eruphoria
「狂精霊? 」
俺達は食後に頼んでおいた飲み物を各々飲んでいた。フェルだけは鞘に収まったまま昼寝を始めてしまったが。
エンリエッタは言う。
「そう、狂精霊よ。怒りや悲しみ、はたまた憎悪で心を満たされあり方を見失った精霊とでも言った方がいいかしら? 兎にも角にも気狂いを起こしてしまった事ね」
「昨日お前怒ってるだけって言ってたじゃねえか」
「事実をありのまま伝えるなんて馬鹿な事しないわ」
鼻で笑われた。
「すまないエンリエッタ。高々と言っては失礼だが、それは精霊が暴走しているだけとは違うのだろうか? 」
アンナの質問に対して、エンリエッタは少し考える動きをした後に口を動かした。
「精霊の成り立ちは知っているかしら? 」
「……いいや。本来なら知っておくべきなのだろうが、余裕が無かったのだ」
後悔の色を滲ませる彼女を責められる奴はいなかった。
「そこから説明するわね。アンナ、貴方は魔法を使うのに必要な魔力ってどこから来ると考えているかしら? 」
「体内から生み出されているのではないのか? 」
「俗に言う魔力を生産している器官の事ね。見えないけれども確かにあるものとして唱えられている。それがあるかどうかという話は置いておいて、私達エルフは違うわ。私達は魔力が"心"から来るものだと考えているの」
「心? 」
「そう。どんな物にさえ心はあるわ。私達エルフはそれを聞き取れる。もしも生き物からしか魔力が湧き出ないのなら、自然界に魔力は一切ない事になるわ。……けれど、そんな事はない。むしろ自然が豊かなほど魔力は濃いわ」
そこで一旦飲み物を口に含み、喉へ通した後に続けた。
「話を戻すわね。端的に言うと精霊は魔力から生み出された存在よ。自然が生んだ土地の化身といった方がいいのかしら。それこそ私達よりも長生きしている。……さっき私は魔力は心から湧き出るって言ったわね。精霊はダイレクトに受けるのよ、心そのものが顕現しているからなのか。それは分からないわ。彼らは良くも悪くも純粋で、気狂いを起こす。心の内に持った事を行動にしてそれ以外が出来なくなってしまうわ」
彼女は瞳に憐憫の火を灯す。そしてそれがゆっくりと薄暗いモノへと変わっていった。
「気狂いを起こした理由がどういう理由なのかは知らないわ。理由になれる原因なんてたくさんある。ありすぎるわ。人は樹を斬り倒すし、闇雲に自然を。果てには自分の仲間ですら手をかけるじゃない」
そこに来て初めて、アニェが口をはさんだ。
「エンリエッタ」
「人に限った話じゃないわ。魔族だってそう。裏切ったりすることを平気でやるじゃない」
それはアニェラの事だろうか。親のように思っていたスクラダに裏切られ、過酷な運命を強いられた彼女の。
「私達エルフは散々忠告してるのにすぐに忘却へと追い込む。そんな人達の事なんて知ったもんですか。さっさと滅んでしまえばいいのに」
「エンリエッタ! それはいいすぎじゃ! 」
「勇者アンナ。私は貴方の心持は好きよ。私達は外見で美しいとは思えないけれど。初めて会った時の貴方は誰隔てなく接しようとした綺麗な心の人だった。だからこそ私は提案を受け入れたわ。でも事実は事実として受け止めなさい。そうじゃなきゃ精風病なんて名前が生まれる訳が無い。自分たちが仕出かした事に手痛く返されたからって、病気のように語るのはズルいわ」
何かがエンリエッタの琴線に触れたのだろうか。吐き出すように語った彼女に、アンナは椅子から立ち上がった。勢いよく両手をテーブルに叩きつけたせいで、周囲に座っていた人が何事かと視線を向けて来る。
「……玲菜は関係ない! 」
「……」
「ヤツは私が王都不在の間に単独で攻め入り、宝物庫を襲った。その際にたまたま途中で通りがかった玲菜と王子に呪いをかけた! 」
「……あ」
そこでエンリエッタは気づき、苦みを押しつぶしたような表情を浮かべる。テーブルには薄い円状の染みが一個二個と落ちていった。
「人は確かにどうしようもない業を背負っているとは私も考えている。事実貴方の言う私は今や憎悪に身を捧げた浅ましい女だ。殺したくて、殺したくてどうしようもない。……けれど、私は玲菜を救いたい。救いたいから、折り合いをつけているだけにすぎない。玲菜はもともと私に巻き込まれてコチラに連れてこられた一人だ。召喚時にステータスが強化されているにも関わらず、王宮以外に出る事が出来ない。そこにたまたまいただけの、虚弱な友達だ」
既に周囲の喧騒は再び止んでしまっている。
「……本音を言うならば私はこんな所で悠長に話を聞いているのではなく、一分一秒でもそいつを殺しに行ってやりたい。けれどエルフの結界には精霊の加護を持たない物を弾く。これが必要だからこそ抑えきれただけなんだ」
既にアンナの表情は疲れ切っていた。
「すまないが、私は少し席を外す」
彼女はそのまま椅子をテーブルへと入れ、立ち去っていく。
「…………」
残されたエンリエッタはどうしようもない顔をしていた。
なんとなく口にするのもはばかれるような空気になった時、最初に開いたのはアニェラだった。
「同情はせんぞ」
「いいわよ……。どう見ても私が余計な事を言った」
「お主らしくないの。いくら精霊を敬っているお主だとしても、ここでここまで言う事は無いじゃろうに」
「……本当にね」
エンリエッタの常に釣りあがっていた眉はらしくないくらいに下がっている。
なんだかこのまま話が終わりそうなくらいに消沈していたので、俺は話し掛けた。
「そいつは今何処にいるんだ? 」
エンリエッタはじーっとこちらを覗き込み、はぁと溜息を尽きながら答えてくれた。
「愚者の回廊よ、あと話し掛けないで下種」
なんか当たり強くなってませんか。
「ぐ、愚者の回廊じゃと!? 」
何処だよそれって思っている俺に代わり、アニェラが良いリアクションをしてくれた。すごそう。
「どんな所なんだ? 」
「エンリエッタ達エルフが守っておる神殿じゃ。そこには神界へと繋がる扉があって、それ故に最も神へと近い場所とも言われておる。実際その扉が開いたという話はないので本当かどうかは分からぬが、とてつもなく濃い魔力で満ちている神聖な場所じゃ。……しかし何故じゃ? そのような所に行った所で何かがある訳でもないのに。更にその前には王都を襲っておる。エルフ全体どころか他国にも追い詰められるような事を。リスクとリターンが見合っておらぬ」
「何が目的なのかは分からないわ。気狂いだもの。或いは私達に倒される事を望んでいるかもしれない」
「ならば討伐隊なりを出せばいいではないか」
「無理よ。……事情があって、表立って行動は出来ないわ」
「何故じゃ? 」
それに対して、エンリエッタは顔を背ける。
「妾にも言えぬ事なのか」
「……」
「そうか。ふん……」
「アニェ、アンタは仮にも魔王なのよ。アンタ自身がどう思っていようと、目立てば必ず担ぎ出されるわ。……二度も、友達が死んだなんて連絡聞きたくないわ。本当ならこの話もいない所でしたかったのに」
どうやら彼女は彼女なりにアニェラを巻き込みたくないようだ。
けれどもそんな思惑とは裏腹にアニェラはいやらしく笑った。その両の瞳を真っ赤に染め上げ、悪魔の紋章を刻み込ませて。
俺は反射的に握りこぶしを作る。
「そういえば、妾は丁度暇をしておったな。たまたま友達の所へ付いていき、たまたま悩みを解決してやるなんて偶然もあるかもしれぬ」
「アニェ……。アンタ」
「妾が何をしようと勝手じゃ。仮にも魔王が他人の指図などご丁寧に受けてやるものか」
どや顔で言い放った少女に、エンリエッタは鬱屈な雰囲気を払うかのように和らげた。
「……エルフの結界に入るにはそもそも精霊の加護がないと無理よ? 」
「あ」
「変な所が抜けてるわね、アニェは相変わらず。いいわ。本当はこんな事しないんだけど。貴方達が結界内に入れるように私が加護をかけてあげる。もちろん……アンナも」
その視線はもういなくなっていた席へと向けられている。
「大丈夫じゃ。妾は無理じゃろうがお主達は明け透けに言えるほどの仲なのじゃろう? 」
「そうだといいけど」
「取り合えず謝りに行くといいのじゃ。……なに、会計くらい妾が払う」
「………」
そんな風景を見ながら俺は黙っていた。
言い難い。言い辛い。云えない。どこからだろうか。今朝から? 昨夜の後? それともそれ以前からだろうか。
アニェラが気づいているかどうかと言われればおそらく気づいていないだろう。アニェラが興奮して契約魔法を発動させる時の魔力の流れを作らなければ、たぶん俺も気づかなかった。
―――エンリエッタは何者かに『洗脳魔法』を掛けられている。




