Episode 5-6 「駆け落ち」
いつも読んでいただきありがとうございます。
『神になるには、遅すぎた』は、異世界転生・国家運営・ダークファンタジーを軸にしつつ、“人間性の変化”をテーマに描いています。
主人公は決して善人ではありません。
ですが、悪人とも少し違います。
長い時間の中で、人が何を失い、何を残すのか。
そんな物語として楽しんでいただければ嬉しいです。
それでは本編をどうぞ。
その夜。
雨が降っていた。
王都。
神殿区画。
神に最も近い巫女リノアは、一人で窓の外を見ていた。
眠れなかった。
最近ずっとそうだった。
考えてしまう。
ユリウスのことを。
笑顔。
不器用な優しさ。
誰かのために損をする生き方。
そんなもの。
今まで知らなかった。
リノアは自分の胸へ手を当てる。
苦しい。
でも。
嫌じゃない。
その時だった。
窓へ小石が当たる。
コツ。
コツ。
リノアが目を見開く。
窓を開ける。
そこにいた。
びしょ濡れのユリウス。
「何やってるんですか!?」
思わず声が漏れる。
ユリウスは困った顔で笑った。
「いや」
「会いたくて」
沈黙。
リノアの顔が赤くなる。
ユリウスも気まずそうだった。
しばらく沈黙。
雨音だけ。
やがて。
ユリウスが言う。
「駄目ですよね」
リノアは答えられない。
駄目だ。
神の側室。
世界で最も逃げてはいけない立場。
分かっている。
全部。
それでも。
ユリウスが続ける。
「俺」
「神様には勝てません」
笑う。
寂しそうに。
「国も」
「力も」
「何も持ってない」
リノアは黙って聞いていた。
ユリウスは下を向く。
「でも」
そこで顔を上げた。
真っ直ぐだった。
「一緒にいたいんです」
雨音が消えた気がした。
リノアの胸が強く鳴る。
今まで。
誰もそんな事を言ってくれなかった。
何者かではなく。
神に近いからでもなく。
ただ。
一緒にいたい。
それだけ。
リノアの目から涙が零れる。
ユリウスが慌てる。
「ご、ごめんなさい!」
「泣かせるつもりじゃ――」
リノアは首を振る。
涙を拭う。
そして。
小さく笑った。
「行きましょう」
ユリウスが固まる。
「……え?」
リノアはもう一度言う。
「一緒に」
「行きましょう」
その瞬間。
ユリウスは人生で一番驚いた顔をした。
---
翌朝。
神殿は大騒ぎになった。
神に最も近い巫女。
灰神皇の側室。
リノア失踪。
王都全域封鎖。
街道封鎖。
転移門封鎖。
神官達は青ざめた。
誰も経験した事がない。
前代未聞だった。
---
王城。
最上階。
執務室。
紫衣卿セイゼルが跪く。
「確認しました」
静かな声。
「リノア殿はユリウスと共に王都を離脱」
沈黙。
長い沈黙。
ハザムは窓の外を見ていた。
何も言わない。
怒っているようにも見えない。
悲しんでいるようにも見えない。
ただ静かだった。
紫衣卿は続ける。
「追跡部隊は既に――」
「何故だ」
紫衣卿が止まる。
ハザムは窓の外を見たまま呟く。
「何故」
「逃げる」
その声は。
怒りではなかった。
本当に理解できない。
そんな声だった。
紫衣卿も答えられない。
やがてハザムが言う。
「不足はなかった」
「地位も」
「名誉も」
「安全も」
「全て与えた」
静かな声。
だが。
どこか苦しそうだった。
「何故」
「私では駄目だった」
紫衣卿が目を閉じる。
それは。
神が初めて口にした弱音だった。
---
紫衣卿が退室する。
扉が閉まる。
広い執務室。
静寂。
ハザムだけが残った。
誰もいない。
昔からそうだった。
ずっと。
そうだった。
その時。
不意に。
頭の奥で何かが軋む。
知らない記憶。
知らないはずの光景。
白い部屋。
夜。
酒もない。
笑い声もない。
ただ静かな部屋。
そして。
誰かが呟いている。
---
『……寂しいな』
---
ハザムの瞳が揺れる。
誰だ。
その声は。
知らない。
だが。
知っている。
自分だ。
何百年も前。
シエルを失った後。
ノリアを失うよりも前。
ガロウがまだ奈落街にいた頃。
誰にも見せなかった夜。
誰にも聞かせなかった本音。
---
『話し相手が欲しい』
---
『私を理解する者が欲しい』
---
『誰か』
---
『誰かいてくれ』
---
次々と記憶が流れ込む。
研究室。
魔法陣。
魂の欠片。
感情の抽出。
禁術。
そして。
一人の少女。
白い髪。
透き通る瞳。
自分を見つめる幼い少女。
---
『名前は』
---
『リノア』
---
ハザムが立ち上がる。
椅子が倒れる。
何百年ぶりか分からない。
動揺だった。
忘れていた。
自分で封じた。
思い出さないようにした。
それでも。
今。
全部繋がる。
---
「そうだ」
---
小さく呟く。
---
「そうだった」
---
胸の奥が痛む。
---
「私は……」
---
記憶の中の少女。
神殿で祈るリノア。
ユリウスへ向ける笑顔。
全部重なる。
---
「リノアを創った」
---
静寂。
そして。
もっと恐ろしい事実へ辿り着く。
リノアは。
国家のためじゃない。
研究のためじゃない。
側近候補でもない。
---
自分の孤独を埋めるために創った。
---
ハザムは目を閉じる。
初めて。
怒りとも。
嫉妬とも。
喪失とも違う感情が胸を満たしていた。
---
「私のものだ」
---
誰にも聞こえない声。
だが。
その言葉だけは。
神ではなく。
どうしようもなく人間だった。
---
その頃。
王都から遠く離れた街道。
リノアとユリウスは馬車へ揺られていた。
何も持っていない。
未来も分からない。
追手も来るだろう。
それでも。
二人は笑っていた。
ユリウスが言う。
「今ならまだ戻れますよ」
リノアが笑う。
「戻りません」
即答だった。
ユリウスが吹き出す。
「強いなぁ」
リノアは首を横へ振る。
そして。
そっとユリウスの肩へ寄りかかった。
「弱いですよ」
小さな声。
「だから」
「あなたといたいんです」
夕日が二人を照らす。
誰も知らない。
この小さな幸せが。
神を。
本当に壊し始めたことを。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
第5章では、 これまでの「国家」「思想」「生存」とは違い、 “感情”をテーマに描いています。
ハザムは、 世界を救うことはできました。
ですが、 誰かを愛することや、 愛されることだけは、 最後まで理解しきれなかったのかもしれません。
そんな神の物語として、 続きを楽しんでいただけたら嬉しいです




