05. 王子様と王妃様と私
ルミールくんは、驚いて動きが止まってしまったベルナルトくんに向かって真っすぐ突進、そのままタックルを仕掛けた。突撃を受けたベルナルトくんは、猫を覗き込むという不安定な体勢だったにも関わらず、何とか持ちこたえた。体幹が鍛えられていてすごい。
「ベル兄さま! お会いしたかったですベル兄さま!」
「落ち着きなさいルミール、猫が驚いてしまう」
「あっ! ……大声だしてごめんねクロちゃん」
確かに猫はびっくりした。普段猫への配慮はなるべく欠かさないルミールくんが、最初から大声を出すほど我を忘れてるのもそうだし、そもそも雨の日は来ないはずのルミールくんが来たこと自体にも、ちょっと驚いている。でも一番びっくりしたのはベルナルトくんの体幹だ。その若さで何者なんだベルナルトくん。王族だということはわかっているけど、それだけで説明つくんかこの体幹。
どうやらルミールくんは、ベルナルトくんが大好きらしい。窘められたら一気に声を潜めてそっと謝ってくれるあたり、本当にかわいい王子様だ。猫は全然気にしていませんよと示すために、ルミールくんにもご挨拶をしておく。今日はもう会えないと思っていたのでうれしいです。
ベルナルトくんにくっついたまま話を続けるルミールくんの口ぶりから、この二人が元々仲が良かったことと、しばらくの間ベルナルトくんがルミールくんを避けていたらしいことが察せられた。ここまでルミールくんが懐いているのなら、ベルナルトくんとルミールくんのお姉さんも親しかったのではなかろうか。ベルナルトくんの態度は、例の事故だか事件だかに関係するものなのかもしれない。
これまで相当我慢していたのか、ルミールくんのお話は無限に湧き出て止まらなかった。
しかし、この場所はあくまで庭師さんの作業小屋で、王族の子供たちが屈んで見ているものは宝箱ではなく、猫が入ったほんのり獣臭い箱である。さすがにどうかと周囲の人たちも思ったようで、ルミールくんに付いて来たお世話係さんが、庭にある東屋を使うことを勧めてくれた。そう、このお庭、猫の行動範囲内にもちゃんと屋根のある東屋があるんですよ。昼に開催される猫を囲む会は、たまにこの東屋のほうで開催されることがある。
東屋は手早く準備が整えられ、子供たちは速やかに移動することになった。王族の身の回りを整える仕事をなさっている皆さんは、とてつもなく仕事が早い。猫は他人事だと思ってお見送りする体制に入っていたというのに、ルミールくんに抱き上げられて、そのまま一緒に東屋まで連れていかれた。小屋の外は、秋の冷たい雨でちょっと寒いんだけど、周囲の人たちは子供二人に傘をさしかけていたし、お陰で猫も濡れずにすんだし、そのままルミールくんのお膝に着席させられた。どうして。
子供たちが体を冷やさないよう、少し遅れてふかふかのひざ掛けも用意された。ルミールくんがひざ掛けを装備するため、猫は一旦持ち上げられたが、今度はルミールくんの隣に猫専用ふかふか毛布コーナーが作成され、そこにぼすんと降ろされた。いや本当にどうして。
温かい飲み物に小さなお茶菓子すらも添えられて、どうみても時間かかりそうだけどその間に絶対体冷やしたりしないようにね! という圧を感じる。王族付きの人たち、すごいを通り越してちょっと怖い。
こういう諸々の動きの間も、ルミールくんはずっとお話をしていた。
なんかね、ルミールくんとお姉さんとベルナルトくんは、ほとんど三兄弟みたいな感じで育ったらしいよ。ルミールくんのお母さんは王妃様だけど、できる限り子供に関わりたいタイプの人のようで、この手の王侯貴族の話でよく聞く、子育ては基本係りの人がやる、みたいな感じではなかったようだ。三人で追いかけっことかよくしたらしい。木登りを教えてくれたというルミールくんのお姉さん、やはりそっち系でしたか。
お姉さんに何かがあって会えなくなってしまった後、ベルナルトくんもルミールくんを避けるようになってしまった。子供たちは元々このお庭のあるお屋敷で過ごしてたようなんだけど、事故だか事件だかの後、ベルナルトくんは違うところで過ごしていたんですって。
そうそう、ここって王様のいるお城の敷地内にある離れ的なやつらしいよ。ベルナルトくんが離宮って言ってました。最近のベルナルトくんは、お城の本館的な建物にあるお部屋にいたそうです。
子供たちも王妃様もみんな、本館のほうにも生活するためのお部屋が一式あるみたいだ。ルミールくんは本館よりも離れのほうが好きだし、まだ小さい子供だから、本館のほうにはあんまり行かないよう言われているんだって。お母さんの方針でそうなっているのかもしれないね。本館と離れって言っちゃうと、一気に旅館みたいな雰囲気になるんだけど、ちゃんとお城の話です。
仲良しのお姉さんとお兄さん、二人とも急に会えなくなってしまって、ルミールくんは落ち込んだ。だけどルミールくんのお母さんのほうがもっと落ち込んで、そのまま寝込んでしまったのだそうだ。そういえば、前に匠のおっかさんから、体調崩した人がいるって話を聞いた覚えがある。あれは王妃様でしたか。そりゃあ、お屋敷の中で働く人たちも大変だったことだろう。
仲が良かった家族がみんな、急にいなくなったり寝付いてしまったりしたのだから、ルミールくんにかかった負荷は察するに余りある。残るはお父さんだけど、お父さんとも仲はいいみたいだけど、なにぶん王様だ、忙しいんでしょうね。
寂しかったと訴えるルミールくんはちょっと涙目になっており、それを聞いたベルナルトくんも涙目になっていた。ごめん、と言い続けるベルナルトくんのほうも、良かれと思って避けてたことが伺える。このあたり、どうも王族の跡継ぎとか、そういう系のきな臭いものが関わっていそうな気がして、こんないい子たちを巻き込むんじゃないよ! と義憤にかられそうになった。
でも猫だからなあ私。具体的には何もできない。今までやったことといえば、おいしいごはんを頂いて、作ってもらった寝床で眠ってたほかは、魔術師団長の人に駆け上ったりルミールくんと木登りしたり、そういう猫的にも楽しい遊びをしていたぐらい。猫は猫を遂行することしかできないのです。
「ベル兄さまが来てくださらなくなって、あぶないから庭にも出てはいけないっていわれて、すごくさみしかったんです。でも、ミケルたちがあぶないものをなくしてくれて」
ルミールくんの口から、ミケルさんこと魔術師団長の人の活躍が語られている。そういえばあの人、現場で指揮してたって言われてた。猫を囲む会目線だとすっかり忘れてしまうのだけど、魔術で師団で長なんだから、そりゃあ雰囲気だけでなく仕事もできるよね。いつも遊具呼ばわりしててごめん。でも猫にとっては遊具だ、そこは譲りませんのでよろしくお願いします。
「庭に出てもいいし、猫が来ているっていわれて、会ってみたいっておねがいしたんです」
「そうか。それで仲良くなれたんだな」
「クロちゃんとはいっぱいあそんでます! 木のぼりもじょうずなんですよ」
話題が猫に移ってきた。ふかふか毛布コーナーで箱座りして、お話を聞いてますよ感を出すことに努めている猫の背中を、ルミールくんはずっと撫で続けている。気持ちがよくてうっかり寝そう。初対面の人の前で寝るのはどうかと人間の私が思うので、どうにか踏みとどまっている感じです。
嬉しそうに木登りの話をするルミールくんを見ながら、ベルナルトくんも嬉しそうにしていて微笑ましい。かわいい弟分なんだろうなあ。
ルミールくんが猫のことを褒めたたえるので、ベルナルトくんも猫に興味津々である。猫は猫をやっていただけだけど、猫を囲む会が発生して、結果的にいろんな人の親睦が深まったのは、まあ、事実だと思う。猫はかわいい生き物だもの。
だから、ベルナルトくんも猫を愛でればいいのではないでしょうか。
この東屋、丸というか楕円っぽい形のテーブルが真ん中にあって、囲む形で置いてある椅子のうちの一つが長椅子になっている。ルミールくんはその長椅子に座っていて、そして隣には猫が配置されているのだが、一方のベルナルトくんはテーブルを挟んで向かい側の一人掛けの椅子に座っていた。和やかなお話には何の支障もない配置だけど、このままベルナルトくんが猫を触るには無理がある。
ちょっとだけためらう様子を見せた後、立ち上がったベルナルトくんが長椅子のほうにやってきた。たぶんお行儀的にはよろしくないが、猫は歓迎いたします。ルミールくんと仲良く座って猫を触ればいいと思うよ。
「やわらかい……」
ぎこちなく猫を撫でながら、思わず、というようにベルナルトくんが感想をこぼした。見守っているであろうルミールくんからは、満足そうな気配がする。初見の感想は健康に良いというやつかもしれない。
猫もご機嫌ですよと示すために、ずっと喉をゴロゴロいわせているのですが、そういう猫の様子に安心したのか、ベルナルトくんがどんどんいろんなところを撫でてくる。あっ、尻尾! 尻尾はですね、猫一般においてもちょっと微妙な部分なので、あんまり触らないで頂けるとありがたいです!
猫の私、実は尻尾の半分から先を動かす勝手がわからない。他の一般的な猫が動かせるところは、猫の私もだいたい全部動かせると思うんだけど、尻尾の先だけなんか微妙なんだよね。尻尾の先端部分をぴこぴこ動かしてる猫の動画とかも見た覚えがあって、あれにちょっと憧れてるんだけど、やり方が今一つわからないので悔しい思いをしています。人間の尾骨はすんごい退化してるわけだし、ここだけは人間の私の感覚に引きずられているのかもしれない。
それでも、先のほうでなければ支障なく動かせる。尻尾のお触りはいま一つです、という主張で大きくぱったんぱったんさせてみたんだけど、これはあんまり通じていないかもしれないな。ルミールくんの気配がなんかこう、どんどん小学生男子めいてきてですね、このまま遊びに突入しそう。猫の私はまだ若いのに、子猫を尻尾でじゃらす母猫みたいなことになりそうな予感がするぞ。
予想通り尻尾を捕まえる遊びをそっとはじめたルミールくんと、それにつられて尻尾を捕まえる遊びをはじめたベルナルトくんに、普段なら適当なところで隙を見てこの場を離脱するんだけどなあ、でも雨降ってるんだよなあ、などと考えていたら、また周囲がザワザワしはじめた。またか! 今日は多いな! 今度はなんだ!
「まあ、本当に外にいるのねあなたたち」
「母上!」
なんかまた偉い人が来たかな、と思っていたら、ルミールくんのお母さんだった。ルミールくんのお母さんってことは、つまり王妃様だよ。ここにお住まいなんだから、そりゃあお庭に出てくることもあるでしょうけど、今日は雨だぞ。
猫の私がここに来てから、王妃様にお目にかかったことはなかった。体調の関係で、お庭に出ることができなかったんだと思うけど、雨の庭に出られるぐらいに回復したのだったら何よりだ。
大好きな兄貴分にお母さんまで揃って、ルミールくんはとても嬉しそうだけど、ベルナルトくんは目を見開いて固まってしまった。
「ベル、久しぶりね。ずいぶんと気を使わせてしまって、本当にごめんなさい」
「……いえ、……あの」
どうしていいかわからない、でも何か言わなきゃ、という感じのまま動けないベルナルトくんの頭を、王妃様がふんわり抱きしめた。この隙をついて、猫は尻尾を体の下にしまいこんだ。
「ベルは私たちの大事な家族よ。これからもずっとそう。だから、急いで大人になろうとしないで。せめて成人するまで、まだしばらくは一緒にいてくれると嬉しいわ」
ベルナルトくんが小さく嗚咽を漏らしている。やっぱり無理して背伸びをしていたんじゃないかな。
どんな事情があるのかわからないけど、子供の時代のほうが短いんだから大事にして欲しいなと、日本人三十三歳の感覚が訴えています。
「ぼくもベル兄さまといっしょにいたいです!」
「そうね、みんな一緒がいいわね」
家族の美しい大団円を見た。こういうヒューマンドラマは、今までの猫の私の生活の中になかった。
うっかり貰い泣きをしそうになったけど、猫の体はそういう理由では涙が出ない。猫が涙を流していた場合、それは何らかの身体的な異常なので、続くようなら獣医さんに診てもらったほうがいいってどっかで読んだことがある。
「さあさあ二人とも、いい加減中に戻ってきてちょうだい。このままだとみんな風邪をひいてしまうわよ」
それは猫もちょっと気になっていた。王妃様の言う「みんな」には、たぶん子供たち以外も含まれる。
東屋にはもちろん屋根があるんだけど、そこまで広くはないから、護衛の人たちは全員屋根の外にいるんだよね。護衛の人たちは、これも仕事のうちで織り込み済みだろうし、なんなら魔術的な何かで対策が講じられている可能性もあるけど、このまま長時間外に立たせるのは、子供への教育という意味でよろしくない気がする。
王妃様の鶴の一声により、東屋における家族の再会 ~猫を添えて~、は終了となり、子供たちが椅子から立ち上がった。猫はルミールくんが抱えてくれた。小屋まで戻してくれるらしい。雨降ってるし地面もぬかるんでるし、嫌だなと思っていたところだったので助かります。
「母上、クロちゃんを中にいれてはだめですか? 雪がふったらさむいですし、部屋でもいっしょにあそびたいです」
猫に優しいルミールくんが、猫に優しい提案をしてくれた。本音は後のほうですねわかります。
「そうね、もう寒くなるものね。ニーブルト卿に相談してみましょうか。だめだった場合は、冬は温室で過ごしてもらえるようにしましょうね」
「はい!」
ルミールくんが元気よくお返事して、猫をぎゅっと抱えなおした。それ以上強くされるとにゅるっと落ちると思うので、ほどほどでお願いします。
隣に並んで歩くベルナルトくんは、ずっと猫の頭を撫でている。猫の手触りはお気に召しましたか。
作業小屋の前では、お皿のおじさんが待っていた。立ち止まったルミールくんに抱えられた猫を、王妃様がそっと撫でる。撫でる手付きに迷いがない。王妃様は猫の経験者でいらっしゃる……?
「賢い黒猫さん。いつも息子がお世話になっています。今日も子供たちと遊んでくれてありがとう。なるべく温かく過ごせるようにしますから、もう少しお待ちくださいね」
王妃様にお礼を言われてしまった。こちらこそお世話になっています! 冬の寒さ問題はだいぶ切実なので、前向きによろしくお願いいたします! 夏がそんなに暑くなかっただけに、冬は厳しそうでちょっと嫌な予感がするんですよ。冬の寒さは即座に命に直結してしまうので。
とはいえ、この件の担当者はニーブルト卿こと魔術師団長の人らしいので、最終的にはそんなに酷いことにはならないと楽観視しているのだけど、どうだろうか。
あとやっぱり、建物内の出入りは許可制なんだな。前にお皿のおじさんが電柵みたいな結界の話をしてくれたけど、あれも許可制だって言ってた気がする。無許可だとやっぱりビリッとしたりするのかもしれない。




