ、ろ……」
言ってから零夏は思い出した。イメージリンク魔法を人同士で行うには、粘膜の接触……所謂ちゅーが必要となるのだ。
「た、確かに契約を接続してしまえば、魔力の融通もイメージの伝達も可能じゃが……」
非常時であろうと男との接吻に躊躇うリデアに、零夏はその辺から引っこ抜いた魔力伝達ケーブルを差し出す。
「誰かに聞いたが、ケーブル越しでもイメージリンクは出来るんだよな」
ケーブルの端っこをくわえれば魔力は通じる。マウストゥーマウスが嫌な時によくやる方法である。
「ほれ、噛め」
「そんな間抜けな様を晒すなら、口でいいわい」
女扱いされていないと断言されたようで、イラッときたリデアは強引に零夏に唇を重ねた。
(いいか、お主の体はわしの弟の物なのじゃ。家族じゃからノーカンじゃ!)
(中身は他人だけどな)
(そこは黙って肯定せんかあほー!)
イメージリンク魔法での最初のやり取りは、そんな会話であった。
ラスプーチンは零夏の猛攻に、魔法を放ちつつ後退することしか出来ない。
それは彼にとって最大級の屈辱であった。
(私が引いた、逃げただと?)
障壁を破れない以上は逃げる必要などない。だが、巧みな戦術と連続攻撃はラスプーチンの行動選択肢をガリガリと狭めている。
何時だって戦場を支配してきた怪物は、今やただ翻弄される無様な老獪であった。
(馬鹿な、ありえん)
奥歯が幾つか砕け、握り締めた掌は爪が食い込んでいる。
(馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な)
「ありえない、ありえないありえない!!」
錯乱したラスプーチンは、零夏の攻撃は障壁を破れないと確信しているが故に、注意散漫となり気付けなかった。
正面に向かい合う散赤花、その30ミリ機関砲が自身に向いていることに。
いや、正しくは見えていた。見えた上で、あんなものは脅威になどならないと頭から考えを締め出してしまったのだ。
「―――――――――ありえないのだああああ!!!」
ラスプーチンの叫びと、30ミリ機関砲の砲火は同時。
極超音速に加速された砲弾は、プラズマの尾を引いてラスプーチンへと降り注ぐ。
その威力は絶大だった。
初弾にて障壁を全て貫かれ、次弾にて肉体が消し飛ぶ。
土が溶け灰となり、着弾の衝撃は地震となって町を揺らした。
神術級魔法並のエネルギーを内包した弾丸、それを毎分1800発と撃ち込んだのだ。闘技場は余波で倒壊し、周囲の結界も破断、何もかもが破壊されていく。
多くの紅蓮の騎士が巻き込まれ、ただ一度の攻撃で闘技場の紅蓮勢力は壊滅した。
(侮っていたというのか……)
吹き飛んだラスプーチンの頭部は、残りの酸素を消費し最後の思考をする。
(は、私など所詮はこの程度……)
ラスプーチンもまた、自分の限界を理解した者であった。
初めて会ったのは彼女が幼い頃。美しい銀髪の少女の、神がかった魔導の才能にラスプーチンは心底戦慄した。
あの時から、ラスプーチンはずっと求めてきた。ナスチヤという、セルファークに生まれた奇跡の個体を。
(忘れるな)
視界が暗く薄くなっていく。
ラスプーチンは最後の悪足掻きに魔法を構築しつつ、零夏に届きもしない警告(負け惜しみ)を送る。
(紅蓮とは個ではなく、組織だということを)
自身の殺害が達成されようと、レジスタンスの敗北は決定的だとラスプーチンは確信していた。
「ぷはぁ」
闘技場上空に滞空飛行する散赤花、コックピットにて俺とリデアの口付けはようやく終わった。
「機関砲をレールガンとして使用するなど、無茶にも程がある」
顔を赤らめつつ口を拭うリデア。
「成功したんだからいいだろ」
俺が考え付いた方法、それはレールガンだ。電力の分だけ威力が増大するこの兵器は、大きな発展の余地を有している割にデメリットが多過ぎて実用化が難しい。
俺の魔力とレールガンの知識を元に、30ミリ機関砲の砲口からラスプーチンの間に電力のレールを作り空中でローレンツ力によって加速させ続けたのである。
デメリットの解決などしていない。30ミリ機関砲の砲身は歪んでご臨終だし、撃ち出された砲弾も高温によって液化どころかプラズマ化している。彼我の距離が50メートル以内でなければ有効打にはなり得なかった。どれだけ威力が高かろうと射程距離50メートルの武器など誰も使いたくはない。
「成功したんだよ、な?」
「……ああ、ラスプーチンは死んだ。そう考えていいじゃろう」
実感などなかった。宿敵であるラスプーチンが死んだというのに、喜びも沸き上がりはしない。
「そうだよな、そりゃそうだ。俺は墓参りなんて無駄だ、なんて考えるひねくれ者だ。復讐に意味を見出だしていたはずがない」
これで逃亡生活が終わればいいのだが、程度の考えしかない。「復讐はなにも生まない」なんて聖人は宣うが、俺の戦いは復讐ですらない。ただの眼前の障害の排除だった。
「本当にこいつが、最大の敵だったのか?」
「まさか。これから始まる動乱にとっては、ラスプーチンなど前座、一脇役なのじゃろう。世界の歪みにも気付かず夢想していた小物じゃ」
「小物、小物なんかにナスチヤを殺されて、今までの生活を奪われたんだな。あ、やっぱムカついてきた」
オシャカとなった30ミリ機関砲をラスプーチンがいた場所に投げ付ける。ちょっとだけ清々した。
なんにせよ、一区切りついたことは事実なのだ。ラスプーチンのような強敵がほいほいと現れるとは思えないし、安心して、いいのだろう。
……ちょっとくらいは。
「帰ろう。彼女の待つ場所に」
「いや終わるな!まだ終わっとらん、レジスタンスのピンチは継続中じゃぞ!」
あ、そうだった。
気を取り直して散赤花は闘技場跡地を飛び出す。
「目標、中央第三広場!これよりヒャッハー達の救援に向かう!」
「なあリーダー、俺はどうなるんだ?」
「レジスタンスの規律は知っているでしょ。内通者には死を、よ」
地下室にて、マリアはスキンヘッドへと冷徹に死刑宣告を行った。
情報漏洩が命取りな脆弱なレジスタンスにとって、裏切り者を放置する選択肢はない。
スキンヘッドの死は天秤にかける余地すらない、決定事項であった。
「ねえ、なんでレジスタンスを裏切ったの?」
「裏切ってねえっての、初めから紅蓮の騎士だったんだってーの」
「なぜ紅蓮に?理由があったとか?」
「金だ金。ああ、別に妹の手術代欲しさに、とかじゃねーからな。俺は独り身だ」
俺が死んでも誰も困らないから気にするな、と言外に伝える。思想でも理想でもなく、ただの私欲。自分で選んだ結果なのだ。
スキンヘッドは、マリアのことが嫌いではなかった。
「あっさりしてるのね」
「違いない、俺も意外だ。つーかリーダーは動かなくていいのか?」
「私がどこで何の役に立つのよ」
自嘲して、改めて彼女は認識させられた。
「そうよ、私には何も出来ない」
「リーダー?」
「女々しいですって?ふざけないで」
マリアは壁に背を預け、ずるずると落下してしゃがみこんで地下室の天井を見上げる。
「わがまま同士のケンカがそんなに偉いの?」
マリアには戦争の意味なんて判らない。我と我がぶつかっている、そんな風にしか見えない。
「同じよ。みーんな同じ。レーカもレジスタンスの皆も、力で世界を変えようとしている人は全員ラスプーチンの演説を否定出来ない。……きっと、私も」
彼女の細い指先はスキンヘッドを示す。
「ばーん」と口で銃声を再現するマリア。彼女の中では拳銃ではなく魔法のイメージだが、それは明らかにスキンヘッドの殺害を示唆していた。
実際に手を下すのはレジスタンスの誰かだろう。だが、執行の号令を行うのはマリアだ。
それは、マリアにとって初めての殺人となるだろう。
ふとスキンヘッドは顔を上げ、マリアの体をじろじろと眺める。
「な、なによ」
思わず両腕で体を隠す。
「ずっと思ってたんだがよ、やっぱリーダーにはメイド服が最高に似合ってるぜ」
いきなりなにを言い出すんだ、とスキンヘッドに胡乱な視線を向けるマリア。
ガリッ、と何かが砕ける音がした。
「メイドはおとなしく、誰かの帰りを待ってな」
マリアは言い返そうとして口を開き、声を失った。
駆け寄り手首から脈を確認する。
絶命していた。
「―――ばかね」
彼女は察した。先の音は、口の中に仕込んだ毒薬を噛み潰したものだったのだ。
「カッコいいことを言って死ぬのは男の特権?」
開きっぱなしの瞼を下ろし、すっくと立ち上がり踵を返す。
「そういうの、だいっきらい」
掃き捨てて、マリアは出口の階段を登っていく。
護衛役のリデアも不在、捕虜の監視すら不要であれば、もうバレているであろうこのアジトに隠れている意味はない。エアバイクで町の外に出たほうがまだ安全だ。
退室し、後ろ手に地下への扉を閉める。
結局彼女は振り返ることはなかった。
今更だが、昨晩のミーティングにて説明されたレジスタンスの作戦概要はこのようなものだ。
町の中を移動中の共和国軍から人型機を奪い、なに食わぬ顔で闘技場に接近。
人型機が通過可能な大きな出入り口を封鎖し奇襲することで、敵戦力を闘技場中心のステージまで追い込む。
追い込まれた敵からすれば脱出する手段はなく、外部からの増援の当てはある。上空には現状世界最強の戦闘機、舞鶴が30機も飛んでいる。これらの前提を踏まえれば攻撃を凌ぐのは難しくはない。
少なくとも自分ならそう判断する、作戦発案者の薮医者はそう考えた。
その油断をルーデルの雷神が突く。
戦闘機ではなく攻撃機だが、ルーデルならば舞鶴を楽に全滅させられる。航空支援さえ片付ければあとは煮るなり焼くなり好き放題だ。
だが作戦が漏れており、闘技場の護衛警備が強化されていた場合は?
スキンヘッドを泳がせていた以上は、当然薮医者やマリアはそれも想定済みだった。
来るのが判っている奇襲など、むしろ与し易い獲物でしかない。作戦が漏れていることが確認された時点で速やかに次のフェイズへと移行する手筈を、レジスタンスは秘密裏に整えていた。
奇襲が失敗し無様に逃げるふりをして、追撃してきた敵を中央第三広場へと誘導。紅蓮は馬鹿正直に人型機を差し向ける必要などなく、舞鶴か亡霊を差し向けるはずだ。
人型機vs戦闘機、本来なら後者が圧倒的に有利な戦いだが、この状況を予想出来ているならば対抗策も用意出来る。
中央第三広場に隠された大量の人型機対空兵器。機動性を犠牲にして弾数を用意すれば、相性の差を覆せる。
―――ここまでがレジスタンスの想定だが、予想外だったのはラスプーチンの存在だった。
要人警護の為に、そして紅蓮からすれば憎き零夏を仕留めんが為に闘技場にはある程度の戦力を残しておくと予想されていた。
だがその要人とは警護の必要などない怪僧ラスプーチン。零夏とラスプーチンの戦いが始まった以上は他者には手出しも出来ず、多くの戦力がレジスタンスを追い闘技場から追撃に出たのだ。
地上か空、どちらかであればレジスタンスも対処可能だった。だが同時に攻撃されては堪ったものではない。
ルーデルの爆弾や機関砲も無限ではない、この補給もままならない状況では尚更。
敵勢力の半減は成し遂げているが、既に弾切れとなり町の外へ避難している。
レジスタンスは戦線離脱も叶わず、数の暴力に耐えていた。
『くそっ、いつまでもこの広場には籠城できねーぞ!』
『取り囲むはずが、囲まれてフルボッコたぁ……笑えねーぜ』
『俺、ここを生き残ったらリーダーに告白するんだ』
『やめとけ、あれは惚れた男がいる目だ』
飛宙船や建物をバリケードに防衛戦に徹するも、爆装した亡霊に吹き飛ばされ劣勢を強いられる。その勢いは周囲一帯を更地にせんとするほど。
敗北は時間の問題。救世主が現れたのは、彼らの焦燥が限界に達しそうになった時だった。
戦場の上空に突如乱入した細身の人型機、それは敵の進路を予想して剣を振るい、舞鶴を容易く撃墜した。
混乱する紅蓮側の天士。
『な、なんだこいつは!?』
『人型機が飛んでいる、こっちに来るな!』
地上を攻撃する為に亜音速で飛行していた舞鶴は、零夏の駆る散赤花にとって標的としかなり得ない。
分断された舞鶴を踏み台に次の敵へ跳躍、切断。それを繰り返し上空戦力を減らしていく。
30ミリ機関砲は投棄したので散赤花の武装は細剣のみ。
これで充分だった。
『くそっ、やられたばかりでいられるか!』
一度距離を置いて仕切り直し、舞鶴は散赤花を狙う。
散赤花は迫る舞鶴を容易に回避した。
『こいつ、小回りが利き過ぎだ!直線的な飛行しか行えない舞鶴ではどうやっても……ぐわぁ!』
(……『容易い』)
零夏は実感していた、「戦闘機では半人型戦闘機には勝てない」と。
地球の戦闘機の発達は第二次世界対戦後まではひたすらな運動性の向上を目的としていた。
マシンマキシマム構想と呼ばれる機械の限界を追い求める設計コンセプト。どれだけ機械の性能を追求しても人体の限界がまだ先にあった時代は、パイロットへの負担を二の次にとにかくドッグファイトに強い戦闘機を作れば良かったのだ。
だがエンジンの発達により戦闘機が音速を越えるようになると、戦闘機がパイロットを殺す時代が訪れた。
対Gスーツなどパイロットの負担軽減を目的とした技術も生まれたが、それでも人が乗っている以上は限界がある。戦闘機が運動性能の限界へと達したのだ。
地球ではその後はミサイルやレーダーなど運動性とは無関係な部分が発展したが、セルファークにはミサイルもステルス技術もない。
そこで次世代航空技術として開発されていたのが、赤矢などに試験的に搭載された大気整流装置だ。
本来であれば大気整流装置採用機こそが次世代戦闘機としての地位を獲得するはずだった。……はずだった、のだ。
零夏は今まで何度も感じてきたことだが、量産型の粗製半人型戦闘機と最強の戦闘機・舞鶴でもこのような結果がでるとなれば、認めるしかなかった。
自分は、戦闘機の新たな世代を切り開いてしまったのだと。
統一国家も帝国も半人型戦闘機の開発を急いでいる。大気清流装置も発展を続けるのだろうが、飛行可能な人型機という発想はそれよりずっと大きな変化をもたらすはずだ。
(願わくば、俺というファクターによって戦争の犠牲が減りますように)
なんの根拠もない願望、だがそれでも願わずにはいられなかった。
(俺が開発した新兵器で死者が増えるなんて、ゴメンだ)
「リデア、帝国の半人型戦闘機の開発は難航しているって言ってたよな。今度手伝いに行くわ!」
「い、いいから目の前に専念せんか、あともう少し安全運転で頼む……」
ぐったりと顔を青くするリデア。色々ピンチであった。
「安全運転したら安全じゃなくなるぞ」
散赤花の撃墜数は舞鶴と亡霊を合わせて50機に達していた。まごうことなき銀翼クラスである。
『変な人型機が戦闘機を落としているぜ……』
『誰だ、あいつは!?』
『味方なんだろ!……たぶん』
レジスタンスは零夏が戦場をかき回している間に体勢を立て直す。僅かな希望が見えた、そう思い始めた時にその通信は受信された。
『こちら郊外の待機組、とんでもねえ大戦力がゼクストに向かっているぞ!空母1隻、戦艦3隻に揚陸艇5隻、爆撃艦……10!?レジスタンス相手の戦力じゃない!』
見れば郊外にまで迫った艦隊。乱入者のもたらした希望など瞬時に失せる。
『ば、ばか野郎、なんでこの距離まで気付かなかった!?』
『直前までは本当にいなかった、どこかに隠れてやがったんだ……大砲が動いているぞ!』
戦艦主砲が数十メートルの爆炎を吹き、腹に轟く爆音が町の全てを震わせる。艦砲射撃が開始されたのだ。
ゼクストの町の一角が消し飛ぶ。
40キロもある戦艦砲の射程からすれば、このような近距離から艦砲射撃をする理由はない。戦艦は爆撃艦の護衛という意味合いが強く、主砲を使用しているのはついでだった。
絶えず火を吐き出し続ける砲は町を蹂躙する。やがて爆撃艦も随時爆弾の投下を開始。
飛行母艦より離陸する戦闘機・亡霊。四方に散開する亡霊は手当たり次第に地上の飛宙船を攻撃する。
「足を潰してやがる……知ってるぞ、この戦術は知っているぞ」
町の外から内へと追い込む絨毯爆撃は、零夏を不快にさせるには充分だった。
彼の後ろに座るリデアは小さく嘆息する。
「終わったのう。チェック、王手じゃ」
この戦いをもっとも大きな範囲で見ていた彼女には、この勝負の結末が見えた。
(こうなるのは判っておった……歯痒いの)
上から見ていた零夏とリデアはすぐ察したが、地上のレジスタンスは状況把握は若干遅れる。
『こいつら、どこ狙ってるんだ!?』
検討違いの場所に落ちる砲弾、やがて誰かが気付いた。
『紅蓮の連中、機密保持の為に町ごと滅ぼすつもりか?』
誰もが愕然とした。確かにこの町にいるのは政治犯や職人、僅な民間人とレジスタンスだけであり、紅蓮の構成員は退去している。とはいえ、このような乱暴な手段に出るとは思っていなかった。
人一人でも生き残れば、散赤花の機密が漏れる恐れがある。そう考えた紅蓮上層部のあまりに粗雑な判断だ。
もっとも、実際は零夏が解析してしまっている以上、今更な対処だが。
『この町は新型を作る為だけに飼われていたんだ、あれが完成すれば用済みってことか!』
『信じられねぇ、確かにここにいるのは紅蓮にとって不要な奴ばかりだけどよ!』
『そういう連中だ、判ってたことだろ!まずはどうするか考えろ!』
瞬く間に焦土と化していくゼクスト、時間経過と比例して死者が増えていくのは必然。
リデアとしては零夏さえ無事ならレジスタンスなど『どうでもいい』。勿論人道的観点からは助かってほしいが、戦略的には意味の薄い、替えの効く勢力だ。
(すぐに見捨てる気はないが、引き際は見極めねば。レーカにその判断が出来るとも思えん)
レジスタンス達はない知恵を絞り作戦を考える。
『俺達より堅気を守った方がいいんじゃねぇか!?』
『よ、よし地下に一般人を避難させるぞ!』
『アホ、直撃すれば生き埋めになる!』
『ほっときゃ各々船で脱出するだろ!?』
『さっきから戦闘機が飛宙船を破壊して回っているじゃねえか、民間人はもう地獄の釜の中だ!』
零夏も戦闘機を仕留めようとしているのだが、速く飛ぶことは散血花には不向きなのだ。逃げに徹せられては旧型の亡霊にすら追い付けない。
きっと通常の戦闘機と併用して、ハイローミックスで運用する設計思想なのだろう。そう予想しつつ零夏は空を飛ぶ船団へと向かう。
散赤花を狙う弾幕、それはまさしく火の玉のカーテン。
(けど、ラスプーチンのよりは避けやすい!)
ロケットブーストを駆使した鋭角な機動で射線を回避し、懐に入る散赤花。
中央の戦艦の甲板に乗ると、左右の戦艦から集中攻撃を浴びせられる。
「友軍ごと撃つか。味方なんてどうでもいいのか、この戦艦の装甲によほど自信があるのか、あるいは戦艦一隻犠牲にしてでも俺を落としたいのか……」
戦艦の装甲であれば対空砲は耐えられる。やっていることはともかく、いい判断だと零夏は思った。
主砲の砲身を切ろうとして、鋼鉄製の細剣であることを思い出す。
魔刃の魔法がかかっているとはいえ、白鋼のミスリルブレードとは違い金属をバターのように切り裂くことなど出来ない。
「いっそ艦橋を落とすか?いや……」
真下は既に人の住まう区域に達している。船を落とせば犠牲が出るし、そもそも戦艦を落とすというのは簡単ではない。
いつか白鋼は海賊船を両断してみせたが、あれは超音速飛行の上で高精度操縦を可能に調節された機体で、ミスリルの剣を使用した結果。試作機で工作精度こそ高めだが、量産型の散赤花では同じことは行えない。
装甲の厚さも違う。燃費をよくする為に薄い装甲を持つ海賊船に対し、燃費度外視の重装甲の戦艦。その上、軍用飛宙船のダメージコントロールは全体に分散されており、エンジンを幾つ破壊しようとそれぞれが独立しているので航行可能、浮遊装置や動力源のクリスタルも何ヵ所かに設置され極めて堅牢ときている。
そして艦橋をもがれようと、首なしマイクの如く墜落しないのだ。
「せめて爆撃艦だけでも、あれは格納庫の爆弾に引火すれば自爆するだろうし……あ、機関砲捨てたんだった」
至近距離で起爆すれば巻き込まれる。一度地上に戻れば人型機用火器の調達も可能だが……。
「そもそもなんでこいつら、ラスプーチンが死んだのに動揺していないんだよ。単にまだ伝わっていないのか?」
物は試しと零夏は弾幕を避けつつ艦隊に通信を試みる。
『聞け、紅蓮のアホ共!お前達の親玉のラスプーチンは死んだ、俺が殺した!』
『……うおースゲー!』
『アニキ最高だぜー!』
歓声を上げるレジスタンス。
『ちょっと黙ってろ……。あんな奴に義理立てする意味もないはずだ、ここは退け!』
『……そうか、同志ラスプーチンが死んだか』
静かな返答に、脈ありかと期待をする零夏だが。
『―――それは朗報、これで少しはやり易くなる!』
『っ、自分の意思でこの虐殺を続けるっていうのか!』
『君は紅蓮というものを解っていないな。我々は個々の欲望の上に成り立つ組織だ、上司の死は出世のチャンスなのだよ!』
『……見たところ、この船は元共和国軍所属のようだが。中の人間は、お前は違うのか?』
『ふむ?私も一年前までは共和国軍士官だったが?』
零夏の脳裏に昨日の記憶が甦る。
チンピラそのものの行為を行っていた元共和国軍人、彼らと通信相手の士官は同じだ。
零夏の中で何かが切れた。
「欲に誇りを売り飛ばした奴なんて、この国にはいらない。この船ごと葬ってやる」
いっそ皆殺しにしたい、という衝動に駆られる零夏をリデアが小突いた。
「やむなしなら文句は言わぬ。じゃが、あの船の船員が軍人だと忘れるなよ」
「私欲の為に行動する奴は軍人じゃない」
「そうじゃ、だからこそ不条理な命令に愚直に従っている下っ端だっているじゃろう」
「む」
零夏は思い直す。皆殺しにするにしても、それは決して正義感で遂行されてはならないのだ。
船員を手っ取り早く全滅させる手段はある。
「燃料気化爆弾を船内に打ち込まば、船内は無酸素のストーブになる……まず誰も助からない」
密閉空間には弱い燃料気化爆弾だが、密閉空間内で起爆すればこれほど恐ろしい兵器もない。船は形を保ちつつも内部の人間は全滅している、そんな奇妙な惨劇が生まれるのだ。
技術的には簡単だが、零夏は躊躇した。
対人相手、それも元共和国軍。
「今後の為に」。そんな安い名分で、善悪無関係に大量殺人を実行するのか。
零夏は戦闘経験こそあれど、戦争経験はない。大義に殺人の責任を転嫁する術など持ち合わせてはいなかった。
『あしべっ!』
『畜生、モヒカンがやられた!』
『耐えろ!アニキも頑張っているんだ!』
共振通信から伝わる、中央第三広場の悲惨な現状。
(また一人やられた―――やるしかない)
覚悟なんて出来てはいない。面倒なことは後で考えればいい。
零夏は見ず知らずの者達より、レジスタンスを選んだ。
船内の一室を燃料で満たす。
『最後通達だ、当方にはお前達を殲滅する準備がある!』
あるのは準備ではなく手段と覚悟だけだが、手の内を隠すブラフである。
『死にたくなければ戦闘を中止しろ!』
『……ふん、くだらんハッタリはよせ』
返信には僅かな迷いが垣間見えた。もっとも、零夏の目的は脅迫ではなく殺害に移行してしまっている。
言葉でハッタリではないと理解させる必要はもうない。
『そうか、じゃあ死ね―――』
『や、やめておけ!この船が戻らねば、この町はより一層蹂躙されるのだぞ!』
『……もとより全滅させる気だったのだろ?』
『我々には、切り札がある!貴様も知っているのだろう、世界を射抜く神の杖を!』
神の宝杖。この作戦に使用されたのだから、この男が知っていても不思議ではない。
『なぜこの町に杖先が定まっているか、考えてみるがいい!』
『それは―――』
実のところは零夏を抹殺する為。艦隊が危機に晒されるなど想定していなかった。
だが事実、神の宝杖さえあればゼクスト程度の町は次の瞬間にも滅ぼせるのだ。
町の終わりは避けようがない。対処のしようがあるだけ、艦隊の方がマシとすら言える。
(どうする、艦隊を叩くか、神の宝杖を防ぐ手段はない、どうすればいい?)
零夏が敵対しているのは、眼前の戦力ではなく統一国家という一大勢力。
ゼクストを守ることなど、物量差からどうやっても不可能なのだ。
「どうすりゃいいんだ、もとよりこの作戦は無謀だったのかよ」
「抵抗勢力の悲しいところじゃな、敵に本気を出されては勝ち目がない」
「こういう時、あんたならどうする?」
「戦わぬ」
きっぱりと言い切るリデア。
「それでも戦わねばならないのなら、極秘裏に切り札を用意させる。幾ら資産を注ぎ込んでもな」
「切り札か」
零夏の研究には一発逆転を狙ったものもあった。だがそれは禁じられた技術、零夏だからこそ使用を躊躇う兵器であった。
(あれは使えない―――戦術じゃない、戦略兵器だ。それに、不安定過ぎる)
「零夏、離脱じゃ。逃げるぞ」
リデアは言い切った。
「レジスタンスや住人を見捨てて、か?」
「この機体で戦場と外とを往復して、一人一人逃がすの可能じゃがな。町の住人を探す余裕はない、運べるのは精々、レジスタンス十数人といったところじゃろ」
なにか切り札と成りうる物はないか。一国家すら震え上がる、強大な切り札は。
「そうだ、レールガン!」
機関砲の代わりを用意すれば再びレールガンは使用出来る。だがリデアはにべもなく却下した。
「一点に集中する火力としては大したものじゃが、戦略兵器かといえば範囲が狭過ぎる。それに、この場で必要なのは兵器ではなく抑止力じゃぞ」
「抑止力……」
「そうじゃ。わしとお主が揃わねば使えない攻撃方法など、抑止力足り得ない。理想は量産可能で子供でも扱える兵器じゃな」
零夏は某軍事大国のことを思い出した。彼の国では大統領の護衛が常に核ミサイルの発射ボタンを持ち歩いているそうだ。
いつだってそのカードを切れるのだぞ、という意思表示。それこそ抑止力に求められる能力なのだ。
未練を振り払い、零夏は頷いた。
「……その作戦を採用する。ここはもう、負け戦だ」
勝ち目がなくとも最後まで努力する、そんな精神論が通用するのはスポーツだけだ。
勝ち目がないなら逃げよ。戦場で生き残る秘訣などこれしかない。
機体を反転させ、町へと降下する。
随分久々の敗北に、思わず負け惜しみを口にする。
「覚えてろよ、畜生」
『それは小悪党の台詞だよ、レーカ』
聞き馴れた声の相槌に、零夏は一瞬誰かが逆に判らなかった。
赤い閃光。音より早くゼクストに迫る深紅の直線翼機。
プロペラ型の大気整流装置は、メカニックである零夏泣かせのデリケートっ子。
「赤矢―――!?」
『ふははは、困っているところに駆け付けるのがヒーローというものグハァ!?』
対空砲火に撃墜された。
「……まあいいか」
「いや、心配せんか」
「あいつ、悪運強いし」
キザ男は及第点な程度には操縦も上手いのだが、カッコつけしいであるが故に無茶をやって飛行機を壊すことが多々あるのだ。
何度墜ちても死なないので、やがて誰も生死を気にしなくなった。
「じゃなくて、どうして赤矢がここに―――」
『私もいますよ、レーカさん』
続いて聞こえたのはキョウコの声。しかし姿は見えない。
「あれじゃ、あっちの方向!」
リデアが身を乗り出して指差す。
「あっちこっちじゃなくて、何時方向とか言ってくれ」
11時方向、やや正面左の地平に巨大な物体が浮かんでいた。
「大型級飛宙船―――あれは、なんでここに!?」
その船に、零夏は見覚えがあった。
正確に言えば、そのシルエットを図面越しに知っていた。
外見は鉄の箱。赤い錆止めの色をそのままに、未完成戦艦は戦場へと参戦する。
300メートルの船体は未完成な部分も多く、銃座は幾つも空席のまま。使用可能なのはメインエンジンと主砲、そして格納庫だけという有り様だ。
それは、零夏がパーティの母艦として設計した飛宙船であった。納品はまだ先であり、実際未完成にもほどがあるのだが、見間違えようがない。
ツヴェーの造船所に鎮座しているはずのそれが、なぜここにいるか。零夏には皆目検討が付かない。
『レーカ、きちゃった』
婚約者の言葉に脱力する。
ソフィー、キョウコ、バカと零夏の仲間が勢揃いだ。
『誰が船を動かしてるんだ。つーかどうしてここにいる』
『やっほーレーカくーん!助っ人マキちゃん登場!』
『……マキさん?』
ツヴェーに拠を構えるフィアット工房の一人娘、マキが通信に割り込んできた。
『どうして貴女が?』
『実は、あ、ちょちょちょい、ソフィーちゃんあんまり怖い顔しちゃだめだって』
焦るマキさんの声。ソフィーがどんな形相をしているのか、考えないことにする零夏。
『今はこの状況を片付けるわよ。レーカ、今必要な物って何か解る?』
『戦略を覆す切り札』
『え、嘘っ。誰の入れ知恵?』
彼女には後でギリギリアウトなセクハラしよう、と零夏は決意した。
『レーカの設計した大砲、使うわ』
『……待て、あれは調節すらしていないんだぞ』
『ならいつ使うの?』
『今でしょ。……じゃなくって』
戦艦は悠然と戦闘空域に浸入する。巨大さ故に判りにくいが、その船体は時速100キロで飛行している。これは飛宙船の理論限界速度上限に等しい。
だからこそ、彼らはその船が速度重視だと思い込んだ。
『高速船だ、装甲は薄い!集中砲火を浴びせろ!』
攻撃の全てが所属不明戦艦を狙う。
金属が叩く音が掻き鳴らす。狂暴な雨音は、だがダメージが通っていない証拠でもあった。
動揺する紅蓮艦隊の指令室。高射砲ならばともかく、40センチ戦艦砲が通じないのは尋常ではなかった。
『なんだあれは、とんでもない重装甲だ!』
『あんな鉄の塊が、なんであんな速度で飛べるんだ!?』
『エンジンだ、普通じゃない機関を積んでやがる!』
船首が左右にスライドして開く。内部から覗くのは、直径1メートル以上の大口径砲口。
普通はありえない、船に完全固定された主砲。それは戦術ではなく戦略を左右する兵器である故に砲塔が必要がなかったこと、そして砲身が船体の全て―――船首から船尾まで貫くほど長大であることが理由だ。
砲身の横に無数に備えられた薬室。弾頭が通過次第爆薬を起爆させ加速させ続けるこの方式は、多薬室砲に分類される。俗にはムカデ砲とも。
髪の毛を掻きヤケクソ気味に指示する零夏。
『チャンパー内の燃料は規定の3分の2にしておけ、どうせ試射なんてしてないんだろ。着弾時は強い閃光が生じる可能性がある、物影に隠れておけ。北北東仰角40度、地上ではなく月面に撃ち込め。スペック上は被害が誰にも及ばないはずだ。それに機能に不備があっても、星と大気が光線を減退するはず』
薬室に燃料が注入され、自動装填装置がドラム缶より大きな弾頭を砲身に送り込む。
船体が大仰角を取り、船首を空へ向ける。
5000メートル上空の月面を見据える戦艦。
刹那、誰もが呼吸を忘れ、悪寒を覚えた。
『えっと、もう撃っていいのよね?お願いします』
『はいよっと、ぽちっとな』
呑気なソフィーとマキの会話を切っ掛けに、砲身が唸りを上げる。
地獄より這い上がる悪鬼の如き咆哮、その割に遅い初速で弾頭は発射された。
「なんか、大掛かりなくせにしょぼいぞ」
あんまりなリデアの感想。
彼女の視界を掌で塞ぐ。
「直接見るなっていったろ」
この大砲が多薬室砲なのは初速を稼ぐ為ではない。弾頭が精密機器なので、ダメージを与えぬように徐々に加速させる為の工夫だ。
そうと知らない人々は若干拍子抜けし―――
轟雷が、世界を揺らした。
月面に落ちた弾頭は爆発、月の蔦を吹き飛ばし、重力境界の岩を砕く。
球状に広がった衝撃波は地上まで到達し、建物を破壊しガラスを割る。
ゼクストの町をも蹂躙する威力。着弾地点よりかなりの距離があったにも関わらず、多くの破壊を撒き散らし被害が発生した。
「……なんじゃ、この攻撃範囲は。町を飲み込んだぞ」
「そういう兵器だからな……これでもだいぶ殺傷力を抑えている」
衝撃波特化核弾頭。有害な光線は全て魔法でシールドし、使い勝手をよくした核爆弾だ。
もっとも純粋核融合爆弾なので放射線は元よりさほど心配ない。熱線も封じているのは効果範囲を限定する為。
一定範囲内の物体を衝撃波で凪ぎ払う、そう調節されているのだ。
核としての問題を魔法でクリアした都合のいい爆弾だが、それでもやはり零夏は躊躇わざるを得ない。
祖国の歴史云々以前に、大量破壊兵器を平気で運用出来る図太い神経など持ち合わせていなかった。
「そうじゃ、あれじゃ!」
我に返ったリデアはそれを早速利用することにした。
『紅蓮の騎士よ、わしはスピリットオブアナスタシア号の艦長、リデアじゃ!』
「なにいってんのこの人!?」
新造艦の名前も艦長も未定だったが、勝手に決められていいものでもない。
興奮した様子のリデアは説明する。
「この威力、神の宝杖に対する抑止力となる!これで戦争を止められるぞ!」
そして、この演説をするのはリデアでなくてはならない。ソフィーは知名度が低く影響力も小さい、対してリデアは知名度も人気も充分だ。
むしろ、彼女はこんな時の為に人々の支持を集めていたのだから。
『我々帝国は神術級兵器を開発したのじゃ!我が腹心である白鋼の天士によってラスプーチンも死に、統一国家の命運は尽きたと言って差し支えはない!』
(俺がいつお前の腹心になった……)
口から出任せに呆れ果てる零夏だが、意外にも艦隊は攻撃を中止し、撤退を開始したのであった。
「あっさりしているな」
呆気ない終結に違和感すら覚える零夏。
「あちらの指令もバカではなかった、ということじゃ。これで帝国は統一国家と対等に外交出来る」
「抑止力には量産可能で誰だって使える必要があるんだろ?俺はこの技術を帝国に渡す気も量産させる気もないぞ」
「問題はやるかやらないかではないのじゃよ」
狸顔で人差し指を左右に揺らすリデア。
「それが可能だとは証明された。一戦艦という個人ではなく組織にて運用され、こうして実績を成した。抑止力のハッタリなどそれで充分なのじゃよ」
互いに一撃必殺の兵器を用意した、ナイフの上の停戦案。
(なんだこれ、冷戦かよ……)
敵艦隊指令もその意味を理解している。
神の宝杖をという傘を失った彼らには、既に完全な優位はない。
よく解っていないながらも、とりあえず勝鬨を上げるレジスタンス。
新型機を発端に始まった戦いは、こうして終結したのだった。
「……ところで、ちょっと問題が」
「なんじゃ?」
「体が痛い、さっきまで忘れてたのに」
アドレナリン頑張れ。
目覚めた時、そこは病室だった。
どこだろうここ、と視線を室内に走らせると、丁度ドアが開く。
「ああ、目を醒ましましたか?」
「そこは可愛い女の子がよかったぜ」
白衣を羽織った薮医者―――ガーデルマンだった。
「ここはどこ?」
「スピリットオブアナスタシア号の医務室ですよ、急拵えですが」
個室に最低限の設備を持ち込んだだけ。ベッドも俺が寝ていた一つだけだ。
「俺だけ?他の負傷者は?」
「船の外に野戦病棟があります。重要人物の貴方を鍵もない場所で寝かせるわけにはいきませんから」
起き上がり体の具合を確認する。痛みはないが、右腕は失われたままだった。
「足首も急造した義足のままか……」
「治療はしておきました。腕のいい治療術者ならば再生出来ますが、紹介しましょうか?」
「いや、いい、です。お久しぶりです、ガーデルマンさん」
「おや、思い出して頂けましたか。一年ぶりですね」
人型機の操縦は神経接続で、より高精度にて行える。無理に生身に戻す必要性は感じなかった。
「なんで俺、寝ているんですか?」
「地上に戻った時に痛みに耐えかねて気を失ったそうです。ついでにご報告させて頂きますが、私と相方のルーデルはこの船に配属されることとなりました」
好き勝手し過ぎだろ、リデア。
「私は船医として、ルーデルは操舵士としてです。雷神は積み込みますがね」
「銀翼を操舵士に?」
ルーデルをただの舵取りに当てるなど、それでは宝の持ち腐れだ。
「この船は重い船体を強力な主機で動かす思想です。ルーデルの得意分野ですよ」
「はぁ、もういいです……リデアは今どこに?」
「すいません、ずっと怪我人の治療をしていたので把握していません」
「そうですか」と返事をしつつベッドより立ち上がり、痛みがないことを再度確認する。
片腕がなくバランスが悪いが、歩けないこともない。
「出歩いても?」
出掛ける準備をしているので、事後承諾である。
「結構です。私も怪我人の場所に戻るので、失礼します」
ソフィーやマリアもまだ忙しいのだろうか。レジスタンスのリーダーであったマリアはともかく、ソフィーがなにをしているかはいまいち検討が付かないが。
廊下に出て、ここが船のどこかを推測する。
見覚えのあるような、ないような奇妙な感覚を覚えつつ、俺はとにかく下へ降りていった。
攻撃を受けた町は、相応の死傷者が出ていた。
一ヶ所に集められた死体。思ったりより数が少ないのが救いか。
「元々が犯罪に関わる仕事をしていた大人ばっかの町ッスから。常に通信傍受を交代で行って、有事に備えていたそうっす」
右往左往していた所に気付いてくれ、案内してくれているレジスタンスの若者の説明に耳を傾ける。
「隙あらば決起しようと虎視眈々としてた連中っすから。町が爆撃された程度じゃ混乱もなく冷静に避難したそうっす」
「一般人ぱねぇ」
そんな連中だからこそ、紅蓮も彼らを危険視して収容していたのだろうが。
「あ、ここです」
無事だった大きめの建物では、レジスタンス達が死屍累々としている。
「ハッハァ!俺はまだまだイケルぜぇ!?」
「酒だ、エチルアルコール持ってこいや!」
「トラトラトラァァァァ!」
……死屍累々、という割とには元気そうだが。
大怪我を負っている者も多いが、タフな連中である。
「なあ、リーダーを知らないか?」
レジスタンスの一人に問う。目的はリデアだったが、彼らの大半は顔を知らないだろう。
「げへへへへ!アニキ、オッスオッス!」
「あの大砲、超クレイジーだったぜ!」
「いかれてやがる!いっちまいそうだ!」
「質問に答えてくれ」
一人が手を上げた。
「やあ、無事だったのだなレーカ」
「キザ男か。リデア知らないか?」
「姫ならば船の艦橋にいるはずだが」
船にいたのか、遠回りしてしまった。
「それじゃあ失礼する」
「ちょ、おい、僕の出番これで終わりか!?」
意味もなく飛行機壊す奴と話すことなんてない。
艦橋は他の場所より更に作りかけの様相を呈していた。
操作卓は計器が収まるのであろう穴だらけで、ケーブルや配管は剥き出し。床すら貼られていない。
そんな艦橋の中央、艦長席に座るリデアは男と話をしていた。
知らない男だ。壮年の窶れた彼は、だが目の光を失ってはいない。
「それでは、失礼します」
「うむ」
男は俺の脇を抜けて艦橋から出ていく。
「おお、起きたのかレーカ。調子はどうじゃ?」
しゅた、と呑気に片手を挙げるリデア。
「当然のようにそこに座るな、体の方は問題ない。それより今のは誰だ?」
「片腕なくして問題ないということはないじゃろ」
場所を移すぞ、と彼女は立ち上がりブリッジの後方へと向かう。
やってきたのは船内としては広めの個室だった。
「この部屋は?」
「艦長室じゃ、お主が設計した船なのだろう?」
「俺が作ったのは主要箇所だけだ」
船のノウハウのない俺は設計の大半を造船所に丸投げしている。多くの人間が住まう船は一つの町だ、必要とする設備の数は半端ではないのだ。
「まあ座れ」
「いやだから……まあいい」
床に固定された椅子に腰を下ろす。
「さっきの男は住人の代表じゃ。今後について打ち合わせをな」
「それってレジスタンスのリーダーの役割じゃね?」
「マリアは器ではない、解っておろう」
まあ、一般人だしな。専門的なことは薮医者が請け負っていたそうだし。
「あの男は人を裁く立場だったらしい、連行され強制労働させられても志を折ってはいないようじゃ」
「なにか言われたのか?」
「『私はいつか、レジスタンスを裁くかもしれません』だそうじゃ」
くつくつと笑うリデア。
融通の効かない奴だ。で、なんて言い返したんだ?
「法で許されるからと、軍人まで腐ってしまった。ならば我々は自分の正義を信じるしかない……みたいなことを言ったかの。適当に」
「適当かよ」
悪法もまた法、しかしその根本はより多くの人が幸福に生きられる社会を目指すという理念。
強者が自身を守る為に作ったのが法か、弱者を守る為に作られたのが法か。
どちらも正解であり、正解など用意されていない。
どれだけ理論武装しようと、根底にあるのは当人の意思なのだ。
「これからどうするんだ?」
「わしか?一度帝国に戻らんといけないからの、艦長の座は一時返上する」
「一時、って戻ってくるの?」
「ルーデルとガーデルマンは置いていこう。操舵士と船医は必要じゃろう」
ピンときた。
「この船を私兵として使う気か」
「うむ」
あっさり肯定しやがった。
「別にこき使うつもりはない。必要な時に手伝ってくれればそれでいい」
「……条件がある」
ふむ?と首を傾げるリデア。
「船員が足りない、工面してくれ」
「なるほど、信用出来る者を選定しておこう」
「給料はそっち持ちな」
「せこい!」
スポンサーくらいやってくれ。
「一応確認しておくが、変態仮面はやっぱり……」
「うむ、ルーデルじゃ」
扉が勢いよく開いた。
「変態とは心外な、ちょっぴりクンカクンカしただけですぞ!?」
飛び込んできたルーデルを勢いのまま窓から放り投げる。黙れ変態。
断末魔を残し落下していくルーデル、その声もリデアが窓を閉めたことで途切れる。
あれがガイルの最大のライバルであった銀翼の天使とは。世の中ちょっとおかしい。
「……ツヴェー渓谷より志願してきたメカニックがおるが、彼らに関してはどうするつもりじゃ?」
「強引に話を変えたな。それってもしかしてマキさん達か?」
そんな名前だったの、と頷く。
「なんでもツヴェー渓谷を利用して越境する天士が激減して、仕事が足りないらしい。つまりは出稼ぎじゃな」
「俺に雇ってもらおうと建造中だった船に無理に乗り込んだのか」
そもそもなんでこの新型船が駆け付けてきたんだ。
「わしが報せた」
「お前の差し金か」
「だがまさか乗り込んでくるとはの、はっはっは」
重装甲高速艦、撃沈されないことを前提とした船だからこそ何もかもを強行突破したのだろうが……心臓に悪いからやめてほしい。
「職人達は雇うよ、整備員として優秀なのは間違いない」
同僚だった俺が保証する。
「言ったな、お主が決定したな?じゃあ彼らの給料はお主持ちじゃ」
「せこい!」
やり返された。
「細々したことは後で話そう。とりあえず彼女達と話したいんだが、確認し忘れたことはあるか?」
「いや、な―――」
硬直したリデアは自分の唇に触れる。
そういえば、キスしたんだった。
「いいか、あの時も言ったが、あれはノーカンじゃ」
「お、おう」
「お主の体はわしの弟の物なのだからな、家族でキスくらい普通じゃ」
言い聞かせるように淡々と繰り返すリデア。
「そうだよな、深い意味なんてないよな」
「うむ」
「ならもう一度、んー」
ひっぱたかれた。
頬の紅葉を擦っていると、リデアは真剣な目で俺を見据えた。
「マリアと腹を割って話し合う機会があった」
「あっそ」
「だから、お主も腹を割れ」
なんで俺が女の世界に付き合わなきゃいけないんだ。
「お主はマリアをどう思っておるのだ、ソフィーが本命ではないのか?」
「両方本命だぞ」
愕然とした表情のリデア。
「ど、堂々と二股宣言するな!」
「別に隠してなんていなかったが」
仕方がないだろ、選べないんだから。
それなりに葛藤もあった、けどソフィーが認めてくれるのでマリアにも気持ちを抱き続けているのだ。
「よく考えたら一夫一妻制なんてただの先入観だよな、ここ日本じゃないんだし」
「セルファークでもほとんどの国が夫も妻も一人が普通じゃ。ハーレムでも築くつもりか?」
自分を守るように身を捩るリデア。自意識過剰ではないだろうか。
「いや、俺にそんな甲斐性はないよ。本命が二人だってだけだ」
「そうか、ならいいのだが」
安堵した様子の彼女に頭を下げる。
「だから、ごめん」
「なにがじゃ」
「俺に気があるんなら、答えられない」
「バカかお主?」
ぐっ、想定はしていたがキツイ返答を。
「わしは姫じゃぞ、欲しいものは力ずくで手に入れるわ」
意味深なことを言う。
「そういえば、リデア姫の名前を通信で出してしまって良かったのか?」
隠密行動だったはずなのに、紅蓮の艦隊にはっきりと名乗っていた。あれはまずいのではないだろうか。
「うむ、想定内じゃ」
自信満々なあたり、見苦しい言い訳でもないようだ。
「わしの目的は『リデア姫とレジスタンスは関係をもった』ということを世間に知らしめることだったのじゃ」
「なんでまた」
「ふっ。ひ、み、つ」
うぜぇ。可愛うぜぇ。美少女うぜぇ。
だが、納得もできる。レジスタンスのリーダーを探すといいつつ、いざレジスタンスの構成員と接触した後は積極的にリーダーとの対面や会談の場を持とうとはしなかった。
レジスタンスと会い、そしてそれを紅蓮にスキャンダルされることが真の目的だったのだ。
「更に言えば、お前、レジスタンスのリーダーがマリアだって知ってたろ」
「……なぜそう思う?レジスタンスに忍ばせていたルーデルとガーデルマンとは、連絡など取っておらんかったぞ」
「マリアを探していいか、って訊いた時に『どの道同じこと』って言ったろ。そりゃあどっちを探そうが同一人物なんだから同じことだよな」
「くく、はははっ。これがバレるとは想定外じゃ、やるのうお主!」
バカ笑いするリデア。やっぱこいつキツネじゃない、タヌキだ。
そして、いよいよ本命。
それぞれ別の場所で働いていたらしく、無理を言って彼女達は呼び出させてもらった。
俺から会いに行くべきなのかもしれないが、どちらかを優先したくなかったのだ。
戦艦の船首、展望台となっている場所で風を眺めつつ待つ。
「レーカ」
来た、か。
見れば怒りの籠った涙目のソフィーと、神妙な表情のマリア。
「再会おめでとう、二人とも」
「レーカ、無茶したの?」
空っぽとなってスカスカの服の腕を掴まれる。
「許さないんだから、居なくなったらレーカのことを許さない」
ここまで怒ったソフィーも珍しい。
「心配かけた」
「解ってない。レーカが死んだら、私も自殺するから」
「……そういうのは、関心しないぞ」
後追い自殺なんてやめてほしい。そう訴えるも、彼女は首を横に降る。
「レーカが無茶しないように、私の命を使うって言っているのよ。私に自殺されたくなければ一人の時も無茶しないで」
計画上は無茶というほど無謀はしたつもりはないのだが、実際片腕を失っているのだから反論しようがない。
「解ったよ、ソフィーに死なれたくはないからな」
やれやれ、完全に尻に敷かれている気分だ。
腕にしがみつくソフィーをそのままに、マリアと向き合う。
「改めて、久しぶり」
「ええ、そうね」
気まずい沈黙の後、マリアは頭を下げた。
「ごめんなさい、想定が甘かったわ」
きっと、ラスプーチンがこの町にいたことを言っているのだろう。
「……それだけ?」
「……ええ、それだけよ」
「ならいいよ、気にしてない」
俺を利用すべきではなかった、なんて言い出したら流石に怒らなきゃいけなかった。
マリアはレジスタンスのリーダーとして作戦を成功させるために俺を利用した、それは決して間違った判断ではない。
俺無しでは、ラスプーチンが居なくても全滅していただろう。銀翼クラスの人材が目の前にいれば利用すべきだ。
それに、レジスタンス達に申し訳が立たないし。
「マリア!こっからは嘘や駆け引きは無しだ!」
ソフィーが身を捩る。
「やっ、レーカどこ触っているのよっ」
うるさい黙ってセクハラされてろ。
「俺はソフィーが好きだが、マリアも同じくらい好きだ!一緒に来てくれ!」
今までマリアを放置していたのには幾つか理由がある。
彼女は俺達と親密な仲だったとはいえ、あくまで一般人でありせいぜい人質にするくらいしか利用価値がない。下手に接点を持ち続けるよりは無視した方がマリアやキャサリンさんに被害が及ばないと判断した。
それにマリア母娘はイソロクの保護下にあることが予想された。依然として大きな影響力を持つ彼の保護下にあれば、紅蓮も簡単には手出しが出来ない。
連れ出した後も問題だ。戦闘員ではないマリアには移動手段も自衛手段もなく、移動の多い旅ではむしろ足手纏いになる。現在でもソフィーは常に誰かと一緒に行動するように心掛けているくらいだ、そこにマリアまで増えてはやっていけなくなる。
強行軍なこれまでの旅では、どうやっても非戦闘員のマリアを連れ回すのは難しかったのだ。
だがそれも目処が付いた、新型艦が不完全ながらも使えるならマリアを連れていける。
ならば、俺はもう目の前にいる少女の手を離したくはなかった。
「私とソフィー、どっちが本妻?」
それを聞くか、マリア。
「……一夫多妻制的にいえば、第一婦人はソフィーかと」
「ふぅーん」
じっと見つめられ、汗が流れる。
二番目ポジションとか舐めとんのか、とか言われるのだろうか。
しばしの間の後、マリアはやれやれと溜め息を吐いた。
「仕方がないわね、世話のかかる妹弟だもの。一緒にいってあげ、ひゃあっ?」
思わず彼女の柔らかい体を抱き締めてしまった。
「マリア、君に渡したい物がある」
「な、なに?」
赤面するマリアに封筒を渡す。
「はい、ソフィーからの手紙」
「それはもういいからーっ!?」
慌てたソフィーが手紙を奪い取り、ビリビリに破いてしまった。
「でも、いいのか?二人とも、なんて優柔不断な選択で」
「曰く、男女間で友情は成立しないそうよ」
ごめんマリア、もっと解りやすく頼む。
「親愛が男女の愛に変化するのは、そんなに珍しい?」
「そうは言わないが」
「貴方と一緒にいると、世界が少しだけ大きくなるの。理由なんて、その程度なのよ」
綺麗な笑顔を浮かべる彼女は、「でも」と頬を膨らませる。
「三人目は許さないから」
「私達だけで満足しなさい」
「あ、はい」
彼女達の間柄だからこそ、ここまでは許容してくれるらしい。
拗ねたような、どこか照れ気味の赤面が可愛らしく、思わず彼女達の頬にキスしてしまう。
「二人とも」
じっと目を合わせ、俺は告げた。
「後で俺の部屋に来い」
『ちょーしに乗るな』
頬の紅葉が増えた。
レジスタンスの仕事の引き継ぎがあるからと去ってしまったマリア。
ソフィーと肩を並べ、夕日の中、風で涼む。
「あの広場を見てきたよ」
「そう、なんだ」
「なあソフィー、なんで人は死者に祈るんだろうな?」
彼女の意見を知りたく、訊ねてみる。
「忘れたくないから、じゃないかしら」
そう返す彼女の視線は、ドリットの方角へと向いていた。
「どんなに大切な人でも、いつかはいないんだって思い知るから。それが普通になっちゃうから。だから、たまには死者に対して『こんにちは』っていうの」
結局、俺もマリアもソフィーも死者の為、なんて言わなかった。
実に自分本意な連中である。
「まだだ、まだっ、まだ終わるものか……!」
暗い室内を、小さな物体が蠢いていた。
触手を伸ばし地面を這うのは、ラスプーチンの頭部。
体を失い脳だけとなった彼は、それでも生きていた。
「これさえあれば、なに、計画内だ」
ラスプーチンが大きなガラスの試験管へと近付く。
2メートルほどもある、巨大なガラス管。その中には人が浮かんでいた。
『彼女』は生命活動が停止した後に紅蓮に回収され、脳以外の全てを再生され培養液の中で眠っていた。
そう、いつでも目を醒ますのではないか、そう思えるほどに彼女は生前のままだった。
「ああ、美しい」
彷徨とした表情で見上げるラスプーチン。
「最強の魔力、最強の魔法演算力、最強の加護……かつて、これほどまでに魔導に愛された人間はいない。そうだろう―――ナスチヤ」
広場にて殺害されたアナスタシアは、ずっとここで保管されていたのだ。
「お前が欲しい、お前の血肉を得れば、私は最強の天師となる……!」
スイッチを操作すると、試験管が開き亡骸が外気に晒される。
ラスプーチンの首から生えた触手が彼女に伸びてゆき―――
「俺の女に触れるな、気色悪い」
彼の頭部を、男は踏み潰した。
「――――――。」
悲鳴も上げず息絶えるラスプーチン。
彼を殺したのは、冷たい目をした男性。
ソフィーの父でありアナスタシアの夫、ガイルであった。
「こんな場所にいたとはな。ずっと待たせてすまなかった」
妻の亡骸を持ち上げ、彼は小さく微笑む。
「さあ帰ろう、あの村へ―――」
〉タイトル横の(new)は要らないかと思います。
最近は描いてませんけれど、作者の落書きコーナーがある場合にややこしいことになるんですよね。
最新話を更新する時、落書きコーナーが既にあると、最新話が改訂扱いになってしまうのです。なので内容を更新したのはどれなのか一目で判るように、newを付けていました。
逆にややこしい、邪魔だ、という声があればやめますが……有っても無くてもいい、ならば続けようかと。
〉なぜマリアを救出しなかったのか
本編でも語られていますが、
1 親密な仲だったとはいえ、マリアはあくまで一般人であり、せいぜい人質にするくらいしか利用価値がない。下手に接点を持ち続けるよりは無視した方が彼女達に被害が及ばないと判断した。
2 マリア母娘はイソロクの保護下にあるので、紅蓮も簡単には手出しが出来ない。
3 戦闘員ではないマリアには移動手段も自衛手段もなく、移動の多い旅ではむしろ足手まといになる。(現在でもソフィーは常に誰かと一緒に行動するように心掛けている)
というわけで、救出しようとも思ってはいませんでしたが、忘れていたわけでもありません。
〉なにがなんだか
コンセプトが執筆中に何度も変わり迷走したのが理由です。精進します。




