狂精霊リーゼの愉悦
人にとって、心が折れる原因という物がある。色々な要因があるが、最も効果的でわかりやすいのは『自己の否定』だ。――あなたのしてきた事は無駄でしたよ。と他者から言われて自分が認めてしまう事だ。
或る者は、世界平和を望む妻の為に生きていたのにその女性を魔の妃だからという理由で惨たらしく殺されたり。
或る者は、才能という物がありそれに見合った努力をしながら血筋によって自身の目指していた頂を閉ざされてしまったり。
わたくしは、……。
理由たる理由はある。原因たるものもある。誰しもがそうなる可能性はある。
「もしかしたら貴方のお父様かもしれませんわねえ」
その瞬間を見れるとしたら、何て素晴らしいのかしら。絶望に身を任せ、破滅を歌うと誓う尊い瞬間を。
確かにわたくし達の"元"王は絶対的な強者であり決まって『選ばれた証』である瞳を携えている。だが、だけれどいって、同じモノを持つだけのお姫様に頭角を現すことが出来るでしょうか。……そんな訳がないですわ。
「そうか」
現にそれを聞いたアニェラは呆気に取られた表情から、少しだけ眉間に皺を寄せて立ち尽しているではないですか。
――ああ、それなら。わたくしの土俵ですわ。
自身の血族が家族同然である同族を殺す為に、人間達を唆し打ち滅ぼそうと戦を仕掛けられた事実。憎いだろう、さぞかし殺してやりたいと思うだろう。もしかすれば、父親かもしれないという。父親殺しを成そうとするのだろうか。ああ、堪らないわ。
口元がどうしても吊り上がってしまうのが抑えきれない。これだから、わたくしは狂っているのですわ。愉悦。人の不幸に幸福を見出してしまっています。それを心地よく感じてしまうのですから。
一瞬だけとはいえ、恐れを抱いてしまったわたくしを恥じる。イメージというのは払拭し難いものだと、つくづくながら実感させられてしまった。
彼女の一言一句、身振り手振りを見逃さないように。わたくしは弧を描く口元を手で覆いながら、注視する。
しかし、
「そうか、どうでもいいな」
彼女は、現魔王アニェラ・サリーはあくびをしながら答えた。
「な、え? ど、どうして? どうでもよくないでしょう?! 」
「どうでもいい。――いや、正直に言えばお父様かもしれぬから。大事な事なのじゃが」
「そんな、……憎いでしょう。殺してやりたいと思うでしょう!? 」
思わず口に出さずにはいられなかった。
親しい者を、敬愛する者達をむざむざ殺されて怒りを持たない者などいないにきまっている。
ココロが壊れているなら兎も角、いや、ココロが壊れているモノならそれは人ではないわ。前提なんてあるわけが無い。
「うむ、うむ。そうしてやりたいのは山々なのじゃが。なんにせよ戦力も武力も持ち合わせておらぬしな。それに妾の目的は世界統一であって、復讐劇ではあらぬのじゃ。個人的な感情は色々あるのじゃが、何にせよそちらが妾の誓いなのじゃ」
それなら、わたくしの目の前であっけらかんと薄く笑うこの少女は一体何なのでしょう。理解が及ばない。
「……っ」
これが魔王なのでしょうか。人の心が、いえ、わたくしのような"狂った"精霊のココロさえ同調する事の出来ない。
人の善意を、いや、悪意を踏みにじられたというのはこの事でしょう。ひどく不愉快だわ。せっかく楽しい気分でいられたというのに。
気に入らない。気に入らないわ。わたくしの思い通りにならない物なんて、存在していい訳が無い。
「ルクスリア……! 」
わたくしの声に呼応するようにルクセリアが脈を打つ。心地よさそげに震えるコレを、魔王は落胆の文字を張り付けて溜息を尽いた。
「何じゃ、思い通りにいかなかったら駄々をこね癇癪を起すとは。子供かのう」
「……」
子供で結構だわ。こんな汚い世界に染まった大人になるよりは数百倍マシ。だからわたくしは幼稚であり続ける。これまでも、これからも。
怪しくぼんやりとした光が杖から漏れ出る。その光は人を惑わし、わたくしの都合の良い物へと変換させる。そう、例えばアニェラがわたくしの妹だという偽の記憶を与えてしまう、とか。
「――アニェラ、わたくしの可愛い妹。今からわたくしと一緒に世界を滅ぼしましょう? 」
「む、……」
戦闘の開始を告げるように杖を構えると、十中八九誰もがその杖を見て光を警戒するように眼差しを向ける。
ルクスリアは戦闘用の武器ではあるが、戦闘向きの武器ではない。
いざこうして武器を構えれば誰もがこの光を見るだろう。そしてこの光には捻じ曲げ認識を壊す力がある。
それを力を込めてみてしまえば、こちらの物だ。
あくまで自然に、甘く優しい彼女にとって理想的な姉を演じながらにじりよった。既に彼女にとってわたくしは偽りの姉になっていることだろう。存在しないハズの肉親へと成り替わっている筈だ。
そういうハズだった。そうなるはずだった。
「――ルクスリアが持つ特殊性、他者に自分にとって都合の良い物を与える力で、儂も思い通りにするつもりかの? 」
けれども、アニェラの瞳には未だ"選ばれた証"が浮かび上がっていた。わたくしにとっての傀儡となった視線ではなく、憎悪と殺意に彩られているはずの紅い悪魔の紋様が爛々とその存在を主張している。それどころか先程よりも強く紅く、朱く、煮え滾るかのように羽ばたいていた。
まるで圧倒的な強者が弱者の児戯を微笑ましく見るかのような視線に、どうしようもない悪寒が襲ってきた。
「っ、『ステータス』ッ!! 」
どうして、そう言葉にするより先に後方へと飛び去り、彼女の状態を確認する魔法を唱える。
★――――★
アニェラ・サリー
・覚醒者
・レベル ???
・真なる者。目覚めし者。上書きされしモノ。×××の血筋。
★――――★
「えっ」
おかしい。おかしい。おかしさしかない。通常ステータスというのは対象者の覚えているスキルやレベルや職業まで把握出来る筈なのに。それかレベル差がありすぎてそもそもステータスの魔法が成功しないかという二者択一しかないハズなのに。狂って表示されている。
先程見た時の彼女のステータスはこんなものではなかった。ステータスを隠す『隠蔽』の場合でも一部が見えなくなるくらいだ。
佇むアニェラは自身の持つ銀の髪を愉快気に左右へと揺らしては、艶やかな唇から音を覗かせる。
「く、くくく。儂でもよくわからないのじゃが、気持ちが悪いくらいに気分が良い。うむ、実に気味が悪いのう」
「『ファロ』!」
間髪入れずにわたくしは魔法を創り出し、全てを燃やさんと滾らす炎を魔王に発生させる。一瞬にして森をも飲み込むほどの業火を浴び、消え去った魔王。
得体の知れないモノと対峙するときは、先手必勝。
それでも未だ胸に残る気持ち悪さを払うように、わたくしは同じ魔法を唱え続ける。常人ならば初手の時点で灰すら残っていないですが、そんなことは構うものですか。
「問答無用で魔法を儂に当てるとはの、しかもお主の故郷みたいな所じゃろ? ここ。炎が燃え移ったらどうするんじゃ」
けれど、彼女はなんてことないように黄土色に近い暖簾を別けるように出てきました。銀の髪には焦げ跡どころか触れられた様子すらなく、更にそれが不気味だった。
「………っ」
「無駄じゃよ。儂に魔法は効かぬ。そういうパッシブスキルじゃ」
「『フィアメ――』
構わず魔法を行使しようとするわたくしに、
「めんどいのう」
そういって彼女は握りしめているジェラシーを消し……、た?
「リーゼぇッ!! 」
わたくしの愛している声が聞こえた時には、見ずとも分かる彼女に突き飛ばされていた。その拍子に生暖かい液体が浴びせられたのを感じる。奇しくもそれはここ数日よく味わったもので、相手の物を引きずり出した時に似た感触だった。
「む……、違う奴に当たってしもうたではないか」
残念そうに、不思議そうに呟く魔王を余所に、わたくしは突き飛ばしてくれた彼女の方角へと視線を急いで戻す。
そこには代わりにあの場所で待機していた筈のエンリエッタが転がっていた。緑色だった草木を真っ黒に染めて。
「え、エンリエッタ、エンリエッタ! 」
全てがどうでもよかった。全てがどうでもよくなった。立ち上がることなく地面を擦りながら急いで駆け寄る。
端麗な服装は斜めに断ち切られ、覗かせる玉のような肌は薄く焼けている。止めどなく溢れる生命は、不気味なほどに綺麗で化粧をしているかのように思える。それらを自己修復させる為に、ありったけの魔力を注ぎ込んで治療魔法を生み出した。
「な、なんで効かないの」
自然の摂理を教えるかの如く、いくら創造しようと奇跡を起こそうと、致命傷足りえる深い穴は閉じる事は無かった。まだ、まだよ。わたくしの生まれた土地ですもの。魔力ならば無尽蔵に湧き出てくれる。
それでも、いくらかけてもキャンパスを描くばかり。
「りー、ぜ……」
「喋らないで」
「りーぜ……、聞いて」
「傷が広がるわッ!! お願いだから、しゃべらない」
「ごめ、んな、さい。ね。リーゼロッタ。わたし、あの時……」
「っ」
その話は、起こりえない物だった。ルクスリアによって彼女は偽りの記憶が与えられていたはずだ。だからこそわたくしとの記憶はきっと残っていないハズ。そして例え正気だったとしても、きっと、そう。たぶんこういう、死ぬまで墓に持っていくか、今生の別れを迎えるか、そうでもしない限り言葉にすることさえ無かっただろう。だからこそ、どういう"状態"なのか分かってしまう。否応に理解させられてしまう。
わたくしの愛称ではない、本当の名を告げてくれたというのに。
いや、嫌よ、嫌よ。っ嫌よぉ、嫌。
妙に晴れ晴れとしたエンリエッタは、柔らかく笑みを浮かべながらわたくしの頬へと触れた。
「嘘でも、偽物でも、また一緒になれて……」
そうして、温かい指先は重力に引かれるようにして落ちた。
「え………」
エンリエッタ。
エンリエッタ。エンリエッタ、エンリエッタ! こんな、こんな呆気なく、こんな……こんな。
「ねえ、また、おはようって、またねって、嘘でもいいから、……ねえ」
返事を出す事は無い。ただただ涙が地面へと零れ、紅い花が咲き続けるだけ。どちらも止まる気配はなく、むしろ止められる事が出来なかった。
これからだった。宝物庫を襲ったのもこれからする世界征服に必要な物を手に入れる為だった。しかしそれすらも意味が無い。無くなってしまった。それらは手段であって、目的はただただエンリエッタと共に幸せに生きる為だったのだから。
「一つ、言っておこう。そ奴に魔法が効かぬのは"ジェラシー"によって治癒レベルを吸い取ったからじゃ。こ奴は"嫉妬"さえしておれば何でもすいとれるからのう」
………。
「ふむ、そうか」
………。
「く、くく。くくく、お主、呆けておるのはいいが、"ルクスリア"で現実を歪曲させなくて良かったのかの? 」
……え。
色彩全てを奪われたかのように感じる世界を、振り返る。
そこには、悪魔のような笑みを添えているアニェラがいた。
「この世数多は生命に関するものは、魔法ですらどうにもならぬ。命は命によってしか賄えぬからじゃ。じゃが、命を懸けるならば奇跡すらも凌駕出来るじゃろうて。……ルクスリアは他者のみならず現実すらも、思い通りに変えられる。お主の命を以て、あ奴の事実を変えてみればいいじゃろう」
その言葉は地獄だった。
エンリエッタを手に掛けた人がしていい物ではない。むしろジェラシーにレベルを吸わせたのならば、それを変えるという選択肢も、色々他にもあっただろう。ただ、わたくしにとって世界とはエンリエッタそのもので。提示されたものを鵜呑みにしてしまうほどにどうでもよかった。
突き飛ばされた時に手元を離れ無造作に放られたルクスリアへと視線を向ける。そしてそのままゆっくりと近づいて行った。
わたくしが、死ぬほど想えば、……エンリエッタは……。
ぼんやりとした意識で杖へと手を伸ばし、しかしそれは別の手によって遮られ手に取られる。その先には、
「――よう、昨日ぶりに会ってみれば随分とやつれた顔をしてるじゃねえか」
邪さを隠そうともしない笑顔の、我妻悠斗と名乗っていた人がいた。
大分間が空いてすいません。




