第25話 今でもまだ
3月14日が近付いてくる。
朝の空気はまだ冷たいけれど、ほんの少しだけ暖かさも混じり始めている。
冬枯れの校庭にも、春の芽吹きの気配がちらほらと見えてきた。
日差しは少しずつ角度を変え、白く硬かった光が丸くなってきた気がする。
ついこの間、卒業式を終え、三年生の姿が消えた校舎は、どこか空虚で広すぎる感じがした。
廊下を歩けば、自分たちの声がいつもよりよく響く気がして、少し寂しさを誘ってくる。
3月14日と言えば、言わずもがなホワイトデーだ。
先月のバレンタインでチョコをもらえた男子にとってだけ、世界が色づく特別な日に向けて。
俺はここしばらく、ずっと悩んでいた。
九条さんへのお返しをどうするか。
そこらへんのコンビニとかで手軽に買えるようなお菓子は論外だ。
かと言って、デパートで売ってるような高級ブランドのチョコや焼き菓子も、彼女にとっては食べ飽きてるというか、何の面白みもないだろう。
ではハンドクリームや雑貨とか?
いや、俺の小遣い程度じゃ彼女が普段使ってるクラスの品には全然足りないだろう。
安物を渡して気を遣わせるなんて、それこそ本末転倒というものだ。
となると、何を渡せばいいんだ?
何も無いじゃん……。
そんな頭を抱える日々の中で。
ふと浮かんだのはあの日の九条さんの弾けるような笑顔。
蒙古タンメン仲元で『極北ラーメン』を食べた時の、嬉しそうに笑っていたあの表情だ。
これだ……!
これに俺の気持ちを表現できるようなかたちにすれば……!
思い立ったら即行動。
俺はネットで情報を漁ると、これしかないという一品に辿り着いた。
そして、最寄りのヴィレヴァンへと駆け込む。
が――。
無かった。
しかし、気落ちしている暇はない。
電車を乗り継ぎ、片っ端からヴィレヴァンを巡る。
そして、ようやく何軒目かの店の奥で目的の品を見つけることが出来た。
『キャロライナ死神チョコレート』
透明な円筒形のケースに、ぎっしりと詰まった黒い小袋。
金色のフタが不気味にギラついている。
正面のラベルには炎に包まれた赤鬼の顔――血走った目でこちらを睨み、歯をむき出して笑っている。
おそらくハバネロをモチーフにしたデザインだろう。
その両脇には無骨な「死神」の二文字。
「超激辛につき辛い物が苦手な方やお子様は食べささないでください。」
当然ながら、注意書きもヤバいことになってる。
『極北ラーメン』をも平気で完食してしまう九条さんには、これしかない。
キャロライナリーパー一味唐辛子100%使用――。
100%か。
いいな、これ。
バレンタインデーに貰った九条さんからのカードに対するアンサーとして、こんなにぴったりなものはない。
けど、これだけじゃ少し味気ない気もする。
……あ、この前ポイント交換でもらったアレも一緒につけとくか。
◆◆◆
今日は朝から、辛い物を食べたい気分だった。
午前中の会議はいつも以上に長引き、気づけば時計は正午を大きく回っている。
オフィスビルの自動ドアを抜けると、じめじめとした空気に夏の匂いが混じっていた。
アスファルトの向こうにはスーツ姿の人々が足早に行き交い、ランチタイムの喧騒も一段落したビル街は、少しだけ落ち着きを取り戻している。
ビルの谷間から差す陽光が、ガラスの外壁に反射して眩しい。
バッグの中には、ちゃんとアレも持ってきている。
いつからか、私は一人でもその店に躊躇うことなく入れるようになっていた。
――『蒙古タンメン仲元』。
入口で待ち構える、いかついおじさんの等身大パネルは恐らく全店共通。
券売機の前に立ち、迷わず『極北ラーメン』のボタンを押す。
そして――
「極北3倍でお願いします」
店員さんに、そうお願いすることにももう慣れた。
席に着くと、バッグから赤いタオルを取り出す。
鮮烈な赤に、黒々とした力強い文字が刺繍されている。中央には丸で囲まれた「誠」の印――仲元オリジナルのタオル。
『仲元で汗を拭くときはティッシュじゃなくて、タオルを使うのが常連の証だから』
そう言って笑った彼の顔が、脳裏をかすめる。
あの時のホワイトデーで、彼から貰った思い出のタオル。
ここに限らず、辛い物を食べるときは、いつの間にかこれを欠かさず持参するようになっていた。
そして、その時彼が添えてくれたもうひとつの贈り物――『キャロライナ死神チョコレート』。
小さなカードにはこう書かれていた。
『キャロライナリーパー一味唐辛子使用%が、俺の気持ちです』
ネットで調べると、すぐに答えに辿り着いた。
――100%。
彼の私に対する想いが、100%。
当時、彼の考えていることがたまに分からなくなっていたけど、改めてその想いを確かめることが出来た。
その気持ちは、今でもまだ変わっていないのだろうか。
私は仲元に来る度に、彼の気配を隣に感じる。
横を見ても、いるはずがないことくらい分かっているのに。
大汗をかいて、涙を流し、何度もむせながら、それでも必死に麺をすするその姿。
それを見て、笑いを堪えきれない私がいる。
まるで昨日のことのように、今もまた鮮明に蘇る。
――『今もまた』、というよりも。
正しくは『今でもまだ』、と言うべきだろう。




