音の壁と月の世界
「もー既にー今日はー、おーしょーおーがーつぅー」
カツンカツンと響く木槌の音。
「おしょーがつにはー飛行機上げてぇー」
目の前には大理石。歪な形のそれを、俺はひたすら鑿で整え続ける。
「記念碑立ててー遊びましょー」
「なにやってんだ、お前?」
石碑を掘る俺の背後からガイルが訊ねてきた。
「白鋼が初飛行した記念すべき日の、記念碑を立ててるんだ」
「形から入るな!」
白鋼の格納庫。しかし、俺が対峙しているのは飛行機ではない。
うつ伏せに倒し台座に乗せた蛇剣姫の整備をしているのだ。
「いいのですか? 連日、飛行機のテストで忙しいようでしたが」
流石にメイド服を脱ぎ蛇剣姫を弄るキョウコ。いや、素っ裸じゃないぞ? ツナギ姿だ。
「いいのいいの、息抜きだし」
白鋼が完成しひたすら実験の繰り返し。慎重に、機体の限界を確かめるようにテストテストテストの毎日である。
安全の為に浮遊装置を背負い、起動しつつゆっくりと飛ぶ。
楽しくないわけではない。が、ずっと続けるにはチトきつい作業だった。
データは大事だ。生のデータはこうやって確実に収集しなければならない。
が、飽きるッ!
途中興味深い第三の飛行形態を発見したりしたが、さすがに疲れた。
だからこそ息抜きである。
「そろそろ全力飛行がしたい」
おー、ここはカストルディさんの仕事だな。相変わらず顔に似合わず繊細な仕事だ。
「…………。」
蛇剣姫のコックピット、頭部を見やる。
「なぁ」
「はい?」
「飛行機が人型機に変形したら、格好いいと思わないか?」
変形メカはロマンである。
「半人型戦闘機ですか?」
「ソードストライカー?」
戦闘機+人型機か?
初めて聞いた。ちっ、もうあったのか。
「架空の兵器ですよ。実用どころか実験段階ですらまともに動いていません」
マジで想像レベルだな。
「元より陸上兵器を空へ上げよう、という時点で無茶なのですよ」
地球でもあったな、戦車に翼を付けて飛ばそうって発想が。
なんと日本でも計画されていた。アホか。
「いや、だが」
無茶。無謀。そんな言葉に技術者達は挑み続けてきたのではなかろうか。
「面白い。なかなか発展性のあるアイディアだと思うのだが」
「半人型戦闘機が、ですか?」
ぽけっと呆けた顔を晒すキョウコ。
「無理ですよ、前進翼とは難易度が違います。現実的ではありません」
「残念ながら、やってみて失敗しないと納得しないタイプなんだ」
「難儀ですね」
俺はその晩、物は試しと白鋼の図面を引き直し―――
―――その高過ぎる難易度に頭を抱えるのであった。
手足が飛行機の時に完全にデットウェイトだ。飛ばすには重過ぎるし、軽くすれば人型機として自立出来ない。それに飛行機としての性能が下がって、飛べたとしてもすぐ負ける。
中途半端な兵器は失敗する。第二次世界大戦からの教訓はまっこと真実であると、しみじみと再認識するのであった。
ところで、地球での戦闘機は自力でエンジンをかけられないことが多い。
自動車におけるセルモーターに該当する、エンジンを始動させる機構がないのだ。
なにせモーターは金属の塊、かなり重い。離陸前にしか使わないものにそれほどの重量を割くのは無駄だろう。
ならばどうするか。当然、外部からコンプレッサーなどで点火するのだ。
古い機体であれば人力でレシプロエンジンを始動することもあったが、現代ではだいたい他力本願である。
ではセルファークではどうか。基本はこちらも同じだ。
しかしこの世界には便利なものがある。
魔法である。
短時間であれば機械以上の作業もこなせる魔法は、セルファークにおける航空機の利便性・汎用性に貢献している。
だが白鋼の場合、始動に魔法すら必要ない。
スロットルを踏み込むだけでエンジン始動。高レスポンスの機敏な制御はロケットエンジンの特徴だ。
と、まあ御託はいいとして。
俺達はこれから、ある試験飛行に挑むのだ。
エアバイクで白鋼を格納庫から牽引する。
コックピットの縁に飛び乗ると、既に前席に座るソフィーと目が合った。
「ご機嫌いかが?」
「ぼちぼちでんな」
肩を竦めてみせる。まさかソフィーがおどけるとは、機嫌がいいみたいだ。
後部座席に身を滑り込ませ、ついでに後ろからソフィーの頭を撫でておく。
「レーカは私に一方的に悪戯出来るのに、私は前しか見えないって理不尽ね」
頭をさすりつつ不満げに振り返るソフィー。
「諦めろ。こればかりは後ろの特権だ」
やろうと思えばもっと悪戯らしい悪戯も可能だが、やればただの変態なのでソフィーが大人になるまで自重する。
主電源を入れる。
各部のモーターやセンサーが起動し、魔力導線がクリスタルと無機収縮帯を接続する。
垂れていた翼がピンと持ち上がる。
「エンジンコントロールユニット、オン」
レバーを跳ね上げる。
複雑なこの機体のエンジンは魔導術式で半自動制御される。マニュアルでの介入も可能だが、機体の維持に俺は結構忙しいのだ。
俺とソフィー両名で操作して初めて全能力を発揮する白鋼だが、ソフィー一人での操縦も勿論可能。
いつまでも俺とソフィーが共にあるとは限らない。将来的にはソフィー単独で一から十まで制御出来るようになるのが理想だが……制御はともかく整備を出来る人材がいないだろうな。
エンジンパラメーターに『Rocket』の表示。
時速一〇〇キロ以下では水素ロケットとしてしか駆動しないこのエンジンは、プロペラントが五分しか確保されていない。
つまり、五分以内に飛び立たなければならないのだ。
……短いように思えるが、実際に飛行してみるとむしろ長過ぎる気もした。
ソフィーがスロットルを踏み込み、水素と酸素が燃焼室へ供給され炎を吹く。
ゆっくりと前進する白鋼。
「エンジンに時間制限があるとはいえ、あまり焦るなよ。この機体の足はあまり頑丈ではないんだ」
「荒っぽく乗ることはあっても、雑に乗ったことはないわ」
軽量化の為に簡素に仕上げられたギアは、最低限の強度しか持ち合わせていない。
不整地を想定してサスペンションと空気圧はかなり柔らかく調節されているのだが、強度そのものは下手な着陸を行えばへし折れる、そんなレベルだ。
丘を作り替えたスキージャンプ滑走路に進入。なんてことはない、ただ地面を均した坂道だ。
『GoodLuck』
荒鷹(笑)で上空待機するガイルがお決まりの願掛けを呟く。
戦闘ではなく試験飛行なのだから大袈裟ではないか、と考えて頭を振る。
そうじゃない。白鋼はまだ未完成なんだ、何度も試験飛行に成功しているからって油断するな。
これから白鋼が挑むのは、多くのパイロットの命を奪った『壁』だ。
ゴーグルを装着。
キャノピー越しに空を舞う荒鷹(笑)にサムズアップ。パイロットといえばこれ。
タキシングを終えエンジンスロットルが徐々に解放される。
航空機は普通はフルスロットルで離陸する。静止状態から離陸速度まで重い航空機を加速させるには、それくらいしなければならないのだ。
それは白鋼の場合でも同じ。最大出力150kNという化け物エンジンであっても、静止状態では水素ロケットの最大出力、40kN程度しか出せない。
もとより水素ロケットの役割は極低速での始動と、アフターバーナー的な加速装置に限定される。このエンジンの本気はラムジェットエンジンとなってからだ。
置いて行かれようとする体がシートに押し付けられ、速度は数瞬で時速一〇〇キロを突破。機体が軽いので加速も早い。
表示が『Ramjet』に変化。
吸気口から大気の吸い上げが開始され、酸素濃度を調節された空気が燃焼室へと飛び込む。
若干、体への負担が減る。ラムジェットエンジンとて高出力のエンジンだが、水素ロケットよりは劣る。
振動の質が変化した。タイヤが地面から離れたのだ。
「テイクオフ、ギアアップ」
ソフィーは気にした様子もないので俺が操作する。ナビは大変だぜ。
尚も加速する白鋼。地面スレスレで飛行したのち、そのまま滑走路は途切れ上昇へと移行した。
「……何度やっても思うけど、これ離陸じゃなくて発進だよな」
「違いが判らないわ」
滑走から一切機首上げしていないし、マスドライバーから射出されるシャトルの気分だ。
V1とかVRとかV2とか言ってみたいよ。
「そもそも『かっそうろ』を使う必要って有るのかしら? エンジンの力ですぐに飛んじゃダメ?」
水素ロケットエンジンでも推力重量比は1を越えているので、一応垂直上昇は出来る。
出力不足でほとんど昇っていかないけれど。
「そのエンジンのテストをこれからするんだから。なんだかんだで負担が掛からないのは通常離陸だぞ」
セルファークで運用しようと思えば、結局はSTOLを多用することになるだろうが。
『そのまま高度を一〇〇〇メートルにまで上昇だ』
「了解」
平行して飛行する荒鷹(笑)と共に、空高く昇っていく。
『このまま海に出るまで直進だ。今のうちに今回のフライトプランを確認しておこう』
「うん」
「りょーかい」
ソフィーは両手が塞がっているので俺が資料に目を通す。
「試験内容は超音速飛行と、アフターバーナーなしでのスーパークルーズの挑戦」
遂にこの試験だ。余計な重りかつ空気抵抗を背負っては性能試験にならないので、今回は浮遊装置を背負っていない。
高度が上がるにつれ対比物である地面から離れて体感速度は遅くなっていくが、速度は時速九〇〇キロに迫っている。
音速への挑戦。白鋼にとって初の全力運転テストである。
『通信には常に留意しておけ。周囲に航空機がいるかどうかを判断する、数少ない情報だからな』
「了解」
いつになく真剣なガイルの声色に、自然俺達の表情も引き締まる。
地図から計算すると、試験飛行予定空域まで数分かかりそうだ。
「ソフィー、操縦が大変なら後退翼にしてもいいんだぞ?」
最も浮力が大きくなるのは前進翼だが、その特性故に挙動は不安定となる。
常に小刻みに動くカナードがその証拠だ。動きにカウンターを当てて修正し続けるなんて、アナログでやろうと考えること自体馬鹿げている。
時速九〇〇キロも出ていれば後退翼でも充分浮いていられる。無理して前進翼で居続ける理由はない。
「平気よ。このくらいならむしろウトウトしちゃうくらい」
「……居眠り運転は勘弁してくれよ、運転手さん」
「話し相手がいれば眠くならないんでしょ? ナビゲーターさん」
白銀の地平線がやがて水平線へと変化する。
迫る海岸線は、あっという間に後方へと流れていった。
ここから先は煌めく海面の眩しい水の世界だ。
『予定空域に到達。いけるか?』
解析で機体を調べつつメーターの数値も確認する。オーケー、問題ない。
「ソフィー」
「うん」
彼女もいいみたいだし、あとは決行するのみ。
「白鋼は試験飛行に入る! 高度一〇〇〇メートルにて超音速域の飛行を行うので周囲の空域に存在する船舶はご注意を!」
『りょ~かい、気をつけろよ』
『高度下げとくぜ、墜ちてくるな』
顔も見知らぬ天士達から返事があった。彼らの空に国境線などないらしく、広域通信では雑談や口喧嘩もよく聞こえてくるものだ。
管制官などいない空の安全、互いに注意しあって守るしかない。
現時刻をレポートに書き込み、ソフィーに合図する。
「やってくれ」
「―――白鋼、高速飛行形態!」
ソフィーの操作に従い、無機収縮帯が稼働。
前方に伸びていた主翼は斜め後方まで後退し、僅かに下へ傾く。
更に翼の中程が内側へ畳まれ、カナード翼は翼長が通常の半分に短くなる。
全体的に矢に近いシルエット。前面投射面積を減らし音速の壁を破る為の形態、それがこの高速飛行形態だ。
グン、と加速する機体。
絞られていたスロットルは解き放たれ、速度が上昇すればするほどラムジェットエンジンは歓喜の咆哮をあげる。
前方からの風圧により空気を圧縮するラムジェットは、速度が上がれば上がるほど効率が良くなる。
ちらちらとコックピットの周囲に白い雲が纏い出した。
後ろを振り返れば、白鋼の後部丸い雲が発生している。
「ヴェイバーコーンってやつか……」
飛行機の衝撃波によって、機体後方に水蒸気の雲が円錐状に形成される現象。それがヴェイバーコーンだ。
よくソニックムーブと勘違いされるが、音速以下でも発生する現象である。
「九五〇キロ―――」
速度を読み上げる。
既に音速に片足を踏み込んだ、所謂亜音速を越えている。もう挑戦は始まっているのだ。
音速とは時速約一二二五キロを指す。温度や気圧によって変化するが、だいたこのくらいだ。
学校などでは秒速三四〇メートルと習うっけ。こちらの方がイメージしやすいかもしれない。
音速付近のことを遷音速、音速より遅い六〇〇キロあたりを亜音速、一二二五キロ以上を超音速と呼ぶ。
超音速という単語を聞けば音速の数十倍といったイメージを抱かせるが、実はマッハ1以上はマッハ1,5であろうがマッハ10であろうが超音速なのである。
まあ、マッハ5以上を極超音速と呼んだりもするけど。
「一〇〇〇キロ―――」
一秒間に三四〇メートル進む速さ。遅いか速いか感じ方は人それぞれだろうが、航空史においてこの速度はまさしく壁であった。
単にエンジン性能による速度の目標ではない。音速より遅いか速いかで、航空力学は激変するのである。
ビリビリと機体が震え始める。音の壁が、遂に姿を現し始めた。
「一〇五〇キロ―――」
音とは『移動』ではなく『伝播』する波だ。
そしてその性質と有り様は、水中にて発生する波と類似、というか酷似している。
当然だ。媒体が異なるだけで、同じ現象なのだから。
つまりは船の舳先だ。水をかき分ける先端で発生した波は、船の速度が波のスピードを上回るが故にひたすら船体へぶつかり続ける。
機体の振動はより一層激しくなる。俺の設計が間違っていれば、この機体は次の瞬間空中分解してもなんらおかしくはない。
「一一〇〇キロ―――」
この際発生する、波の折り重なった壁。それこそソニックムーブなのである。
人類が空に挑み、そしてぶちあたった第二の試練。
多くのパイロットを飲み込んだ悪魔は、まさに目の前に大口を開けて控えている。
「一一五〇キロ―――」
加速が、止まった。
あと七五キロ。ほとんど壁となり果てている衝撃波は白鋼を揺さぶり、切り裂かんと口角を吊り上げている。
「ソフィー!」
「……うん」
ここにきて出力不足などありえない。
踏みとどまったのは、ソフィーの意志だ。
だけど彼女も判っているはず。音と併走する遷音速こそ、衝撃波が後方へ置いて行かれることもなく危険なのだ。
躊躇ってはならない。退くか進むか。
振動という振動が機体を囲い、内部まで破壊せんとする。
「いきますっ」
結局のところ、明確な解決法など存在しない。
「一一六〇―――」
エリアゾーン等、超音速で自在に飛ぶ技術は幾つも提案されてきた。
「一一七〇―――」
しかしそれでも尚、音は壁として立ちふさがり続ける。
「一一八〇―――」
数多のテストパイロット達に不可能だと断じられた壁。
「一一九〇―――」
つまるところ、壁なんて存在しなかったのだと俺は思う。
「一二〇〇―――」
世界最速の人類。その栄誉を手に入れる為に必要だったのは、ほんの僅かな勇気。
「一二一〇―――」
音の壁は、それを恐れる人々の内こそ存在した。
「一二二〇!」
ただ、貫くだけ。
「―――マッハ、1!」
貫き受け流す。それだけが、人が音より速く飛ぶ方法だった。
急激に騒音が消えてゆく。
空気中からコックピットに到達する音が、機体に追いついていない。
機体そのものを伝導する振動まで消えるわけではないが、外部に発生したエンジン音から白鋼は逃げ切っているのだ。
「これが―――超音速」
速度計はM1,2に達した。アフターバーナーなしでの超音速飛行だ。
『惚けるのはいいが、スーパークルーズの試験もするんだろ? しっかり記録取っとけよ』
ガイルの指摘に我に返り、解析やメーター等から得た情報を記録していく。
「魔力消費量にも問題ない。長時間飛行し続けて、問題がないか確認するぞ」
『直進していたら最果て山脈にぶつかるからな。少しずつ進路を曲げて、一時間後にゼェーレスト村上空に戻るぞ』
「了解」
それから俺達は、しばしの超音速での遊覧飛行を楽しむのであった。
エンジンへの解析魔法に集中していたので、楽しんでいたのは主にソフィーだが。
「ガイル、あれなんだ?」
『あれじゃわからねーよ』
「九時方向のでっかいタワーだ」
左面に、空まで貫く巨大な柱が立っていた。
頂上は遠過ぎて見えない。月まで突き刺さっている?
まさか、月面行きの軌道エレベーター的なもの? この世界の技術力はあんな代物まで建設可能とするのか?
『いや、あれは自然物だぞ?』
「あんな自然物があってたまるか!」
『ホントだっての……あれは巨塔と呼ばれるダンジョンだ』
ダンジョン。RPGの定番、冒険者達の職場だ。
剣と魔法とくればあるいは、と思っていたが……まさか本当にあるとはダンジョン。
『セルファークの何カ所かに点在する、超巨大ダンジョンだな。世界の柱とも称される』
「お父さん、上まで登ったらなにかあるの?」
『月に徒歩で行ける』
なんの意味があるんだ……三キロ登って三キロ降るとか、足がガタガタになりそうだ。
『無意味でもないぞ』
「なんで?」
『……秘密』
なんじゃそりゃ? 奥歯に挟まるような気になる言いようだ。
「あれを超巨大と称するってことは、通常サイズのダンジョンもあるのか?」
『それこそ数知れないな。冒険者がいる町の近くには必ずダンジョンがある』
ツヴェー付近にもあったのかな、調べとけば良かった。
「そもそもダンジョンってどうやって出来るんだ? 神様が作るのか?」
『有力な説としては古代文明の遺跡だ、というのがある。中では貴重な材料や道具が見つかったりするし、構造が明らかになんらかの意図がある建築物だしな』
古代文明が作ったならやっぱり人工物じゃん。
『さあな、そもそも人じゃないかも』
なんとなくゴブリンちっくな魔物が遺跡で生活しているのを夢想した。
「あり得なくもなさそうなのがファンタジーだ」
「ふぁんたじー、ってなに?」
む、ファンタジーの住人にファンタジーの説明ってどうやればいいんだ?
返答に困ったので、とりあえず頭を撫でて誤魔化しておく。
『―――おい、変態が現れたぞ』
ぎくり。
「な、なにを言っている? 触ってないぞ? ホントダヨ?」
『お前じゃねぇよ……ソフィーになにかしたのか!?』
いかん、墓穴を掘った。
狼狽した俺に変わり、返事をしたのは白鋼の運転手。
「後ろから一方的に体を触られたわ」
オォゥノォゥ……
『…………。』
沈黙がむしろ怖かった。
『言い残すことはあるか?』
「許嫁とスキンシップしてなにが悪い!」
『そうか、ないなら黙って静かに死ね』
短い人生だった。
『ってそうじゃない。例のワイバーンが来たぞ』
「例の、って、ロリゴン?」
彼は遂に見つけた。
数ヶ月前に彼にぶつかってきた筒。
何度も低空まで降り、似た音を探してさまよった。
だがどれも違う。彼の優れた聴覚は、状況によって変化する音質から共通部分を見い出し候補を選別していく。
途中人間のメスに気を取られたりもしたが、それでも目的を見失いはしなかった。
そして遂に辿り着く。
白鋼に搭載された魔界ゾーンラムジェットエンジン。
そのラムジェット機構と、ハイブリッド状態のラムジェット音が共通であることに。
随分と見た目が変わり速く飛ぶ筒になっていたが、それでも彼から逃れ得るほどの速度ではない。
彼―――ソニックワイバーンは、獲物たる白鋼の上へと身を進めるのであった。
その時点で、ガイルに指摘された零夏もようやく頭上の影に気付く。
「例の、って、ロリゴン?」
コックピット内が影に暗くなる。
白鋼と荒鷹、そしてソニックワイバーンの奇妙な編隊飛行。
「いつの間に」
零夏は超音速巡航を行う白鋼に悠々と併走するソニックワイバーンに目を見開く。
「お迎え?」
頭上を見上げ首を傾げるソフィー。
ワイバーンはじろりと白鋼を眺め―――
「ッ! 逃げろっ!」
唐突に、炎のブレスを放った。
零夏はソフィーの操縦を無理矢理奪い、後部座席に据え付けられたラダーで機体を無理矢理スライドさせる。
「レーカ!? なにするのよっ!」
崩れた制御を咄嗟に立て直すソフィー。
「高速飛行形態では急旋回出来ないことは、レーカが一番判っているでしょう!? 私の反応が少しでも遅れたらひっくり返っていたわよ!」
「す、すまん」
ソフィーに強い口調で叱責され、思わず謝罪の言葉を紡ぐ零夏。
直後、白鋼が先程まで飛んでいた空間を炎が埋め尽くす。
「……えっ?」
ワイバーンが放ったブレス。それは、明らかに白鋼を狙っていた。
「な、なんで?」
「この速度で吹き飛ばない……半固形に近い燃料なのか?」
ナパームなんて飛行機に着火すれば消しようがない。触れればアウトだと零夏は直感した。
「次、来るぞ!」
ソフィーに制御を戻し、零夏は祈る。
所詮零夏はナビゲーター。操縦補佐と機体トラブルへの対応しか出来ない。
緩慢に旋回する白鋼。この機体が高速飛行時に急旋回出来ないのは、強度的な問題であるのと同時に動翼の半減という理由もある。
高速飛行形態ではカナードと垂直尾翼しか動かせない。……もっとも、これらだけで通常の航空機と変わらない機動性は確保されているのだが。
だが高速であるが故に、Gは見た目以上に大きい。
「ガイル、助けてくれ!」
『解ってる! こっちだ、変態ドラゴン!』
白鋼の前方に躍り出る荒鷹。20ミリガトリングを外している荒鷹にはワイバーンを倒すことは叶わないが、銀翼たるガイルの技量であれば話は別だ。
巧みな操縦にてワイバーンの頭部を覆い、視線に割り込むことで注意を逸らす。
目障りな荒鷹をロリゴンは振り払おうとするも、ガイルは紙一重で回避して時間を稼ぐ。
『今のうちに逃げろ!』
「……うんっ」
父を置いていくのかとソフィーは僅かに迷うも、自分に出来ることはなにもないと割り切り離脱を試みる。
しかし、トラブルは荒鷹に発生した。
僅かな荒鷹のブレにガイルは気付き、零夏に叫ぶ。
『主翼を解析してくれ! どうなっている!』
言われるがままに零夏は解析魔法を発動し、そして唖然とした。
「右主翼のフレームが、折れかかっている」
『チッ、超音速でのシザーズなんてやるもんじゃないな!』
シザーズとは平行飛行での後ろの取り合いのことだ。もっとも、ガイルは後ろではなく前を取ろうとしていたので全くシザーズではない。
主翼を庇っていることで上手くロリゴンを誘導出来ないガイル。それどころか白鋼を追従するロリゴン、それを追う荒鷹、という構図となってしまった。
『偽装改造のせいじゃないだろうな!』
オリジナル荒鷹の印象を消す為に細部を変更したことが問題ではないか、と難癖を付けるガイル。
「人聞きの悪いこというな! 主翼は翼端の形しかいじっていない、フレームはオリジナルと変わらん!」
『なら試作機の初期不良って奴か! ギイハルトに要連絡だな!』
なるほど、と零夏は思わず納得した。軍の制作した機体だからと安心していたが、荒鷹とてまだ未完成の機体だったのだ。
ところでギイハルトって誰だっけ、と零夏が失礼なことを考えると同時に鈍い音と共に翼がへし折れる。クリスタル動力であるセルファークの戦闘機は翼から燃料が零れ落ちることはないが、超音速で機体のバランスが崩れるのはあまりに致命的だった。
横スピンに陥る荒鷹。想定外の真横から風圧を受けた垂直尾翼が曲がり、複雑な回転をおこし急減速する。
「お父さん!」
どんなパイロットであっても立て直すことは不可能な状況。
『こんのぉ!』
だがそれでも復帰するのが、銀翼の天使である。
ロールしつつ姿勢を脳裏に描き、現状生存している動翼のみで機体を安定させる。
エンジンの片方を緊急停止させることでカウンターを当て、横倒しの状態でようやく安定。
ナイフエッジに近い体勢に落ち着きつつも、速度は音速を下回り一機と一匹に置いて行かれてしまった。
『くそっ! ソフィー、俺は離脱する! 白鋼は加速して逃げろ、後退翼で旋回性能勝負しても分が悪過ぎる!』
「わ、わかった!」
ソフィーは躊躇いなくスロットルを踏み込んだ。
エンジンステータスが『Ramjet』から『Hybridーafterburner』へと変化。
主翼のエルロン部分と垂直尾翼の付け根の三カ所からアームが展開される。
水素ロケットによる短時間加速が可能な白鋼にとって、アフターバーナーは加速手段の一つでしかない。
試験においては低燃費スーパークルーズを行う為にアフターバーナーは未使用であったが、高速飛行形態は本来アフターバーナーありきの形態なのだ。
三本のアームの内側に錬金魔法が展開される。
ラムジェットエンジンと水素ロケットエンジンの重ね合わせ。更に排気後のガスを再燃焼し、白鋼は炎柱を吹き上げる。
劇的な、殺人的なまでの加速であった。
高い対G耐性を持つ二人にしても、苦悶を漏らすほどの重圧。常人であれば失神あるいは内臓破裂は免れないほどのものだった。
「が、はっ……」
「くぅぅ……」
Gによって眼球の血液が頭の後方へと圧迫される。
毛細血管の血流が滞り、視界が暗くなる。
(ブラックアウト……!? 正面方向への加速で、かよ!?)
飛行機が急旋回を行った際、パイロットは下半身へと血液が集中し頭部の血が不足、その結果視界が暗くなったり意識を喪失したりすることがある。
それこそブラックアウト。戦闘機の機動性能に制限を与えた、人体の限界である。
現状これを解決する方法はない。体を鍛え抜くか、対Gスーツを着るか、無人機化するか、その程度だ。
余談だが、逆に上半身に血が流れ視界が赤くなることをレッドアウトと呼ぶ。
本来はループ機動で発生する現象が、正面への加速で再現される。
それだけでも白鋼の狂気の域に達した加速のほどは明らかだった。
狂ったように速度計が回る。
メーターがマッハ2,5に到達し、零夏はソフィーに叫んだ。
「スロットルを戻せ! 計算上の理論限界に達している!」
慎重に行うはずだった全力飛行。それをぶっつけ本番で行うことになり、零夏は心臓を鷲掴みにされる思いだった。
冷や汗が滝のように流れる。次の瞬間、白鋼は空中分解し俺達はマッハ2オーバーなどという人類に許されざる速度で宙に放り出されるのではないか。
(くそっ、ソフィーが白鋼を信じているんだ、制作者の俺が信じないでどうする!?)
思考の間にマッハ2,6に。しかしエンジンにはまだまだ余力がある。
白鋼は高速飛行と低速飛行の両立を目指し可変翼機として設計された。
しかしそれではどうしようもない部分もある。キャノピー……コックピットのガラスだ。
競技機として視界の良さを第一に設計されたキャノピーは、空気抵抗としては形状的に優れているとは言い難い。
正面からの風圧をどこよりも受ける場所なのだ。
無論強度面は可能な限り強化されているが、それでも圧縮され高温となった大気は機体にとって大きな驚異。
低速時とは全く異なる空気の一面を見せる。それが航空力学なのである。
「ソフィー、速度を落とせ! 風防が溶け落ちるぞ!」
マッハ2,8。零夏が定めた最高速度を既に二五〇キロ近くオーバーしている。
「でもっ、後ろから!」
ミラー越しにロリゴンを確認し、零夏は唖然とした。
「なんで2,9に翼で到達出来るんだよ!?」
このままではマッハ3を突破してしまう。なんとか、あいつを振り切らなければならない。
焦る思考に苛立ちつつ、零夏は一つの策を発案した。
「ソフィー、上だ! 垂直上昇であればエンジンパワーを生かせるし、羽ばたき飛行している奴は垂直上昇なんで出来ない……気がする!」
いまいち自信がない物言いなのは、現に羽ばたき飛行で超音速飛行を行っているからである。
「ちょっと無理するわよ!」
ソフィーの言うところの「ちょっと」は、実のところ「ちょっと」ではない。
機体の限界を振り切り、破損寸前まで酷使するのが彼女にとっての「ちょっと」。
整備担当の零夏からすればたまったものではないが、彼とて人型機を限界以上まで酷使するので同類である。
前進翼となり大仰角に機首を上げる白鋼。
「この速度で前進翼!?」
「後退翼じゃ曲がらないわ!」
前進翼となったことで、アフターバーナーが使用不能となり『Hybrid』に。
後退翼では当然、翼の揚力の重心は機体の後方へと移動する。
この状態で機首を上げたところで、翼の持ち上がろうとする力によって機体は水平飛行へと戻るのだ。
しかし前進翼の状態であれば主翼の揚力と機体の重心がほぼ同じポイントに―――それどころか、高速である故に重心が後方へと移動し、静安定性の値が大きくマイナスに達してしまっている。
素早く回頭するには正しい判断だが、あまりに揚力が強くそのまま後方へ一回転してしまいかねない危険な行為である。
カナード翼がほぼ意味をなさない体勢なのでベクタードノズルによって辛うじてひっくり返るのを耐え堪える。
「レーカ、やっぱり動くノズルは必要だわ」
「そーかい、理解してもらえて何よりだ!」
彼視点からして頭上に迫るロリゴンを睨みつつ、零夏はヤケクソ気味に叫んだ。
機体下面に大気を受け止め、速度を高度に変換しつつ方向を変える。
垂直上昇に移行する白鋼。
速度は徐々に低下していき、マッハ2,5に。
「後退翼に戻して、前進翼ではアフターバーナーが起動しない!」
速度低下に焦る零夏。しかしソフィーは眼前を睨んだまま返答。
「加速しない方がいいと思うわ」
「なんでで御座いますか!?」
既に敬語となっている零夏。ヘタレた。
「まだ追ってきているわよね」
「げ、マジかよ、しつこい……ってソフィーソフィー! 前ぇえ!」
セルファークの空には高度三〇〇〇メートルに重力境界なる空域が存在する。
高度一〇〇〇メートルで飛行していた白鋼がマッハ2,5から減速しつつ垂直上昇を行った場合、二キロ先の重力境界に突入するまでの時間は―――
(―――約1,5秒!? 二〇〇〇メートル駆け上るのに、瞬き一つかよ!)
これこそが超音速の世界。
一瞬の判断が生死を分ける、常人には至れぬ領域。
空にちらつく星という名の岩石群。ソフィーが旋回性能の低下する後退翼を避けた理由である。
無重力空域に浮遊する岩々が迫るも、ソフィーはスロットルを緩めない。
ただ、じっと近付く障害物を見据える。
ノーブレーキでの重力境界突入。
ソフィーは人間離れした視力と反射神経で全ての岩石を回避する。
前進翼を機敏に動かし、軽量な機体を存分に振り回す超機動。
軌跡は既に鋭角な未確認飛行物体の様を呈している。刹那の間に数え切れぬほど入力される操縦桿を、白鋼はひたすらに実行しきった。
非現実的ですらある、風防の外に広がる岩々の奔流。
それを眺め、零夏はとりあえずもう気にしないことにした。常人が理解出来る世界ではない。
全ての障害物が後方へ流れ、白鋼は明るい空へ突き抜ける。
「ここは―――」
どこか色の違う大気。
異世界において尚、異なる世界。
「月側の空?」
重力境界を突破した白鋼は、遂には反対側に広がるもう一つの空へ到達した。
空の青さを作り出す、蒼く霞んだ地平線。否、月平線。
ここでようやく水素燃料が空に。エンジンステータスが『Ramjet』に戻る。
これからチャージの終了するまでハイブリッドエンジンは使用出来ない。とはいえ、ここまでくればロリゴンも諦めただろうと後ろを振り返り、離れた場所で尚こちらを追いかけてくる彼に気付いた。
「ソフィー、まだアイツ諦めていない!」
「もうっ、どこに逃げろっていうのよ」
月面に急降下する白鋼。エンジン出力は減少したが、重力が逆転しているので加速。
つまり、月に落ちていっている。
一気に落下する白鋼。零夏は悲鳴をあげる余裕もなく目を瞑りそうになり、男の意地を総動員して片目だけ開いておく。
「今っ!」
ベクタードノズルを逆噴射。動翼を全て垂直に捻り、強力なエアブレーキに。
ベルトに体を締め付けられる。ちなみに白鋼に対Gスーツなどない。
急減速した白鋼は月面墜落寸前で機首を引き起こし、蛇のように大地を這う巨大な『蔦』をくぐり抜け回避しつつ着陸した。
咄嗟に零夏がギアを降ろすも、強度不足の支柱は簡単に折れる。彼にとっては予想済み、機体そのものにダメージを受けるよりはマシと判断した結果である。
制御不能に陥りつつも機体は運良く蔦の下に潜り込み、ロリゴンから隠れることに成功。
数秒後に月面へ降り立ったロリゴンは、怒りに染まった目で周囲を見渡すも憎い炎を吐き出す筒を発見出来ず、やがて翼を広げ空へと飛び立った。
諦めたわけではない。周囲を旋回し、上空から探しているのだ。
ホームから遠く離れた地で、唯一の帰還手段である白鋼の中破。
比較的絶望的な状況で、零夏とソフィーは墜落のショックから目を醒ました。
「……生きているか、ソフィー?」
「うん、ちょっと感動した」
喜びのあまりコックピット内で抱き合う俺とソフィー。九死に一生だ。
「なんたってあの馬鹿ドラゴンは襲ってきたんだ」
「判らない。けれど白鋼に私達が乗っていることは気付いていないと思うわ」
だろうな。求愛行動した相手を殺しにかかるとか、意味が判らない。
いや、可愛さ余って憎さ百倍、なんて言葉もあるけれど。
「これからどうする? 外に出られるのか、月面って。宇宙服とか必要?」
「ウチュウフク?」
周囲は蔦だらけ、というか白鋼が不時着したのも蔦の上だ。
なんだこれ? 大小様々な青い蔦が血管のように周囲を満たしている。蔦同士の間には結構な隙間があるのだが、ぼんやり歩いていたら頭をぶつけそう、という程度の密度。
細いものは数センチ程度。太いものは直径数十メートルはありそう。
俺達が乗っている蔦も大層太く、足下だけ見れば平地と変わらない。
月面ってなんつーか、こう、岩だらけでモノリスや人面岩があったりするものじゃないのか。
「レーカの魔法で解らないの?」
「あ、そうだな」
大気を解析。人間の呼吸には問題なさそう。
キャノピーを上げ蔦に飛び降りる。
「この一歩は小さな一歩だが、俺達にとっては大きな一歩である」
「なぁに、それ?」
続いて降りたソフィーが首を傾げる。
「新年の挨拶だ」
「数日前にもう済ませなかったかしら」
外部から目視と解析を駆使し白鋼を調べる。
「うへぇ、酷いぞこれは」
ミスリルフレームこそ驚異の強度を発揮し曲がってすらいないが、外装や無機収縮帯がボロボロだ。
「直る?」
「外装はなんとか鋳造魔法で整えて、無機収縮帯は治癒魔法で修復すればある程度は。けど欠落した部分もあるし、飛ぶのはちょっと苦しいかも」
中破といったところか。工具なんて積み込んでいないし、非常時用に用意したサバイバルキットの食料もあまりない。
「お父さんが迎えに来ないかな?」
「荒鷹のダメージは大きかったしな。アナスタシア様といえど簡単に直せるレベルじゃなかった」
だいたい一週間といったところか。到底食料が保たない。
「紅翼があるわ」
「あのノーマルのネ20エンジンではここまで来れないと思うぞ……」
結論。迎えは来ない。
そもそもガイルは俺達が月面まで来てしまったことを把握していないだろう。
なんとか自力で地上まで戻らなければ。
「そうだ、脱出用にアレを積み込んでおいたんだった!」
コックピットを漁ると目的の物はすぐに見つかった。
「じゃん! 飛宙艇!」
取り出したるはサーフボードのような板。ガイルと話し合って積み込むこととなった白鋼の脱出装置だ。
結構ずしっと重いのだが、サイズは飛宙艇としては小さめの1メートル程度。あまり大きいとコックピット周りに積み込めない。
「これでゼェーレストまで戻ろう。白鋼はあとで回収だ」
「ほっといていいの?」
誰も盗まないだろ……たぶん。
タコ型宇宙人がいたらどうしようと、周囲を一望する。出たらたこ焼きにしたるでワレ~。
セイルを開き、ソフィーに差し出す。
「どうやって二人乗るの?」
「考えてなかった」
上に乗れるのは一人。当然、風を読むのに長けたソフィーだろう。
となると選択肢など一つしかない。
「俺はボードの下にぶら下がるよ」
身体強化しとけば落っこちることはないだろ。
ソフィーはバッとワンピースのスカートを押さえ(なんつー恰好で飛行機操縦しているんだ)、顔を赤らめつつ俺を半目で睨んだ。
「……飛んでいる間、絶対に上を向かないって約束出来る?」
「…………。」
「なんで黙るのよ」
「嘘は吐かない主義でね」
ビンタされた。
一悶着の後に実践してみたのだが……
「浮かない」
「あれー、壊れているのか?」
飛宙艇なんて単純な道具、まさにメンテナンスいらずというほど壊れにくいものだけど。
「いや、やっぱり壊れていない。ちゃんと術式に魔力は供給されている」
どういうことだ。浮遊装置なんてただよく判らん魔導術式を刻んだ鉄板の束だ、壊れようがない。
「よく判らないで使っているの?」
「うーん、魔法は専門外でなぁ。飛宙船はあんまり興味ないし」
条件如何によっては使えないのだろうか、浮遊装置って。
今までの状況と現在の状況、明確に異なる箇所といえば……
「月では使えない?」
そんなルールあったのだろうか。そもそも月に行ってきました、なんていう奴自体見かけないのだ。
「白鋼は動作に不調はなかったよな?」
「ええ。こっちの空に来ても、いい子だったわ」
無機収縮帯もエンジンも正常稼働した。
となると、やっぱり原因は浮遊装置の術式か?
だいたいが浮遊装置ってのが意味不明なんだよ。なんで浮かぶんだ。
「白鋼を修理するしかないのか」
「部品がないのでしょう?」
最悪、不完全な応急措置になるかもしれない。主翼を固定してカナードだけでも制御は出来るのだから。
「自由天士が破棄した人型機でもあればな。月にはまったく誰も来ない、ってわけじゃなかろうし」
言いつつも望み薄だと溜め息を吐く。地上でも破棄された機体などそう見かけはしない。
「レーカ」
「ん?」
袖を引っ張るソフィー。その人差し指が示す方向に目を凝らし、思わず吹き出した。
「ス、人型機!?」
辛うじて肉眼でも見える距離に、人型の物体が朽ちていた。
遠くてサイズは判らないが、まあ生身の人間ではなかろう。
「なんだってまた、こんな場所に」
「一つじゃないわ」
ソフィーが様々な場所を指差す。何体あるんだ。
俺の視力では見えないが、ソフィーが見えるというなら見えるのだろう。神様チートボディーの視力など彼女は素で凌駕している。
「一番近いのは?」
「あっち」
魔法で白鋼のフレームから剣を鋳造。
「ちゃちゃらちゃーちゃちゃー! ミスリルプレードを手に入れた!」
得物なしじゃ危ないからな。台詞の前半はファンファーレである。
「これで魔王も必殺だぜ」
「レーカ」
ソフィーがおずおずと手を伸ばしてきた。
彼女の手を取り、俺達は蔦の上を歩く。
幸い、道中に魔物は現れなかった。
「って人型機じゃないぞこれ!?」
騙された。人型に接近し、体長一〇メートルほど―――人型機と同じサイズと判ったので、本当に目と鼻の先に立つまで勘違いした。
人型機のような機械ではなく、のっぺりした表皮の魔物の死体。キモイ。
「ゴーレム系の魔物か?」
以前戦ったシールドナイトと同じ種類だろうか?
とりあえず解析し、その奇妙な構造に眉を顰める。
「なんで無機収縮帯で体が構成されているんだ」
脳はあるのだが、それ以外の部分が人型機の部品なのだ。
筋肉は無機収縮帯。心臓はクリスタル。骨組みも蛇剣姫のような初期型の人型機に近い。
まさしく、人型機のパーツで作った人間だ。
「野生化した人型機……とか」
ねーよ。
「……怖い」
震えて俺の陰に隠れるソフィー。
「とりあえず、こいつを分解するか」
脳は確かに機能停止している。罪悪感を感じる必要はない。
魔刃の魔法を発動し野生の人型機を解体。無機収縮帯と外装を拝借し、白鋼へと戻る。
「…………。」
視線を感じ、踵を返す。
体を奪われ無惨な残骸となった人型機が、俺を睨んでいた。
「……そんな目で見るな」
なんとなく居心地が悪くなり、そう呟く。
「白鋼が直して、そのまま村に戻るの?」
「ん、ああ、そうだな。問題は上空待機しているロリゴンか」
完全修復したとしても、意外なトップスピードを秘めていたロリゴンからは逃げきれない。
なんとかして、正気に戻さなければ。
「私には襲ってこないと思う」
……俺を月面に置いていく気か?
「いい考えがあるの」
前進翼しかり、彼女の「いい考え」は突拍子もないことが多い。
御多分に漏れず、此度もかなりアレなアイディアであった。
白い翼が再び空へと飛び立つ。
白鳥のように羽ばたき優雅に舞い上がった白鋼をロリゴンは確認。大きく咆哮を発する。
水平飛行に移行する白鋼。追うロリゴン。
白鋼のキャノピーが開き、小さな影が飛び出した。
ロープを握ったソフィーである。
彼女は浮遊装置を取り出して軽くなった飛宙艇に乗り、凧のようにふわりと浮かぶ。
波乗りならぬ、風乗り。所謂ウェイクボードだ。
「見えたっ」
後部座席で白鋼の操縦桿を握る零夏がなにかを叫んだが、幸いソフィーには聞こえなかった。
本来零夏には白鋼を操れない。しかし、テスト飛行の際に主翼を軽く後方へ後退させると安定性が増すことを発見し、第三の飛行形態として組み込んだのだ。
巡航飛行形態。零夏が唯一白鋼を操れる状態である。
ロリゴンは白鋼の後方で風乗りを行うのが意中の女性と気付き、困惑する。
なぜ憎き炎の筒から彼女が出てくるのだ。三〇〇〇年生きていて案外馬鹿な彼には、航空機という概念が理解出来ない。
ただ一つ判ることがある。今、彼女は怒っている。
ロリゴンを睨むソフィー。どうしていいか判らず、気色の悪い中途半端な鳴き声を出すロリゴン。
ソフィーはロリゴンを指差し、ただ一言叫んだ。
「メッ!」
決着である。
「酷いオチだ」
後部座席で、零夏がぽつりとひとりごちた。
驚いたことにガイルは一旦村へ戻り、紅翼に荒鷹(笑)のエンジンを載せ替えて重力境界を突破してきた。
ロリゴンにロープで牽引され、グライダーのように飛ぶ白鋼。散々壊されエンジンにも無理をさせたので懲罰兼レッカーとして引かせていたのだが、そこに現れた紅翼……ガイルには獲物を巣に持ち帰る変態の図に見えたらしい。
突如ガイルの攻撃で始まる空中戦。紅翼にはしっかり機銃が搭載されており、攻撃手段はばっちりだ。
しかし白鋼を追い詰めたロリゴンと、荒鷹のエンジンを搭載したとはいえ低速機の紅翼では勝負にならない。
そう考えていた時期が、俺にもありました。
銀翼の天使ってのが伊達じゃないって、よく解った。
乗り慣れた紅翼だからか、ガイルの一方的な攻勢の連続。
一応止めたのだが、「ここで引き下がれば親として立つ瀬がないんじゃー!」だそうだ。
フルボッコになり涙目でこちらに助けを求めるロリゴンを無視し、俺達は頷き合った。
「付き合ってられん」
「先に帰りましょう」
大きくバンクし夕日に飛び込んでいく白鋼。
遠目で見ると、浜辺で男同士が殴り合っている青春の図、にも見えなくもなかった。
見えなくなくなくもないような気もしなくもなくなかった。
「それって結局どっちなの?」
「さあ?」
帰宅し、色々と片付けを終えた後にアナスタシア様を訪ねてリビングにやってきた。
「てめ、よくも置いてったな」
ガイルに脇腹をチョップされる。子供みたいな拗ね方するな。
とりあえずソフィーの後ろに隠れる。逃げたのは彼女も同罪だ。
「ほらチョップしろよチョップ。けっけっけ」
「うぐぐ……」
ソフィーはアナスタシア様の後ろに隠れた。
「お母さん、お父さんが変」
「うぐぐぐ……」
アナスタシア様、ソフィー、俺と一列に並ぶこの状況。
「なんだそれ」
「俺に訊くな」
この不可思議な現状において、ただ一つだけ確かなことがある。
「ガイルが悪い」
「お父さんが悪い」
「まあ、あなたが悪いわね」
多数決って残酷だ。
「……これで勝ったと思うなよ!」
捨て台詞を吐き、ガイルはリビングを飛び出していった。
多数決。より多くの者の意見を尊重するこの方法論は、だがしかし少数意見をねじ伏せる悲しい理論。
民主主義の闇を垣間見た気がするぜ。
「それでレーカ君、なにか聞きたいことがあって訪ねてきたのよね?」
「あ、はい、ってあれ?」
質問がある、なんて一言も言っていないのだけれど。
「月を見たのよね。あれを見て、疑問を抱かない方がおかしいわ」
どうやら、俺の疑問に対する答えを彼女は持っているらしい。
「お訊ねしたいのは、浮遊装置の術式とあの人型機らしき残骸に関してです」
「浮遊装置は大したことではないわね。浮遊装置というのは、セルファークの重力を無効化する魔導術式なのよ」
だと思った。
つまりこうだ。この世界では地上と月面、双方から物体は引っ張られている。
一般に勘違いされがちだが、現実における無重力とは大きな重力(この場合の大きな重力とは、天体などが発生させるマクロの重力である)が働いていない状態ではない。正しくは様々な方向から引っ張られていることで宙吊りになる状態だ。
解りにくい? 紐の端と端を両手で持って、横に広げるとピンと張って宙に浮くだろ。そんな感じ。
つまり、より近い地上の重力が勝るってだけで、地上側の世界でも月の重力はちゃんと働いている。だから地上の重力を無効化すれば月の重力で浮かび上がるというわけだ。
月面では元々地上の重力の方が弱く、それを打ち消したところで体感的には浮遊装置の重量が増すだけである。
「地上ではなく月の重力を打ち消す浮遊装置があれば、あっちでも飛べるってことですね」
「ええ、理屈の上ではそうね。けれど月用の浮遊装置は存在しないのよ」
なぜ? 需要は少ないだろうが、皆無ってことはなかろうに。
「月の重力は打ち消せないの。そんな魔法や術式は存在しない。だから、どうやっても飛宙船は月の空を飛べないわ」
魔法のことは解らないが、そういうことらしい。
「浮遊装置のお話はこれで終わり。それより、レーカ君とソフィーが見た『月面人』について教えておくわ」
月面人。古くさいSFに出てきそうなネーミングだ。
「月面人は文字通り、月面に住まう人よ。巨大で人間に似た体を持ち、生きている個体はひたすらさまよい続ける。詳しい生態は判っていなくて、意志があるとかコミュニティーを築いているだとか、色々と言われているかしら」
「曖昧ですね」
「月まで出向いて調査するのも大変だもの。月面の蔦を見たでしょう?」
月を満たす青い蔦。人型機ならばともかく、飛行機で探索するのは困難そうだ。
「月面に人型機を持っていく手段がないわけでもないのだけどね。あの蔦の層は意外と深くて、かなり奥まで入らないと底にたどり着かないのよ。そんな環境の調査は到底捗らないわ」
人型機を月面に運ぶ方法?
「巨塔という月まで伸びた塔があるのだけれど、内部には巨大なエレベーターがあるの」
まんま軌道エレベーターだった!?
「無機質であるが故に、彼らは成長も老化もしない。子供も作らず、なにより機能停止したところで肉体は朽ち果てない。その肉体は永遠に残り続けるわ」
あれらの死骸は一度にまとめて出来たのではなく、致命的なダメージを受けた個体が間欠的に発生して増えていったのか。
「でも月面人って、魔物とは違うんですか?」
「ええ、無機収縮帯を使用した魔物なんていないもの。あれは別の区分よ」
結局、話を聞いても理解不能だったな。
「二人とも、あれを他人に話しちゃダメよ」
俺達の高さに合わせてしゃがみ、真剣な瞳でそうアナスタシア様は訴えた。
「あの存在は政府によって秘匿されているの。そもそも、月面に無許可で降り立つこと自体が法に反するのよ。乱獲されたら大変だから」
俺達犯罪者? いやでも緊急事態だったし。
でも、乱獲って?
「無機収縮帯がなぜ、わざわざ無機と断っているか解る?」
「そりゃあ………なんでだろ?」
別に「無機」と付けなくったって、名称としては「収縮帯」でもいいはずだ。
「有機収縮帯があるからよ。まあ、つまり人体のことなんだけれどね」
「ロボットの部品と人体は別物でしょう?」
製造された無機収縮帯と自然由来の筋肉では、いくら性質が似ていようと同列には扱えない。
「扱えるの、学術的に同等のものとして。そもそも工学的に生産されたものに治癒能力があるなんて変じゃない」
そういえば、俺は無機収縮帯がどこから運ばれてくるかを知らない。
どこかの工場で生産しているのか? ツヴェーにて大型級飛宙船から運び出されるコンテナ、その送り元はどこだった?
アナスタシア様曰く、無機収縮帯は工学的に生産された物ではないらしい。
……まさか。
「そう。この世界に出回っている無機収縮帯は、全て国家が巨塔を登って月まで赴き、月面人を狩って採取しているのよ」
「うわぁ……」
イメージ変わった。無機収縮帯今まで通り扱えるだろうか。
「そもそも人型機自体、月面人を模倣したものといわれているわ」
なるほど、だからオーパーツじみた完成度なのだな。
最初から人の手でロボットを制作しました、よりはずっと信憑性がある。
「さ、お話はこれでお終い! お腹が空いちゃったわ」
手をパンと叩きアナスタシア様は立ち上がる。
「今日は二人が初めて音速突破した記念日だから、キャサリンがご馳走を用意しているわよ」
そんな記念日があるのか。
さすが航空機の世界と関心し、後日村の子供達に語ってみた。
「あるわけないでしょ」
「あるわけねーだろ」
「ないよ」
民主主義の残酷さが目に染みるぜ。
最初は多少(?)のトラブルに見舞われた試験飛行も、順調に消化されていく。
生データが集まるほどに完成度を増していく白鋼。それと平行しソフィーも機体の特性を深く理解する。
日に日に輝きを増す白亜の翼。それはけっして幻覚などではない。
誰もが信じていた。この翼の勝利を。
そして半年後―――初夏。
ガイルがレンタルしてきた中型級飛宙船に白鋼と屋敷の住人が乗り込み、応援してくれる村人達に見送られて船は大陸横断レースの舞台となる町へ向かった。
名をドリット。ゼェーレスト村も属する、共和国首都だ。
色々なことが始まり、そして終わる夏。
船旅の先に大いなる波乱が待ち受けていることも知らず、俺は呑気にレースのことばかり思い描く。
小さく完結していた世界は終わりを告げ、異邦人は始まりの村を旅立ち遙かな旅路へと赴くこととなる。
様々な国。様々な町。様々な空。
この世界の広さを、俺はまだ知らない。
この世界に来て、およそ一年経っていた。
マリア「解せぬ」
これにて3章、主人公機製作編の終わりです。遂に問題の4章。
4章は序盤のまとめであり、内容も複雑になりそうです。書ききれるか不安だったりします。




