第6話 外の線、内の線
職員室は静かだった。
窓際の席に、午後の光が差している。書類の白がやけに目立つ。
三上は椅子の背にもたれ、腕を組んでいた。
「理屈は分かります」
先に口を開く。
「ただ、現実は違いますよ」
神谷は答えない。続きを待つ。
「全部を守るなんて無理です」
三上は言い切る。
「外に出たら、選ばれるんです。普通かどうかで」
短い沈黙。
「“普通”から外れた瞬間に、多様性は適用外になる。そういう運用です」
淡々とした口調だった。
評価ではなく、観測に近い。
「だから、ここで守っても意味がない。結局は外で弾かれる」
神谷は資料を一枚めくる。
「意味があるかどうかは、おまえが決めることじゃない」
低い声で返す。
「ここで起きたことは、ここで処理する」
区切る。
「線は引く。曖昧にはしない」
三上は小さく笑う。
「線を引いたところで、外の線は変わりませんよ」
「知ってる」
神谷は即答する。
「だから、内側の線くらいは守る」
短い言葉だった。
三上は視線を外す。
「……綺麗事に聞こえます」
「いい」
神谷は迷わない。
「綺麗にやるためにやってるわけじゃない」
一拍置く。
「崩さないためにやってる」
沈黙が落ちる。
三上は机の上のメモを指でなぞる。
「塾でも同じこと言われますよ」
ぽつりと漏らす。
「“外れたやつは戻れない”って」
神谷は反応しない。
三上は続ける。
「結局、レールに乗ってるやつしか残らない。外れたら終わりです」
「終わりにしてるのは、仕組みだ」
神谷は言う。
「戻る道を用意してないだけだ」
三上は肩をすくめる。
「現実的じゃないですよ。そんなの」
「現実的じゃないから、やらないのか」
神谷は視線を向ける。
「それとも、やらない理由にしてるのか」
三上は答えない。
視線だけがぶつかる。
やがて、三上が先に外す。
「……同じ属性ばかり集めると、組織は固まります」
少しだけ言葉を選ぶ。
「高学歴ばかり集めた官僚組織が、省益を優先して硬直化するのと同じです」
机を軽く叩く。
「学校も似たようなもんですよ。内側だけで回してる」
神谷は黙って聞く。
「外の空気、入れた方がいいと思いますけどね」
三上は続ける。
「空き教室、余ってるでしょう。塾でも習い事でも、貸せばいい」
「収益にもなるし、閉じなくて済む」
軽い調子だが、言っていることは重い。
神谷は一瞬だけ考える。
「……外を入れるなら、線はもっとはっきり引く必要がある」
静かに言う。
「内も外も、同じ基準で扱う」
三上は小さく笑う。
「できるんですか、それ」
神谷は迷わない。
「やる」
一拍。
「できるかどうかじゃない。やるかどうかだ」
言い切る。
空気が変わる。
三上が目を上げる。
わずかに表情が緩む。
「……教師っぽくないですね」
「そうか」
神谷は短く返す。
「“多様性”って言葉は便利だ」
一拍置く。
「都合のいいときだけ使われる」
三上が苦笑する。
「耳が痛いですね」
「言葉は免罪符じゃない」
神谷は資料を閉じる。
「ここでは、線引きで人を消さない」
静かな断定だった。
そのとき、三上が思い出したように言う。
「動画の件」
空気が変わる。
「一部、外に出てます」
神谷の手が止まる。
「誰だ」
「特定はこれからです。ただ——」
三上は視線を落とす。
「“止めるために上げた”って理屈が多い」
短い沈黙。
神谷は椅子を引く。
「呼べ」
立ち上がる。
「当事者と、上げたやつ」
三上は頷く。
椅子の音が、やけに響いた。
内と外。
どちらにも線はある。
問題は、どこに引いて、どこまで守るかだ。




