■第5章 第4節:拾う理由(中)
クロエが答える。
「回復傾向です」
「うん」
それだけで十分だった。
完全ではない。
でも、もう“落ちていく状態”ではない。
ここからは、戻す側に回る。
リナはミアのそばに座ったまま、少しだけ姿勢を崩していた。昨夜よりも力が抜けている。目も落ち着いている。
「……水、もう少しあげた」
ぽつりと報告するように言う。
「いい判断」
シャーロットは頷く。
「無理しないで続けて」
リナは小さく頷く。
それだけで通じる。
シャーロットは一度立ち上がり、部屋の中を見回す。変わらないものと、変わり始めたもの。その両方がある。
床に置かれた布。
少ない食べ物。
止まった生活の跡。
でも、その中で、呼吸は続いている。
「……少し外見るね」
シャーロットが言うと、リナが顔を上げる。
「……戻る?」
「戻る」
短く答える。
それで十分。
シャーロットは扉を開ける。
外の空気が流れ込む。
昼に近い光。
朝よりも少し暖かい。
村の中は、さらに動きが増えていた。ゆっくりとだが、人が外に出ている。井戸の周りにも数人いる。畑の方に向かう影も見える。
完全ではない。
でも、止まっていない。
「……動いてるね」
ぽつりと呟く。
クロエが横で答える。
「回復の初期段階です」
「その言い方やめて」
シャーロットは少しだけ笑う。
だが、意味は分かる。
止まっていたものが、少しずつ戻る。
それが連鎖する。
シャーロットは少しだけ歩く。
村の中をゆっくりと回る。
急がない。
見える範囲だけ。
昨日見た家の前を通る。扉が少し開いている。中から人がこちらを見ている。目が合うと、すぐに隠れる。
警戒は残っている。
それでいい。
無理に近づく必要はない。
「……まだ距離あるね」
小さく言う。
クロエが答える。
「当然です」
「だよね」
シャーロットは軽く頷く。
信頼は一日では変わらない。
変える必要もない。
ただ、動いていることが分かればいい。
井戸の近くに来ると、朝見た老人がまだいた。今度は桶をしっかり持ち、水を運んでいる。
「……少しは動けるようになった?」
シャーロットが声をかける。
老人は振り返る。
「昨日よりはな」
短い返事。
でも、それで十分。
「無理しないでくださいね」
「分かってる」
それだけで会話は終わる。
余計な言葉はいらない。
シャーロットはそのまま戻る。
長く離れる理由はない。
やることは決まっている。
家の前に戻ると、一度だけ足を止める。
中の気配は変わっていない。
安定している。
それを確認してから扉を開ける。
「……戻ったよ」
リナが顔を上げる。
「……おかえり」
声は少しだけはっきりしている。
シャーロットは頷く。
「ただいま」
ミアを見る。
変わらない。
安定している。
それが一番だ。
シャーロットは袋を下ろし、残りの素材を取り出す。
「……これ、もう一回だけ作る」
クロエが準備に入る。
乳鉢を出す。
並べる。
流れは同じ。
場所が違うだけ。
リナがそれを見ている。
今度は視線が落ち着いている。
「……また作るの」
「うん」
シャーロットは答える。
「少しずつ変える」
リナは黙って頷く。
理解している。
全部ではなくても、流れは掴んでいる。
シャーロットは乳鉢に手を置く。
潰す。
一定のリズム。
無駄のない動き。
クロエが横で確認する。
「成分差、問題なし」
「うん」
シャーロットはそのまま進める。
容器へ。
水。
混ぜる。
完成。
「……これ」
リナに渡す。
リナは受け取る。
迷わない。
ミアへ。
同じように。
少しずつ。
止める。
見る。
また少し。
その繰り返し。
「……これなら、いける」
リナが小さく言う。
「うん」
シャーロットは頷く。
「もう大きくは崩れないと思う」
リナはそれを聞いて、少しだけ肩の力を抜く。
完全ではない。
でも、安心に近い。
しばらく静かな時間が流れる。
ミアの呼吸。
リナの動き。
シャーロットとクロエの視線。
それが同じ場所にある。
シャーロットは少しだけ視線を落とす。
床。
空の容器。
少ない食べ物。
止まった生活。
「……このままじゃダメだね」
ぽつりと呟く。
クロエが答える。
「はい」
それだけ。
シャーロットはゆっくりと顔を上げる。
リナを見る。
「……ここ、このままだとまた同じになる」
リナは黙る。
分かっている顔。
「……どうするの」
小さく聞く。
シャーロットは少しだけ考える。
すぐには答えない。
言葉を選ぶ。
「全部は無理」
はっきり言う。
リナの目が揺れる。
「でも」
シャーロットは続ける。
「ここはできる」
それだけ。
大きなことは言わない。
でも、意味はある。
リナはその言葉を受け取る。
すぐには反応しない。
でも、否定もしない。
「……ここって」
小さく聞く。
シャーロットは短く答える。
「ここ」
部屋を軽く指す。
ミア。
リナ。
この場所。
それだけ。
リナはゆっくりと頷く。
「……じゃあ」
言葉が続かない。
でも、十分だった。
シャーロットは立ち上がる。
「もう少しだけ動く」
クロエが頷く。
リナが顔を上げる。
「……また行くの」
「近くだけ」
シャーロットは答える。
「すぐ戻る」
リナは何も言わない。
ただ、ミアの手を握る。
それが答え。
シャーロットは扉に向かう。
外の光は変わらない。
でも、中の空気は少し変わっている。
静かなまま。
でも、止まっていない。
「……続けよう」
小さく呟く。
クロエが答える。
「はい」
その一言で十分だった。




