■第9章 第5節:決定的な失敗
その日は、森の奥まで踏み込むつもりはなかった。
昨日までの消耗は抜けていないし、連携も戻っていない。だから浅い場所で手早く終わらせて戻る――本来なら、その判断になるはずだった。
「……もう一戦だけやる」
ガルドが言う。
レオンが眉をひそめる。
「帰るんじゃなかったのか」
「時間はある」
短い返答。
セリスが小さく言う。
「……ポーション、少ない」
「足りる」
言い切る。
根拠はない。ただ、ここで引くのが嫌だっただけだ。
三人はそのまま進む。
接敵はすぐだった。だが――出てきたのは、これまでより一段強い個体だった。体格が違う。動きも速い。数は二体。だが圧が違う。
「……やるぞ」
ガルドが前に出る。盾を構える。
「削る!」
レオンが横に回る。
セリスは詠唱に入る。
最初の一撃。ガルドが受ける。衝撃が重い。
「っ……!」
腕に鈍い痛みが走る。
「重い!」
思わず声が出る。
「分かってる!」
レオンが踏み込む。だが、相手の動きが速い。読みが外れる。浅くしか入らない。
「当たらねぇ!」
セリスの魔法が飛ぶ。だが、発動の瞬間に魔物が動く。直撃しない。
「動くの早い!」
焦りが混ざる。
二体が連動して動く。一体がガルドを押し、もう一体が横からレオンを狙う。
「カバー!」
ガルドが叫ぶ。
レオンが振り向く。だが、また一瞬遅れる。剣を合わせるが、完全には止めきれない。
「っ……!」
レオンの腕に浅い傷。
「大丈夫か!」
「問題ねぇ!」
言いながら、距離を取る。
セリスがポーションを取り出す。
「回復!」
投げる。今度は届く。レオンが受け取る。
だが――
飲むまでの一拍が、やけに長い。
「早くしろ!」
ガルドが叫ぶ。
「やってる!」
レオンが返す。
その間に、ガルドがもう一体を受ける。盾が軋む。体勢が少し崩れる。
「押すな……!」
踏み止まる。だが余裕はない。
セリスが詠唱を再開する。だが、位置が悪い。射線にレオンが入る。
「どけ!」
「今無理だ!」
言葉が噛み合わない。
魔法は撃てない。詠唱を切る。
「なんで撃たねぇ!」
ガルドが怒鳴る。
「当たらないから!」
セリスが言い返す。
「当てろ!」
「無理だって!」
レオンが横から言う。
「無理って言うな!」
声が重なる。
その瞬間、魔物が一気に距離を詰める。
ガルドが受ける。だが、体勢が崩れている。衝撃が逃げない。
「っ……!」
膝がわずかに落ちる。
「まずい!」
レオンが踏み込む。無理な角度から斬りに行く。刃は届くが、浅い。
「削れねぇ!」
セリスが再び詠唱に入る。
「今度こそ――」
だが、焦りで詠唱が乱れる。魔力の流れが不安定になる。
「……!」
発動しない。
その一瞬。
魔物の一体がガルドの死角へ回る。
「後ろ!」
セリスが叫ぶ。
ガルドが振り向く。遅い。
レオンが動く。だが距離が足りない。
爪が振り下ろされる。
「――っ!」
鈍い音。
ガルドの体が弾かれる。
地面に転がる。
一瞬、時間が止まる。
「……ガルド?」
セリスの声が震える。
ガルドは動かない。
「立て!」
レオンが叫ぶ。
返事はない。
血がにじむ。深い。明らかに今までとは違う。
「くそっ……!」
レオンが歯を食いしばる。
魔物は待たない。もう一体が詰めてくる。
「引くぞ!」
レオンが叫ぶ。
「でも――」
「いいから!」
セリスの言葉を遮る。
ポーションを投げる。
「これ使え!」
ガルドの方へ転がす。
だが、反応がない。
「……間に合わねぇ」
レオンが低く言う。
決断するしかない。
「撤退!」
セリスの腕を引く。
「でも!」
「ここで全滅する気か!」
その一言で、セリスは止まる。
二人は距離を取る。
魔物は追ってくるが、深追いはしない。一定距離で止まる。
森の中に、重い静けさが戻る。
少し離れた場所で、二人は止まる。
息が荒い。
「……戻る」
レオンが言う。
セリスは頷く。
だが、足が動かない。
「……ガルド」
小さく呟く。
レオンは何も言わない。ただ、拳を強く握る。
(……何でだ)
頭の中で繰り返す。
(こんなはずじゃなかった)
今までなら、あの程度で崩れない。押し切れていた。回復も間に合っていた。
「……俺のせいか」
ぽつりと漏れる。
セリスが首を振る。
「違う」
「じゃあ何だ」
答えは出ない。
二人とも分かっている。
でも、言葉にしない。
しばらくして、レオンが低く言う。
「……あいつがいれば」
その一言。
セリスの肩がわずかに震える。
だが、すぐにレオンは顔をしかめる。
「……いや、関係ねぇ」
吐き捨てるように言う。
「たまたまだ」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
セリスは何も言わない。ただ、視線を落とす。
森の奥は静かだった。
その静けさの中で、二人は動けずにいた。
何かが決定的に壊れた。
それだけが、はっきりと残っていた。




