表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/96

■第3章 第5節:白花の薬屋(上)

朝の空気は昨日と変わらず静かだった。特別な合図もなければ、人が集まる様子もない。ただ、少しずつ村が目を覚ましていく気配だけが、ゆっくりと広がっていく。その中に、ひとつだけ昨日までとは違うものがあった。家の横に立てかけられた木の板――『白花の薬屋』と書かれたそれが、朝の光を受けて静かにそこにある。


シャーロットはその板を少し離れた位置から見て、小さく息を吐いた。「……ちゃんと分かるね」自分で書いたものだが、改めて見ると少しだけ照れくさい。綺麗に整えたわけでもないし、文字も整っているとは言い難い。それでも、何の場所かは一目で分かる。それだけで十分だった。


クロエが横で短く言う。「識別性は確保されています」


「それでいいよ」シャーロットは軽く笑う。「最初からちゃんとしたのは無理だしね」


完璧なものは必要ない。むしろ、この場所には似合わない気がした。ここは王都ではない。立派な看板や整った設備がなくても、やれることはある。その範囲でいいと思えた。


軽く手を払ってから家の中に戻る。扉を閉めると、外の静けさとは少し違う空気になる。机の上には昨日のうちに整えておいた容器が並んでいる。数は多くないが、何もない状態とは違う。並べ方も少し整えてあるだけで、見え方が変わる。


シャーロットは机の前に立ち、ひとつひとつを軽く確認する。濁りが強すぎないか、沈殿が出ていないか、色が変わっていないか。細かい部分ではあるが、昨日よりも見るポイントが増えているのが自分でも分かる。


(ちゃんと見てるな)


そう思う。昨日は“作れたかどうか”だけだった。今日は“使っても問題ないか”まで見ている。それだけで、少しだけ変わっていた。


「……大丈夫そう」小さく呟く。


クロエは後ろで静かに立っている。「基準は維持されています」


「うん、たぶんね」シャーロットは軽く答える。「完璧じゃないけど、困るほどでもない」


それでいいと思った。今の段階で求めるのは、極端な精度ではない。ちゃんと効いて、問題が起きないこと。それだけで十分だ。


しばらくして、外から足音が聞こえる。昨日と同じ、少しだけためらいを含んだ歩き方だった。完全に迷っているわけではないが、確信を持って来ているわけでもない。そんな微妙な距離感。


シャーロットは顔を上げる。「来たね」


クロエが窓の外を見て言う。「二人です」


「昨日よりちょっと早いかも」


それだけで、少し変化を感じる。流れができ始めている証拠だった。


シャーロットは扉へ向かい、ゆっくりと開ける。外に立っていたのは昨日来た男と、その付き添いだった。男の視線が一瞬だけ横に動く。板を見ている。


「……白花の薬屋、か」


小さく呟くように読む。


シャーロットは少しだけ肩をすくめる。「一応、それっぽく」


男はそれ以上何も言わなかったが、軽く頷いた。「分かりやすい」


短い評価だったが、それで十分だった。


「腕、どうですか」シャーロットが聞く。


男は布を外す。昨日よりも明らかに状態は良い。赤みは残っているが、腫れは引き、傷の縁も落ち着いている。


「悪くねぇな」


それだけの言葉だが、昨日よりも確実に信用は増えている。


「そのまま続けてください」シャーロットは新しい容器を差し出す。「無理しないで、少しずつで大丈夫です」


男はそれを受け取り、少しだけ間を置く。「……これ、昨日と同じか」


「ほぼ同じです」シャーロットは正直に答える。「少しだけ調整はしてますけど」


男は軽く頷いた。「それで十分だ」


その言葉は、評価としてはかなり高い。


「いくらだ」男が聞く。


シャーロットは少しだけ考えてから、昨日と同じくらいの額を伝える。高くもなく、安すぎもしない。村の感覚に合わせたつもりだった。


男は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに納得したように息を吐く。「……助かるな」


それだけ言って代価を渡す。


シャーロットはそれを受け取り、机の端に置く。特別なことではない。ただのやり取りだが、それでも昨日とは違う。


“店として成立している”という感覚が、少しだけはっきりしてきていた。


二人が帰ったあと、すぐに次の足音が来る。今度は昨日の女性だった。子供の様子はさらに良くなっているらしく、表情が明るい。


「だいぶ元気になりました」そう言って軽く頭を下げる。


「よかったです」シャーロットは短く答える。「まだ無理させないでくださいね」


「はい」


同じように容器を渡し、同じように対価を受け取る。その流れに迷いはなくなってきていた。


(……ちゃんと回ってる)


シャーロットは内心でそう思う。昨日は“試している”感覚が強かった。今日は違う。“やっている”という感覚に変わっている。


次に来たのは、少し年配の男だった。肩の痛みを訴えている。重い作業の影響らしい。症状は軽いが、放っておくと長引くタイプだ。


「これ、少しずつ使ってください」


簡単に説明して渡す。


男は容器を見ながら言う。「こういうの、ここじゃ手に入らねぇからな」


その言葉には、実感があった。


「まぁ、ある分だけですけど」シャーロットは軽く答える。


「それでも助かる」男は短く言う。


それだけで十分だった。


来る人の種類は少しずつ増えている。だが、共通しているのは“重くないけど困っている”という点だった。大きな病気ではない。命に関わるわけでもない。それでも、確実に生活に影響する。


(だからちょうどいいのかも)


シャーロットはそう思う。自分がやっていることの規模と、求められているものの規模が合っている。無理をしていないし、足りていないわけでもない。その中間に収まっている。


机の上の容器は、少しずつ減っていく。それでも焦りはなかった。午前が終われば作る時間がある。昨日決めた流れが、そのまま機能している。


「……次の人どうぞ」


声をかける。


外で待っていた人が一歩前に出る。


その動きも、昨日より自然になっている。順番を守ることに抵抗がない。流れとして受け入れられている。


クロエは変わらず後ろに立っている。何も言わないが、全体を見ているのは分かる。


(こういうの、得意そうだよね)


シャーロットは少しだけ思う。自分は感覚で動くが、クロエは全体を見て判断する。そのバランスがちょうどいい。


ひと通り対応を続ける。


会話は短く、やることは同じ。


それでも、ひとりひとり違う。


その違いを見て、少しだけ調整する。


その繰り返しだった。


やがて、外の気配が途切れる。


シャーロットは小さく息を吐く。「……一旦終わりかな」


クロエが答える。「午前としては適切です」


「だよね」


シャーロットは軽く頷く。


机の上を見る。残っている容器は、朝より少し減った程度だ。極端に減ってはいない。


(ちゃんと計算してるわけじゃないけど……)


それでも、バランスは取れている。


シャーロットは軽く机を整えながら、小さく呟く。


「……なんか、普通に店だね」


その言葉には、少しだけ実感がこもっていた。


クロエは静かに答える。「成立しています」


それだけだった。


だが、それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ