第37話 もうひとつの物語
「光に向かって、跳んだ。光そのものが、光に向かって、跳んだのだ」
—— ルクスが消えた日
これは、誰の記憶にも残らなかった、もうひとつの物語である。
その物語を最後まで見ていたのは、世界の理のほかに、誰もいない。
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その組織に、名前はあってないようなものだった。
聖女信仰——「いつか聖女が現れ、世界に光を取り戻す」。
人々が広く信じる、ささやかでやさしい希望。
その信仰の、いちばん深い底に、彼らはいた。
彼らは信じていた、聖女の存在を。
そして、絶望していた、いつまでも現れることのない、聖女という存在に。
——聖女は、待っていても来ない。
絶望した彼らは、一つの答えに辿り着いた。
——ならば、呼べばいい、と。
罪の意識は、彼らにはなかった。
あるのは、信仰と、使命感だけ。
世界に光を取り戻すのだという、歪んだ、けれど本人たちにとっては純粋すぎる、確信。
彼らは、足のつかないように、世界に紛れていた。
名乗ったのは「篤志家」——身元のあいまいな、裕福な慈善家。
その顔で、彼らは、いくつもの孤児院を、そっと支えていた。
行き場のない子どもたちが集まる、七つの場所を。
やさしさの顔をした、その手は。
いつか、子どもたちを「集める」ための、網だった。
その正体に、たどりついた者は、ついに、いなかった。
長じてのちの、あの子どもたちも。
——二十年をかけて、すべてを追いつめた、ひとりの少女で、さえも。
「篤志家」という、あいまいな顔の奥に、彼らは、最後まで、隠れおおせた。
彼らが何者であったかを知るのは——いまも、世界の理、ただひとつである。
古い記録と、古い遺跡。
円い部屋と、床に刻まれた召喚陣。
壁の碑文に、儀式のやり方は、概念だけが残されていた。
彼らはそれを読み解き、要件にかなう子どもを、十七人、選んだ。
選ばれたのは、みな、孤児院の子。
——いなくなっても、誰も、探さない子どもたち。
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その日の朝。
十七人の子どもたちは、その部屋へと運び込まれた。
子どもたちには、なにも、知らされていなかった。
ただ、「特別なお祈りをするのだ」と、それだけ。
慣れない場所、慣れない大人。
不安が、小さな胸の中で、ことことと音を立てていた。
大人たちは、子どもを番号で呼んだ。
名前ではなく、ただの番号で。
一番から、十七番まで。
そのほうが、都合がよかったからだ。
十六番の子と、十七番の子は、同じ孤児院から来ていた。
幼なじみの、ふたり。
いつも一緒にいた、ふたり。
——十六番の名を、ルクス、といった。
——十七番の名を、ピッパ、といった。
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昼の十二時。
建物のてっぺんで、鐘が鳴った。
その音を合図に、入口が、重い音を立てて閉ざされた。
もう、外には出られない。
長い、長い、待機の時間が、始まった。
子どもたちは、自然と、もとの孤児院ごとに寄り集まって座った。
知った顔の、そばがいい。
心細い時は、誰だって、そうだ。
けれど、どの輪にも入れない子も、いた。
ひとりだけの孤児院から来た、モアと、コルテ。
ふたりは、別々の壁ぎわで、膝を抱えて、うつむいていた。
誰とも、目を合わせないように。
ルクスと、ピッパは、部屋の北西の隅に、肩をならべて座っていた。
ピッパは、こわばった顔で、膝の上の手を、ぎゅっと握っていた。
その手に、ルクスは、そっと自分の手を重ねた。
「だいじょうぶ」
ルクスは、笑った。
なんの根拠もない、ただ、あたたかいだけの、笑顔で。
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午後になっても、夜が近づいても、何も始まらなかった。
子どもたちは、それぞれのやり方で、不安をやり過ごしていた。
持ち物をいじる子。
歌を、小さく口ずさむ子。
膝を、指で、とんとんと叩く子。
——その中で、ルクスだけが、違った。
じっとしていられなかったのだ。
こわさよりも、好奇心のほうが、ほんの少し、勝っていた。
ルクスは立ち上がり、ぐるりと、部屋を歩きはじめた。
誰にともなく、けれど、ひとりひとりに。
話しかけながら。
膝を叩いてリズムをとる子に、ルクスは、別のメロディを合わせてみせた。
指先が、ぴたりと、合った。
鼻歌の子とは、声をそろえて、歌った。
黒髪の子が、絵札を並べていた。
ルクスがねだると、その子は一枚、引いてくれた。
出たのは、太陽の札。
ルクスは、ぱあっと、顔を輝かせた。
床の文様を、指でなぞっている子がいた。
ルクスは隣に座って、おなじ文様を、いっしょになぞった。
地面に文字を書いて見せる子もいた。
「光」という字だった。
「すごい、もじが、おどってる!」と、ルクスは、無邪気に感心した。
指人形でお話を作る子とは、続きを、二人でこしらえた。
口笛を吹く子に、教わって、真似をした。
うまく音が出なくて、ふたりで笑った。
お守りを見せてくれた子とは、動物の話で、盛り上がった。
壁の碑文を、熱心に眺めている子の、隣にも、ルクスは座った。
その子が好きなものを、いっしょに、ずっと眺めた。
ミサンガの編み方を、教わった。
こわがっている子の頭を、撫でてあげた。
「だいじょうぶ」と。
くるくると舞う子とは、名前を、教え合った。
そして、ルクスは。
壁ぎわでひとり、うつむいている、モアの前で、足を止めた。
「なにしてるの?」
モアは、おそるおそる、手のひらを開いた。
小さな、種が、ひとつ。
埋める場所もなくて、ずっと握っていたのだと、モアは小さな声で言った。
「ちいさいのに、おおきくなるんだね」
ルクスが言うと、モアは、はじめて、顔を上げた。
誰にも見られないように握りしめていた種を、はじめて、誰かが、見てくれた。
それだけのことが、モアの胸の奥を、ほんの少し、ほぐした。
反対の壁では、コルテが、ひとりで、目を閉じていた。
まわりの賑わいから、自分だけを、切り離すように。
ルクスは、そこにも、歩み寄った。
そして、となりに座って、ただ、いっしょにいた。
なにを話すでもなく。
けれど、その「となり」が、コルテには、ひどく、あたたかかった。
——ひとりぼっちの子のところへ、ルクスは、わざわざ、行くのだった。
誰に頼まれたわけでもなく。
そうすることが、ルクスには、ただ、あたりまえだったから。
ミュリエルという子が、絵本を開いて、お話を読んだ。
遠い町を目指す、小さな旅人の話。
ルクスは、いちばん前で、目を輝かせて、聞いていた。
「つづきも、ききたい」と、何度も、せがみながら。
この日、この部屋で。
ルクスは、確かに、ほかの十六人全員と、出会っていた。
手をつなぎ、笑い、名前を呼びあった。
——その、ひとつひとつの瞬間を、後に、誰も、覚えていない。
覚えていられないように、される。
それを知っているのは、この夜、世界の理だけだった。
夜。
ルクスは、ピッパの隣に、戻ってきた。
「ねえ、ピッパ。おうちに帰ったら、なにする?」
たわいもない、問いだった。
明日も、あさっても、ずっと続くと、信じて疑わない者だけが、口にできる問い。
ピッパは、すこし笑って、なにか、答えた。
ルクスも、笑って、なにか、返した。
——どこにでもある、ありふれた、夜のおしゃべり。
それが、ふたりの、最後の会話になることを。
まだ、どちらも、知らなかった。
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夜の、十二時。
ふたたび、鐘が鳴った。
その瞬間、床の召喚陣が、青白く、光りはじめた。
儀式が、ひとりでに、動きだす。
十七人の子どもたちの魔力が、陣に吸い上げられ、ひとつに溶けあっていく。
そして、世界が——「量り」を、始めた。
その変化に、皆が恐怖を覚えた。
そして、誰かが言った。
——みんなで、祈ろう、と。
十七人は、手を、つないだ。
ぐるりと、ひとつの、大きな輪になって。
となりの子の手の、ぬくもり。
反対がわの子の指の、つめたさ。
こわいのが、すこしでも遠くへいきますように。
みんなが、無事でいられますように。
子どもたちは、声をそろえて、祈った。
祈りに呼応するように、召喚陣の光は強くなっていった。
聖女召喚とは、世界に光を降ろす儀式。
けれど、この世界は、等価交換でできている。
光をひとつ、招くなら。
それと釣り合うだけのものを、代わりに、差し出さなければならない。
差し出されるのは、誰か、ひとりの、存在。
——世界は、十七人の中から、それを、選ぼうとしていた。
基準は、ただひとつ。
「聖女と、もっとも釣り合う者」。
すなわち、十七人のうちで、いちばん、光の資質を宿した子。
世界の天秤が、ゆっくりと、傾いていく。
そして——選んだ。
ひとすじの光が、すうっと、降りた。
十七番の子の、上に。
——ピッパの、上に。
皮肉な話だった。
「光をもたらす者」に、もっとも近い資質を持っていたのは、ほかでもない、ピッパだったのだ。
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自分の上に降りた光の意味を、ピッパは、本能で、理解した。
「……いやだ」
声が、震えた。
「いやだ……消えたく、ない」
恐怖が、小さな身体を、凍りつかせた。
動けない。
逃げることも、できない。
——その、瞬間だった。
隣にいたルクスが、跳んだ。
考えたわけでは、なかった。
理屈なんて、どこにもなかった。
ただ、大好きな幼なじみが、こわがっている。
ただ、それだけの。
無垢な、反射だった。
ルクスの小さな身体が、半歩、前へ。
ピッパと、光の、あいだへ。
——光に向かって、跳んだ。
光そのものが、光に向かって、跳んだのだ。
世界の天秤が、ぐらりと、揺れた。
差し出されるはずだった存在が、すり替わる。
十七番から、十六番へ。
ピッパから、ルクスへ。
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けれど、それは、世界の天秤が定めた代償とは、違っていた。
世界が選んだのは、ピッパ。
実際に差し出されたのは、ルクス。
ふたつは、等価では、なかった。
釣り合いの崩れた交換は、最後まで、成立しなかった。
聖女は、招かれなかった。
その力だけが、招かれた。
儀式は——不完全なまま、暴走した。
そして、ルクスが。
代償として、世界から、差し引かれていく。
その「削除」は、けれど、完全な無では、なかった。
——誰の記憶からも、ルクスの顔が、声が、姿が、すうっと薄れていく。
書かれた名簿から、記録から、その名が、にじむように消えていく。
いた、という事実そのものが、世界からそっと、伏せられていく。
ついさっきまで、ルクスと手をつないでいた子がいた。
その手のひらには、もう、なんのぬくもりも、残っていない。
けれど、その子は、不思議にも、思わなかった。
——はじめから、自分は、誰とも、手をつないでなどいなかった。
そう、世界が、静かに、書き換えていく。
声をそろえて歌った相手も。
絵札を引いてあげた相手も。
頭を撫でてもらった、あの手の感触も。
いっしょに文様をなぞった、隣のぬくもりも。
ひとつ残らず、宛先を失って、宙に、ほどけていく。
十七人いたはずの部屋は、何ごともなかったかのように、十六人の部屋に、なった。
誰ひとり、足りないことに、気づかないまま。
それは、消滅ではなく、封印だった。
「誰にも、思い出されない」という形の。
世界の記憶の、外側へ。
そっと、保留される。
だから——もし、いつか。
誰かが、彼女を思い出し、その名を、呼んだなら。
ルクスは、戻ってくることが、できる。
名前こそが、彼女を世界に繋ぎとめる、最後の封印であり。
そして、最後の、鍵だった。
行き場を失った聖女の力は、その場に残った子どもたちへ、流れ込んだ。
大半は、本来選ばれるはずだった、ピッパの中へ。
残りは、飛沫のように、ほかの十五人へ、ひとかけらずつ。
——分かたれた光は、こうして、十六人の中に、ひそんだ。
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暴走した儀式の力は、部屋の外へもあふれ出した。
扉の向こうで、結果を待っていた大人たち。
信仰と使命感に、その身を捧げた者たち。
その力は、彼らを、容赦なく、呑み込んだ。
その夜、組織は、ここで、滅びた。
儀式のことを知る大人は、ひとりも、いなくなった。
篤志家の網も、主を失い、自然消滅していった。
なにが起きたのかを語れる者は、もう、どこにも、いない。
円い部屋には、十六人の子どもたちと。
——いなくなった、ひとりの、痕跡のない空白だけが、残された。
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暴走の、最後の余波が、残された十六人を、世界の各地へと飛ばした。
一番から十五番までの子どもたちと、十七番のピッパ。
散り散りに、見知らぬ土地へ。
そして、その身には、ひとつの枷が、かけられていた。
——それまでの、すべてを、忘れる枷が。
子どもたちは、自分の名前以外を忘れた。
過去のことも、たがいのことも。
そして、十六番の子がいたことも。
なにもかも、忘れて。
それぞれの土地の、それぞれの孤児院に、拾われていった。
自分は、ここで生まれ育ったのだと、信じこんで。
ある子は、見知らぬ町の、教会の軒下で目を覚ました。
ある子は、知らない海辺の、小さな家の戸口で。
差し出された手を取って、生きていくしかなかった。
胸の奥のどこかに、なにか、とても大切なものを、置き忘れてきた——。
そんな、寄る辺のない感覚だけを、説明もできずに、抱えながら。
あの夜、ひとつの輪の中で手をつないでいたことを、もう、誰も、覚えていない。
ただ、ひとりだけ。
ピッパの中にだけは、大きすぎる光が、宿っていた。
その光は、長い時間をかけて、内側から、忘却の枷を、蝕んでいった。
そして、十五年が過ぎた、ある日。
縁のある土地の、裏庭の隅に触れた、その瞬間。
枷は、砕けた。
ピッパは、すべてを、思い出した。
ほかの十五人の枷は、宿った光があまりに小さく、固く閉じたまま、残った。
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——そして、儀式の日から、二十年が過ぎた。
ある日。
十五人のもとに、それぞれ、一通の手紙が、届いた。
心当たりの、ない手紙。
見知らぬ差出人からの、奇妙な招き。
誰もが、怪しい、と思った。
行く理由なんて、どこにも、なかった。
それでも。
それぞれの胸の、いちばん奥で。
なにかが、小さく、ささやいた。
——この手紙を、無視しては、いけない。
そのささやきの正体を、彼女たち自身は、知らない。
あの夜、飛沫のように分かたれた、聖女の力のかけら。
その小さな光が、手紙に込められた、大きな光の思いに——呼応していたのだ。
二十年、遠く離れていても。
ひとつだった光は、たがいを、覚えていた。
手紙を送ったピッパさえ、それを、知らなかった。
皆が来てくれるかどうかは、彼女にとって、ただの賭けだった。
——その賭けを、彼女自身に宿った光が、知らぬまに、後押ししていたことを。
理由も、わからないまま。
ひとり、またひとりと。
十五人は、あの部屋への道を、歩きはじめる。
そしてそこへ、もうひとり。
過去にも、儀式にも、なんの関わりもない、ひとりの冒険者が。
一枚の依頼書を手に、その道を、たどってくる。
二十年前に消された、ひとりの少女を。
その名を、世界の外から、もう一度この世界へ、手繰り寄せるために。
——これが。
ルクスが消えた、その夜の。
そして、すべてが始まる、その前の。
誰も知らなかった、ほんとうの、はじまりの物語である。
これにて本作は本当に終了となります。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
投稿5作目で、登場人物が18人にもなる群像劇的な構造ミステーに挑戦してみましたが、いかがでしたでしょうか?
少し、キャラが多すぎるということもあり、難しい作品になってしまったかもしれません。
また、文体もチャレンジングなものになっていたかもしれません。
そんな作品ではありますが、それでも、少しでも、面白い・気になったと思ってもらえる作品となっていれば嬉しい限りです。
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そして、「冒険者はあきらめない」シリーズの第6弾として新作の連載がはじまっています。
「アイテム鑑定士は頑張ってます ― 地図のないダンジョンからの脱出」
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新作の方も引き続き応援していただけると、とても嬉しいです。
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