向かい合い
***
卒業式を終えると、その夜はドレスコードのパーティーとなる。
立食式のそれは、卒業生にとっては最後の学園行事になり、下級生たちとの最後の交流の場でもある。そして、派閥の再確認をする場でもあり、婚約者や恋人を見せびらかし、そして牽制する場でもある。
純粋に楽しく過ごす時間になり得ないのはほとんどが貴族だからだろうか。平民のクラスメイトは「なかなか慣れない」と苦笑する。入学した頃には着せられている感があったドレスアップももうすっかり馴染んだ。
「コンスタンス。今日までありがとう。これからもうちの商会をご贔屓に」
「ええもちろん。新しい手品が出たら教えてちょうだい」
「コンスタンス。同じクラスになれて本当に良かった。勉強についていけたのはあなたのおかげよ。ありがとう」
「それはあなたが努力を怠らなかったからだわ」
「コンスタンス、騎士団に口を利いてくれて感謝する」
「あなたにはずっとお兄様達の相手をさせる事になってしまって……こちらこそ感謝しているわ」
「コンスタンス。あなたがいつも褒めてくれたから、自信を持てるようになったわ」
「あなたは元々が素敵だったの。でも、今のあなたの方が魅力的よ」
なぜかクラスメイトから次々とお礼をされたが、私の方こそ、みんながクラスメイトであったことに感謝しかない。
王子には負けないと意気込んで入学した私に、普通の学生生活をくれたのはみんなだ。なぜだか物理的に止められる事も多かったが、とにかく楽しかった。
もう毎日会えなくなると思うと、寂しい。
「コンスタンス」
うっかり涙をこぼしてしまう前に呼ばれて良かった。後ろを向けたから。
「ジークフリード様」
「一曲踊ろうか、婚約者殿」
気合いで涙を引っ込めたので、睨むように王子を見上げる。
でも王子はちらりとも顔色を変えずに手を差し出してきた。
そこに、手を重ねる。
「喜んで」
途端、湧き上がるクラスメイトに微笑んでから、ダンスの輪に入った。
「……泣いても誰も咎めないだろう?」
二人でお手本のようなステップを踏みながら、クラスメイトたちから離れたところで王子がふと呟いた。
「……まだパーティーは始まったばかりですわ。泣いて化粧が崩れてグダグダの顔なんて、寮で女子だけの時にします」
「あー……」
「私はともかく、他の女子のそんな顔を、その娘の婚約者や恋人以外の男に見せたくありませんわ」
「男前か」
「女の子は、綺麗に着飾って美しい姿をいつまでも覚えていて欲しいのです」
「あー……」
そこから王子は無言になってしまった。特に会話をしたいわけでもない私は、そのままダンスを続けた。
二曲踊ると、王子に連れられてバルコニーに出る。ダンスで温まった体に夜風が気持ちいい。
「バルコニーに出ないか」と誘った王子は、その後無言。
ここに来るまでも、今も、私の方を見ない。
いつもなら、ダンス終了とともに離れる手は、なぜかまだ、繋がれたまま。
エスコートなら腕が正解だ。二人で出なければならない時はいつだってそうしていたのに。手袋をしているとはいえ、ダンス以外でこんなに長く触れていたことがない。
「……決闘ならば逃げませんが?」
「……今日のこの時はさすがに選ばない」
「では日程の調整を?」
「俺達の間には決闘以外に何もないのか……」
「あとは婚約者という肩書きですわね」
「……そうだな」
ここで―――
「っ……」
手を離された。
……これは……とうとう、その時が、来た……?
意識をしないように、毎朝精神統一をしてから、制服に着替えた。
婚約者候補に決まってから、いずれ王子に真の相手が見つかっても平気なように、仲間を探した。
いつか、起こる出来事だと、ずっと言い聞かせてきた。
隣に立てるかもしれない、でも、立てない確率の方が高い。
外れた時に、挫けた姿を見せたくなくて、いつも、噛みついた。
踏ん張れ。淑女の私。
真正面に立つ、ジークフリード様に、憂いなく話してもらえるよう―――踏ん張れ。
「コンスタンス。今宵、君に話がある」
背を伸ばして。踏ん張れ。
「……どのような、お話でしょう」
大丈夫。踏ん張れる。大丈夫。
「君は、」
こんな時にしか、真っ直ぐに見つめてもらえない私だけれど、最後に見せる姿は、最高でありたい。
「誰より美しい」
「コンスタンス?」
……はっ!
「す、すみません、聞き違えてしまいました。美しいなどと……」
「違えていない。君は誰より美しい、と言った」
「え」
ジークフリード様は、まだ私を見つめていた。
その頬がうっすらと赤く見えるのは、庭に設置された明かりのせい。
その瞳に熱を感じるのは、私の鼓動が早いせい。
「初めて会った時から、君は誰より美しいし、可愛い」
か、わ、いい……?
カワ、イ、イ……?
……皮が良い……?
「可愛い、だ。素直に聞けよ……いや、そもそもは俺が悪いんだが……」
混乱。の、極み。頬が熱い。とても熱い。淑女の仮面が被れない。
やり切れなくなり、隠そうと上げた腕は、ジークフリード様に手首を取られた。
ジークフリード様の優しげな目に、至近距離で、囚われた。
力が抜ける。
ずっとずっと鍛えてきた淑女の仮面がないと―――
「好きだ、コンスタンス。初めて会った時から」
「う……」
「う?」
「嘘だああああぁあああ!」
―――涙が出ちゃう。
***
ジークフリード様と出会って10年。
ジークフリード様の前では、うちの侍従長の拳骨にも、騎士団のしごきにも耐えてきたのに、今、大泣きをさらしてしまうとは……不覚でしかない。
でも止められない。
抱きしめられて、王子の服に涙の染みを作っているのがわかっても、ちっとも止まらない。
「嘘じゃない」
これは夢、と立て直そうとしても、何度も耳元で言い含めるように囁かれるから余計に止まらない。
「好きだ」
「うううあうううぅ……」
「嘘じゃない」
もはや人語を発せない私に、何度も繰り返すジークフリード様。
「あの時は、済まなかった……」
あの時……?
「初めて会った時。瑠璃蛙に例えた時な……俺達の関係の発端だが」
忘れるわけがない。初恋の人が天敵になった日。
「女の子は花に例えて褒めるものと習っていたが、たまたま前日に見た瑠璃蛙の夜空のような煌めきが……正直、花より何より綺麗だと思っていた。コンスタンスは瞳に合わせた藍色のドレスだったろう。可憐で美しい本物の夜の妖精だと思った。一瞬で心を奪われた」
ううぅ……
「で、だ。藍色を持つ美しい何かが、あの時の俺には瑠璃蛙しかなかった」
うううぅぅ……
「まさか直後に殴り合いになるとはなぁ……まあ、蛙に例えた俺が悪いんだが」
うううううぅぅ……
「破れたドレスに泣いたろう?女の子を泣かせてしまったと落ち込んだよ」
ううううううううう……
「俺が頭突きでコンスタンスに鼻血を出させたのが母上にはかなり衝撃だったようで、責任を取れと婚約者になった。年齢もだが、兼ね合いをみて候補になったが」
う?
「婚約者候補になったからには次に会ったら謝ると決心したものの、ずっと喧嘩ばかりだった」
ううううう!
「でも、それでも、コンスタンスが俺に向かってくれることが嬉しかった」
うううぅぅ……
「贈ったプレゼントは一つも返されなかったしな」
う、う〜!
「学園で毎日会えれば少しは改善するかと思ったら、俺をそっちのけでお前はクラスの男女構わずに仲良くなるし……」
う……?
「嫉妬でお前のクラスメイトの素性を全員調べた」
うえっ!?
大変見苦しいだろう顔で思わず見上げてしまった。
「ははっ、何もしてないよ。圧力を掛ける前に手品の練習をしてると教えてもらえたからな」
「だ……!」
「お前のクラスの学級長だよ」
内緒って言ったのにー!
「どんな手品かは秘密のままだったよ。あいつできるよな、俺が納得できる必要最低限の情報しか寄越さないんだ」
そう、彼は目立たない容姿だけれど、だからこそ相手に不審を抱かせない。王子とやり合っていたとは……
「お前の様子は何となくわかってはいたが、副学級長がたまに詳しく教えてくれた」
え、彼女まで!?
「コンスタンス自ら婚約者候補を増やそうとしているとかな」
だってそれは……
「俺はコンスタンス以外に婚約者も候補も要らなかったが、お前にとっては迷惑なんだろうとも思った。……けどな」
王子が少しだけ勝ち気に笑う。
「何度も喧嘩してきたが、『嫌い』と言われたことは一度もない」
ああ……
「勝算はそれだけだったが、俺はコンスタンスのそういうところを信用している」
信用……
と、ジークフリード様は体を少しだけ離し、私の両肩に手を置いた。
「だがいい加減!婚約者になろうというのに手を繋ぐこともままならないし!公務以外でデートもできない!俺とも普通に仲良くしてくれ!出会って10年!自分でも情けない事を言っているとは思うが!」
ふっと、ジークフリード様の目に熱が灯る。
「着飾った君も、普段着の君も、これからずっと抱きしめたい」
ジークフリード様の目に、私が映っている。それほど、近い。
胸が高鳴る。
「コンスタンス…………返事は?」
そんなのひとつしかない。でも、言っていいの?
いつか言えたら、でも言えない確率の方が高い、求められることなんてないと思っていた…………いいの?
ジークフリード様が頷く。
ああ、私は、彼の何を見ていたのだろう。
「はい……よろこんで」
途端、ジークフリード様は私を抱えたまま後ろに倒れた。
ええええええ!!
「「「「「やったーー!!」」」」」
うわあ!?なになに!?
動かない体で顔だけ騒ぎの方を向くと、バルコニーとホールの間にクラスメイト達がいた。
え、見てたの……!?
「やられた、ほんとに倒れた……」
「コンスタンスの了承で終わると思ったのに〜!」
「このヘタレ王子!ちゃんと踏ん張れ!」
「いやいや、王子はコンスタンスにベタ惚れだったからねー」
「そうそう。俺ら殺されないように立ち回るの大変だったぜー」
「それよりも!素直なコンスタンスを見た?めっちゃ可愛いでしょ〜!」
「馬鹿、それを公言したら俺ら男子は命の危機だぞ」
「じゃあ女子だけで盛り上がるもんね!コンスタンスー!可愛いい〜!」
「『よろこんで』、素敵だったわ〜!」
「そういや誰だっけ?王子が腰砕けになるに賭けたヤツ?」
「僕でーす」
「さすが学級長!」
「初恋拗らせて10年なんて、ヤキモキしたわ〜、うふふ」
「それが実るんだから執念よね〜、うふふ〜」
「そりゃ誰も邪魔したくないってね!」
うわああぁぁあ……は、恥ずかし〜〜!
「彼らには、正式な文書ではなく、素直な言葉で、コンスタンスに告白しろと言われたんだ……」
倒れたままのジークフリード様は、熱が出たんじゃないかというくらいに真っ赤な顔をして言った。
「これでコンスタンスとの外堀を公式に埋められたのなら良しだ。……キメられなかったがな……」
「……ふっ、ふふっ!」
「はあぁぁ……よろこんでの上目遣い、めちゃくちゃ可愛いかった……」
「…………バ〜カ」
「なんとでも言え。もう俺に怖いものはない」
「うちの侍従長」
「あった!」
***
その後、ジークフリード王子と私は無事に婚約者となり、一年後に結婚した。
その準備万端さに、私だけがジタバタしていたのだと恥ずかしい。
地味にずっと気にしていた、王子を蹴り上げた件については、「ただではやられないという心意気、隙を見逃さない動き、王妃には必要なものよ」と王妃から太鼓判を押されていたらしい。
……淑女、とは……?
公務で出掛ける先にはかつてのクラスメイト達がいたり、ケイトさんは最速で私の侍女に、お姉様は私の護衛騎士になり、ジークフリード様は毎日抱きしめてくださる。
世情は目まぐるしく、毎日忙しいけれど、とても充実している。
「コンスタンス。今日もよろしく」
それでもジークフリード様が手を差し出してくれるから。
「はい。よろこんで」
了
お読みいただき、ありがとうございました(●´ω`●)
みわかず