死亡動機/10
気が付いた時、僕は死に掛けていた。
余りに殺伐とした空間での戦いの繰り返し。僕は初めて本物の死を感じた。
呼吸が苦しい。吸っているのに身体に酸素が回らない。思考を繰り返しているのに、悉くを潰される感覚。身体の先端が時を経るごとに、冷たくなる。
遮光カーテンの先を見ているような映像。ようやく五感と脳が連結する。
僕の上司である脇崎蒼は、隻腕の女性を殺そうとしていた。それがレヴァーナーであると分かるのは、自分で声を出す道中だった。
「聞こえてたかは知らないけど。私はこの世界をひっくり返す為に、魔術回路を埋め込んだ.....けど、そんな事をしたって意味が無かった。ただ彼らは、全員死ぬ意味を見出していなかった。だから私が殺してあげた.....それだけで。その為だよ」
率直に僕は理解に苦しんだ。それは何も異常者であるから、という意味ではない。他者が死を望んでいるから殺す。という安易な動機が僕を覆ったからだ。
そして同時に。その説明が、言い訳だと知っていたからでもあるのだろう。
「う、嘘だ.....貴女は、嘘を、ついて...る。──────本当は。貴女、自身....死亡する為の動機を求めて、いたん...だろ。理由は知らないし、知ろうとも.....思わないけど、そうじゃない、なら....貴女は、蒼さんを探さない」
朧げな視界だが、死神が顔を歪めていたのは鮮明だった。
脇崎蒼として生きている間。僕はレヴァーナーが死亡事件の犯人だと分かった。
物体の操作。幻覚紛いな存在。魔法使い。
四区分の内男性に該当する僕が、感じた違和感を寄せ集めた末に辿り着いた真実。
ただ違和感が在ったのだ。どうして、最後に人を殺すのか。只の快楽殺人者であるならば、殺人にルールなど犯す筈が無い。
細かく細分化し。共々に共通点を残し。挙句の果てに殺し方まで統一を見せる。
「──────貴女は、死を望んでいた。ただ自分を殺す相手は、自分が殺したい相手でありたい。その一心で...貴女は、蒼さんを探していた。そんな時に、可笑しな事が起こったんだ。平常の人間に映る筈が無い自分を認識した人間が現れたんだ。恐らく一番初めの犠牲者である、岸沢栄太。
それを皮切りに貴女を認識する人間は、一人二人と増えていった......そこで一つの共通点を貴女は見出したんだ。皆一様に死を望んでいると」
意識がハッキリとして、言葉は淀みなく紡がれていく。
「境遇は違えど、同じ心境を持つ相手に。貴女は率直に可哀想だと感じた筈だ....けど、相手は皆平常の人間で自分とは決して混ざり合う事の無い。そこで貴女は魔術回路を譲渡して、魔術師に仕立てようとした。ただ結果、そこに辿り着いた人間は姿を現さなかった。それどころか、異常である自分との邂逅で死を望まなくなってしまたんだ。だから貴方は心からの憤りを抱いて殺すことにしたんだ。
けどただ殺すのは勿体ない。せめて事件性を残して、自身を探しだせる人間を待った。──────これが僕の考えですけど、どうですか?」
連続して言葉を口にした所為で口が渇いた。鮮明になった脳は、遅れて痛みを認識させる。
そうだ。僕は死に直結する痛みを抱えていたんだ。ちらりと首を持ち上げて、左肩を見つめた。止めど無く溢れ出る血が刃に注がれていく。
目を背けたくなるような惨事が、浅羽賢吾という人間で行われている。当たり前に自分自身の事なのに、やはり認められない。ただ痛みだけがそれが幻想だと訴えてくる。
高らかに、ただそのくせ乾き切った笑みが静謐を破る。
「どうやら君は本当に、伽藍の男らしい......私が何も教えていないと云うのに、君は断片的な情報だけで真理に辿り着いている。成程...これが究極の空か」
褒められているのだろう。現に彼女ら魔法使いにとって、僕の存在は奇跡の産物なのだから。
「──────その通りだよ。その推理に一片の間違いも無い。私が人を殺した理由なんて言うのは、結局自分の望みが叶わなかった腹癒せ。本当に嗤っちゃうよね」
彼女は心の底から己を嘲笑っている。自分さえ死ねば良いと云う楽観的な思想に駆られた様に。
僕は書ける言葉を選べなかった。ありとあらゆる文章を覚えているくせに、浅羽賢吾は他者を癒せない。
何かしらを選別すれば良いだけなのに、浅羽賢吾は他者を救えない。
「訊きたいことはそれで全部か浅羽?」
面会の終わりを告げる警官の様に、蒼さんの声が発せられた。
僕はただ重力に従って、首を下ろした。
一月十一日。午前零時十七分八秒。
初めて、人が人を殺す瞬間を見届けた。そこから先の景色は暫く覚えていない。
◇
とある家に生まれた女性が居た。
文字通りその女性は、生まれながらに女性であり。成長の過程を全て、通り過ぎていた。
それもそのはずで。この女性は人の身体から生まれていないのだ。魔術から生み出された、単価四十八万円程度の、人形に過ぎない。
「良いかお前の名前は『 』だ。お前はただ魔術を研鑽すれば良い。それ以外には何も考えなくてよい」
形式上の父親からそんな事を彼女は告げられた。
彼女の父は魔術師として最高位の銘である、賢位を持つ人形師。自我を持つ生命体を無から構築する事に成功した初めての人類。
彼女は産まれながらに、多量の魔術回路を仕込まれていた。数にして実に五百七十三。一つ一つの質は然したるモノ。だがその常軌を逸する量は、質という概念を悉く凌駕する。彼女同様に魔術を紡ぐ為だけに産み落とされた、多くの子供に対して。圧倒的な差を見せつけていた。
──────量は質を凌駕する。
彼女に刻まれた常識。それは覆る筈が無かったのだ。──────脇崎蒼と云う究極の天才を前にするまでは。
「紹介するよアオイ。こちら、君と共に魔術を学ぶ『 』だ」
異常者の頂点と言っても差し支えない黒の魔法使いが、彼女の名前を呼んだ。彼女の前に立ってたのは、百六十センチに満たない小柄のアジア人。名前からしても日本人なのだろうが。少々髪色が歪であった。
有象無象の一つに過ぎない。常識を前提として、彼女はそう決断する。だが、彼女はその例から悠々と漏れ出した。
圧倒的な質。そして平均以上の量を持つ脇崎蒼は、数ヶ月の鍛錬の末。『 』を容易に超えた。
これ以上の侮辱はこの世の存在しなかった。
魔術の為だけに創られた人間。それは当然に自由など無い。親が成せなかった魔術の高みをただ目指すだけの意志を持った人形。
生きる為だけに生まれた人間。それは当然に自由を持つ者。親の意志など関係なく、ただ己に従い続ける意志を持った本物の人。
ただ後者は、神の裁量だけで前者を越えてしまった異端。
「どうして.....神様って奴は、不平等を押し付けてくるの?」
創られて初めて抱いた疑問。考えても考えても辿り着かない、完全迷宮とでも言えるモノ。『 』は、いつしか哲学的思考を止めていた。
代わりに脇崎蒼という日本人を憎しむ事にした。どうしようもない己の感情を発散する唯一の方法なのだと妄信したからだ。
──────それで何が変わるのだろうか。
脇崎蒼の一挙手一投足を憎み。彼女が功績を上げればその度、烈火の如く腸を煮えくり返す。
「どうして、アオイはそれ程までに。魔術のセンスが良いの?」
ある時、学院の一人がそんな事を脇崎蒼に問いかけた。偶然に近場を通りかかった『 』は、腹立たしくも答えが気になった。
「どうして?......そりゃ楽しいからに決まってんだろ。面白くも無い事に人生懸けるほど、酔狂じゃないんでね」
刹那に『 』は、霹靂を受けた。
己にとって"苦"以外の何物でもない魔術を愉しいと言い切ったのだ。
──────止まった歯車が、唐突に動き出した。
何故に平らで等しくしないのか。理由は簡単だった。そうすれば人は考える必要がないからだ。ただ既存の情報を空の頭に取り込んで、それに従って動く機械であれば楽になれる。ただそこに愉悦は無い。
『 』は初めて自我を以て魔術に立ち塞がる。
「ねぇアオイ......君の魔術って言葉を操るんだよね。一体どれ程の言語を自在に操れるの?」
形式的な挨拶以外、口を合わせてこなかった両者の会合。脇崎蒼は眼を丸くして『 』を見つめる。
「お前.....『 』だっけか?何でそんな辺鄙な名前してるんだ?」
「私は魔術の為に創られたから、この名前なの」
「へぇそうかい.....」
脇崎蒼は、目の前にいる白装束に身を包んだ女性を見つめる。欧州的な美貌を兼ね備え、神秘性と秘匿性を兼ね備えた美麗。恐らく数多の人間が、謁見を求めるその姿。
「──────じゃあさお前。名前変えろよ」
「どうして?」
「どうしてって....そんなつまらん名前しょい込んで楽しいのかお前は?私だったら家庭裁判所に行って氏名変更を申し出るけどな。──────そうだなヘブライ語の白と月から取って『レヴァーナー』ってのはどうだ?結構いいと思うんだが」
さらりと脇崎蒼は、魔導書の端に文字を刻んだ。
「そっちの方が似合っているよ。──────レヴァーナー....うん。こっちのほうが良く分も呼びやすい」
脇崎はレヴァーナーの意志なんてモノを良いように無視して微笑んだ。
与えられた名前。授けられた名前。その二つは決定的な違いが生じている。
そこからレヴァーナーは、脇崎蒼に好意を持ち始めた。だが厄介なことにそれは、友愛ではなく恋愛として。
人形とは違い、身体が成長し熟していく姿に欲情を感じ始める。可愛らしさが、いつしか美へと昇華され。胸は女性らしいモノへと成長していく。己より小さかったそれがいつしか己を見下げるようになる事に熱を感じる。
──────脇崎蒼が欲しい。
その欲情は次第に欲望へと昇華する。魔術師として、人として、女として。脇崎蒼はレヴァーナーの求めるモノだった。あれを手にして、あれに手に掛けられれば。一体どれ程の想いを得られるのだろうか。
レヴァーナーは、ただその欲望の赴くままに脇崎蒼と接した。
不意に触れてみて。すれ違いざまに匂いを嗅ぎ。暇があれば脇崎蒼を想像し、陰部を一人で慰める。
──────人形は本物の人へなろうとする。
何時かは自分のモノにしたいという欲望。だがそれは果たされる事も無く、終わった。
『脇崎蒼。賢位之魔術師から降りる』
ある日の事、青天の霹靂程の衝撃を以てその号外は学院を巡った。
魔術師として最高の位に着いた脇崎蒼は、翌日に姿を消したのだ。それも己が積み上げた全ての権威も名誉も捨てて。
新たなる神秘に触れ。此の世の根源に到達できる世紀の天才。
そんな肩書と期待を彼女は嘲笑うように捨てたのだ。学院全てを揺るがすその報せ。皆が周章狼狽とする中、たった一人の魔術師は一人静謐だった。だからと言って冷静だったわけではない。永久的に静まることの無い懐疑の嵐。
目的を欲望の対象を失い、レヴァーナーは『 』に舞い戻る。
──────いや。今までが幸せ過ぎたのだ。
魔術を研鑽する為だけに生まれた存在。それには有り余る嗜好品だったのだ。彼女はそう考えることにする。そうでも無ければ、心を抉り堕とされた消失間で死んでしまいそうだから。
『 』は、魔術を研鑽した。目的は神秘との接触、それ以外は何もいらない。人間であれば疲労という名の限界は彼女には無い。
そこから十一年の歳月が経った。無心となった彼女はいつの間にか魔術師ではなく。魔法使いに位が上がっていた。言うなれば、彼女は脇崎蒼を越えたのだ。
──────これ程までに、無価値な事は無い。
『 』の魔法は、他者を異常者にする力。右手で人間に触れれば、強制的に魔術回路を埋め込める。というだけのモノ。だがそれだけのモノに彼女は意味を見出していたのだ。有象無象の平常が、この世を統べている現状に彼女は辟易としていた。だからこの世界の平常の悉くを異常種へと代える事を目標とした。
「そうだ.....脇崎蒼を探しに行こう。アオイが学院から姿を消したのは、私の魅力が足りなかったから。魔法使いにまでなった私なら、あの天才と釣り合える。あの天才に愉悦を与えられる」
時こそ違えど、同じくして『 』は学院を抜けた。
ただその事実は、脇崎蒼程の衝撃はない。大方そうなるだろうと、皆が予想していたからかもしれない。
一九九九年九月十一日。白い死神は、幻想として日本に舞い降りた。
無論かの魔術の天才を探し出す為に。そして己に湧き出た、死への逃避行を完遂する為に。彼女は死亡の動機を探して徘徊する。
岸沢栄太。赤松重吾。青崎徹。西田甲斐。岡本健介。張本洋子。嘉納雛。──────彼女はその道の最中、自身と同じくして死を求める人間と巡り合った。だから彼らに魔術を与えた。異常に強烈な憧れを持つ彼らに、異常という世界を与えた。
だが結果は、何も変わらない。異常を知ったのに、平常というぬるま湯に慣れ過ぎた彼らは変わろうとしない。
俯瞰してかつ、冷静になれば当然の事なのだ。しかし彼女はその事実に憤りすら感じた。
だから殺した......
「待てよ....ここに規則性と。魔術性を潜ませておけば、必ずアオイは私を追ってくる」
途端に閃いたのだ。探さずとも、目的に自らを追い駆けさせる名案が。
殺しの方法。殺す日付。症状。死因。それだけに留まらず、果てや飼っている動物の種類にまで着目をして見せる。
ただ一人だけ例外が存在した。それは白藤和代という名の一人の少女。彼女だけはその埋め込まれた異常を認識し、剰え不格好ながらに魔術を扱った。だから彼女だけは生かしておくことにした。
そして二〇〇〇年一月八日。
『 』は、目的に巡り合った。厳密には目的と最たる程の接点を有した存在と。
知るはずもない脇崎蒼という名に反応を示した一人の青年。真冬の夜空の下で、着古したジャージで暖を取る様なずぼらそのもの。
彼女は、身を震わすほどに興奮を覚えた。魔術を与えるつもりは無かったが、左手を強く強く握る。脇崎蒼では無いと云うのに、離さないと云わんばかりに。
一月九日。ついに目的は、彼女の眼前に現れた。
あの時の美貌に、妖艶というオプションを加えた脇崎蒼。冷淡で不変を装ったが、その腹では欲情が収まらなかった。
この女を殺したい。この女に殺されたい。
相反する二つの欲望が交錯する。相も変わらずこの世に面白さを見出さないような装いで、脇崎蒼は言葉を紡ぎ続ける。
──────だが期待外れであった。
刃を交えた時。目の前に居たのは、異常の中に居る有象無象に過ぎなかった。
あれ程殺意に満ちて、鋭さを帯びていた魔術は廃れていた。『 』は絶望と怒りに震える。求め続けた酒が、腹を抱えて嗤うように不味いように。
しかしそれは『 』の思い過ごしであった。天を揺るがすほどの天才は、やはり常軌を逸していたのだ。
浅羽賢吾を模倣した人形。脇崎蒼を模倣した浅羽賢吾。という二重の罠を前にして、彼女は見事にそれに掛かる。本命の光の矢を避ける事も出来ず、『 』は美しく敗北した。
ただそれでよかったのだ。脇崎蒼という天才に殺されるなら。彼女が最も憎み、最も愛した女に殺されるなら。問題など存在しなかったのだ。
五重の結界を要する鉄壁の右腕。脇崎蒼はその解析に時間を割き。そして矢でそれを殺した。
やはりあれは天才なのだ。つかつかと音を立ててその天才は、『 』の前に立ちはだかる。殺されると分かっていながらに、彼女は安心して目を閉じる。
「──────じゃあな。呪われた『ゴーレム』。そして愛されたレヴァーナー」
無慈悲であるくせに。暖かみを孕んだ矛盾する言の葉。
刻まれた命令に従う事しか出来ない、ヘブライの人形は最後に授けられた名で呼ばれた。
飛んだ首の先。舞い上がる血と共に彼女の口は綻んでいる。
◇
二〇〇〇年。一月十三日。
僕は漸く目を覚ました。刹那にここは地獄か極楽かと自問するが、煙草くささに現世だと教えられる。
「万能堂......ッつつつつ」
身体を起こした途端に、大針に刺されたような痛みが身体を襲った。視線を落とすと、僕は上裸の姿でいる。ただ襷掛けしたように包帯が丁寧にまかれていた。
夢現としていた脳が妙に生々しく、鮮烈な映像を思い出す。
「そうだ.....あの後事切れたんだった」
「おや。約四日ぶりのお目覚めかな。浅羽賢吾君....」
淡々としていた、抑揚らしさが粗悪な声が僕の鼓膜を揺らす。その声は僕の上司に当たり、同時に社長でもある脇崎蒼の声である。どうやら魔術師として天才の二つ名を授かり、世界を歪ませるモノとまで言われている異端モノだ。
「いてててて....もしかしてずっと見てくれてたんですか?」
被害が抜きん出ている左肩を抑えて僕がそう尋ねると、蒼さんは短く嗤った。
「当たり前だろう。万能堂には私以外に誰かいる訳じゃないんでな......まぁ死ねと言ったが、流石にお前ほどの才能を前にして見殺しにするほど私は馬鹿じゃない」
「お陰で生きながらえましたよ。──────っていうか、魔術って傷とか癒せるんじゃないんですか?ほら、あのドラクエのホイミみたいに」
「それを得意とする人間も居るが、私は生憎専門外でね。止血は出来ても、それほどの傷を一撃で治すようなルール破りは持ち合わせていないし、魔法使いでしか出来ない御業だ」
蒼さんは短くなった煙草を灰皿に押し付ける。息付く暇も無く、彼女は新たな煙草を咥えて着火する。
途端に身が微細に揺れた。まともな暖房器具も揃っていないこの空間で、上裸は自殺行為に過ぎない。
「っていうか寒いんで僕の服返してもらっても良いですか?」
すると蒼さんは、まるで可笑しなことでも訊かれた様に目を丸くする。数秒の静謐の後、ゆっくりと口を開いた。
「無いぞ」
「えっ?」
僕は意味が分からず阿呆みたく、首を傾げた。
「お前の貴重な服一式は、人形に着せただろうが。それが爆散したんだ、在る筈が無いだろう」
「........じゃあ今。僕は、」
「パンツだけ穿いてる、ほぼ裸体」
正解は彼女が直々にしてくれた。和紙を数枚重ねたようなその布を取っ払う。言葉通り僕はほぼ裸体であった。
あれ程身が震えたのも納得がいく。
「いやそうじゃなくて.....いやそうなのか」
「貸して欲しいなら私の服をやるが。その姿で帰れば彼女に殺されるだろうな........何せ知らない女の元で数日に渡って寝泊まりし、挙句の果てに服まで借りてくる始末だ。もし私が彼女なら問答無用で、火炙りにしている」
響は僕を火炙りにする術を持っていないが。恐らく殺されることは間違いない。
「というか浅羽.....お前大人しい見た目の割に、あそこは随分デカいんだな」
ガハハハッ。と蒼さんは女性らしからぬ大雑把さで嗤う。『何言ってるんですか!?』と口にするか迷ったが、身を案じて叫ぶことは止めることにした。
「それはそうと──────レヴァーナーは殺したんですか?」
意地悪く僕は、話題を無理くり曲げた。万能堂を覆っていた悪魔のような嗤いは、ぴしゃりと止んだ。
まるで触れてはならない地雷に触れたように。
静謐は余りに棘を帯びている。怖くなって僕は、目線だけで蒼さんを見つめる。えらく神妙な面持ちで彼女はそこに居る。
「..........あぁ。殺したよ」
短い返答だった。特段二人の関係性を知らない僕でも。忌み嫌い合っている関係とは思えない。
蒼さんは凭れていた椅子からのそりと立ち上がる。僕に背を向けると、窓という額縁に収まった流動の絵画を見つめた。白の象徴のような雪が、風に煽られて右往左往としている。
「──────まぁ結果論だが。私とあいつは殺し殺される関係にあった。それがあのタイミングであったというだけの事」
「そう、ですか」
自分で聞いたくせに僕は、良い返答が思い浮かばなかった。相変わらず浅羽賢吾は、人情らしさが無い。
「一つ聞いても良いか浅羽。──────もしお前の友が死を望んでいたら、お前はそいつを殺せるか?」
殺せる。なんて二つ返事で僕は返せなかった。
僕が口にする殺す。と彼女ら魔術師が口にする殺す。とでは本質が異なるのだ。
脅しであり力を持たない殺す。
宣言であり力を持つ殺す。
余りに両者がかけ離れ過ぎていて、僕は口を紡ぐしか方法が無い。
「ふっ。私らしく無いな。過ぎた事に後ろ髪を引かれるのは」
強がりなのか。自己暗示なのか。どちらか分からない言葉と笑みを残して蒼さんは椅子に座る。
「だがこれにて世間を悩ませていた死亡事件は幕を下ろしたな」
いつも通りの口調。いつも通りの雰囲気で彼女は僕に言葉を掛ける。
「そうですね──────死ぬ思いまでしたんですから。報酬はたんまり頂きますから」
刹那に空気が変貌する。
静謐なのだが、先ほどのような棘ではない。ただ黙秘を貫いただけの形だけの静謐。これには幾らか覚えがある。
「.......実は何だが。古代ウルクの粘土板がオークションに懸けられてだな.......今現在、我が社は無一文なわけだ」
「因みに訊きますけど。その粘土板って大凡?」
愚問だと分かっていながらに僕は口を開く。
「非常に状態が良く。かつ文書として纏まっていてな。──────ざっと四千二百万だ」
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ...........
これほどまでに大きな溜息を吐いたのは久しぶりであった。
「つまり。新しい仕事が入ってくるまで、浅羽の給料は零だ。──────だが言っておくが、私も無一文な訳だぞ」
「僕も今回の報酬を当てにしていたんで金無しです」
「ハハッ。なら暫くもやし生活って訳だ」
こうして魔術を介する異常事件は幕を下ろした。
歯斬りよい気持ちなのだが、やはり心配事は否めない。
一つはお金の事。そして一つが響の事。恐らく強めに殴られることは間違いない。そう思うと僕は、自嘲じみた笑いが込み上げて来た。




