■第5章 第5節:一緒に来る?(上)
村の外へ向かう道は、さっきよりも静かだった。昼の光は少し傾き始めていて、草の影が長く伸びている。朝とは違い、空気にはわずかな温かさが残っていた。それでも、村の中にある重さは完全には消えていない。人が動き始めたとはいえ、まだ弱い。止まりかけたものが、ようやく少しだけ動いているだけだった。
シャーロットは歩きながら、周囲を見ていた。薬草を探すためだけではない。食べられるもの、水の状態、村の外で使えそうな場所。全部を見る。全部をどうにかするつもりはない。けれど、見えるものを無視することもできなかった。
「……ここ、やっぱり足りないね」
ぽつりと呟く。
クロエが隣で答える。
「人手が不足しています」
「うん」
それはもう分かっていた。
水が悪いわけではない。畑が全部駄目なわけでもない。薬草が全くないわけでもない。ただ、それを維持する人が足りない。動く人が少ないから、少しずつ全部が止まっていく。
「……一人減るだけでも大変なのに、二人だもんね」
リナとミアの両親。
その二人がいなくなったことが、姉妹だけでなく、この村全体に影を落としている。
クロエは淡々と言う。
「小規模集落では影響が大きいです」
「そうだよね」
シャーロットは頷く。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。周囲には低い草が広がり、ところどころに食用にできそうな葉が混じっている。昨日見たものと似ているが、少し状態が良い。
「……これ、持って帰ろう」
しゃがみ込んで、葉を選ぶ。
硬すぎるものは避ける。弱りすぎているものも避ける。柔らかく、負担が少なそうなものだけを少しずつ採る。
クロエも横で確認する。
「食用可能です。刺激も低い」
「よかった」
袋に入れる。
多くは採らない。
必要な分だけ。
ここを荒らすために来たわけではない。
少し離れた場所には、薬草として使えそうな葉もあった。シャーロットはそれも少量だけ採る。
「……これで今日の分は何とかなるかな」
「一時的には」
「一時的、ね」
シャーロットは苦笑する。
分かっている。
一日分。
二日分。
それくらいならどうにかなる。
でも、その先は違う。
「……この村に残しても、続かないよね」
言葉は自然に出た。
クロエはすぐには答えない。
少しだけ間を置いてから言う。
「姉妹だけでは困難です」
はっきりした言葉だった。
シャーロットは手を止める。
「……だよね」
分かっていた。
でも、言葉にされると重い。
リナはしっかりしている。ミアを守ろうとしている。飲ませ方も覚えた。判断も少しできる。
でも、それは“子供にしては”だ。
大人の代わりにはならない。
まして、熱を出した妹を抱えながら、食べ物を探し、水を汲み、薬を用意し、村の中で生きるのは無理がある。
「……リナ、残るって言いそう」
シャーロットが言う。
クロエは短く答える。
「可能性は高いです」
「妹がいるから?」
「はい。責任感が強い」
「うん」
分かる。
リナはたぶん、自分から助けを求めない。ここに残ると言う。ミアを守ると言う。誰にも迷惑をかけないようにしようとする。
でも、それは正しいようで、危うい。
「……それで潰れたら、意味ないよね」
シャーロットは小さく言う。
クロエは答える。
「はい」
その一言で十分だった。
シャーロットは採った葉を袋に入れ、立ち上がる。
「戻ろう」
「はい」
二人は村へ戻る。
道中、シャーロットはあまり話さなかった。考えることが多かったからだ。
連れて帰る。
その選択は、軽く言えるものではない。
白花の薬屋は回り始めた。安定してきた。だからこそ、二人を受け入れることは不可能ではない。だが、簡単でもない。食べるものも増える。寝る場所も必要になる。ミアの回復には時間がかかる。リナもすぐには休めないだろう。
それでも――
(ここに置いていく方が、たぶん無理)
その判断は、だんだんはっきりしていた。
村に入ると、朝より人の動きが増えていた。けれど、それは“元に戻った”というより、“無理に動き始めた”に近い。誰もが少しずつ疲れている。家の前に立つ人も、歩く人も、動きが重い。
シャーロットはその様子を見ながら、リナとミアの家へ向かった。
扉の前で一度止まる。
中の気配を確認する。
ミアは安定。
リナも起きている。
シャーロットは軽く扉を叩いた。
「戻ったよ」
中から少し遅れて声がする。
「……うん」
扉を開ける。
リナはミアのそばに座っていた。顔色はまだ良くないが、昨夜よりは落ち着いている。ミアは横になったまま、静かに呼吸している。
シャーロットは袋を置く。
「食べられるもの、少し持ってきた」
リナの視線が袋へ動く。
「……ありがとう」
短い言葉。
でも、昨日より少しだけ受け取り方が自然だった。
シャーロットは葉を取り出し、柔らかい部分を選ぶ。水で軽く洗い、すり潰しやすいものは乳鉢へ入れる。
「ミアには少しだけ。リナも食べて」
リナはすぐには答えない。
「……ミアが先」
やっぱりそう言った。
シャーロットは手を止めずに言う。
「リナも」
「……私は大丈夫」
「大丈夫じゃなくても食べる」
少しだけ強めに言う。
リナが驚いたように顔を上げる。
シャーロットは目を逸らさない。
「リナが倒れたら、ミアを見る人がいなくなる」
リナは黙った。
その言葉は届いたらしい。
しばらくして、小さく頷く。
「……少しだけ」
「うん、それでいい」
シャーロットは柔らかくしたものを二つに分ける。片方をリナへ、もう片方をミア用にする。
リナはゆっくりと口に運ぶ。
少しだけ噛んで、飲み込む。
「……苦い」
「だよね」
シャーロットは少し笑う。
「でも、食べられる?」
リナは頷く。
「……うん」
その返事に、少しだけ安心する。
ミアにも同じように少量だけ与える。無理はしない。口元に触れさせ、反応を見て、少しだけ。ミアは弱く飲み込んだ。
「……いいね」
シャーロットは小さく言う。
リナもそれを見て、少しだけ表情を緩めた。
その表情を見て、シャーロットはもう一度考える。
ここに残すか。
連れて帰るか。
答えはもう出ている。
でも、すぐに言うべきではない。
リナの意思もある。
ミアの状態もある。
この村の人たちにも話す必要がある。
「……リナ」
「なに」
「少し話していい?」
リナはミアを見たあと、シャーロットを見る。
「……うん」
シャーロットは近くに座る。
距離を詰めすぎない。
リナが逃げられるくらいの距離。
「ミアは良くなってる」
まずそれを言う。
リナは頷く。
「……うん」
「でも、まだしばらく休ませた方がいい」
「うん」
「リナも休んだ方がいい」
リナは少しだけ目を伏せる。
「……私は」
「休んだ方がいい」
重ねて言う。
リナは何も言わない。
シャーロットは続ける。
「ここで二人だけで暮らすのは、たぶん難しい」
その言葉に、リナの肩がわずかに固まる。
予想していた反応だった。
「……でも」
リナが言いかける。
「うん」
シャーロットは遮らない。
リナは言葉を探す。
「ここ、家だから」
小さな声だった。
「お父さんと、お母さんの」
シャーロットは黙る。
その言葉は重い。
正しい。
簡単に否定できるものではない。
「……うん」
シャーロットは頷く。
「そうだね」
リナの目が少し揺れる。
「だから……」
続きは出てこない。
残りたい。
離れたくない。
でも、ここにいるのが難しいことも分かっている。
その間で止まっている。
シャーロットは静かに言う。
「今すぐ決めなくていい」
リナが顔を上げる。
「……いいの」
「うん」
シャーロットは頷く。
「でも、考えて」
言葉をゆっくり選ぶ。
「ここに残ることと、生きることは、同じじゃないかもしれない」
リナは黙った。
その言葉は少し重い。
でも、言わなければならない。
「ここを大事にすることと、ここで倒れることも、同じじゃない」
リナの手がミアの手を握る。
強く。
シャーロットはそれを見て、静かに続ける。
「私は、二人を無理に連れて行かない」
はっきり言う。
「でも、ここで無理するなら、止める」
リナは息を止めたように動かなくなる。
クロエは何も言わない。
ただ、少し後ろで見ている。
シャーロットは最後に、短く言う。
「ミアを守りたいなら、リナも生きないと」
その言葉で、リナの目が大きく揺れた。
すぐには答えない。
答えられない。
それでいい。
シャーロットは立ち上がる。
「今日はまだここにいる」
リナは小さく顔を上げる。
「……まだ?」
「うん」
シャーロットは頷く。
「考える時間はある」
そう言って、ミアの様子を見る。
呼吸は安定している。
少しずつ、朝よりも良くなっている。
「……大丈夫」
シャーロットは小さく言う。
誰に向けたものでもない。
ただ、この場に置く言葉だった。
リナは何も言わない。
でも、ミアの手を握る力は、さっきより少しだけ弱くなっていた。
それは、力が抜けた証拠だった。
シャーロットは作業道具を手元に戻す。
まだやることはある。
薬を作る。
水を飲ませる。
食べ物を少しずつ入れる。
そして、待つ。
答えは急がない。
ただ、見えたものから目を逸らさない。
それだけだった。




