■第6章 第2節:広げる(上)
朝の光は、前の日よりも少しだけ強かった。白花の薬屋の中に差し込む光が、床とカウンターの上をゆっくりと移動していく。空気は静かで、余計な音がない分だけ、四人分の気配がはっきりと感じられる。
ミアはまだ眠っている。呼吸は安定し、熱もゆっくりと下がっている。時折小さく動くが、苦しそうな様子はない。完全な回復ではないが、もう“持たせる段階”は抜けている。
シャーロットはその様子を確認してから立ち上がった。
「……いけそう」
小さく言う。
クロエが横で答える。「安定しています」
「うん」
今日は次に進む日だ。
ここまでは“繋ぐ”だけだった。ここからは“整える”に入る。
シャーロットは店内を見渡す。改めて見ると、やはり狭い。昨日は気にならなかったが、四人いるだけで動線が詰まる。
カウンター。
作業台。
寝る場所。
すべてが近すぎる。
「……これ、無理だね」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。「現状では非効率です」
「うん」
効率の問題ではない。
単純に、足りていない。
リナがその会話を聞いていた。
「……そんなに?」
「うん」
シャーロットは振り返る。
「今は何とかなるけど、すぐ回らなくなる」
リナは少しだけ考える。
それから、小さく言う。
「……私、外で寝る」
その言葉に、シャーロットはすぐに首を振った。
「ダメ」
はっきり言う。
リナが少し驚く。
「……でも」
「ここで生活するって決めたでしょ」
「……うん」
「外に出るのは違う」
リナは言葉を失う。
シャーロットは続ける。
「無理する前提にしない」
それだけだった。
リナは少しだけ目を伏せる。
でも、納得はしている。
クロエが横で言う。「環境の改善が優先です」
「うん」
シャーロットは頷く。
やることは決まっている。
「……呼ぼう」
クロエがすぐに答える。「井戸の老人」
「うん」
シャーロットは外に向かう。
扉を開ける。
朝の空気が流れ込む。
外は静かだ。
ここは村ではない。
人の数も少ない。
だからこそ、必要なものは自分で整えるしかない。
「……行ってくる」
シャーロットが言うと、リナが顔を上げる。
「……すぐ戻る?」
「うん」
短く答える。
それで十分。
クロエも動く。
「同行します」
「お願い」
二人で外に出る。
道は昨日と同じ。
だが、目的が違う。
今日は“頼む”ための移動だ。
しばらく歩く。
無言。
でも、重くない。
シャーロットは少しだけ考えていた。
どこまでやるか。
どこまで頼むか。
ただの修繕では足りない。
生活と店を分ける。
それは、ちゃんとした“家”を作ることになる。
「……クロエ」
「はい」
「どこまでいけると思う?」
クロエは少しだけ間を置く。
「構造的には、全面改築が可能です」
「……全部?」
「はい」
シャーロットは軽く息を吐く。
「やること大きくなったね」
「必要です」
それも分かっている。
中途半端にやる意味はない。
どうせやるなら、ちゃんとやる。
「……寝る場所、四つ」
「はい」
「生活スペース」
「はい」
「店」
「はい」
クロエが短く答えていく。
シャーロットは少しだけ笑う。
「欲張りだね」
「必要最低限です」
「そうだね」
その会話で、方向は決まった。
やるなら、全部。
しばらくして、村が見えてくる。
昨日と同じ場所。
でも、今日は目的が違う。
井戸の近くに、あの老人がいた。
変わらず、無駄のない動きで水を扱っている。
シャーロットは近づく。
「おはようございます」
老人は顔を上げる。
「ああ、昨日の」
短い言葉。
それで十分。
「少しお願いがあって」
シャーロットが言う。
老人は少しだけ目を細める。
「なんだ」
シャーロットは迷わず言う。
「家、見てもらえませんか」
老人の視線がわずかに動く。
「家?」
「はい。白花の薬屋」
老人は少し考える。
「……改修か」
「たぶん、それ以上」
シャーロットは正直に言う。
老人は小さく息を吐く。
「大きく出たな」
「必要なので」
シャーロットは答える。
老人はしばらく黙る。
それから、ゆっくりと言う。
「……見てみないと分からん」
「お願いします」
シャーロットは軽く頭を下げる。
老人はそれを見て、少しだけ目を細める。
「金はあるのか」
はっきりとした質問だった。
シャーロットは一瞬だけ考える。
「一気には無理です」
正直に言う。
「でも、都度なら」
老人はその言葉を聞いて、少しだけ表情を変える。
「……都度か」
「はい」
シャーロットは続ける。
「できる範囲で、少しずつでもいいので」
老人は黙る。
そのまま、シャーロットを見ている。
試すような目。
値踏みするような目。
シャーロットは視線を逸らさない。
しばらくして、老人は小さく息を吐いた。
「……面倒な頼みだな」
「分かってます」
「だが」
老人は続ける。
「やる価値はあるかもしれん」
その一言で、空気が少し変わる。
シャーロットは軽く頷く。
「ありがとうございます」
老人は手を振る。
「まだ決めてない」
「見てから、ですよね」
「ああ」
それだけだった。
でも、それで十分。
クロエが横で言う。「同行可能ですか」
老人は頷く。
「今から行くか」
シャーロットは一瞬だけ驚く。
「今ですか」
「時間空ける理由がない」
その言葉は、無駄がなかった。
シャーロットはすぐに頷く。
「お願いします」
老人は道具を軽くまとめる。
動きに無駄がない。
やはり、大工だ。
シャーロットはその背中を見ながら思う。
(当たりだ)
クロエが小さく言う。「適任です」
「うん」
短く返す。
三人で歩き出す。
白花の薬屋へ。
今度は、“変えるために”。
その一歩は、昨日とは違う意味を持っていた。




