はじまりのおわり 2
『「セルファークに生きる人々よ。まずは、諸君が楽しみにしていた大陸横断レースを中断させてしまったことを心から謝罪しよう」』
そんな言葉を聞き流しつつ、170ミリ砲の射戦から逃げる白鋼。
マウスからすれば狙いやすい前後移動を避け、横移動を心掛ける。
放たれる170ミリ砲。
それを飛び越え、マウスに接近。ミスリルブレードを振るう。
しかし届かない。強固な装甲に加え、巨大な腕が剣を逸らしダメージが通じない。
苦々しげに睨みつつ、零夏は一応の賛辞を発した。
「意外と芸達者なこった!」
『「我々は紅蓮の騎士団、世界の安定を望む悪の組織だ。この放送は共和国首都・ドリット城前の広場よりお送りしている」』
ヨーゼフの存外繊細な操縦に、軽く舌を巻く零夏。
(どうやら普段は手を抜いていたらしいな。一年前の試合も本気じゃなかったってことか)
『そういう君は調子が悪いのか? 非戦闘用のあの人型機に乗っていた時より、動きが悪いようだが』
人型機・白鋼は特別高性能なわけではない。直線的な突進に関しては追従可能な機体など存在しないが、機体の反応速度は軽さで鉄兄貴に勝る程度、純戦闘用の蛇剣姫には完全に劣る。
それでも零夏の操縦技術ならば、本来はマウスの防御は突破可能なのだが……
(なのに、なんで安定しないんだ白鋼!?)
挙動がブレる。素人目には誤差でしかないその差が、零夏の操縦イメージを崩していた。
『「世界各地で放送を聞いている者達には実感が湧かないかもしれない。しかし、広場には多くの観衆が集まっている。彼らが証人となり、世界へとこの出来事が真実であると伝えるだろう」』
距離を取り、マウスの巨剣の間合いから逃げる。
ガコン、と自動装填装置が170ミリ砲弾をチャンバーに送り込む。
向けられる銃口。
「ソフィー頼む!」
「うん!」
ブレードを放り投げ、変形した白鋼と結合。飛行機形態となって離脱する。
『「この世界は歪んでいる。人は更なる発展と利を求め、あるべき姿を忘れてしまった」』
170ミリ砲弾を回避し中型級飛宙船の背後に回り込み隠れる。
陰に回り込んだ瞬間にブレードを下部から外し、再び人型機に。
ブレードの柄を掴み、床にひっかき傷を残しつつ着地。全長一〇〇メートルの中型級飛宙船、その中間あたりだ。
『先程から、ヒットアンドウェイばかりではないか』
「うっせ! その重装甲抜ける火器があればむしろそれで遠くから終わらせたいわ!」
正々堂々など零夏の趣味ではない。零夏はミリオタであり、中世の白兵戦より近代戦の方が詳しい。近代戦の鉄則は先取攻撃、そして有利な攻撃位置を確保する電撃戦である。
『「確かに豊かになったろう。大半の者は魔物にも怯えず、飢えもしない時代となったろう」』
「さっきからなんだよ、この放送!」
『紅蓮の騎士団による世界へ向けた犯行声明だ。これが始まったということは、いよいよ急いだ方がいいぞ?』
クリスタル共振通信から聞こえる微かな爆発音と悲鳴。
「観衆ってのは、自主的に集まったのかよ?」
『まさか、逃げ遅れた民間人を広場に押し込んでいるだけさ』
近付くキャタピラ音。
『しかしそれは表向きでしかない。誰もが抱いているだろう、「なにか違う」と」』
(どっちだ、どっちから来る?)
飛宙船の船首と船尾までの距離は等しく約五〇メートル。どちらから回り込んできても不思議ではない。
(そうだ、こういう時こそ解析魔法だ)
船の向こうを透視すれば、白鋼へと真っ直ぐ向かってくるマウスが見える。
(どっちだ、どっちに曲がる―――?)
マウスが船の外壁に接触。あの巨剣でも一太刀では中型級飛宙船を割ることは不可能、必ずどちらかに回り込んでくると踏む。
『「冒険者などという小さな力が持て囃され、自由天士なる一般人が兵器を持つ」』
しかし、ヨーゼフの選択は零夏の予想の上をいった。
マウスの腕と前面装甲が飛宙船を押す。
白鋼に迫る飛宙船外壁。
(中型級飛宙船を、横転させやがった!?)
常識外れの出力を発揮するマウスに、おののきつつも後退し飛宙船から逃れる白鋼。
しかし背後は格納庫の壁。
『「無駄だ。無駄が過ぎる」』
挟み込まれたら堪らない。壁に足先を突き刺し、一気に駆け上り飛宙船の上に逃げる。
直後、船と格納庫の隙間が埋まり、押し出された空気が白鋼を翻弄する。
「うおっ、っとっと!」
軽量な白鋼は風の影響をモロに受け、船体から転げ落ちる。
落下、墜落寸前でソフィーが機体を浮かび上がらせる。
だがそこはマウスの眼前だった。
『「強者が浪費した無駄によって、どれだけの幸福が得られるかを考えたことがあるか」』
『ハッ、ようこそ!』
「はいさようなら!」
離脱を試みるも、170ミリ砲を撃ち込まれる。
170ミリ砲弾は障壁に阻まれるのでダメージはない。が、体勢を崩した隙に間合いを狭められる。
(速い、超重戦車の速度じゃない!)
『「強者が一時の快楽を味わう為、どれだけの苦痛を味わってきたか覚えているか」』
詳しい解析をしている余裕はないが、駆動系がかなり強化されていることは気付いていた。
しかし、マウスの速度は戦闘用人型機のそれに匹敵する。第三世代戦車とほぼ同等だ。
「なにかトリックでもあるのか?」
『それはこちらの台詞だ。人型機には障壁など不可能、どんな手品を使っている?』
零夏に挑む為に、人型機の防御について学んだヨーゼフだからこそ断言出来た。
『障壁は魔力消費が大きく、常時発動するのは困難だ。個人を守る程度ならともかく、人型機のような巨大な対象を包むことは出来ない』
『「個人による力などなにも成し得ない。そのような小さな力だが、それでも弱者は怯え抗う術を持たない」』
零夏達が閉じ込められていた貴賓用牢屋のように、飛宙船内部で一室を包むことは可能。
ラスプーチンが行ったように、瞬間的に小さな障壁を一方向へと展開することも可能。
しかし、人型機のような大型兵器の装甲として積み込むことは不可能。どうやったって魔力が足りない上、制御も困難なのだ。
近距離で振るわれる巨剣をいなしつつ、離脱のタイミングを計る。
「企業秘密だ!」
『「憎んだことはないか? 「あの薬があれば、苦しい思いをしなくて済むのに」と」』
『……もしや、君自身よく判っていないのか?』
「そんなわけないだろ! バーカバーカ!」
図星であった。
「レーカが付け加えたわけじゃないの?」
「ソ、ソンナコトナイヨ!」
『「呪ったことはないか? 「なぜ他人が築いた借金のせいで、私がこんなことをしなければ」と」』
零夏は障壁機能など増設していない。というより、障壁の術式すら知らない。
兵器への障壁は技術的に不可能。それに、そのような莫大な魔力を調達出来るなら、出力をアップし重装甲にした方が効率がいい。
障壁を持った兵器が存在しないのは、そのあたりが理由だ。
ならば白鋼の障壁がなんなのか。意図したものではないとはいえ、零夏はある程度推測していた。
零夏は見ていた。被弾の瞬間、クリスタルの出力が跳ね上がったことを。
『「妬んだことはないか? 「法を破る悪人が、なぜ善人たる我々より偉そうなのだ」と」』
機体出力は変わらない。なのにメーターが変動したということは、どこかに逃げたのだ。
被弾の瞬間に魔力が向かう先など一つしかない。
(クリスタルが自分で障壁を張っている、んだよな?)
白鋼の動力として搭載しているクリスタル、その本来の持ち主はシールドナイトだ。
防御に特化した魔物。その特性がクリスタルに残っていたと考えるのが自然。
(でも何故、今頃になって? っていうか障壁と盾は別物だろ?)
『「嫉妬したことはないか? 「生まれながらにして人は平等など嘘っぱちだ」と」』
零夏としては疑問が残らないこともなかったが、おおよそその推測は正しかった。
自分から胸を抉りクリスタルを差し出したシールドナイト。
彼はあの時、認めたのだ。零夏を、主として守る対象と。
今までは飛行機の動力源として使用されていた為に力を発揮出来なかったが、人型となれば話は別。
シールドナイトの特性・守護。盾の姿形は変わろうと、彼の成すことは変わらない。
(まあいい、人型機・白鋼最大のネックだった防御力が補えるんだ、クリスタルに魔物の特性が残るかどうかは後で調べよう)
割り切り、零夏は機体を操る。
『「人は既に、技術と効率の追求によって全ての者が飢えず幸福に生きられるほどのポテンシャルを得たというのに、なぜ救われぬ者がいる? 悲劇という単語が死語とならない?」』
170ミリ砲がリロード。間髪入れずに撃ち放つ。
「障壁を破れないって解っているだろ!」
『確かに、単独ではな』
着弾と同時に迫る横薙ぎの巨剣。
障壁は砲弾にのみ展開し、剣に対しては無防備だった。
『「これは世界が本来あるべき姿なのだろうか?」』
「うおぉ!?」
回避するも、白鋼の外装が切り裂かれ内部が露出する。あと数センチ深ければ、致命的な損傷を内部機構に被っていた。
『なるほど、多方向への同時防御は不可能なのか』
これもシールドナイトの特徴である。彼の魔物は、盾を一つしか持たない為に多方向からの攻撃に弱い。
障壁が絶対の防御ではないと理解した零夏に怯えが混ざる。
『「否。セルファークの永きに渡る歴史の末、人の生き様は歪んで固定されてしまったのだ」』
攻撃を交えた戦闘から、防御一辺倒の戦い方へと移行。
『なんだ、そのへっぴり腰は! 一年前の君は、もっと積極的に挑戦した戦いをしていたぞ!』
「あれは試合だろうが、実戦でチャレンジ精神なんてゴメンだ!」
『最強最古とすら渡り合った君はどうした! この臆病者め!』
(この、言いたい放題言いやがって……!)
(冷静に挑発を受け流す、やはり君はいい……!)
『「人は競い、争い合う動物だ。なぜ、それを否定する?」』
目に恍惚の色すら浮かべ、口端を吊り上げるヨーゼフ。
ひたすら回避に努める白鋼。反撃のチャンスを窺い、マウスの更なる解析を試みる。
(戦闘機用のジェットエンジンをガスタービンエンジンとして転用しているのか。その回転を発電器と直結、電力を生み出している。キャタピラを回すのはモーターか、効率は悪くエネルギーロスが大きいが、これなら機械的な負荷は少ない。ほとんどの部品が近代品に交換されているが、基本はオリジナルのマウスと同じ……だが、それでも三〇〇トンオーバーの機体を動かすには無理があるはず!)
その無茶を通せる理由は、やはり機体中央に存在する、ある装置だろう。
(浮遊装置、あれで接地圧を減らしている!)
『「よいではないか、混沌であろうと! 競争こそが人のあるべき姿だ!」』
浮かぶ為ではなく、重量を削減する為に搭載された浮遊装置。
「舞鶴もそうだが、つくづく紅蓮ってのは試作品が好きだな!」
『半端者同士、惹かれ合うのだろうさ!』
なるほど、あの機体の特徴は判った。そして弱点も。
だが何にせよ、一度離脱しなくてはならない。
『「我々は誓おう! 見えない境線を払い取り、世界をあるべき姿に戻すことを! そう―――」』
「レーカ、たぶん違う」
「違うって、何が!?」
余裕なく叫ぶ零夏に、ソフィーは諭すように問う。
「出力の小さな飛行機が素早く旋回するには、どうしたらいい?」
「そりゃあ、速度を殺さず風と重力を生かして……そうか!」
『「―――絶対的な管理の元に思いのままに殺し合う、そんな理想の世界を!」』
零夏はソフィーが言わんとすることがやっと理解出来た。
170ミリ砲が放たれると同時に、マウスの懐へと飛び込む。
『急ぎ過ぎだぞ、それは!』
横に一閃、巨剣が走る。
それを飛び越える白鋼。
『「権利も収入も義務も平等とし、騎士が騎士として、農夫が農夫として、奴隷が奴隷として存分に腕を振るえる社会を!」』
『甘い!』
しかしマウスは剣を翻し、頭上の白鋼へと軌道変更する。
強靭な腕と大重量を誇る機体に、振り回されることなく軽々と直角偏向する切っ先。
迫る鉄塊を睨む零夏。
先程までなら回避不可能だった。しかし、ソフィーの助言を得た零夏は違う。
『「力なき者をなぜ守らねばならない!? そのような倫理観は、人という種に後付けした拘束具でしかない!」』
速度を殺すのではなく、大気に乗って方向を変える!
勢いのまま水素ロケットを噴射、主翼であった平らな脚をハの字に開いて揚力を発生させる。
「昇れええええぇぇぇぇ!!」
『なっ、速い!?』
白鋼は無機収縮帯のパワーが小さくとも、エンジンパワーは充分強力だ。
速度を殺さず、風に乗って機体を動かす。それさえ心掛ければ、白鋼は純戦闘用にけっして見劣りしない高速機となるのだ。
零夏やガイルのように風を突き破るのではなく、風と共に飛ぶことを好むソフィーだからこそ出来た発想だった。
『「背負え!! そして、切り開け!! 甘えるな弱者共がぁ!! 貴様等が愚鈍なのが、その惨めさの理由だ!!」』
「真上は狙いにくいだろ!」
考えてみれば当然。戦車の弱点は上だ。
零夏はずっと平面的な戦術を思考していた。
人型機とは二次元にて運用する兵器。その考えが抜けていなかったのが零夏のミスだ。
戦車に対して、航空機が同じ土俵で戦う必要などない。
『「世界は弱肉強食。それを覆そうとするからこそ、歪みが生じ謂われなき罰を受ける者がいるのだ!!」』
『だからどうした、近距離戦しか能がないのはむしろそちらだ!』
砲口を白鋼に向けるマウス。
しかし、零夏の狙いは逃げることだけではなかった。
上昇を続ける白鋼はミスリルブレードを上に向け、勢いのままに天井に突き刺す。
『なっ―――なんのつもりだ?』
「有利なポジションに誘い込んだって、応じるお前じゃないだろ!」
『「気に食わないのなら、欲するのなら奪え!! 我々はそれを肯定しよう!!」』
剣を引き抜き高速飛行形態に。アフターバーナーを使用し一気に離脱する。
当たるかはともかく、ヨーゼフには砲撃するくらいの時間はあった。それをしなかったのは、強烈な悪寒を感じたからだ。
「だから、この空間自体を有利なポジションにしてやる!」
ミスリルブレードが突き刺さった天井の裂け目。そこから漏れる、大量の魔力。
徐々に傾く格納庫に、ヨーゼフはようやく思い至った。
「君は、まさか―――浮遊装置を停止させたのか!?」
『「不条理を認められる人間などいない! だが、平等の元に死ぬのならば、誰もが納得出来るだろう!!」』
天井の穴の先にあったのは、クリスタルと浮遊装置を繋ぐ太い魔力導線。
それが切断され、浮力を失ったラウンドベースがバランスを崩しているのだ。
ラウンドベース級飛宙船は外周がそれぞれ別の浮遊装置で浮上している。そのうちの一つが停止したということは、他の区画がその分の重量を支えなければならない。
制御された停止であれば浮力を連動させることで水平を保てるが、内部からの破壊工作では連動もなにもない。
『「故に私は宣言しよう!! この国は共和国の名を捨て、新国家として生まれ変わると!!」』
傾きは更に大きくなり、幾つもの飛宙船が格納庫を転げ落ちる。
『ぐう、おおお!?』
マウスとてそれは例外ではない。
この機体の弱点。そう、超重戦車は戦車の癖に不整地が苦手だったのだ。
必死にキャタピラを回し踏ん張るも、ずり落ちていくマウス。
『「生半可な覚悟で成し得ることではない! 暴虐と破壊と無法を以て、新秩序を築くとしよう! 故に、我々は……なんだ、どうした!? ラウンドベースが傾いているぞ、どうなっている!?」』
『「あらあら。あの子達が大人しく捕まっていると思ったの?」』
「レーカ、今の声!」
「ナスチヤだったな、このやがましい演説会場の側にいるらしい」
適当な瓦礫を拾い、重さを確認するように上下に揺らす。
「じゃあな、アンタは奈落の底を先に見てきてくれ」
白鋼はそれを、マウスへと放り投げた。
マウスに当たったそれは、分厚い装甲の前にダメージなどにはならない。
だがキャタピラが浮き上がり、バランスを失ったマウスは後方回転した後に傾斜した格納庫へと落ちていく。
『――――――!』
声もなく落下していくヨーゼフを見届け、零夏は操縦桿を握り直す。
「……よし、行くか」
「うん」
感傷に浸っている暇はない。
脱出を急ごうと出口を探し、遙か下に光を見つける。
ホバリングを多用し、急ぎつつも慎重に降りていく。
「そういえば、ありがとう」
「なにが?」
「助言助かった。他に何か気付いたことはないか?」
「う、ん。あと一つあるの」
「なんだ?」
「上手く言えないけれど……」
『認められるか』
ほぼ縦置きになった中型級飛宙船の上を滑り降りていると、声が聞こえた気がした。
「ソフィー?」
「え?」
きょとんと振り返る彼女の様子から、ソフィーには聞こえなかったらしい。
ついさっきまで壁だった格納庫の底に降り立つ。幸いなことにゲート周辺のスクラップによるバリケードはラウンドベースが傾いた際に吹き飛んだらしい。側に瓦礫やら飛宙船やらが山になっている。
「ゲートが埋まらなくて良かったな。さて、脱出―――」
『このような決着、認められるものか……!』
瓦礫の山が吹き飛ぶ。
伸びたアームが障壁を貫き、白鋼の右腕を掴み締め上げた。
「なんだと!?」
前進するマウス。高所から落ちて細部が損傷しているが、鋼鉄の装甲は歪み一つない。
(だが中身は別のはずだ。精密機器が衝撃で破損し、搭乗天士とてただでは済むはずがない!)
そう考えていたからこそ、零夏も油断していた。
『終わらせはせん、まだ終わってなどいない!』
よく見れば履帯は千切れ、砲身は曲がり、発電器からは火が噴いている。
満身創痍。ガワだけが無事であり、中身は滅茶苦茶なのだ。
それでも幽鬼の如き気配で突き進むマウス。
(浮遊装置をオーバーロードさせて機体を浮かせてやがる……!)
まさに自壊覚悟。もっとも、腕を掴まれている以上逃げようはないのだが。
アーム先のペンチに挟まれた白鋼の腕は、ひしゃげ機能を失っている。
「っこの、くそっ!」
無事な左手で持ったミスリルブレードを振るうも、両腕でさえ突破出来なかった装甲だ。片腕で切れるはずがない。
『私の、勝ちだ!』
腕を持ち上げ、吊られる白鋼。
そのコックピットに、もう片方のペンチが添えられる。
「く、そ……!」
唸るコンプレッサー。
(ここまで来ておいて、これで終わるのか!?)
油圧駆動のアームはコックピットを容易く潰す出力がある。
障壁が発動し必死に耐えているが、光の壁は不安定に揺らぎ長く保ちそうになかった。
万事休す。脱出したところで、逃げ切れる気もしない。
「ソフィーは見逃せ、彼女まで殺すつもりか!」
ミシミシと軋むコックピットから叫ぶ。
『私がそんなことに頓着する類に見えるか?』
紅蓮の騎士団にとってソフィーは必要な人間だが、ヨーゼフは彼女の生死に興味がないらしい。
「レーカ」
ソフィーがベルトを外し、後部座席の零夏の元へと身を乗り出す。
「たぶん、これが最後」
そっと顔を近付ける。
「え、ちょ、あの?」
こんな状況で狼狽してしまった零夏だが、あいにく逃げ場はない。
「最後のピース」
そして、唇を重ねた。
「――――――!!!?」
唇を奪われたとか、そういうことではない。
この瞬間、零夏の見る世界は一変していた。
機体細部を流れる気流。温度の質量差による微風。姿勢によって変わる空力特性。
世界は、風で満ちていた。
視覚的、というより直感的。ただ大気の流動がダイレクトに見える。
(これは、イメージリンク魔法!?)
ソフィーのイメージが零夏に伝播している。
口付けは簡易な契約の基本であり、メカニックに関する魔法の講義はアナスタシアの元でソフィーと肩を並べて受けていた。彼女が詠唱を知っていたっておかしくはない。
ないのだが、人間同士でのイメージリンクなんて転用法は想定の範囲外だった。
(……いや、そうじゃない。そうだ、ナスチヤは確かに言っていた)
イメージリンク魔法。これは、本来使い魔や他者と感覚を共有する魔法だった、と。
これが、正しい使い方なのだ。
結果として零夏は垣間見た。ソフィーが見ている、彼女の世界を。
(こんな世界で生きているのか、ソフィーは)
風が見える。タイミングも、強さも。
解析魔法によるシミュレーションではここまでの精度はない。所詮は予測、直接視ているソフィーには至らないのだ。
唇が離れる。
「解った?」
「……なんと、なく」
「そう、なら大丈夫ね」
そっと笑うソフィー。
『なにをしているのかね、君達は』
ヨーゼフがその様子を見て呆れていた。
「……おまじないだ」
『そうか、だが迷信だ』
「そうでもないさ!」
零夏はやっと、操縦の誤差の正体を理解する。
(白鋼の機体は軽い、人型機としては破格の軽さだ。だからこそ、気流の影響を受ける。何度も自分で言ったじゃないか、こいつは人型の航空機だって!)
白鋼が腕を振るい上げる。
「切り裂くのは装甲なんかじゃない、大気だ!」
真芯を捉え、切っ先を振り下ろす。
『何度やろうが、結果は―――』
ザン、という音と共に。
マウスは、上から下まで真っ二つに別たれた。
『な、んだとぉぉ!?』
薄いミスリルブレードは、叩く剣ではなく切る剣だ。
切る剣は一見同じモーションで振るっても、軸に乱れがあると切れ味が大きく変わる。
キョウコほどとなれば建物ごと斬り伏せるが、零夏にはこれが精一杯。
瓦解するマウス。最強最古には至らずとも、彼はそれと同種の域に達する片鱗を見せたのだ。
「今度こそ終わりだ、行こうソフィー」
『待ちたまえ』
下を見れば、コックピットから這い出て装甲に背を預けるヨーゼフ。
『なぜ、殺さなかった?』
斬撃は僅かにコックピットを避け、横に逸れていた。
「……あんたを狙う余裕なんてなかった。たまたま当たらなかっただけだ」
『ふん、そういうことにしておこう』
ガコン、と外に通じるゲートが閉まり始める。
「ってめぇ、往生際が悪い!」
『人聞きが悪いな、おおかた悪趣味な覗きでもいたのだろう。行きたまえ、すぐに閉まるわけではない』
「言われんでもそうする!」
前進翼形態に変形。鋳造魔法で外装を整えつつ、急加速しゲートを突破する。
『Hybrid』
ハイブリッドエンジンを最大出力に。左右から迫る隔壁をすり抜け、白鋼はひたすら加速を続ける。
この直線は本来戦闘機発進用のカタパルトだ。白鋼を閉じ込めんとする隔壁をかわし、緊急停止ネットを切り捨て、機体は外の光を目指して細いトンネルを飛行する。
「このままじゃ間に合わない!」
狭く閉じられる光のスリッドから、残り時間を割り出し零夏は叫んだ。
「高速飛行形態、アフターバーナー全開!」
速度を得たことで揚力が増し、前進翼でなくとも飛行可能と判断。白鋼は主翼を後退翼へと可変させる。
翼の一部が展開し、機体後方に魔導術式が露出。排気を再錬金し燃焼させる。
3を越える推力重量比。機体は更に加速するも、ゲートは尚早く閉じようとする。
「駄目だ、このままじゃ翼端がぶつかるぞ!」
「させない!」
機体を九〇度捻り、横倒しのまま飛ぶ。
曲芸飛行・ナイフエッジ。高度を保つのが難しく、トンネルの中で行うのは自殺行為だ。
トンネルの中を飛ぶこと自体が、そもそも命懸けだが。
「これ以上はもう手がないわ!」
「あとはもう、祈るとするか。ナスチヤ様お助けを」
「私達がお母さんを助ける側でしょ!」
「世界神セルファークとか、どうも胡散臭くてなぁ」
迫る光。
垂直尾翼を掠め、白鋼は広大な空間に飛び出した。
バン、と破裂音。白鋼によって圧縮された空気が解放され爆発したのだ。
目の前に現れる巨大な建築物に、零夏の指示を仰ぐ間もなく操縦桿を引くソフィー。
「うわあああぁぁぁ!?」
「レーカうるさい!」
飛行中はとことん役立たずの零夏である。
水平飛行に移る白鋼。先程ぶつかりそうになった建物は……
「……ドリット城?」
「脱出、成功?」
ぽかんと町並みを眺め、顔を見合わし、そして喜色を浮かべ抱き合う零夏とソフィー。
青空を貫く白き翼。地上の人々は、僅か数時間前に現れた新型機の再登場に空を仰ぐ。
こうして、彼らは敵陣からの脱出を果たしたのであった。
飛び去った白鋼を見つめ、ヨーゼフは息を吐いた。
「たまたま、か」
ヨーゼフは見ていた。直撃コースだったミスリルブレードが、直前で軌道変更したのを。
「甘いな。甘過ぎる。それでは……」
やれるだけはやった。悔しさは不思議とない。
この格納庫の惨状が露見すれば責任問題だ。隠蔽工作を行う為、ヨーゼフは立ち上がる。
「……それではなにも護れないぞ、レーカ君」
「生半可な覚悟で成し得ることではない! 暴虐と破壊と無法を以て、新秩序を築くとしよう! 故に、我々は……なんだ、どうした!? ラウンドベースが傾いているぞ、どうなっている!?」
「あらあら。あの子達が大人しく捕まっていると思ったの?」
慌てふためくラスプーチンを、アナスタシアは可笑しそうに笑う。
城前広場。普段は式典などに使用され、厳かな雰囲気すら漂うここは今や恐怖に満ちていた。
剣と杖を向けられ、公開処刑の証人となる為に広場に押し込められた人々。出入り口には人型機が立ち、逃げ場などないことを彼らに思い知らせている。
彼らはなぜ自分達がここに集められたか判っていない。しかし、ただ一つ確かなこともある。
死刑台の上、膝を着いた美しい女性。
その細い手足には過剰としか言えないほどの鎖が纏い、動きと魔力の双方を抑え込んでいる。
彼女の処刑。それが行われようとしていることだけは、誰の目にも明らかだった。
今の彼女は、魔法にて染めた髪のブロンド色を落とされて生まれながらの白髪へと戻っている。
浮き世離れしたそのあまり見ない髪色に、僅かな人々が反応する。確保された要人、その中でも帝国寄りの者達だ。
「……ふん、浮遊装置の不調かなにかだ」
ラウンドベースのトラブルをそう切り捨てるものの、隠し切れぬ怒りがラスプーチンの表情には浮かんでいる。
紅蓮の騎士団の再興。その最初の舞台である犯行声明、それを邪魔されたのだ。その痴態は世界規模で放送され、組織の顔に大きく泥を塗られた。
ラウンドベースの傾きが事故か事件か、何にせよラスプーチンはその責任の行き着く先にいる人物を許す気はなかった。
アナスタシアの髪を掴み、強引に前を向かせる。
「痛ッ」
「ここに、最初の暴虐を行う。この女が誰か、広場に集まった諸君は判るか!?」
大仰に腕を広げ、彼女を示す。
「これはアナスタシア姫、アナスタシア・ニコラエヴナ・マリンドルフである!!」
民衆の既に真っ青だった顔が、更に悪化し蒼白となった。
救国の姫君アナスタシア―――知らぬ者などいない、生きた伝説。
かつて世界が帝国と共和国で二分し、終わりの見えない争いへと泥沼化した時代。
未だ人が見たことのない大戦。苦痛と絶望が覆う世界。
そんな中、一人の騎士と共に旅立ち世に安泰を取り戻した娘がいた。
国を追われ、身分を失い、とある工房に匿われただの職人として身を潜めていた彼女は、天才天士の男性と出会う。
『私の騎士となりなさい』
その言葉から始まる、世界再生の物語。
たった二人っきりの姫と騎士の旅。次第に仲間が増え、一勢力となり、そして遂には戦争の裏で暗躍する諸悪の根元を打倒する。
喜び涙する人々。しかし、その宴の時には既に彼らの姿はなく。
過去として語るには新しく、しかし様々な媒体、本や吟遊詩人、演劇として誰もが慣れ親しんだ冒険譚である。
「古い英雄の鮮血を以てこの安穏と腐りきった時代を閉じよう! 今より、この女の処刑を行う!! お前達が救国の姫と讃え、祖国の娘と愛したこれを殺めることで、我々の覚悟と悪を刻み付けよう!!」
ハッピーエンドで幕を閉じたはずの物語。
しかし、その続きがそこでは行われていた。
悪が生き残りヒロインが処刑される。それは、物語で済ますことの出来ないセルファークに暮らす人々の悪夢だった。
誰もが祈っていた。物語と同じように、彼の騎士が現れることを。
「ナスチヤよ、なにか言い残すことはあるか」
「ないわ」
「それでは困る。貴様がアナスタシア本人だと世界に知らしめる為に、肉声なしでは様にならない」
ラスプーチンはアナスタシアを殴る。口の端から血を流す姫に、人々は恐怖を通り越して怒りすら覚えていた。
「……あえて言うなら、ま、悪くない人生だったわ」
アナスタシアの顔に憂いはない。訝しむラスプーチン。
「それだけか? 娘に言葉を残しても構わんのだぞ」
「その方が私だってはっきりするものね。残す言葉なんてないわ、あの子のことは心配していないもの」
何故、とラスプーチンは目で問う。
「あの子には、騎士がいるもの」
「……娘と共に機体に乗っていた少年か? 子供一人になにが出来る」
彼の非凡な能力こそ垣間見ているラスプーチンだが、ただの強者が組織に適うはずもない。事実、戦線に参加した七名の銀翼は紅蓮の騎士団に敗北した。
「彼はこの世界で唯一、運命を変えるチカラを持った人間よ」
「バカバカしい。戯れ言以外にないのなら、さっさと終わらせるとしよう」
ラスプーチンが挙手すると、兵士達が杖を構える。
人々は悲痛に叫び、目を逸らし、泣いた。
杖に集まる魔力。
アナスタシアは瞼を閉じ、しかし次の瞬間見開く。
「……あなた?」
首都を、肌に触れた硫酸のような痛みを伴うほどの殺気が覆った。
あまりの殺意に呼吸困難となる民衆。ある者は倒れ、ある者は気を失い。
日頃戦場とは無縁の者でさえ、その覇気はしっかりと感じ取れる。
それほど濃い殺気を浴びた紅蓮の構成員は、それだけで半数が戦闘不能となった。
「なんだ……なんだ、これは」
呆然と心なしか暗くなった空を仰ぐラスプーチン。
殺気の出所は一機の戦闘機。
広場へのアプローチを試みる亡霊であった。
「あの人、世間で語られているような白馬の王子様じゃないもの」
そう、その様はまるで―――
「むしろ、そうね……鬼、かしら?」
最強の戦闘機天士・ガイル。
その実態は、死を振り撒く悪鬼であった。
『な、なにが紅翼だ、時代遅れの……』
「黙れ」
すれ違い様に、生存していた七機の舞鶴を皆殺しにし、ガイルは狙い定める。
城前広場。人型機と民間人の奥に、アナスタシアとラスプーチン。
(―――?)
ガイルは数キロ先のアナスタシアの唇の動きを読み、姫の言葉を受け取った。
「五秒間目を閉じろ、だと?」
妻の意味不明なメッセージを、だがガイルは実行した。まだ広場まで距離はある、五秒なら問題ない。
瞼を下ろし、瞬間、乗機の亡霊が爆発した。
「な!?」
正確にクリスタルを射抜かれ大破する亡霊。
それを成した攻撃は、光の矢の魔法だった。
そう、それはアナスタシアが最も得意とする魔法。
「なんで、どういうことだナスチヤ!」
高度が落ちる亡霊。浮遊装置を備えた機体は不時着など難しくはなく、安全なポイントの軟着陸する。
実を言えばガイルは不完全ながらも判っていた。なぜ、妻が自分の突撃を止めたかを。
「大した女だ、お前は」
痛みに眉を顰めるアナスタシアを、ラスプーチンはそう評した。
アナスタシアの左手親指は不自然な方向に曲がっている。関節を外して鎖付き腕輪から手を抜き、魔導拘束から解放された片手のみで魔法を行使したのだ。
左手で持った光弓の弦を口で引き、ガイルを撃墜したアナスタシア。
無論やりたくてやったわけではない。威力の小さな光弓魔法ライト・レイだが、当たりどころが悪ければ当然死に至る。
ならばなぜ、危険を冒してまでガイルを止めたか。
それは、この場に敷設された魔法陣が理由だった。
「無酸素結界……芸がないわね」
「だが航空機に対しては有効だ、この上なくな」
広場に張られた結界。空気中の酸素を失わせることで、エンジンを使用不能とするそれは航空機の天敵である。
「紅翼といえどエンジンの動かない機体では戦えまい」
「私が心配したのは、ここにいる人々よ」
アナスタシアはガイルが罠を承知で攻撃態勢に移ったと理解していた。
無酸素結界程度であれば夫なら突破したかもしれない、しかしそれも確実とは言えないし、民間人を巻き込むのは躊躇われる。
ガイルは経験から広場の罠に気付いていた。気付いた上で、特攻を行ったのだ。
どのような布陣も打破出来るという自負以上に、姫を失うことは彼の存在意義の喪失にほかならないのだから。
それを察しない妻ではないが……
(私より、娘を心配してほしいものだわ……)
心境複雑なアナスタシアだった。
「解せないな」
「貴方なんかとおしゃべりする趣味はないのだけれど、訊いてあげるわ。何が?」
「何故そこまで自身の生死に興味を示さない?」
アナスタシアにこの場を乗り越えようという意志はあまり感じられなかった。また、それは事実である。
「生きるも八卦、死ぬも八卦よ」
「僧のようなことを言うのだな」
「それは貴方でしょう、怪僧ラスプーチン」
好き好んで死を待っているわけではない。しかし、彼女の運命を覆すとすれば、それはガイルではない。
破裂音が、広場に響いた。
砲の発射音に似たそれに、戦闘員達は身構える。
ドリット城を掠め貫く白き翼。
「……本当に起こるというの?」
―――奇跡が。
「ソフィー! あそこだ!」
「見えているわ!」
「なら真上から強襲! 人型機部隊を叩く!」
「了解!」
一気に上昇し、高度三〇〇〇メートルへ。重力とエアブレーキにて減速し失速、堕ちるかのように垂直降下へと移行する。
「どうするの?」
「慣性をナスチヤに向けて水平に移せるか!?」
「平気、空気のクッションを地面との間に挟めば!」
「頼む!」
話す間に迫る地上。高射砲の閃光弾を潜り抜け、一気に地上へ。
地面効果を存分に活用し機首を引き上げ、時速一〇〇〇キロにて紅蓮の人型機に迫る。
「|I have control!(後は任せろ!)」
「|You have control(お願い、レーカっ)」
人型機へと変形する白鋼。突如変貌した敵機に困惑する間もなく切り捨てられる人型機部隊。
(速度を殺すな、勢いのまま飛び抜けろ!)
予め勢いを付けていた白鋼は充分な運動エネルギーを蓄えられている。それに減速したところで、エンジンと脚による加速にて損失は楽に補える。
(飛び続けさえすれば、白鋼は誰よりも速い!)
吹き飛ぶように解体されていく人型機。ラウンドベースとは打って変わり、広い戦場を得た白鋼は速度を存分に活かし暴れ回る。
「無酸素結界を―――」
「止めておけ、奴には効かん」
結界発動を具申した部下を止め、ラスプーチンは白い閃光を睨み付ける。
「なるほど、厄介だな貴様は!」
風を理解し飛び交う白鋼に、追いすがることの出来る機体などいなかった。
一機また一機と両断される人型機。
一騎当千の勢いで暴れる乱入者に、誰もが、当人達ですら奇跡を信じ始めていた。
「やれ」
起こらないからこそ、それは奇跡と呼ばれるというのに。
アナスタシアの体を、無数の魔法が貫いた。
土魔法ブレイクショット。無数の小さな弾を撃ち込むこの魔法は、近距離では極めて殺傷性が高い。
弾丸は柔らかいアナスタシアの体を容易く貫き、噴水のように血が吹き出す。
「―――あ」
白い衣服は鮮血で染まり、アナスタシアはそれを呆然と見下ろした後に空を見た。
最期に見たかったのは、あの人が愛した空だったから。
しかしそらの半分はラウンドベースに覆われ、アナスタシアは困ったように苦笑いを浮かべる。
「ひどいわ、もう」
こちらに手を伸ばす白鋼らしき人型機。
アナスタシアはそれに応じようとするも、体はもう動かず。
「またね」
それを最期に、彼女は血溜まりへと沈んだ。
「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
母の死を間近で見て、錯乱状態に陥るソフィー。
だが俺にそれを宥める余裕なんてなかった。
アナスタシア様が死んだ? まさか、そんなはずはない。
解析魔法にて彼女の体を透視。きっと、大事な部分には当たっていない。
肝臓をやられ、肺に穴が空き、重要な血管が幾つか千切れているだけ。
「う……あ……」
血が流れ出し、脳へと酸素供給が滞る。
「あああ、あああっ」
死んでいく。肉体ならなんとかなる、でも脳はどうしようもない。
「嫌だ、見たくない」
死んでいく。脳細胞が、自律神経が機能を停止していく。
「見たくない、見たくない!」
死んでいく。アナスタシア様が、ナスチヤが死んでいく。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、見たくない! 見たくないよぉ」
死んでいく。アナスタシア様だった物が、肉になっていく。
「なんで、見たくないのに、嫌だああぁぁ」
解析魔法の暴走。意図しない解析結果が、俺に理解を強要する。
ナスチヤはもう動かない。ナスチヤはもう話さない。ナスチヤはもう笑わない。
認めるしかなかった。認めなければ、逆に壊れてしまいそうだった。
ナスチヤは死んでいた。
ナスチヤは、死んだ。
「う、わああ、ああああああああ
これ以降のことは、よく、覚えていない。
正義は勝つとは限らない。
この世界が異世界であると、俺はようやく気付いた。
魔物が闊歩し兵器が公然と存在するこの世界が、自分の知らない世界だと一年も経ってようやく知ったのだ。
一人の女の死をきっかけに、この世界は再び混沌へと墜ちる。
これは、世界の行く末を賭けて多くの銀翼の天使達が凌ぎ合う物語。
銀翼の天使達 プロローグ 完
注意 四章ラストです。この話は鬱展開なので注意。
これ以降はある人の頑張りで、死者はそうそう出ない予定です。
ほのぼの路線にさっさと戻りたい。




