「そいつは物騒じゃねえか」
「とはいえ、だ」
口ヒゲの周りについた白い泡を、彼のたくましい腕がぬぐう。
「こいつを完成させるのは、伯父貴でも難しいと殿下は言っていた。要するに、『箱入り娘』はあくまで時間稼ぎのブラフだったってわけだな。連中を抑えるための別の方法を、その間に用意するための」
「それが、何故か完成している・・・ということですか」
「神の奇跡とでもいう他ない」
「本当は、出発前に完成したのではないですか?」
「そんなことはない。俺はこの目で確認した。出発の直前は、間違いなく完成していなかった」
にわかには信じがたい話だ。
しかし、隊長が言うのであれば、本当にそうなのだろう。
神の奇跡、か。
今日、私の身に起こったことを考えれば、それを信じたくもなる。
「奇跡といや、おまえもよく無事だったな。あれだけの魔獣、どうやって倒したんだ?」
・・・は?
「魔獣は隊長が倒されたのでは?」
「なんだと?」
隊長の表情が再び険しくなる。
そのときだ。
「隊長!」
振り返ると、兵士のひとりが遠くから走ってくるのが見えた。
「なんだ?」
「森の中に、怪しい者がおりました!」
「怪しい奴?」
隊長が大剣を握る。私もすばやく槍をつかんだ。
「いえ、それが・・・木に縛りつけられていまして」
「・・・どういうことだ」
私は隊長と目を合わせた。
「こちらです」
兵士について森の中へと入ると、はたしてそこには、大木にロープでぐるぐる巻きにされた男がいた。我々の騎馬隊と同じ鎧を身に着けている。さらに、そこから少し離れた場所には、彼が身に着けてたであろう剣や兜が散乱していた。
「おい、これを見ろ」
隊長が地面から何かを拾い上げた。それは一見するとペンダントのように見えた。中央に宝石があり、そこから首にかける鎖が伸びている。
「・・・魔道具ですか?」
「おそらく、精神操作のための魔道具だろう。似たような魔道具を伯父貴に見せてもらったことがある。でも、知性の高い人間を操れるほどの力はない。だが、知性の低い獣や、魔獣ならば操れるだろう」
「・・・まさか」
隊長はうなずいた。
「間違いねえ。こいつがロックベアーを俺たちにけしかけた張本人だ。ご丁寧に、念入りな準備もしていたようだぞ?」
彼の視線の先には、岩山の脇に開いた洞穴があった。その入口は、岩壁でふさがれていた形跡がある。
「あそこにロックベアーを集めておいたんだな。やれやれ、敵さんもマメなこった」
隊長の言う通りなら、かなり前から輸送計画の情報が漏れていたことになる。おそらく、括りつけられていた男が間諜だったのだろう。
「・・・」
私はぐっと唇を噛んだ。
敵が入り込んでいることに、気付かなかったなんて。
「ま、それは大したことじゃねえ」
隊長は、男が括りつけられている木へと近寄った。
「こいつを、誰が縛り上げたんだ?」
◆
「出発!」
私は、馬上で大声を張り上げる。
馬車隊は再びゆっくりと進み始めた。
魔獣を倒した者も、魔道具を持っていた音を捕らえた者も、結局分からずじまいだった。
「浮かねえ顔してんな」
隊長が馬を寄せてきた。
「私は何もできませんでしたから」
「そんなことはないだろ」
隊長は馬車と周囲の兵士たちを見回した。
「襲撃を受けたが、大した怪我人もなく撃退。首謀者も捕縛、『箱入り娘』も無事。それどころか、うっかり『完成』ときたもんだ」
彼はポンポンと、指輪の入った懐のあたりを叩いた。
「こいつは大手柄だぜ?戻ったら大宴会だな」
「そんな気分になれません」
「かー!ったく、おまえは真面目すぎんだよ。結果良ければすべて良しってな!で、分かんねえことは、分かんねえ。神とやらの仕業にでもしておきゃいいんだ。祭壇に酒でも捧げりゃ、神も満足してくれるだろ」
そう言うと、彼は自分の大剣を頭上に掲げて、勝利の祈りをささげる仕草を大げさにやってみせた。
「おたわむれを」
私はそういいながらも、彼の愉快そうな様子を見て、少しうらやましいと思った。彼くらいに物事を柔軟に考えられたら、違う人生があったのかもしれない。
ふとそのとき、私はあることを思い出した。
「隊長、霧を見ませんでしたか」
「霧?」
「霧の中からやってくる、黒い衣の人物」
「なんだそりゃ?」
隊長は首をかしげる。
「カロンです」
「カロン・・・って、あの、地獄に魂を攫っていくとかいう、あれか?」
「死者の国に魂を誘う、ハデスのしもべです。黒い衣に、黒い槍。わたしは、それを見た・・・気がします」
「・・・そいつは物騒じゃねえか。おまえ、よく生きてたな」
「カロンは濃い霧の中を、私のすぐ近くまでやって来ました。そのとき覚悟はしたのですが・・・何故か、いえ、幸運にも、私は連れて行かれませんでした」
「ふうむ」
私の話を聞いて、隊長はあごひげに手をあてた。彼が考え込むときの仕草だ。
「霧・・・か。俺は見てないな。だがひとつ、俺も思い出したことがある」
彼は呟くように言った。
「神の加護だ」
「神の、加護・・・?」
私は思わず彼を振り返った。
「おまえが行った後、魔獣に吹っ飛ばされたとき、俺はやられたと思った。だが、あれだけの攻撃を喰らったのに、俺はほとんど無傷だった」
「運がよかったということですか?」
「いや、そうじゃない。その時、俺の体の周りに、薄っすらと光る壁のようなものがあったんだ。そいつが、俺を攻撃から守ったに違いない」
「・・・まさか、そんなことが?」
「それからも、しばらく体が光っていた。その間は、奴らから攻撃を食らっても、ふっとばされはするんだが、ダメージはほとんどなかった。あんときゃ必死で、深く考えちゃいなかったがな。ありゃ、神の加護としか言いようがねえ」
「神の加護、ですか」
私は、記憶を辿ろうとした。霧の中から現れる黒い人影。禍々しいその気配。心の底まで凍り付かせる、圧倒的な絶望。
違う。
あれは、加護を与える慈愛に満ちた「神」などではない。
間違いなく、死を司る側のそれだ。
「おまえのところにはハデスの使いが来て、俺は神の加護を受けた・・・ってこたあ、俺のほうが日頃の行いがいいってことだよな?」
彼は楽しそうに嘯く。
「ご冗談を」
「はっはっは!」
隊長の笑い声が、森の中にこだました。
彼のそんな様子を見て、私は肩の力が少し抜けた気がした。




