第2話
入学式が終わり、来賓や在校生が退席すると、会場ではそのまま新入生向けの説明会が始まった。
アステルは受付で渡された資料を開き、説明に耳を傾けた。
学院の講義は、全員が履修する一般教養科目と、自分の目的に合わせて選ぶ専門科目に分かれている。
生徒たちはそれぞれの進路や関心に応じて受講する科目を選び、自分の時間割を組むことになるらしい。
一通りの説明が終わると、資料を確認する時間が設けられた。
ラウルは、既に取りたい講義が決まっているようだった。
「俺は内政に関する講義と、土系統魔術の専門科目を取るつもりだぜ。そのつもりで学院に来たからな。二人はどうするんだ?」
アステルは資料へ目を落とした。 専門科目の欄には、様々な講義名が並んでいる。だが、眺めていても、これを学びたいというものは浮かばなかった。
「幅が広すぎて迷うよな。アステルは、何と何で迷ってるんだ?」
答えがないのを見て、ラウルが尋ねた。
「悩んではいるんだが……迷っているというより、やりたいことが決まっていなくてな」
「そんなことあるのかよ……」
ラウルが目を丸くする。 周囲では、資料を指さしながら受講する科目を相談する声が聞こえていた。ラウルを含め、ほとんどの生徒は、ここで何を学ぶか決めて入学している。 アステルには、その目的がなかった。
ラウルは何か言いかけたが、セレンへちらりと目を向けると、口を閉じた。 アステルは隣へ顔を向けた。
「セレンはどうするんだ?」
「私ですか? 基本的には、アステルと同じ講義を取るつもりです。ただ、それとは別に、いくつか受けたいものもあります」
「そうか……セレンは決まってるんだな」 セレンは少し遠慮がちに、資料の中から氷系統魔術や料理に関する講義を指し示した。 その説明を聞いているうちに、アステルに一つの考えが浮かんだ。
「そうだ。セレンが俺の講義も選んでくれ─」
「駄目です」
言い切る前に断られてしまった。
「ご自身が受ける講義なのですから、ちゃんと自分で決めてください」
「そうだぞ、アステル。自分で選んだ方が、勉強にも身が入るだろ。興味もない講義ばかり取ったら、単位を揃えるのだって大変だぞ」
ラウルにも言われ、アステルは再び資料へ目を落とした。
「……そういうものなのか」
任されたものをこなす方が、よほど分かりやすい。 そう思ったが、セレンは選んでくれそうになかった。
「ですが、急ぐ必要はありませんよ」
顔を上げると、セレンは先ほどよりも少し声を和らげた。
「講義が始まるのは二日後です。それまで、ゆっくり考えてみてください」
「……分かった。もう少し考えてみる」
今すぐ答えを出す必要はないらしい。 アステルは資料を閉じ、ひとまず講義選びを後回しにした。
説明会が終わり、今日の予定はこれで全て終了したようだった。
「悪い、親がまだ待ってるから、そろそろ帰るわ」
ラウルが資料をまとめながら席を立つ。
「明後日、一緒に講義を受けようぜ」
「ああ。それまでに、何を取るか考えておく」
「おう、またな!」
手を振って人の流れに混じっていくラウルを、アステルはセレンと並んで見送った。
「さて、帰る前に買い物へ参りましょう」
セレンが登校のときと同じように手を差し出した。 迷わずその手を握り、アステルは尋ねる。 「買い物って、何を買うんだ? 生活に必要なものは揃えてあるだろ?」
「今日の夕食や、明日の食事に使う食材です」 「食材?」
「はい。こうして一日の用事を終えた帰りに、必要な分を買って帰るんです」
セレンは繋いだ手を軽く引きながら言った。
「もしかしたら、アステルにお使いをお願いすることもあるかもしれませんからね。お店の場所くらいは、覚えていただかないとね」
これからの暮らしを語るセレンの声は、いつもより少し弾んでいた。夕日に照らされた横顔には、アステルが思わず目を留めるほど、柔らかな笑みが浮かんでいた。
家に帰ると、意外な人物が二人を待っていた。
「おかえりなさい、二人とも」
「……アルさん?」
「師匠? なぜここに? 鍵は閉めていたはずですが……」
金髪に、くすんだ青い目。貴公子のように整った顔立ちの青年が、何事もなかったように二人を迎える。
アルカード・スカーレット。アステルとセレンに剣術を教えた師だった。
見た目こそ若いが、もうじき百歳になるらしい。伝説上の存在とされる吸血鬼であり、かつては各地で暴れ回って、「剣鬼」と恐れられていたという。イグニアに捕まり、更生させられたと、アステルは聞いている。今では彼女の執事として、身の回りの世話を一手に引き受けていた。
アステルもセレンも、イグニアの家にいた頃は随分と世話になった。セレンの従者めいた立ち居振る舞いも、彼を手本にしているらしい。
「二人が心配だから、様子を見てくるようにと。イグニア様に頼まれましてね」
「へえ……あの師匠が」
アステルは、一緒に暮らしていた頃を思い返した。浮かぶのは、訓練中に容赦なく指示を飛ばしてくる姿ばかりだった。学院に来てまだ間もないのに、わざわざ人を寄越すほど心配するだろうか。
「ああ、なるほど」
隣では、セレンが納得したように頷いていた。
アルカードも当然といった顔をしている。
(なんで二人とも納得してるんだよ…)
自分だけ知らないことがあるようで、アステルは二人の顔を見比べた。
「それと、セレン。あなたの様子も見に来ました」
「えっ、私もですか?」
自分の名前が出るとは思っていなかったのか、セレンが珍しく声を上げた。
「ええ。あなたはアステルのことになると、何かと世話を焼きたがりますから」
「それは……」
「教えてほしいと頼まれたので、家事も身の回りの世話も教えました。ですが、何でもしてあげればよいというものではありません」
アルカードの視線が、セレンからアステルへ移る。
「第二のイグニア様が出来上がってしまっては、私も困ります。ほどほどにするように」
セレンはアステルを抱き寄せ、少し声を張った。
「アステルに限って、そんなことにはさせません!」
「……本当に分かっているのでしょうか」
「二人とも、俺のことを何だと思ってるんだ……」
アルカードはセレンの腕の中にいるアステルを見て、アステルは自分を挟んで話を進める二人を見て、それぞれため息をついた。
その後、アルカードにも手伝ってもらい、買ってきたものを片づけた。
一通り部屋を見て、暮らしに問題がなさそうなことを確認すると、彼は二人へ向き直った。
「それでは、そろそろ失礼いたします」
「えっ、もうですか? それに、もうすぐ夜ですよ」
アステルが尋ねると、アルカードは小さく微笑んだ。
「今日は様子を見に来ただけですから。帰って、イグニア様の食事を用意しなければなりません」
その口元から、鋭い牙が僅かに覗く。
「それに……私にとっては、夜の方が動きやすいのでね」
「ああ、そうでしたね」
アステルが納得したように頷くと、アルカードは玄関へ向かった。
見送りに来た二人を振り返り、ふと思い出したように足を止める。
「おっと、忘れるところでした。アステルに、これを渡すのでしたね」
彼は足元の影へ手を伸ばし、一本の剣を取り出した。
一見すると何の変哲もない剣だった。ただ、大人が使うには少し小さい。
「これは……星鉄の剣。修理が終わったんですね」
アステルは差し出された剣を受け取り、鞘に収まったまま、その柄を確かめた。
「わざわざありがとうございます」
「いえ。必要になるときが来るかもしれませんから、お手元に置いておきなさい」
「そうならないことを祈ってますよ」
大事そうに剣を抱えるアステルを見て、アルカードは頷いた。
「それでは、今度こそ。二人とも、学生生活を楽しむように」
二人へ向ける眼差しが、少しだけ和らぐ。
それを最後に、アルカードは夜の闇へと姿を消した。
「わざわざアルさんが届けてくれるとはな」
アステルは手元の剣へ目を落とした。
「そうですね。私も、使わずに済むことを祈っています」
セレンもまた、彼の腕に収まった剣を静かに見つめていた。
アルカードが帰った後、セレンが夕食を用意している間、アステルは届けられた剣の手入れをしていた。
といっても、修理を終えたばかりの剣に、手を加えるところはほとんどない。布で刀身を拭い、その仕上がりを確かめるように眺めているだけだった。剣を手に戦ってきた日々が、思い浮かぶ。
しばらくそうしていると、台所から声がかかった。
「アステル、夕食ができましたよ」
「ああ、今行く」
アステルは剣を鞘へ収め、食卓へ向かった。
食卓には、色とりどりの料理が並んでいた。育ち盛りのアステルを思ってか、量も十分に用意されている。
この短時間で、これだけの品数を揃えたのか。アルカードの指導の賜物なのだろう。
「初日ですから、張り切っちゃいました。たくさん召し上がってくださいね」
嬉しそうに笑うセレンに、アステルも小さく笑みを返した。
「ありがとう、セレン」
席に着き、料理に手を伸ばす。
温かな料理を口へ運ぶうち、いつもとは違う感覚に気づいた。
これまでは、食事も休息も、次の任務に備えるためのものだったが、今夜は違う。食べ終えた後も、次の任務を考える必要はない。
まだ慣れない過ごし方に、どこか落ち着かない。それでも、向かいに座るセレンと食卓を囲む時間はアステルにとって心地よかった。
アステルはもう一口、料理を口に運んだ。
いつもより少しだけ、その味がよく分かる気がした。




