34. 作戦開始
ピューイ、と笛の高い音が森に響き渡った。
数秒の間をおいて、あたしのいる第2拠点を挟んで反対側からヒュルルル、ヒュルルと別の笛の音が2回響く。
誘導作戦の開始の合図だった。
ドキドキする胸を押さえて、あたしは深く深呼吸する。
いざ目の前に怪我人が来たら冷静になるけど、こうして待つ時間はどうしても落ち着かない。
どうか、誰も大きな怪我をしませんように……!
ぎゅっと手を握りしめたと同時、ハザードエリアの奥地から爆発したような音が響いた。
──始まった。
それなりに離れた場所に設置されている拠点からでは、轟音というほどではない。
だけど繰り返し響いてくる攻撃とおぼしき音は、生唾を飲み込みたくなる緊張感に満ちていた。
周りの人たちも、みな固い表情で森の奥を凝視している。
第2拠点にいるのは、あたしの他に治癒師が5人。
それから拠点防衛のための騎士たちが6人。
彼らは怪我人の搬送や、いざとなれば治癒師たちを連れて逃げる役目も持っている。
拠点を囲うように展開して周囲の警戒に当たる騎士の1人にチラリと視線を向けて、すぐに外す。
ここの代表は、金髪の臨時監察官殿だった。
騎士団長は誘導部隊に入り、団長補佐官は大規模魔法の方の指揮に入っている。
だから次に危険なここに彼がいるのもわからなくはない。
ともあれ誰がどこにいようと関係ない。
あたしはただ、ここに下がってきた怪我人を早急に治癒するだけだ。
そのために依頼を受けて来たんだもの。
ふと予感がして、ゆっくり深呼吸してから魔力を整えつつ森の奥を見る。
たぶん、もうすぐ最初の患者が来る。
だけど早い──最初の患者が来るのが早すぎる。
まだ作戦開始から10分も経ってない!
木々の隙間から飛び出したのは、まさかの騎士団長と肩に担がれた騎士だった。
ぱっと見て足からの出血が多いのが見て取れる。
なるほど、機動力の低下は誘導作戦において致命的だ。
「──この阿呆の出血だけ抑えてほしい! ミゲル、すまんがこいつを後方へ運んでくれ!」
「了解です」
「ま、待ってください、団長! 俺も戻ります!」
乱暴に部下を地面に落とした騎士団長は、怒り心頭といわんばかりに怒鳴りながら指示を出している。
ぱっと飛び出してきた騎士団の治癒師と中年の神官が、2人がかりで足を負傷した騎士の確認を始めた。
おそらく20代半ばほどの若い騎士は必死で団長に頼んでいるが、団長の冷たい目は取り付く島もなさそうだ。
「ミーティングで散々危険性を説いたはずだ。前回の負傷者の様子も見たはずだ。その上で腕試しとばかりに安易に近づく阿呆のお守りをする余裕はない」
「それは……!」
「そもそもその足、完全に折れているだろう。セロ、治すのにどれだけ時間がかかる」
「──最低でも30分はかかるかと」
「ここで完治させるだけ時間と魔力のムダだ!」
実際のところ、それは事実だろう。
この後にどれほどのペースでどれだけの怪我人が来るかもわからないのに、30分以上治癒師を拘束されるのは厳しい。
そもそも第2拠点の治癒師は少ない。
安全地帯の後方に回りたがる人が多かったせいで、こっちはギリギリ最低限という状態だ。
復帰できるかもわからない人を預かる余裕はなかった。
後方で完全に回復して、まだ作戦に間に合うようなら戻ってくればいい。
その可能性は低い気がするけど、それはそれ。
話を聞くに、残念だけど自業自得だ。
ミゲルと呼ばれた第2拠点待機の騎士が、出血が収まった騎士を抱え上げて矢のように駆け出した。
彼は後方に騎士を下ろしたらすぐに戻ってくるらしい。
はあ、と苦々しく嘆息してから、団長は顔を上げた。
たとえ1人でも人数が減ればその分、残った者たちの危険度が上がる。
けれど彼の顔にはただ覚悟があるだけで、悲嘆はない。
「治癒師の皆には苦労をかけるが、この後もよろしく頼む」
一言だけ残して、素早く森の奥へと駆け出していった。
向かう先は相変わらず戦闘音が響いていて、そこに向かう足取りには躊躇がない。
あの音のするところに、宵鴉のみんながいる。
さっきの騎士が自業自得な行動を取ったのだとしても、簡単に大怪我を負わされる相手なんだと実感させられた。
ほんの少しの判断ミスが命取りになりかねなかった。
漆黒の悪魔と対峙したときも同じだったかもしれない。
だからって、慣れているからって、大丈夫なわけじゃない。
怪我人は、決してゼロにはならない。
「──腕、治療頼む!」
「ここの打撲と、それから水分を……」
「次の交代場所ってどの辺だっけ!」
「ごめんセシルちゃん、膝痛めそうなの」
「はあ、はあ、……しんど」
「ヤバい急げ! 早く戻らないと!」
右手と右足の裂傷、骨は無事、塞いで終わり。
この人は打撲、軽く治療したら大丈夫。
次、指の骨折、添え木をしたら動きにくいか……ちょっと長めに治療して、力を入れられるところまで回復させよう。
代わる代わる駆け込んでくる怪我人に、第2拠点の中はすぐに慌ただしくなった。
いつ誰が来て誰が対応して、いつ去ったのかもわからない。
誘導班は怪我人を抱えて走ってきて、応急治癒だけ済ませたらまた大急ぎで駆け戻っていく。
行動に支障が出ない範囲の怪我の場合は、あえて来ないようにしている、といった会話も漏れ聞こえてきた。
移動先に引き継ぎ相手がいない、という事態を避けるためだ。
それがわかった治癒班も全力だった。
誘導班も治癒班も護衛の騎士たちも忙しく動き回り、ギリギリで回している状態だった。
だけどそんな限界状態は、長く続けることが難しいものだ。
次第に深い怪我を負う人が出て、復帰に時間がかかることで残った個々の負担が増え、それがまた新しい怪我を呼ぶ。
誘導自体は進んでいるものの、それを回す人員は完全に悪循環に陥っていた。
治癒師にも徐々に顔色が悪くなってる人がいる。
国最強格の1人である騎士団長もまた、1度だけ治療に訪れていた。
もちろん宵鴉のメンバーも例外じゃない。
……きっとその場の誰もが、密かに限界を感じていた。
そうして再び、騎士団の人が深手を負い、後方拠点に送られることになった。
ひっそり騎士団の人数の減少を心配していると、あたしが治療していた別の騎士が「あと一巡だから1人なら抜けてもまだ何とかなる」と教えてくれてホッとする。
怪我人が増えて、離脱者も出たけど、もうすぐ終わる。
どうかあと少しだけ何事もなく保ってほしい。
──だけどそれからすぐ、数人が駆け込んできた。
宵鴉とは別のBランク冒険者パーティ、蒼の牙のメンバー。
2人がかりでなんとか連れてきたといった様子で、抱えられていたリーダーの剣士は全身を血で染めてぐったりと気絶していた。
「頼む、こいつを助けてくれ──!」




