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「・・・」
「・・・」
日が落ち始め、薄暗くなってきた室内。
ソファに座り、王宮にいた兄の侍女が茶を淹れ退室するまで二人は無言だった。
アレクシスは紅茶を一口飲み、ふぅと息をつく。 エルマーを追い出した室内にアレクシスの吐息が響いた。
「はあ、落ち着く。やっぱりエルナの淹れるお茶は美味しいね。
王妃様の侍女が淹れてくれるお茶も美味しいけど、僕にはやっぱりこのお茶だなあ」
「・・・」
「そうだ。あと少ししたらカールの誕生日だよね。王宮で大々的に祝宴を開くそうじゃないか。
多分君の花嫁探しの意味合いもあるんだろうね。各国の要人もお見えになるようだし。未来の王妃様は誰がなるんだろうね」
「ーーで、もう一つの話とは?」
アレクシスの話をバッサリ切り、本題を切り出すと、アレクシスは渋面を作った。
「せっかく、未来の楽しい話をしているのに、過去に囚われてるのはよくないよ」
「話してくださる約束ですよね?」
「まあ、そうなんだけどさぁ。別に大した話でもないしさぁ」
アレクシスは頬を膨らませ、ソファの背にだらしなく凭れかかった。
「大した話ではないのならさっさと話して下さい。もったいぶらずに」
「別にもったいぶっている訳じゃないけど」
「話していただけないならすぐに帰りますか? 担ぎますよ?」
「・・・・」
アレクシスはひくっと口元を引き攣らせる。
何処と無くその表情はエルマーに似ていた。
ジークムントとアレクシスは似ていると言われたことがない。髪の色も目の色も、顔立ちも全く似ていない。
今まで兄弟として育ち、はとことして血の繋がりもあるのに、エルマーとアレクシス、実の兄弟の絆には敵わない気にさせられ、もやもやとした気持ちになる。
後でエルマーを一発殴って晴らしてやろうと心に決めていると、アレクシスはボソッと何かを言った。
「・・・・・なんだ」
「え? 聞こえませんでしたが」
「だから僕は・・・・・なんだ」
「・・・・声が小さくて聞こえません」
「僕は・・・、女なんだ」
「・・・・・・・・・え?」
今度は聞こえた。しかし、言われた言葉を理解出来なかった。
おんな? 女ってなんだっただろうか?
固まっているジークムントを置いて、アレクシスは続ける。
「王太子になるために産まれた筈なのに、僕が産まれてみれば女で、皆大分慌てたらしいよ」
「・・・・・」
「でもまあ、一応白い髪の子だから男だって偽って育てたんだって。
これも僕が王宮の奥で育てられた理由の一つだね。
だって子供の時なんてなにをするか分からないものね。僕小さい頃に急に水浴びするって言って噴水に飛び込んだこともあるらしいし」
「・・・・・」
「おーーい。ジーク、聞いてる?」
体を乗り出してジークムントの顔の前で手を振るアレクシス。
ジークムントは、はっと意識を目の前の人物に向けた。
「・・・女?」
「そう、女。だから王位につけないんだ。
僕達が産まれた時から今回の事ーーアレクシス王子が亡くなる事は決まっていたことなんだよ」
「決まっていた・・」
おうむ返しを繰り返すジークムントにアレクシスはクスッと優しく微笑んだ。
「そうだよ。だからジークは気にすることはない。
僕には王太子の資格は元々無いのだから」
「兄上・・・」
ジークムントは呆然と呟く。
今自分の口からでてきた言葉。
昔から目の前の人を兄と呼んできた。しかし兄ではなかった。男ですらなかった。
女性。
改めてそれを意識して見てみれば、目の前の人はどう見ても女性だった。
男とは違う、どこか丸みを帯びた輪郭、柔らかそうな肌、スラリと伸びた手足もとても柔らかそうだ。
事実、先程抱き上げたアレクシスはとても柔らかかった。
顔を見てみれば繊細な美しい顔立ち。柔らかく甘そうな唇。
そこまで考えてジークムントは顔が赤らむのを感じ、目を伏せた。
目の前の人は確かに女性だった。
今までずっとアレクシスを女だと疑ってもみなかった自分にジークムントは眩暈を起こしそうだった。
そして、アレクシスが女であるならば、アレクシスがジークムントのために払った犠牲はジークムントには到底想像し得ない。
女の幸せを捨てて仮初めの王太子を演じる。そこにどれだけの苦渋があったのか。
その事に思い至り、ジークムントはきつく目を閉じ、手で顔を覆った。
「おおーい、ジーク?」
アレクシスののんびりとした声が聞こえる。
何時ものアレクシスの声。そこに負の感情はない。
しかしジークムントは顔を上げられなかった。そこにもし、ジークムントを疎む気持ちを見つけてしまったらと思うと胸が重くなる。
しかし、そんなジークムントの考えを嘲るような明るい声が続いた。
「ジークってば、頭でも痛いの? 違う? じゃあお腹?
あ、まさか僕が男だって騙してたから拗ねてるんじゃないだろうね。
もしそうなら心が狭いよ、ジーク。実際がどうあれ僕達は兄弟だったのだからそれでいいじゃないか」
ジークムントが顔を上げると、アレクシスはテーブルに身を乗り出していた。
口を尖らせて、アレクシスの方が拗ねているようだ。
その邪気のない様子にジークムントは自分の胸の中に重く溜まっていた靄が晴れていくのを感じた。
「それで、アレクはこれからどうするのですか?」
「どうって?」
いきなり話が変わったことに首を傾げるアレクシス。
その愛らしい様子に胸を掴まれたがそれはおくびにもださず、真っ直ぐにアレクシスを見て続ける。
「アレクシス王子としてではなく、貴女として生きてゆくのでしょう?
これからどこで過ごされるのですか? 」
「そう! 分かってくれた! よかった。それについては心配いらないよ。僕には一つ下に双子の弟妹がいるんだ」
「知っています。妹君は外に出られないほど体が弱いとか」
「そう。でも本当は弟は双子ではないんだ。双子の姉として用意された椅子。それがこれからの僕の居場所だ」
それを聞いて、ジークムントは苦笑するしかない。
本当にアレクシスが亡くなる事は決まっていて、その先の事も用意されている。
大人達の掌の上で転がされていたのだ。
そしてこれから自分がすることは、掌の上での事なのか、予想外の事なのか。
ジークムントは再びアレクシスの目を見据えた。
「確か妹君の名はアリーセ嬢でしたね」
「そうだよ。アリーセ・アレクシア。それが僕の今の名だ」
「アリーセ・アレクシア・・・。今も昔もアレクですね」
「そうだよ。だから今まで通り、アレクと呼んでくれればいい」
「いえ、私はアリーセと呼ばせてもらいましょう。アリーセ」
「まあいいけど、なんだい?」
アレクシス改めアリーセはキョトンとした顔ながらも名を呼ぶことを了承してくれた。
それに頬が緩みそうになるが、ギュッと引き締める。
「アリーセ、私はあなたに結婚を申し込みます。
私の生涯の伴侶として共に生きていただきたい」
微笑んでいたアリーセが固まる。
「・・・・・・・・・・・・は?」
長い沈黙の後、やっと声を出したアリーセは鳩が豆鉄砲を食らったような顔だった。
「今なんて?」
「結婚してください。アリーセ」
「・・・・・・」
アリーセは眉間に皺をよせ腕を組み、考え込んだ。
沈黙が部屋に拡がる。
アリーセの返事を期待と不安に押し潰されそうになりながら待っていると、アリーセはポンっと手を打った。納得顏で頷くと、ジークムントに頭を下げた。
「ごめんなさい、お断りします」
「!」
ショックで動けないジークムントにアリーセは優しい笑みを浮かべる。
「心配してくれてありがとう、ジーク。でも大丈夫。結婚相手ぐらい自分で見つけるから」
「! ち、違います。私は本気でーー」
アリーセが同情で結婚を申し込まれていると思っていることに気づいて、慌てて否定を口にする。
しかしその言葉はアリーセ自身に遮られた。
「それにさ、今まで兄弟だったんだもの。君は僕にとって、ーー王太子殿下に失礼かもしれないけど、大切な弟だもの。そういう対象にはならないよ」
「!!」
アリーセのその言葉はジークムントに大きな衝撃をもたらした。
大切な弟。
それは今までだったら最上級の言葉で声も出ないほど感動しただろう。だが今は苦いものが込み上げてくる。
しかし、大切と言われた事も事実で嬉しくもある。
そんな風に自分の気持ちを整理出来ないでいると、目の前のアリーセは立ち上がった。
ジークムントもつられて立ち上がる。
「今日はもう遅い。泊まっていくだろう? 部屋を用意させるから、待っててくれ」
「あ・・・」
アリーセはニコリと笑って部屋を出て行った。
その顔は晴れやかで、ジークムントの求婚はなかったものにされていることがありありと知れた。
「・・・・・・」
ジークムントはどさりと音を立てソファに体を沈ませる。
考えを纏めるために目を閉じた。
腕を組み、考え込んでいると、目の前のソファに人が座る気配がした。
アリーセではない。目を開けるとそこにいたのは予想通り、エルマーだった。
エルマーは何時ものようなへらりとした笑みを浮かべた。
「どうだった? 話を聞いて」
「・・・・」
「まあ、ショックだっただろうけど、そういうことだから。
アレクシス王子の事は忘れてくれな。今いるのは僕のかわいい妹だから」
「・・・アリーセに求婚した」
「はあ!?」
ジークムントがぼそりと言うと、エルマーは目を丸くさせ、素っ頓狂な声を上げた。
「なんでいきなり求婚!?」
「アリーセには断られた。弟だと思っているからと。それ以前に本気にしていないようだった。なぜだ?」
「なぜって」
エルマーは絶句した。ジークムントは構わず続ける。
「彼女は俺のことを弟ではないと知っていたのだろう? それなのになぜ弟なんだ? なぜ、男として見てくれないんだ?」
「うわ〜〜。ドン引き〜〜」
エルマーは顔を引き攣らせ、震える声で言った。
「求婚もそうだけど、あなたがアレクの事を彼女と言っていることに引くわ。
今の今までアリーセの事を兄で男だと思ってたんだろう?」
「そうだ」
「それなのになぜ彼女? なぜ求婚?
もし、アレクが男として育てられた事に同情しているならお構いなく。
ウチの家族は彼女を受け入れ、愛していますから。
彼女がこれからどんな生き方をしようと応援していきますから」
エルマーは真面目な顔になり、ジークムントを見据える。
それは大切な妹を守る兄の顔だった。
先程までエルマーとアリーセが兄弟であることに嫉妬していたのに、今では心の底からアリーセと自分が兄弟でなくてよかったと思う。なぜならーー
「俺はアリーセを愛しているんだ。そう、愛している。多分昔から。
なぜ気づかなかったんだろう、こんなにも彼女が愛しくて堪らないのに」
「〜〜〜〜!」
エルマーは最大限に顔を引き攣らせた。もう色男が台無しだ。
「ジーク様・・・。それはちょっと、受け入れられないわ。
兄で男だった人に恋心を抱いていたなんて」
「実際は女性ではとこだ。なんの問題もないだろう?」
「そりゃそうなんだけど、精神的に・・・」
エルマーは疲れたように大きな息を吐いた。
「とにかく、僕達はアレクの意思を尊重する。
そして陛下からも彼女の意思を尊重し、如何なる無理強いもさせないというお言葉をいただいている。
彼女が断ったならこの話は終わりだ」
「分かった。
俺とて権力を使って了承を得ようとは思っていない。
彼女が頷いてくれるまで何度でも求婚するのみだ」
「うわ〜〜、重い。兄としてはやめて欲しいのだけど」
「協力しろ、エルマー」
「ええ〜〜、僕はあなたの友人である前にアレクの兄だからさぁ」
煮え切らないエルマーの態度に苛立ちを覚え、エルマーを強く睨み付ける。
「俺はアリーセ以外とは結婚しない」
「だから重いって」
「そしてお前は、俺が結婚するまで結婚させない」
「え?」
「結婚の許可証を発行させないし、もし国外で結婚しようとしても追いかけてその結婚を必ず潰す」
「・・・・」
「だから、協力しろよ?」
エルマーの頭の中ではアレクの幸せと自分の幸せが天秤にかけられているのだろう。
そして、その天秤はがこんと自分の方に倒れたようだ。
「よし、協力しよう。アレクだってこんなに想われて幸せにならない筈はない」
ジークムントはニヤリと笑い、エルマーと固い握手を交わした。
その頃のアリーセは、廊下を歩きながら言いようのない悪寒に襲われていたことは言うまでもない。
終
読んでくださってありがとうございました。
『白蛇の国の王子たちと西の火の魔女』という、一応この後の話があります。
よかったら、どうぞ。
ありがとうございました。