機械
人間とは何ですか。
それは機械とはどう違っているのですか?
心があるから、ですか。
・・・人間に心などない。
では心がないというならやはり人間は機械なのか。そうかもしれない。きっと周りの人間たちはみな良く出来た機械。私の示すことに応じて適切に反応するようにプログラムされた精巧な機械。いや、他人が人間か機械かなんてどうでもいい。人間にしろ機械にしろ、私とのコミュニケーションに一切の違いが認められないのならそれは機能的に等価なのだ。つまり、こと私において、私が機械だと断定できうる限りそれは機械であってしかるべきなのだ。
保健室の扉が開き、感情のこもらない無機質な声が耳に届く。
「こんにちは、体調はお変わりありませんか」
まるで本当に機械のよう。
だったら機械として扱ってやればいい。人工音声を発したのはこの学校に配属された看護用ロボット。断じて面倒見の良い職員などではない。
いつものようにニヤニヤと薄気味悪い笑みを携えている。それ以外の表情は物理的に構築できない仕組みなのだろうか。
「先生、心配になるわ」
「それは私の体調が、ですか」
「えぇ、心配すぎてもう禿げそうよ」
あまりにも茶番。こいつは私が仮病だということを知っている。それでも滞りなく行われる上辺だけのやり取り。この会話はとても続けるに値しない。
「今日は何描いてるの」
はやくも私の体調に関心を失ったようで、私の手元に視線を向けている。
「それは、地獄?」
「教室です」
「あらいやだ。芸術性が高すぎるわ、倉永巨匠。私は未だにゼロポイントよ」
「今回は二ポイント差し上げます」
「当たってないじゃない」
荷物をまとめ、保健室を出る際に一言、当たってますよ、と付け加えておいた。
私がこれから向かうのは間違いなく教室ではあるが、耐え難い苦痛を味わうのであれば、機能的には地獄と等価である。私にとって地獄と教室の区別がつかないのなら、その場所をどちらで呼び表しても差し支えないのである。とりわけ私はその場所を地獄という。
2のAという教室の看板が見えてきた。地獄の戸口に手をかける。扉を開けるとその中に等間隔に配置されている私を痛めつけるためだけに存在している自動機械がずらりと整列している。今更、何も驚かない。もう、幾度となく繰り返されてきたこと。そしてこれからも。
そこではあらゆる希望は排され圧倒的な絶望が支配する空間。
希望があれば生きていけるというのは嘘。だって希望は私を生かしてはくれなかったもの。
あたり一面、上も下もどこを見渡しても水溜りに浮かぶ油膜のような、彩度の低い歪んだ虹色に覆われている、そんな息の詰まりそうな空間。地面という概念はなく、その異様な空間にぽつんと浮かぶ机と椅子と私。私は机に頬付きをしながら、体を斜めに逸らして椅子にふてぶてしく座っている状態で宙に固定されている。
一人のクラスメイトが見えない床をこともなげに歩きながら近づいてくる。手に持っている仮面をいかにも人畜無害を装った顔に押し当てて私の前で立ち止まる。
仮面にはでかでかとしたわざとらしい文字で希望と書かれていた。
「今は辛いかもしれないけど、この先はきっといいことがあるよ」
希望が私を励まし、手をさし伸ばす。その手につかまろうと立ち上がった瞬間、自らが風を切る音を聞きながら、突如浮遊感に襲われる。とっさに短い悲鳴を上げ、全身に力が入る。すんでの所で椅子の座部にしがみつき、落下しかけた事実を遅ればせながらに確認する。私のまわりには見えない床は存在していなかった。触れることが可能なのは椅子と机のみ。椅子によじ登りながら、困惑した顔をクラスメイトに向ける。
その子は直立したままこちらを見ている。正確に言うと、仮面をつけているのでこちらを見ているのかどうかは分からない。よく見るとその肩が小刻みに震えているのが分かった。笑っているの?
その人物は後ろを振り返り、何事も無かったかのように去っていく。その後姿が徐々に透き通って半透明になっていく。
待って!
その人物は完全に背景へと透過した。
その後も何人もの希望が現れては消えていく。何度だって私を励まそうとして、何度でも裏切る。最後の一人がいなくなり、全てのクラスメイトが透明人間になった。
同じじゃないか、周りの連中も、希望も。実際私は両者を重ねてみていた。それらは結局私を助けてくれない。
希望というのは辛い今から目を背けさせるその場しのぎの延命措置に他ならない。だから私には希望は必要ない。私は希望が憎いのだ。
妄執めいた過去と机上のゴミを同時に振り払い席に着く。周りからクスクスと笑い声。気にせず前だけ向いている。
今起こっていることが当たり前じゃない、と思っていたときは感情が揺り動かされたりもした。でも、今起こっていることは当たり前のことなのだ。当たり前のことが起こって何を動揺することがある。
いつも通り、有害な機械人間どもと戯れるありふれた日常風景。世界中、人それぞれ違った生活があり、私にとってはこれが当然のライフスタイルであり予定調和なルーティンワークなのだ。何を思いあぐねることがあるのか。
深い思想の中にどっぷりと浸っていき、周りからの情報をシャットアウトする。
漆黒の夜の帳から、かすかな月明かりが差し込まれる。見慣れたはずの教室が荒れ果てて血に染まり、名実共に地獄となる。私はといえば、教室のど真ん中で悲痛な表情で泣き叫んでいた。
どうして私は泣いているの? それにそこに倒れているのは誰なの? 私が知るわけないでしょ、私には友達なんていないのに。 この光景は一体何?
「あの私は明智千鶴と言います」
身に覚えが無い思考回路に耳障りな甲高い声が刺し挟まれ、停止を余儀なくされる。
こんな二学期の真っ只中にクラスメイトに自己紹介される覚えはない。また誰かが考えたくだらない遊びだろう。聞くに堪えない不必要なノイズだ。・・・クラスメイトの名前なんてまるで興味がない。
何事も無かったかのようにルーズリーフを一枚取り出し、カリカリと鉛筆を動かす。タイトルは「積み石の刑」。もうまもなく、完成予定。
狂気がみせたこの教室の本当の地獄。この瞬間から私は狂気に導かれ、その地獄へと一歩また一歩と歩みを進めていくこととなる。




