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十七人目の冒険者 ― 私への道  作者: 智信
第一部

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第02話 冒険者クイナ

「一度見たものは、絵のように、頭に残る。一度聞いた言葉は、声のまま、残る」

—— 忘れない記憶

 そこは、時計の音が、いくつも重なって聞こえる工房だった。

 壁の一面に、そして棚のすべてに、大小の時計が、並んでいる。

 振り子の音、歯車の回る微かな音。

 そのどれもが、少しずつ、ずれた拍子で、それでいて、部屋全体が、ひとつの時を刻んでいるようだった。


 クイナは、その音の中に、立っていた。

 依頼を受けて、この工房に来てから、まだ、半刻も経っていない。


 工房の主は、白髪の老職人だった。

 作業台の前で、震える手を、組んでいる。

 その向かいに、若い弟子が、立っていた。

 まだ、少年と呼んでいい年頃で、唇を引き結び、床の一点を、見つめている。


「もう一度、確かめさせてください」


 クイナは、静かに言った。


「消えたのは、お客さまからお預かりした懐中時計。亡くなったお父さまの形見で、修理のためにこちらへ。間違いありませんね」


「ああ」


 老職人が頷いた。


「三日前に預かった。金の蓋の、古い品だ。それが、今朝、棚を見たら消えていた」


 クイナは、棚に目を向けた。

 預かり品を置く棚は、作業台の、すぐ脇にある。

 布を敷いた段の上に、修理待ちの時計が、いくつか並んでいた。


 その配置を、クイナは、目を細めて見た。

 布の上に、うっすらと残る、品物の跡。

 埃の積もり方。

 左から二番目の場所だけ、布の毛羽立ちが、わずかに乱れている。


 頭の中に、それを、そのまま写し取る。

 メモ帳は、持っていない。

 持つ必要が、クイナには、なかった。

 一度見たものは、絵のように、頭に残る。

 一度聞いた言葉は、声のまま、残る。


「ご依頼は」


 クイナは、老職人に向き直った。


「外から忍び込んだ者がいないか、確かめてほしい。そういうことでしたね」


「ああ」


 老職人が、重く頷いた。


「夜にこの工房へ入れるのは、私とこの子だけだ。私は、触っていない。なら、残るのはこの子しかいない。——だが」


 声が、震えた。


「あの子は、やっていないと言う。私は、その言葉を、信じたいんだ」


「ぼくは、盗んでなんか」


 弟子が、顔を上げた。

 けれど、その目は、すぐに伏せられた。


「だから、あんたを呼んだ」


 老職人は、組んだ手に力を込めた。


「自分の弟子を、自分の手で問い詰めることは、したくない。外から入った者がいるなら、それを見つけてほしい。あの子の無実を、確かめてやりたいんだ」


 クイナは、まず工房の戸口へ、向かった。

 錠前を、検める。

 こじ開けた傷も、合鍵で開けたような乱れも、ない。

 窓の留め金は、内側から下りた、ままだった。

 外から忍び込んだ者は、いない。

 依頼の答えは、それで、出てしまった。

 残るのは、夜にここにいた二人だけ、という事実。


 けれど、クイナは、まだ帰らなかった。

 二人のあいだに、立ったまま、もう一度、工房を、ゆっくりと見回す。

 観察した事実を、ひとつずつ、並べていく。

 それが、いつものやり方だった。


 作業台の上。

 工具が、種類ごとに、整然と、並んでいる。

 ただし、いちばん細いやすりと、小さな油差しだけが、定位置から、少し、ずれていた。

 油差しの口の周りに、新しい油の艶が、ある。


 弟子の指先。

 爪のあいだに、わずかに、黒い油の汚れが、残っている。

 今朝、洗ったばかりのような、ほかは、清潔な手なのに。


 そして、工房の奥。

 作業場と扉一枚で、仕切られた先に、ひと部屋ぶんの生活空間が、あった。

 老職人はもう別に家があるのだろう、いま、そこに住み込んでいるのは、弟子のようだった。

 寝台の脇に、布をかぶせた何かが、置かれている。

 その布の端から、金色のものが、ほんの少しだけ、覗いていた。


 クイナは、ひとつ、息を吐いた。

 答えは、もう、出ていた。


「ひとつだけ、整理させてください」


 クイナは続けた。


「『あの時計は、心臓の部分が、寿命を迎えかけている。盗んでも時計としての価値はない』。そうですよね」


「ああ、そうだが……しかし、なぜそれを」


「依頼を受けたとき、ギルドであなたの最初の届けを読みました。そこに、そう書いてありました」


 老職人が、まばたきをした。


「そして、あなたはこうも言いました。『あの子に、この時計を丁寧に磨き上げることを指示した。せめて見た目だけでも整えてあげたかったからな』と」


 弟子の肩が、小さく震えた。


「この子は」


 クイナは、奥の寝台に目をやった。


「夜なべで、それを直そうとしていたのではありませんか」


 布をめくると、そこに、あった。

 金の蓋の、古い懐中時計。

 分解されかけた中身が、小さな部品ごとに、布の上へ、几帳面に並べられている。


「外から入った者は、いませんでした」


 クイナは、老職人に向き直った。


「そして、これは——盗みでも、ありません」


 クイナは、弟子へ目を移した。


「この子は、あなたに褒めてもらいたかった。だから、自分の手で直して、驚かせるつもりだった。——ただ、黙って持ち出したことだけが、間違いでした」


 クイナは、もう一度、預かり品の棚に目を戻した。


「私がこの工房に入ったとき、棚の布は、左から二番目だけ、毛羽立ちが品物の形に乱れていました。時計がそこから動いたのは、ごく最近です。昨日、あなたが仕事を終えたあとでしょう」


 弟子が、小さく頷いた。


「盗む人は、跡を荒らすか、跡を隠します」


 クイナは、静かに続けた。


「あなたは、ただ持ち出しただけ。だから、何もかもが、そのまま残っていました」


 工房に、時計の音だけが残った。


「……ごめんなさい」


 弟子が、絞り出すように言った。


「師匠が、毎晩あの時計を見てため息をついてたから。ぼくが直せたら、って。勝手なことを、して」


 老職人は、しばらく、動かなかった。

 それから、ゆっくりと、寝台のほうへ歩み寄り、並べられた部品を、のぞき込んだ。

 震えていた手が、そっと、少年の頭に、置かれた。


「……この部品では、直らん」


 しわがれた声だった。


「明日からだ。明日から、部品の作り方から、一から教えてやる。……赤字の仕事になるがな」


 クイナは、それ以上は、何も言わなかった。

 答えはもう、二人の、ものだった。


 工房を出るとき、老職人が呼び止めた。


「あんた、ずっとメモも取らずに、私の話を聞いていたな」


 不思議そうな顔だった。


「届けの文句も、ここの様子も、そっくりそのまま。どうやって、覚えている」


「見たもの、聞いたことは、忘れないので」


 老職人が、感心したように言った。


「それは、得難い才能だな」


 クイナは、少しだけ、目を伏せた。

 羨ましいと言われたことも、ある。

 けれど、忘れられないというのは、いいことばかりでも、ない。

 そんなことを、ふと思ったが、口には、出さなかった。


---


 冒険者ギルドの建物に着く頃には、空が、傾いていた。

 通りには、夕暮れの色が、落ち始めている。


 受付の窓口に、見慣れた顔が、あった。

 クイナへの依頼を、いつも通してくれる受付嬢。

 指名依頼が多いクイナにとっては、ほとんど、担当のようなものだった。


「おかえりなさい。時計工房の件、どうでした」


「解決しました」


 クイナは、依頼の控えを窓口に置いた。


「盗難ではありませんでした。報告書は、後ほど」


「またですか」


 受付嬢は、半ば呆れたように笑った。


「あなたが行くと、たいてい『誰も悪くなかった』って結末になりますね」


「観察し確認した事実が、答えを示しただけです」


 クイナは、控えめに言った。


「……私は、ただ、並べただけ」


 報酬を受け取り、控えに、署名をする。

 いつもの、静かな、手続きだった。


 帰ろうと背を向けたとき、受付嬢が、思い出したように声をかけた。


「あ——そうだ。あなたに、また指名依頼が入っていますよ」


 クイナは振り返った。


「ほら、定期的にあなたを名指しでくれる、あの商会。黒い噂もない、堅いところ」


 受付嬢はそう言いながら、一通の依頼書を取り出した。


「あの商会から、また」


 クイナは、その依頼書を、受け取った。

 これまで、何度も、自分を指名してくれた、商会のものだ。

 ——どんな依頼だろう。


 窓の外で、街灯が、灯り始めていた。

初日は4話連続掲載中で、3話目は18時に公開予定となっています。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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