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 新しい朝。紛れもなく、今までとは異なる木漏れ日。

 本当にもう、終わったのだろうか。

 あの夜の後、異変に気づいた忠軌が迅速に指示を出し対応したおかげで、暴徒による被害は最小限に食い止められた。軍庁舎内だけでなく、すでに暴徒の一味は宿舎内にも侵入していたようだが、ゆりあが宿舎にいないことに気づき探しに行こうとした燈夜と運悪く鉢合わせし、呆気なく制圧された。

「水牢か……」

 すでに報告は上がっているようだった。手元の資料を一瞥した後、燈夜の視線がゆりあに向く。

「異能力の初発現、さらに侵入者を制圧」

その顔に笑みが溢れた。

「えらいぞ、ゆり。お手柄だ!」

 燈夜が上機嫌にゆりあを抱き上げる。急に足が地を離れて思わず兄の肩にしがみついた。

 そばに控えていた忠軌が表情を変えず、淡々と告げる。

「拷問の末、ゆりあさんが制圧した男が大爆発を引き起こす異能力の持ち主だったことが判明しました。ゆりあさんがいなければ、今頃は辺り一面焼け野原だったでしょう」

 ゆりあは聞きながら、背筋が冷える思いがした。あの時、あのまま諦めていたら、燈夜くんは。燈夜だけではない、ここにいる忠軌も、軍全体までもが危なかったかもしれない。

「そういうこと。被害を最小限に抑えられただけじゃなく、犯人逮捕の功績も上がった。しかも異能力まで発現するなんてな。運がいい。家の連中もこれで大人しくなるだろう」

 燈夜は上機嫌にくるりと回ってゆりあを下ろした。「ご褒美に兄さまがなにか買ってやらないとな」なんて言いながら。頬が熱くなるのを感じた。

ーー嬉しい。

 燈夜くんが、喜んでる。

「しかし、初発現で水牢……ですか」

 顎に手を当ててなにか思案するように忠軌が言った。

「まあ、派手ではないが、訓練すれば十分実戦で運用できる」

「実戦?」

 燈夜の言葉に、ゆりあは目を丸くする。

「異能力が発現したんだから、稼業の手伝いするのは当然だろ。今までは無能だったから雑用でもと思ってたが、これからは軍での実戦に向けて訓練だ」

 その言葉を受けて、ゆりあは改めて思案する。

ーーあの水って、どうやって出すんだろう。


 ゆりあに正式な訓練服が支給された。他の軍人達と同様、質素で無駄のないデザイン。訓練場の的の前で、ゆりあは静かに手をかざしている。

「……」

 何も起こらない。

「なんで……」

 昨夜は確かに使えたはずなのに。何度無意味に手に力を入れてみようと、頭の中で「水よ、出でよ」と念じてみても結果は変わらなかった。そばで見守っていた燈夜がポンと頭に手を置いた。

「ま、そんな簡単にはいかないか」

 燈夜は忠軌にあとを任せるよう伝え、もう一度だけゆりあに振り返ると「初発現の後は大抵そんなもんだ。その内安定するようになるさ」と声をかけて去っていった。辺りに静寂が訪れる。

 ゆりあは、残された忠軌に恐る恐る尋ねてみる。

「あの、忠軌さん」

「忠軌とお呼びください」

「……忠軌。コツとかって」

「わかりません」

 ぴしゃりと言い放たれる。「俺はそういった類の異能力は使えませんので」と付け足された。

「そっか……」

 ゆりあはがっくりと項垂れた。せっかく燈夜に喜んでもらえたのに、これでは意味がない。また、守れない。それに、これから稼業を手伝うことになるとは、「そういうこと」だ。また、あの夜のような出来事が繰り返される可能性だってある。次も同じように上手くいくとは限らない。

 立ち尽くすゆりあを一瞥し、忠軌が「そういえば」とひとりごとのように呟く。

「以前とある隊員が、錬金術系統の異能力の訓練で、特殊なことをしていましたね」

 ゆりあが振り向く。

「特殊なこと?」

 忠軌は静かに頷き、続けた。

「その隊員は、物質の温度を上昇させる異能の持ち主ですが、温度が上昇するイメージを強化するために、長時間焚き火に当たるそうです」

 イメージ。ゆりあは記憶を辿った。あの時、確かに感じた。水に閉じ込められる感覚。ーーきっと、あれだ。あの感覚を、もう一度。


 ゆっくりと手を浸す。水瓶に張られた水が波紋を描き、冷んやりとした感覚が指先から伝わってきた。給湯室の一画で、ゆりあはまず水に触れてみた。目を閉じる。背後では、忠軌が静かにただ見守っている。

 時折り指を動かしたり、手首を捻ると水がちゃぷ、と軽い音を立てて揺れた。

「……できない」

 水瓶から手を抜いて、濡れた自分の手を見つめる。どうしても、あの時のあの感覚を再現できない。

「少し休憩にしましょう」

 背後から忠軌が淡々とした声で言う。数刻はこうして過ごしていたが、ひとつも成果を上げられていない。ゆりあの口から思わずため息が溢れた。

「茶でも」

「あ、私がやるよ」

「お疲れのようですから、俺が」

 ゆりあが手を出すよりも先に、忠軌がさっとお茶を淹れてしまう。差し出された湯呑みを受け取り、「ありがとう」と小さくお礼をする。

「なんだか、忠軌は敬語なのに、私だけ普通に喋るの、まだちょっと変な感じ」

「ただの口癖のようなものですから」

「呼び捨てで呼ぶのも……。忠軌はゆりあさんって呼ぶのに」

「燈夜殿の妹君を呼び捨てにはできません」

 すごいのは燈夜であって、自分ではないのに。ゆりあは湯呑みに口を付けながらそう思う。美味しい。同じ茶葉、同じ道具を使っているはずなのに、なんでこんなに味が違うんだろう。

「……今日は洋服なんですね」

「あ……。この前燈夜くんが、頑張ったご褒美にってお洋服沢山買ってくれて……。そんなにいらないって言ったんだけど」

 デザイン違いのワンピースや、季節の柄の着物や帯、かんざしや巾着まで。「女は少々浪費癖があるくらいでちょうどいい」などと言いながら、ゆりあの手を引いて上機嫌に見繕っていたのを思い出す。

「似合ってますよ、とても」

「……えっ」

 あまりにも自然にそう言われ、ゆりあは一瞬呆気に取られた後、頬が熱くなるのを感じた。装いを褒められたのなんて、いつぶりだろう。遠慮がちに、「ありがとう……」と視線をやるが、忠軌はあまり気にも留めていない風に茶を飲んでいる。

「それにしても」

 ゆりあは湯呑みの茶に視線を落とした。

「全然出ない」

 あれから何度も水牢を再現しようと訓練したが、一度も成功に至らなかった。こうして水に触れたり、泳いでみたりしてイメージを掴もうとしているものの、なんの成果も得られていない。

「イメージの内容が微妙に異なるのかもしれませんね」

 忠軌の言葉に、ゆりあは再度あの夜のことを思い出す。水に閉じ込められる感覚。苦しくて、息ができない。

「……あ」

ーー息ができない感覚。

思い立ったゆりあは、湯呑みを端に置くと先ほどの水瓶へ近づく。忠軌が訝しげにこちらの様子を伺っているのが見えた。水面がゆりあの顔を映し出した。固唾を呑み、一度深呼吸をした後。ーーゆりあは自分の頭を水瓶に突っ込んだ。

「ゆりあさん、一体何を……」

 水の中。冷たい。徐々に息が苦しくなってくる。思い出せ、あの時の感覚。水の中。息ができない。逃げ場がない。

 水の膜が遮り、忠軌の声が遠くなる気がした。もう少し。

ーー限界まで、まだ……。

「もう十分でしょう」

 忠軌にむりやり助け起こされた。しばし呼吸を忘れていたかのように一拍置いて、肺いっぱい空気が流れ込んだ。荒い呼吸で、肩が上下する。

「無理は禁物です」

 そう諭す忠軌を無視して、ゆりあは手をかざした。

 ちゃぷん。

 一瞬だけ水の塊が現れ、音を立てて崩れた。

ーー今、確かに。

「……できた」

 確実に今、自分の意思で水を操った感覚があった。水牢とは程遠い。けれど、確かに、あの時に近づいている。


 初めて、自分の意思で。


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