■第6章 第2節:広げる(下)
老人はしばらく店内を見渡したあと、ゆっくりと外へ出た。動きに無駄はなく、決めるところはすでに決めているように見える。シャーロットとクロエも続く。リナは一瞬迷ったが、ミアの様子を確認してから、扉の近くまで出てきた。
外の光は少し強くなっていた。昼に近い。風は穏やかで、作業をするにはちょうどいい空気だ。
老人は店の前に立ち、もう一度建物全体を見る。さっきよりも視線が速い。確認ではなく、組み立てに入っている目だ。
「……やるなら、外から広げる」
ぼそりと呟く。
シャーロットはすぐに頷く。「はい」
「中いじっても限界がある。土台から触る」
短い説明だったが、十分だった。
クロエが補足する。「増築前提ですか」
「そうだ」
老人は答える。
「横に伸ばす。後ろも使う」
シャーロットは少しだけ周囲を見る。空きはある。余裕は多くないが、伸ばせるだけの余地はある。
「どのくらい広がりますか」
「やり方次第だな」
老人は地面を軽く踏む。
「土は悪くない。支えも入れれば持つ」
シャーロットは頷く。
「お願いします」
迷いはない。
老人は少しだけ目を細める。
「金の話、するぞ」
「はい」
シャーロットは正面から受ける。
「一気にやるなら高くつく」
「はい」
「だが、刻めば安くもできる」
シャーロットは少しだけ考える。
「都度で」
もう一度言う。
老人は頷く。
「材料ごと、工程ごとに払う」
「はい」
「それなら回る」
それで話は決まった。
クロエが静かに言う。「作業工程の分割、可能ですか」
「やる」
老人は短く答える。
「基礎、骨組み、壁、内装、順番にやる」
シャーロットは軽く息を吐く。
「……助かります」
その言葉は素直だった。
老人は手を振る。
「まだ何もしてない」
それでも、その一言で十分だった。
リナが扉のところから見ている。
会話の意味は全部は分からない。
でも、“ここが変わる”ことだけは伝わっている。
「……すごい」
小さく呟く。
シャーロットは振り返る。
「まだこれからだよ」
リナは少しだけ頷く。
ミアの方を見る。
「……ここ、ちゃんとするんだ」
その言葉には、ほんの少しだけ安心が混ざっていた。
老人が再び口を開く。
「人、集める」
シャーロットが顔を上げる。
「今からですか」
「今だ」
迷いがない。
「時間置く意味がない」
クロエが頷く。「合理的です」
シャーロットは少しだけ笑う。
「ほんとに早いですね」
老人は何も言わない。
そのまま村の方へ歩き出す。
「呼んでくる」
それだけ残して。
シャーロットとクロエはその背中を見送る。
無駄がない。
判断も早い。
「……頼んで正解だったね」
クロエが答える。「適任です」
短い会話。
それで十分。
シャーロットは店の前に立ったまま、少しだけ空を見上げる。
ここが変わる。
今までの形が、一度崩れる。
でも、その先にあるのは、ちゃんとした“場所”だ。
「……やること増えたね」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。「はい」
その一言で十分だった。
しばらくして、遠くから人の声が聞こえてくる。
複数。
足音も混ざる。
リナが気づく。
「……誰か来る」
シャーロットは振り返る。
「うん」
すぐに分かる。
あの老人だ。
そして――
その後ろに、数人の影。
やがて、姿がはっきりする。
村の人たちだ。
昨日見た顔もある。
初めて見る顔もある。
年齢もバラバラ。
だが、全員が道具を持っている。
シャーロットは一瞬だけ驚く。
「……早い」
クロエが言う。「集まりましたね」
老人が先頭で歩いてくる。
そのまま店の前で止まる。
後ろの人たちも止まる。
「ここだ」
短く言う。
それだけで全員が建物を見る。
視線が一斉に集まる。
少しだけ緊張が走る。
だが、それも一瞬。
一人が口を開く。
「これ、広げるのか」
「そうだ」
老人が答える。
「やるか」
別の男が言う。
「やる」
短いやり取り。
それで決まる。
シャーロットは少しだけ戸惑う。
「……いいんですか」
思わず聞く。
老人が振り返る。
「何がだ」
「こんなに」
言葉が続かない。
人数。
規模。
全部が想定より大きい。
老人は淡々と言う。
「困ってるならやる」
それだけ。
シンプルな理由。
でも、それで十分だった。
クロエが横で言う。「報酬は都度支払いです」
老人が頷く。
「分かってる」
後ろの人たちも特に気にした様子はない。
「終わった分だけもらえればいい」
一人が言う。
「それでいい」
もう一人が続く。
軽い。
だが、嘘ではない。
シャーロットは少しだけ息を吐く。
「……お願いします」
頭を下げる。
自然に。
無理にではなく。
老人はそれを見て、短く言う。
「任せろ」
その一言で、空気が決まる。
「まず基礎だ」
老人が指示を出す。
「ここから伸ばす」
地面を指す。
すぐに数人が動く。
測る。
位置を確認する。
道具を出す。
動きに迷いがない。
クロエが静かに言う。「即時作業開始です」
「うん」
シャーロットは頷く。
リナはその様子を呆然と見ている。
「……始まった」
小さく言う。
「うん」
シャーロットは答える。
「始まった」
ミアはまだ眠っている。
だが、その呼吸は穏やかだ。
外では音が増える。
土を掘る音。
木を動かす音。
人の声。
それでも、不思議と嫌な感じはしない。
むしろ――
「……賑やかだね」
シャーロットが呟く。
クロエが答える。「活性化です」
「だからその言い方」
少しだけ笑う。
リナはその音を聞きながら、ミアの手を握る。
「……大丈夫だよ」
小さく言う。
ミアは答えない。
でも、その言葉は確かにここに残る。
シャーロットは店の前に立つ。
今はまだ小さい建物。
でも――
これから変わる。
確実に。
「……いいね」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。「はい」
それだけだった。
白花の薬屋は、
人の手で、
少しずつ形を変え始めていた。




