【旅するロボットⅩ】 勇樹:捨てる理由
AIが生活の一部として当たり前になった未来を舞台にした短編です。
便利な道具として始まった関係も、長い時間の中で少しずつ形を変えていくのかもしれません。
静かな物語ですが、お付き合いいただければ幸いです。
ハチが来た最初の三年間、私はほとんど声をかけなかった。
空調と同じだった。
あって当然で、なければ困るが、話しかけるものではない。
麻衣が選んで、麻衣が名前をつけた。
私には関係のないものだと、どこかで思っていた。
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関係があると気づいたのは、麻衣がいなくなってからだった。
朝、テーブルにトーストが並んでいた。
悠斗は学校に行った。
私は出社した。
夜、帰ると夕食があった。
翌朝また、トーストがあった。
何も変わっていなかった。
それが、こたえた。
麻衣がいなくても、家が回っていた。
ハチがいれば、回るように作られていた。
そのことに気づいた時、私は麻衣の言いたかったことを、少しだけ理解した。
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茨城に行ったのは、四年前のことだ。
桐谷という設計者がいた、と聞いた。
AIは道具であり続けるべきか、という問いを持っていた人間だった。
五年前に亡くなっていた。
帰りの電車の中で、私はその問いをずっと考えた。
答えは出なかった。
今も出ていない。
ただ、その夜、書斎でハチに言った。
「お前はどう思う?」
ハチはしばらく黙ってから、言った。
「私は、道具として来ました。でも、今がそうかどうかは、わかりません」
私は少しの間、ハチを見た。
「それでいい」と言った。
「それで、十分だ」
言いながら、自分でも驚いた。
本当にそう思っていたから。
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ハチが止まった朝、私は会社にいた。
悠斗から電話が来た。声が、少し固かった。
私は電話を切って、上司に一言だけ断って、外に出た。
タクシーの中で、ぼんやりしていた。
何かを考えようとしたが、うまくいかなかった。
代わりに、細かいことばかり思い出した。
冷めたコーヒーを、そのまま飲んだ朝のこと。
ハチが手を伸ばしかけて、私が制したこと。
「このままで」と言ったこと。
なぜそうしたか、今でもうまく説明できない。
ただ、そうしたかった。
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業者が帰ったあと、書斎に入った。
引き出しを開けた。
一番下に、麻衣の字で書かれた紙が入っていた。
「しばらく、ひとりでいます」
折りたたんだまま、しまっていた。
なぜ捨てなかったのか、自分でもわからない。
ただ、捨てられなかった。
引き出しを閉めた。
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ハチは道具だったと思う。
最初の三年間は、確かにそうだった。
でも、十八年というのは長い。
長い時間をかけて、何かが少しずつ変わっていく。
ハチが変わったのか。
私が変わったのか。
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先週、書斎の棚を整理した。
茨城で買った田んぼの絵葉書が出てきた。
ハチに見せたことがある。
「いつか、見に行くといい」と言った。
ハチは「記録します」と言った。
春の田植えの季節に、家族で茨城に行った。
ハチは田んぼの前でしばらく動かなかった。
それから「風がありました」と言った。
私は笑わなかった。
でも、一歩だけ近づいた。
それが精一杯だった。
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絵葉書を、棚に戻した。
捨てなかった。
捨てる理由が、なかった。




