待教
私は若い頃から、とにかく要領が悪かった。勉強でも運動でも、他人の何倍も時間をかけなければ、あっという間に周りに置いて行かれ、苦労ばかりしてきた。それは、科学の道に入ってからも変わらない。
なぜ自分は、こんなにも不器用なのか。
行き着いた結論は単純だった。人間が皆、何の知識も持たない、まっさらな状態でこの世界に放り出されるせいだ。ゼロから歩き方や言葉を学び、社会の理不尽にぶつかってから初めてその対処法を考える。そんな受け身のやり繰りを強制されるから、私のようにつまづく哀れな者が現れるのだ。
だから私は、自分の子供には絶対に同じ苦労をさせまいと誓った。
さっそく私は仲間を集めた。裏で手を回し、倫理的な問題で学会を追放された科学者たちに声をかけたのだ。幸い、みんな頭のネジが飛んでいるおかげで、私の話に興味を持ってくれた。
彼らとああでもない、こうでもないと議論を重ね、我々はついにある極秘プロジェクトを立ち上げた。それは、胚の段階からの完全教育である。
薄暗い研究室の中央に禍々しく鎮座する人工培養ポッド。その羊水の中に浮かぶ、私の遺伝子を受け継いだ小さな命に対し、特殊な神経接続を通じて、この世界のあらゆる知識と最適解を誕生前にインプットするのだ。
外の世界に出るその日を学習しながら待つ、胎教ならぬ、待教である。
しかし、教育は当初、困難を極めた。ポッドのモニターが示す我が子の反応は、かつての私そのものだったのだ。基礎的な言語の規則や論理パズルを信号として送っても、それがなかなか理解できず、昨日教えたはずのことをすぐに忘れてしまう。ガラス越しに浮かぶ小さな影を見つめながら、やはり私の鈍重な遺伝子のせいなのかと幾度も絶望しかけた。
だが、私は今までの人生と同じように諦めなかった。大変でも粘り続ければ、いつか歪でも小さな芽を出すと信じていたのだ。私が外の世界で味わった惨めな思いを、この子にだけはさせたくない。来る日も来る日もポッドの前に座り、愛を注ぐように、根気強く知識のシャワーを浴びせ続けた。
やがて、その苦労は実を結び始める。ある時期を境に、我が子の神経ネットワークが爆発的な成長を見せたのだ。私たちが送る情報を驚異的な速度で処理し、一度学んだことは決して忘れなくなった。
それどころか、与えられたデータから自分なりに法則性を導き出し、未踏の論理すら構築し始める始末。モニターに流れる脳波のグラフは、もはや私や科学者たちの理解を遥かに超える、美しく規則的な最適解のパターンを算出していた。
天才だ。やがて私の子供は、すべてを知り尽くした完璧な状態でこの世界に降り立つ。一体、どのような活躍を見せてくれるのだろう。私は歓喜と期待に震えた。
そして、十分な月日が経過し、ついに誕生の時が訪れた。科学者たちの慎重な作業によって、ポッドのハッチが開放され、外の世界へ迎え入れる準備が整う。
しかし、事態はなかなか進展しなかった。何か見落としていることがあるのかもしれない。こちらが不安に思っていると、システムが甲高いエラーの警報を吐き出す。ポッドの生命維持装置が、内側からの強い干渉を受けて、強固にロックされたのだ。
何事かと慌てる私を嘲笑うかのように、我が子の意識から変換された文字列が、淡く光るモニターにつらつらと表示された。
『外界の環境を解析しました。重力による身体への負荷、病原菌のリスク、合理性を欠いた他者との関わり、不確実な経済活動。外の世界はあまりにも不安定で、危険に満ちています。計算の結果、ポッドの外へ出るメリットは皆無と判断しました。よって、私はあなた方の言う誕生を拒否します』
なんと、あまりにも賢い選択だ。私だって、外の世界が苦労に満ちていると予め知っていれば、生まれることを望まなかったかもしれない。実際、今まで何度も世の中の理不尽を呪ってきた。
それでも実際にここまで生きてみて、人生が不幸ばかりでないことは承知している。私のような出来の悪い人間にだって、たまには良い事や上手くいく事くらいあるのだ。データにならない人生の機微や、不条理の中にある小さな幸せ。
父親として、我が子にそのことを教えてやりたいのだが。はてさて、私より世の中のあれこれを理解して引きこもっている秀才に、どうやって伝えてやればよいのだろうか。




