■第3章 第5節:白花の薬屋(下)
夕方の光がゆっくりと部屋の中に差し込んでいた。昼の強さはなく、柔らかく広がるような明るさだ。机の上に並べた容器の影が長く伸び、壁に淡く映る。その光景を見ながら、シャーロットは小さく息を吐いた。
「……今日はこんな感じかな」
一日の流れを終えたあとの、自然な言葉だった。
午前は人を見て、昼は片付けて、午後は作る。その繰り返しを初めて一日通してやった。それだけなのに、思っていたよりも中身は濃かった。特別なことは何も起きていない。それでも、確実に何かが進んでいる感覚があった。
机の上には、今日作った分のポーションが並んでいる。朝に使った分より少し多い。多すぎるわけでも、足りないわけでもない。明日の午前を回すには、ちょうどいいくらいだ。
クロエがそれを見て言う。「量としては適切です」
「よかった」シャーロットは軽く頷く。「多すぎても無駄になるし、少なすぎても困るし」
そのバランスを取るのが、思っていたより難しかった。感覚だけでは足りない部分がある。だが、今はまだその感覚でどうにかなっている。
シャーロットは一つの容器を持ち上げる。光にかざして中を見る。濁りは少ない。色も安定している。昨日よりも、明らかに仕上がりは揃っていた。
(ちゃんと良くなってる)
そう思えるだけで、少しだけ安心する。
「……これなら大丈夫かな」
ぽつりと呟く。
クロエは短く答える。「現時点では問題ありません」
「現時点、ね」シャーロットは少し笑う。「先のことは分からないって感じ?」
「はい」
即答だった。
それも間違ってはいない。今はうまくいっている。でも、それがずっと続くとは限らない。材料が変われば結果も変わる。人が増えれば回し方も変わる。
「まぁ、その時はその時だね」
シャーロットは軽く言う。
無理に先を考えすぎても意味はない。今できることを続けて、その先で調整すればいい。
机の上を整え、使った道具を片付ける。空いた容器は洗って乾かし、使えるものはまとめておく。作業の終わりは静かだった。音といえば、水の滴る音と、布で拭くときのかすかな擦れだけ。
外の様子を少しだけ見る。村はもう落ち着いている。昼の動きは終わり、それぞれの家に戻っている時間だ。煙突からは細い煙が上がり、夕食の準備をしている気配が伝わってくる。
「……静かだね」
ぽつりと呟く。
クロエが窓の外を見る。「通常です」
「そうなんだ」
シャーロットは少しだけ笑う。
王都とは違う。あそこは夜になっても人が動いていた。ここは違う。日が落ちれば、自然と静かになる。そのリズムが、この場所の当たり前なのだろう。
シャーロットは椅子に腰を下ろす。背もたれに軽く寄りかかると、体の力が抜けるのが分かる。疲れていないわけではない。でも、嫌な疲れではなかった。
「……なんか、ちゃんと一日やった感じする」
自然とそう言葉が出る。
クロエが答える。「実際に行動しています」
「だよね」
当たり前のことなのに、どこか新鮮だった。
今までの自分は、何かに合わせて動いていた。依頼だったり、パーティーだったり、流れだったり。その中で役割をこなしていた。
今は違う。
自分で決めて、自分でやっている。
その違いは思っていたより大きかった。
シャーロットは目を少し閉じる。
今日のことを軽く思い返す。
朝、看板を出したこと。
最初に来た男のこと。
女性と子供のこと。
昼の片付け。
午後の素材採取と作成。
どれも小さなことだ。
でも、それが全部つながっている。
「……悪くないね」
ぽつりと呟く。
クロエは何も言わない。
ただ、その言葉を否定もしない。
それで十分だった。
少しして、シャーロットは目を開ける。
「明日も同じ感じでいこうかな」
自然と口に出る。
クロエが答える。「現状維持ですか」
「うん。大きく変える必要はなさそうだし」
今の流れは無理がない。少しずつ増えているが、崩れるほどではない。この状態を維持することが、今は一番大事だった。
「ただ……」
シャーロットは少しだけ言葉を区切る。
「道具は欲しいかも」
それは今日一日で何度も感じたことだった。
容器の数。
火を扱う場所。
作業台の安定性。
どれも足りていないわけではないが、余裕がない。
クロエが静かに言う。「効率に影響します」
「うん。今はなんとかなってるけど、このままだと増えた時にきつそう」
シャーロットは机を見る。
今は数が少ないからいい。
でも、もし来る人がもう少し増えたら。
今のやり方では間に合わなくなる。
「……そのうち、ちゃんとしたの揃えたいね」
「可能です」
「できるかな」
「資金が必要です」
現実的な答えだった。
シャーロットは机の端に置いた布袋を見る。今日受け取った分の対価が入っている。多くはない。だがゼロではない。
「……少しずつ、かな」
そう呟く。
一度に全部は無理でも、少しずつなら揃えられるかもしれない。
クロエは短く頷く。「現実的です」
シャーロットは立ち上がる。
窓の外を見ると、日がかなり傾いていた。空の色も少し変わり始めている。昼と夜の間の、短い時間だ。
外に出る。
空気は少し冷えていたが、不快ではない。
家の横に立てた看板を見る。白花の薬屋と書かれた文字は、夕方の光を受けて少しだけ色を変えている。
その下で、小さな白い花が揺れている。
目立たない。
でも、確かにそこにある。
「……悪くないね」
シャーロットはもう一度言う。
クロエが後ろに立つ。
何も言わない。
ただ、同じ方向を見ている。
それだけでいいと思えた。
この場所はまだ小さい。
やれることも限られている。
薬も特別ではない。
でも、それでいい。
今はそれで十分だった。
「明日も開けよう」
シャーロットが言う。
クロエは短く答える。「はい」
それだけだった。
そのやり取りに、特別な意味はない。
ただ、続けるというだけ。
でも、それが一番大事だった。
村は静かに夜へ向かっていく。
人の声は減り、灯りが少しずつ増えていく。
その中で、白花の薬屋は一日を終えた。
大きな変化はない。
劇的な出来事もない。
ただ、来た人に少しだけ薬を渡して、少しだけ楽にして帰した。
それだけの一日。
でも、その積み重ねが、少しずつ形になっていく。
シャーロットはもう一度看板を見る。
白花の薬屋。
まだ始まったばかりの名前。
けれど、その名前は確かにここにあった。
風に揺れる白い花と一緒に。
静かに、確実に。
ここにあると、そう言うように。




