第1話 廃人ゲーマー、死ぬ
はじめまして!
本作は、ゲームのやり込みに人生を捧げた廃人ゲーマーが、ダンジョンの存在する世界で最強を目指していく物語です。
レベル上げ、スキル育成、レアドロップ、隠しボス、そしてダンジョンの完全攻略。
ゲーム好きの方にワクワクしていただける作品を目指して、じっくり描いていきます!
ぜひ最後までお楽しみください!
午前三時四十七分。
カーテンを閉め切った六畳の部屋に、キーボードを叩く音が響いていた。机の上には空になったエナジードリンクの缶が並び、コンビニ弁当の容器が無造作に積まれている。部屋の主である一ノ瀬湊は、そんな光景を気にすることもなく、三台のモニターを睨みつけていた。
「……違う。やっぱり討伐時間じゃない」
中央のモニターには、巨大な黒竜が倒れる映像が流れていた。画面上部には『討伐成功』の文字が輝き、その下には獲得経験値と報酬の一覧が表示されている。普通のプレイヤーなら歓声を上げる場面だが、湊は不満そうに眉を寄せた。
彼が挑戦していたのは、発売から五年が経過したオンライン対応のアクションRPG『エルダーズ・クロニクル』。数千種類の装備と膨大なクエスト、複雑に絡み合う隠し要素を売りにした作品である。
その中でも《終焉の黒竜》は、最高難度に位置する裏ボスだった。推奨人数は八人。討伐に成功したパーティーは数えるほどしかなく、ソロ討伐に至っては、湊が公開している攻略記録以外に確認されていない。
しかし、彼が気にしているのは、そんな実績ではなかった。
「二分三十一秒、全部位破壊、被弾ゼロ。特殊行動も全部見たはずなのに、報酬が通常と同じ……。何か見落としてるな」
右側のモニターに表示された表計算ソフトには、黒竜との戦闘記録が細かくまとめられていた。使用武器、討伐時間、部位破壊の順番、敵の行動、獲得報酬。その行数は、すでに千を超えている。
湊は椅子の背もたれに体を預け、凝り固まった首を鳴らした。
三十二歳、独身。
現在は必要な生活費を短期の仕事で稼ぎ、残りの時間をゲームに費やしている。かつて会社員だった頃も、帰宅後は睡眠時間を削って攻略に没頭していたが、今では生活そのものがゲームを中心に回っていた。
世間一般では、こういう人間を廃人ゲーマーと呼ぶのだろう。湊自身、その評価を否定するつもりはなかった。
ただ、彼には一つだけ譲れない考えがある。
ゲームは、クリアしてからが本番だ。
ラスボスを倒す。エンディングを見る。そこで満足するプレイヤーが大半だろう。だが、湊にとってそれは、ようやくスタートラインに立ったようなものだった。
全クエストの達成、全アイテムの収集、全モンスターの図鑑登録。隠しイベントの発見に、特殊条件でしか入手できない報酬の検証。レベルや装備を極限まで鍛え、誰も試していない攻略方法を見つける。
そうした要素を一つずつ埋めていく時間が、何よりも好きだった。
「攻略サイトじゃ、こいつの特殊報酬は存在しないって結論になってるんだよな」
湊は別の画面に表示した攻略情報を眺めた。
そこには《終焉の黒竜》の報酬一覧が掲載されている。しかし、ゲーム内部の図鑑には、その一覧と一致しない空欄が残されていた。
単なる表示上の不具合かもしれない。開発者が削除し忘れたデータという可能性もある。それでも、実際に検証していない以上、存在しないと決めつけることはできなかった。
「……あれ?」
過去の戦闘記録を見返していた湊の指が止まる。
黒竜には、体力が一定以下になると使用する《終焉の咆哮》という大技がある。広範囲に即死級の衝撃波を放つ危険な攻撃であり、一般的には発動前に倒し切ることが推奨されていた。
湊も効率を重視し、ほとんどの戦闘で同じ方法を採用している。
だが、もしも。
「咆哮を使わせた後に倒すのが条件だったら?」
湊の口元が、自然と緩んだ。
思いつきにすぎない。そんな条件が存在する保証など、どこにもない。それでも、未検証の可能性を見つけた瞬間、眠気も疲労も意識の外へ追いやられた。
「よし。防御寄りに装備を組み直して、咆哮の発動を待つか。ついでに、部位破壊の順番も変えてみよう」
慣れた手つきで装備画面を開き、攻撃力を落として耐久力を上げる。咆哮の回避位置を確認し、必要な消耗品を補充する。戦闘に入る前の準備だけで、十五分ほどが経過した。
その間、湊は一度も時計を見なかった。
ここ数日、まともに眠っていないことは自覚していた。胸のあたりに妙な重さがあることも、時折感じていた。それでも、あと一回だけ試したいという気持ちが勝ってしまう。
画面に黒竜の姿が現れ、戦闘が始まった。
「さあ、今度こそ見せてくれよ」
湊は笑みを浮かべ、キーボードに指を置いた。
その直後だった。
胸の奥を、鋭い痛みが貫いた。
「……っ!?」
反射的に胸を押さえる。最初は筋肉がつったのかと思ったが、痛みはすぐに強くなり、息を吸おうとしても空気が入ってこなかった。
視界が揺れる。心臓が不規則に暴れ、指先から感覚が失われていく。
「なん、だ……これ……」
椅子から立ち上がろうとした瞬間、膝が折れた。体が床に崩れ落ち、肩を強く打ちつける。だが、その痛みさえ遠く感じられた。
まずい。救急車を呼ばなければ。
スマートフォンは机の上にある。手を伸ばせば届く距離なのに、腕が思うように動かなかった。
呼吸が浅くなる。視界の端から、少しずつ暗闇が広がっていく。
湊は必死に指を伸ばした。しかし、机の脚に触れたところで力が抜け、そのまま床に倒れ込んだ。
「……くそ……」
意識が薄れていく中、モニターから黒竜の咆哮が聞こえた。
まだ試していない条件がある。まだ見つけていないアイテムがある。五年間も遊び続けたゲームなのに、完全攻略には届いていない。
もっと遊びたかった。もっと調べたかった。誰も知らない隠し要素を、自分の手で見つけたかった。
「……まだ、終わって……ない……」
それが、一ノ瀬湊という男の最後の言葉だった。
そして、彼の意識は完全に途切れた。
◇
柔らかい布団の感触があった。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。鼻をくすぐるのは、どこか懐かしい味噌汁の匂いだった。
「……ん?」
湊はゆっくりと目を開けた。
見覚えのない白い天井が広がっている。窓からは朝日が差し込み、薄いカーテンが風に揺れていた。
病院だろうか。
そう考えた直後、自分の体に奇妙な違和感があることに気づいた。
「……声が、高い?」
思わず口にした言葉が、聞き慣れない声で響いた。
湊は慌てて上半身を起こす。
体が軽い。長時間ゲームを続けていた頃の肩こりも、腰の痛みも、すっかり消えている。それどころか、腕も脚も明らかに細くなっていた。
「は……?」
目の前にある自分の手を見つめる。
三十二歳の男の手ではない。指は細く、肌には若々しい張りがあった。
湊は布団を跳ね除け、部屋を見回した。
勉強机、本棚、制服、スポーツバッグ。壁には学校行事の予定表が貼られている。どれも、前世の自分の部屋には存在しなかったものだ。
机の横に姿見があることに気づき、恐る恐る近づいた。
鏡の中には、一人の少年が立っていた。
黒髪に、少し眠そうな目。細身の体つきと、まだ幼さの残る顔立ち。どう見ても十五歳前後の少年だった。
湊が右手を上げると、鏡の中の少年も右手を上げた。
「……俺、なのか?」
信じられなかった。
最後に覚えているのは、ゲーム中に胸を押さえて倒れたことだ。あの苦しさと、急速に薄れていく意識は、今でもはっきり思い出せる。
夢だったとは思えない。
ならば、今の状況は何なのか。
湊は机の上に置かれていた学生手帳を手に取った。
そこには、見慣れた名前が書かれていた。
『一ノ瀬 湊』
同じ名前。だが、生年月日は前世と違っていた。
年齢は十五歳。手帳には、湊の知らない学校名も記されている。
「……同姓同名の別人?」
呟いた瞬間、頭の奥に曖昧な記憶が浮かんだ。
この部屋で勉強していたこと。家族と食卓を囲んだこと。学校へ通っていたこと。どれも自分が経験したように感じるのに、前世の記憶とは明らかに異なっている。
湊は額を押さえた。
過去に戻ったわけではない。そもそも、十五歳の頃の自分は、こんな家に住んでいなかった。
前世の記憶と、今の体に残された記憶。二つは似ている部分がありながら、決して同じ人生ではなかった。
「……転生、ってやつか?」
ゲームや小説では何度も見た展開だ。しかし、実際に自分の身に起こるとは考えたこともない。
湊はもう一度、鏡の中の少年を見つめた。
十五歳。
三十二歳で終わったはずの人生が、もう一度始まっている。
もしこれが現実なら、とんでもない幸運なのかもしれない。だが、どうして自分がこの体にいるのか、元の少年の意識はどうなったのか、何一つ分からなかった。
考え込んでいると、廊下から足音が近づいてきた。
「湊ー! 起きてる? 朝ご飯できたわよ!」
女性の声だった。
続いて、少し幼い少女の声が響く。
「お兄ちゃん、早くしないと遅れるよ!」
その声を聞いた瞬間、湊の頭に家族の顔が浮かんだ。
父親、母親、そして妹。名前や普段の会話も、断片的ながら思い出せる。
どうやら、この体には十五年間の生活の記憶が残されているらしい。
「……分かった! 今行く!」
湊は返事をして、机に置かれていた制服を手に取った。
状況は理解できないことだらけだ。だが、少なくとも今すぐ危険が迫っている様子はない。
ならば、まずは情報収集だ。
分からないことがあるなら調べる。必要な情報を集め、仮説を立て、実際に確認する。それは、前世で何千時間も繰り返してきたことだった。
湊は制服に袖を通しながら、小さく息を吐いた。
「……とりあえず、この世界のことを知らないとな」
◇
朝食の席には、四人分の食器が並んでいた。
新聞を読んでいる父親。台所で味噌汁をよそっている母親。そして、スマートフォンを操作しながらパンをかじっている妹。
湊はできるだけ自然に振る舞いながら、空いている椅子に座った。
「おはよう」
「おはよう。今日は随分遅かったな」
父親が新聞から顔を上げる。
「昨日、夜更かししたの?」
母親の問いに、湊は曖昧に頷いた。
「まあ、ちょっと」
「ほどほどにしなさいよ。探索者になりたいんだったら、体調管理も大事なんだから」
「……探索者?」
思わず聞き返してしまった。
母親が不思議そうな顔をする。
「何言ってるの。昨日も登録の話をしてたでしょう?」
湊は黙った。
探索者。その言葉自体は、ゲームで何度も聞いたことがある。だが、現実の職業として使われるのはおかしい。
そう考えた瞬間、父親が新聞を畳んだ。
「そういえば、昨日の新潟のダンジョンで事故があったらしいな」
「また?」
母親が眉をひそめる。
「ああ。C級の探索者が無理をして、奥の区域に入ったそうだ。命に別状はないらしいが、しばらく入院だと」
「怖いわねえ。湊も登録したら、絶対に無理しないでよ」
湊は箸を持ったまま固まった。
ダンジョン。探索者。ランク。まるでゲームのような言葉が、ごく普通の日常会話として交わされている。
「……父さん。ダンジョンって、今どれくらいあるんだっけ?」
「日本国内か? 百か所前後だったと思うが」
「百……」
「正確な数は協会の資料を見れば分かるんじゃないか。お前、昨日まで散々調べてただろう」
百か所前後。
その言葉が、湊の頭の中で繰り返された。
現実にダンジョンが存在する。しかも、一つや二つではない。日本全国に、百か所近く。
湊は手元にあったスマートフォンを操作した。
画面には、見慣れないアプリのアイコンが表示されている。
『探索者協会』
アプリを開くと、探索者登録、ダンジョン情報、危険区域の注意事項などが並んでいた。
さらに、近隣のダンジョン一覧という項目が目に入る。
湊は迷わずそれを開いた。
画面に表示された最初の名前は、『青葉洞窟』。
所在地は新潟県。公表難度はF級。全五階層で構成され、探索者登録後に入場可能と記されていた。
湊は、しばらく画面を見つめていた。
ダンジョンがある。魔物がいる。探索者という職業がある。
ならば、当然そこには攻略すべき仕組みが存在するはずだ。
隠し通路はあるのか。特殊な条件で出現する敵はいるのか。ボスの倒し方で報酬は変わるのか。誰も見つけていない秘密が、まだ残っているのではないか。
次々に浮かぶ疑問に、胸が高鳴った。
前世では、最後までゲームを完全攻略できなかった。
だが、今度は違う。
目の前に広がっているのは、モニターの中ではない、本物の世界だ。
命を失えば終わりなのだろう。だからこそ、危険を調べ、準備を整え、絶対に生きて帰る必要がある。
それでも、もし本当にこの世界に百か所ものダンジョンが存在するのなら。そのすべてを、隅から隅まで調べ尽くせたなら。
「……面白そうだな」
思わず漏れた言葉に、妹が顔を上げた。
「お兄ちゃん、何が?」
「いや、何でもない」
湊はスマートフォンを伏せ、朝食に手を伸ばした。
だが、その頭の中では、すでに最初の攻略計画が動き始めていた。
まずは探索者登録。次に、必要な装備と情報の収集。そして、最初のダンジョン《青葉洞窟》。
どれほど弱い状態からの出発でも構わない。時間がかかってもいい。
今度こそ、最後まで。
湊は誰にも聞こえない声で呟いた。
「全部、攻略してやる」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ここから湊の長いダンジョン攻略生活が始まります。
最弱スキルからどこまで成長できるのか、ぜひ見守っていただけると嬉しいです!
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次回もよろしくお願いします!




