人はそれを畜生という。
宿屋で寝かしてあるというリーゼの言葉通り、アンナは柔らかな羽毛布団の上で寝息を立てていた。てっきり宿屋の主人に説明しないといけないかと思ったが、既にリーゼが話を通していてくれたようだ。変な所で律儀なもんだ。
俺はアンナの肩を軽く揺さぶる。その際にぐにゃりと胸が歪んで揺れた。……まじか。ブラジャーとかしてないんだろうか。
………。
ちょっとくらいこの光景を眺めててもいいよな。
「おい」
釘付けになっていた胸から、少しずつ上へと視線を動かす。そこにはメラメラと瞳を燃やすアンナの怒り顔があった。
「これはどういう事だ」
悪い事は出来ないもんですね、神様。
さて俺はどうやって言い訳してやろうか。
正直に言う。――無難そうだ。無難すぎて面白くない。
部屋を間違えましたという。――いや、無理があるだろ。第一それだと俺がボコられて終わりだ。
おっぱい見てるだけですが。―――これだ。この手の奴はド直球に言われる事に弱い。きっと恥じらいCG差分みたいなのがあるという希望に掛けてこれだ。うやむやに出来る上に俺は役得しかない。
フハハ。ただでは転ばぬ。
「おっぱい見てるだけですが」
「そうか、死ね」
瞬時に振りぬかれた。間一髪頭を下げて避けれたが、一部髪の毛が吹き飛んでしまった。
「ごめんなさい嘘です本当の事言います」
「最初からそうしないか」
俺は半分涙目になりながら先程までの顛末を説明した。
アンナは難し気な表情を浮かべる。
「そんな事になっていたのか……。すまない、不意を打たれて今の今まで気を失っていたんだ」
そりゃ友達だと思ってたやつから不意打ちくらうとは思わないよな。
「そのリーゼとやらはやはり……」
「ああ。お前の追いかけてた"狂精霊"とやらだろうよ。狂精霊にしては妙に理知的だったが、理性は無かった。あいつと『思念』で会話しているときに分かったが。あいつはエンリエッタの事を呼ぶときに"わたくしの"って必ず付けてたしな」
「わたくしの……」
「二次だといいけど、実際にヤンデレ百合を見せられると何とも言い難い気持ちにはなるな」
或いは、エンリエッタの事を道具としか思っていないか。どちらにせよ傀儡に代わりは無いが。
眉間にしわを寄せていたアンナは、灼熱の瞳をそのまま俺へと向けてきた。
「悠斗殿、一つ聞きたい事があるのだが」
「何だ」
「貴方は、エンリエッタの洗脳に気づいていたのか」
む。
「ああ。といっても最初からじゃないがな」
そう望んだ返しをしてやると、アンナは少し悲しそうな表情をして。呟いた。
「少し外に出ないか」
「意外だな。てっきり今すぐにでも助けに行きたいと言うのかと」
「それもあるが、済ませたい用事が出来た」
俺は薄く笑う。
「――ああ、いいぜ。ついてくよ」
アンナに連れてこられたのは、町から軽く離れた草原だった。辺りに魔物の姿は無く、広々と緑が生え盛っている。
背を向けるようにして立つアンナは、暫く黙っていたかと思うと静かに語りだす。
「貴方は昨日言っていたな。私は勇者に向いていないと」
「ああ」
「私は思っていたんだ。貴方が勇者に尤も向いているんじゃないかと。私は所詮贋作だ。選ばれただけで、未熟で酷く薄暗い人物だ。……実力があって、なんだかんだといって人助けをして、人情味溢れている人なのだと」
「そうか」
「ふざけるな」
風に煽られて雑草が一斉に薙ぎられる。それもそうだろう。アンナは振り向きざまに剣を抜いてきた。
俺もすぐさまに抜き防ぐ。けれど一瞬刀身によって遮られた視界に、隠れるようにしてアンナは距離を詰めてきた。喉へとたてられた切っ先を上体を軽く斜めへと逸らし、鉄が削れるような高い音を立てながら避けた。そのまま俺は彼女の手首を掴んで後方へと投げる。
不意の行動に、俺も剣では無く柔道のような小手先で返してやったのに。アンナは意に返さないかのように転がり立ち上がった。
再び上げた表情には、失望と怒りが滲んでいた。
「気づいていながら、分かっていながら。見捨てていたのか……? 貴方は」
「面白くなりそうだったしな」
「ふざけるな」
遊びじゃないんだぞ。と生身の剣を突き立て、振り切る。俺はそれを防ぐ。防いだ方の腕が金槌にでも打たれたかのように痺れた。
「面白くなりそうだったから……だと? ふざけるな。ふざけるな……ッ! やっと分かった。貴方は他人の為に動いているんじゃない! 自分の為だけに動いているんだな!! 」
更に早く、速くアンナの剣戟は速度を得ていく。既にアニェラを殺そうとしていた時の比ではない。
一撃一撃を弾くごとに、僅かに痺れた腕に痛みを感じ始める。
【ふわぁ、昼寝してたらまた面白い事になってるな】
今の状況に集中している俺の脳内に、フェルのあくび声が聞こえた。
お前寝てたのか。道理でおとなしいと思った。
【一杯食べたしな】
左様ですか。残念だが今お前に意識を向けられるほど余裕がない。
「今更気づいたのか? 」
挑発するように口元を釣り上げて笑うと、アンナは苦々しそうにする。
「貴方は勇者なんかじゃない。……けれど、それを私が言える権利などない。資格なんてない。復讐を望む私にそんな事を言える義理なんて無いだろうな。だが、私はエンリエッタの友として一太刀キサマに入れてやらないと気が済まない」
『九つの太刀』。そう言ってアンナは今までで一番早い剣捌きを見せた。あまりの速さにまるで名の通り九つ斬撃があるように思える。九○龍閃かよ。
九つ全てを弾くことは叶わず、食らってしまう所は咄嗟に魔法によって局所的に硬くする事によって防ぐ。手ごたえが無かった事に一瞬呆けたアンナだが、すぐに取り直し手を休める事は無かった。
【面白いな、コイツ。悠斗が煽ったら、さっきより早くなってる】
フェルディナンドの切っ先が震える。
【アニェラ姉やエンリエッタのやろーと違って、ある程度完成された強さじゃない。底が知れない天才だな。……もしかしたら、或いは、アイツが振るってるアタシと同じ姉妹も目覚めるかも】
姉妹剣だと? あとアニェラ姉って何だ。
弾いた剣の跡が地面を抉る。
【アニェラ姉の話はおいておいて、アイツが振るってる剣。間違いなくアタシと同じ系統で作られた聖剣だ。実力が無さ過ぎて眠ってるみてーだけど、自我があると思う】
そうか。似た世界だとは思ったが、お前と同じ理由で作られたモノもあるのか。……。
【楽しそうだな、悠斗】
楽しいさ。
思い通りにならない。ただじゃない。これを楽しいと言わないで何て言うんだ。
【つくづく思うけど、悠斗って勇者というより魔王だな】
後、さっきの話を誤魔化したつもりだろうが焼き菓子を貰ったから姉貴って呼んでるだけだろフェル。
【な、なんのことかわからねえな。アタシはもうちょい寝る! 】
俺は一際大きくアンナの剣を弾く。それによって俺達の距離は開いた。
「そうさ。お前の言う通り俺は勇者なんかじゃない。友達の為? 国の為? いいさそれも勇者ならな。だが、俺はそんな事の為に死んでたまるか」
「それでも助けられる力があるのなら」
「それが強者の義務か? ハッ、御託を並べるな。確かに目の前で苦しむ奴がいたら助けてやるさ。けれど目に見えない奴まで助けれる程俺は強くない。無敵じゃない。最強じゃない。神なんかじゃない。ただの粋がってる勇者だ。悲しむ事は出来ても、助ける事は出来ない。疲れるだけなんだ。全てを救おうとしても」
視線をアンナの後方にある空へと向ける。
「お前には教えるが、俺は二度目の異世界転移だ」
「な」
「一度目の異世界転移では喜んださそりゃ。呼ばれてみれば勇者だっていうんだ。それまでの俺は何にも取り柄のない人間だったからな。けれど勇者の才能があっても俺は何も変わっちゃいなかった。当たり前だよな。俺は一般人なんだからさ。好調の内は良かった。やれば褒めてくれる。讃えてくれる。だけど……、戦場で、初めて俺の友達が死んだんだ。俺の知ってる人が無残に殺されたんだ。大型の魔物だった。背丈よりも大きい爪で身体を横なぎに真っ二つ。……、そこで初めて分かった。俺はいくら強くとも、特別になれないんだって」
あの日の事を忘れた事は無い。
何でもやれる。なんでもできると豪語し、傲慢に強欲に過ごしていた俺に現実を教えた。
夢を見ているのなら、目を覚まさせればいい。見ない夢も無いが、覚めない夢も無い。
飛び散る血飛沫も、嗅いだことのない匂いも、込み上げる悲しさも。取り返しのつかない物だったから。
「心が折れた。単純さ。殺された人の家族に謝りに行った。その人には奥さんや、まだ年端もいかない子供もいた。俺の友達には元の世界に家族だっていた。知らなかったで済むもんか。分からなかったでごまかせるものか。救える力があったのに、助けれなかったなんて、言えるもんか。魔法は万能だが、人の命は戻らない。結局のところ俺は漫画を読んで、あるものだと憧れて、これをバネにして強くなるような奴じゃなかった」
だからこそ、アンナの姿は俺と被った。
こんなの予定と違う。そう言って心が壊れそうになって、何かにぶつけないといられない。そんなのが勇者なものか。
「それでも俺は勇者だった。疲弊している国がそんな事を気にしていられるもんか。……数年籠ったさ。なんら変わらない。元の日常に戻ろうと辺鄙な所へ逃げ込んで、人のいない生活を過ごした。だから、俺は自分の命が何よりなんだよ。刹那的な娯楽にしか興味がなくて、ただの器の小さな男さ」
そこまで語って、息を吸い込む。
そうして次に吐き出した息は、これから起こるであろう出来事に対しての溜息だった。
「―――貴方は、それを言い訳にしたいだけだ」
アンナは太陽よりも朱く、紅く。けれどもそれを象徴する髪を逆立てる事無く、静かに答えた。
「その話が本当かどうかは知らないが。私は貴方を信じたいから信じよう。辛くなるから、哀しくなるから、泣きたくなるから、最初から人肌を知らなければ恋しくならないと言わんばかりに、言い訳をしてるだけだ。貴方の絶望に他人を巻き込むな」
彼女の剣から繰り出された技は、既に目で追える形をしていなかった。
吹き飛ばされて、初めて気づく。抜き身となった剣を見て遅れて理解する。
空を仰ぐ形で俺は地面に転がされていた。
「そうか。……私は、あなたと同じだったんだな。もう誰も傷つけさせない。守ってみせる。貴方が言う心の摩擦で失う物があっても」
「そりゃよかった」
久しぶりに自分以外の意志で踏みしめた地面を味わいながら、俺は身体を起こした。
見れば淡い光を放つ精霊がアンナの周りを囲っている。ピコン、とアンナの目の前にステータス画面が現れる。
――『精霊加護』を取得しました。
「これは……? 」
「これでお前もエルフの森に入れるな。精霊に気に入られるなんて運が良い」
すっかりと憑き物が落ちた顔をしているアンナは、一瞬だけ訝し気にして驚いた。
「もしかして貴方は」
「勘違いなんかじゃない。俺はお前の言う通り臆病者で我儘でどうしようもない人間だよ。ただまあ……」
もっと、下種なんだけどな。
俺はアンナに見えないように、心の中で嗤う。
「エンリエッタとアニェラを助けに行こう」




