06. セキュリティ診断される私
お皿のおじさんに回収された猫は、いつもの獣臭い箱に戻された。そのまま雨の日の日常が戻ってきたのだけど、そう時間を置かずに、今度は魔術師団長の人がやって来た。雨で空が暗いから、時間が今一つわかりにくいんだけど、東屋でのお話がおひらきになった段階で、もうお昼に近かったんだと思う。
それでね、魔術師団長の人ってばね、なんと! 今日は猫におやつを持ってきてくれていたんですよ! これ、茹でた鶏ササミだと思う! 本当に一体どうしたの今日は!
猫にめちゃめちゃ馴染んでいる魔術師団長の人だけど、彼が直々に猫の食べ物を持ってきたのは、さすがにはじめてだ。魔術で師団で長の人は偉いので、猫のお世話なんて普通はしないというか、するべきではないという扱いになるんですよ。ここでの生活がそれなりに長くなったので、日本人三十三歳にも、彼が持ってきた茹でササミが特別だとわかる。
庭師の皆さんはお昼の休憩に作業小屋を使わないので、昼の休み時間になると、小屋は一旦無人になる。昼の食事を早食いしたであろうお皿のおじさんが戻って来た後、魔術師団長の人や匠のおっかさんが現れるのが、雨の日のいつもの流れだ。今日は、庭師の皆さんがまだいるところにササミの入った器を持った魔術師団長の人がやって来て、お皿のおじさんだけが残る形になった。
この二人はお昼ご飯どうするんだろうと思ったら、今度は匠のおっかさんが大きな籠を持ってやって来た。中身は三人分の軽食セットで、大きなパンにお惣菜を挟んだものだった。私はこの世界にもお惣菜パンが存在したんだなと感動しつつも、真剣に茹でササミと向き合っている。猫の生活においては、マルチタスクを求められることがよくあるのです。
「妃殿下からの話は聞いているな。私としてはおそらく問題はない、とは思っているが、まだ気にかかる点もある。普段からクロを見ているお前達の意見も聞きたい」
でっかいお惣菜パンを素早く食べ終わった魔術師団長の人が、ちゃんと偉い人っぽい口ぶりで話を切り出した。台詞の中にちょっと猫の名前が混じっているけど、気にしてはいけない。というか、こんなに威厳を感じる魔術師団長の人を見るのは、大変に久しぶりである。あとこの人、偉い人なのに食べるのがむちゃくちゃ早い。軍隊的な現場の経験があるからなのかもしれない。
お皿のおじさんももう食べ終わっているし、匠のおっかさんはもう少しで食べ終わる。猫はね、まだ茹でササミと戦っています。喉につかえて吐くのだけは絶対に避けたいのです。やらかしたらしばらく落ち込む自信がある。
「私も、クロに何か差し迫った問題があるとは思えません。利用して何かをするにしても、ニーブルト様の仕掛けを搔い潜る必要があるのですし」
「魔術が万能なものだとしても、設定するのは人間だ。手違いがないとは限らないし、私より巧みな者はいくらでもいる。あまり買い被らないでくれ」
「そうだとしても、クロがここに現れてから半年近く経ってます。結界内に出入りができる立場の者が、意図して隠蔽を行って持ち込んだと仮定しても、ルミール殿下を狙うならばこれまで隙はいくらでもあったでしょう。殿下を直接狙うのではないにしても、事を起こして攪乱すべきタイミングはあったはずです。この場合は目的が不明瞭なので言い切れませんが、長期潜入すること自体が目的だったとしても、収集した情報を使うべき時に使っていないように思えます」
「いずれにしても、機能はしていない。そういう見立てか」
「はい」
お皿のおじさんがすごく詳しそうな雰囲気で見解を述べているんだけど、何者? ただの庭師さんじゃなかったの? という衝撃がすごい。猫とお皿のおじさんはずいぶん一緒にいるはずなのに、私は庭師をやっているお皿のおじさんしか見たことがない。昼間に庭師のお仕事をしている最中だけ一緒にいるので、それはそうなんですけども。ですけども。
庭師は昼間ずっと庭にいて、隅々まで手を入れる人たちなので、もしかしたら敷地内の防衛の役割もある程度担っているのかもしれない。
「私もラデクと同じ見解だ。サーラはどうだ?」
お皿のおじさんの説明を聞きながらお惣菜パンを食べ終えた匠のおっかさんが、猫を撫でながら少し考える素振りを見せた。猫はですね、茹でササミをもう少しで全部食べ終わると思います。
「私ではそういったことはわからないのですが、クロがずば抜けて賢いということはわかります。私達の言うことを、かなり詳しく理解しているとしか思えないことがよくありますし、立ち入るなと教えた場所には、魔術障壁がなくても一切入っていないようです」
魔術障壁って何! 「なくても」ってことだからあることもあるんだよね? 怖っ!
言いつけを守っておいてよかった。施設の管理側からの注意事項は守るに限りますねホント。
「人間が望む通りの行動をとっていることもよくあります。普通、猫はもっと気ままに動くもので、人間がここから動かないで欲しいと思った時に、その通りでいてくれることは稀です。使い魔であればそういう能力も底上げされると聞きますが、以前のニーブルト様のお見立てではそうではない、とのことでしたので……。何であれ、原因はわかりませんが尋常のことではないと思います。人間と接し続けた老齢の飼い猫ではそういう話も聞きますが、クロはまだ若いですから」
口に入れていた茹でササミを吹き出しそうになった。あぶない。とりあえずきっちり咀嚼して飲み込んだ。食べ終わったので顔を洗いますね。食べ終わったから顔を洗っているんですよ。どどど動揺しているわけじゃ、なななないよ。
まあね、尋常ではないと思うよ。私の体は確実に猫だと思うけど、意識としては日本人三十三歳が同居している状態だもの。これでも一応、あんまり不自然にならないよう気を付けていたつもりなんだけど、匠のおっかさんの慧眼には勝てなかった。
「それともう一つ。ここへ来た当初のクロは、冬の終わりの生まれ程度の月齢に見えました。あれから半年近く経っていますが、まだ体つきが子猫のままです。この半年の間の栄養状態が極端に悪いなどの事情でもない限り、本来であれば若い成猫の体になっているはずです。身体的に何かしらの障害がある可能性もありますが、普段の動きを見る限り、成長が阻害される程とは思えませんので、不可解であるとしか言いようがありません」
成人男性二人の視線が、一気に猫に向いたのでびっくりした。匠のおっかさん以外は気付いてなかったというか、気にしていなかったっぽい雰囲気だ。私もそこは全然気にしてなかったので盲点でした。お庭で暮らしてる猫が、自分の全身を客観的に見る機会なんてない、ってのもあるけど、たぶん日本人三十三歳の意識も邪魔をしている。三十路の意識に、自分の体の成長なんてものはないからね。つまり老化なら気が付いた可能性がある。
驚いて固まってしまった猫の私の背中を、匠のおっかさんは優しく撫で続けてくれている。猫の成長が遅いことに気が付いて、猫に出す食事にも気を使ってくれていた可能性が高い。心配してくれていたんじゃないかな。嬉しくて泣きたい気持ちになったけど、猫の体はそういう理由では涙が出ないのだ。このオチは本日二度目である。
「……体に何らかの仕掛けがある可能性か」
「否定はできないと思います」
「そうだな……」
魔術師団長の人がじっと猫を見つめる。ちょっと辛そうな雰囲気がある。初対面の時、ごく普通の態度で処す話をしてた人と、同一人物とは思えない。
猫は今のところ無害だが、客観的に見て普通の猫ではないのは確かだ。不安要素があるなら「処分」するのが、王族の身近にある人たちの、本来の姿勢なんだろう。猫だって自分の命は惜しいけど、この体は何がどうなっているのか、自分でもさっぱりわからないので仕方がない。猫の体に何かの仕掛けがある場合、狙われているのはルミールくんやベルナルトくん、あとは王妃様や王様だと思う。猫のせいで、せっかく揃って仲良しに戻れそうなあの家族に、何かあるのはとても嫌だ。
私はこのお庭の外で生きていける気がしない。外には怖いものがいっぱいで、安心して口に入れられる水も食べ物もない。だから、もしも猫が危険な存在だったら、できれば一思いに「処分」して欲しいんだけど、それはもう難しいんだろうな。みんな猫に優しい人たちだもの。
私たち、ちょっと仲良くなりすぎましたね。ごめんね。でも猫は猫であることしかできないんだ。
溜息をついた魔術師団長の人が、猫に手を伸ばした。じっと待っていたら、そのまま抱き上げられてしまった。この人には何度も登っているが、自主的に抱っこされたのは初めてだ。目の前にふさふさした飾り紐があるんだけど、噛んでいいのかな。
そのままお腹のあたりがちょっと温かくなる。魔術的な何かを行ったのかもしれない。
「今更ではあるが、強めの局所防護をかけた。一時的なものだが、これでクロの中に何かが仕掛けられていたとしても、とりあえずは不発となるはずだ」
ああー、爆発物とか、そういう何かへの対策ですね! わかります! こわい!
「元はルミール殿下のご要望だと聞いている。近衛とも相談するが、殿下達のご様子からも、できれば離宮の中に入れられるように図りたい。追加の安全策についてはなるべく早くに講じる。すまないが、その時は二人とも立ち会ってもらえるか」
「わかりました」
お皿のおじさんも、匠のおっかさんも、ほっとした様子だ。
魔術師団長の人は抱えている猫の私を優しく撫でた。場の空気が緩んだ気配を察知したので、目の前の飾り紐を噛んでおこうと思ったのだけど、それは阻止された。残念です。
今日は雨降りなので、午後に屋外でやるルミールくんの魔術の実技練習はない。元々ない日だった可能性もあるけど、その辺は猫にはわからない。
作業小屋の中で、庭師さんたちのお仕事を見守ってみたり、邪魔してみたり、箱の中でウトウトしたりする午後を過ごした後、夕方近くになってから、またもや魔術師団長の人が現れた。猫がはじめて見る人間を二人連れていた。どちらも成人男性だ。一人は魔術師団長の人と似た服を着ていて、魔術師団の医療技官さんらしいです。もう一人は獣医さんだって。牛とか馬とかいるんだから、そりゃあ獣医さんだっていますよね。ベルナルトくんが過ごしていた本館のほうには、犬もいるんですって。この獣医さんは普段は犬や鳥を主に診ている人らしい。
普段食事を貰える時間よりもまだ早いと思うけど、小屋には匠のおっかさんも来ており、猫をもしゃもしゃ拭いてくれた。ついでに夕食が始まるかもしれない、とちょっと期待したけど、それはなかった。やっぱりね。
ここまで来れば何が始まるかはだいたいわかる、そう、猫の健康診断です。
作業小屋にある机が拭かれて上に猫が配置され、先に獣医さんの診察を受けた。お皿のおじさんに保定されて、いろんなところを触られたり、反応見たりされるやつだ。人間の私は猫の情報を集めてはいたのだが、実際に猫を飼ったことはないので獣医さんにもご縁がなく、日本の獣医さんとこの世界の獣医さんの差がわからない。
そんなどうでもいいことを考えているうちに診察は終わったようで、猫の体に異常は確認されない、というお墨付きを頂いた。栄養不良ということも全然ないそうです。三か月ぐらいの月齢ではないかって言ってた。運動機能も問題はなくて、順調に育ってますね、って。獣医さん以外の人間全員がスンッとなったのを私は見逃さなかったぞ。
獣医さんがお帰りになった後は、医官さんの出番のようだった。第一声で「はあ、ほんとに訳わかんないっすね」とか言っちゃうお兄さんだ。さっきの獣医さんには、ここに来て半年経ってる子猫がまだ生後三か月という、猫自身にすら訳のわからない事実は伏せられていたようだったが、魔術師団の中では共有されているんだろう。それはそうだよねえ。
医官のお兄さんの診察は、魔術師団長の人と二人がかりだった。猫の体の保定は行われなかったが、痛いとかしんどいとかもなかったので、私はただぼんやり終わるのを待っていた。もしかしたら魔術的なにかで拘束されていたのかもしれないが、特に何も感じなかったのでよくわからない。
「なるべく細かく見てみましたけど、異常は見つけらんなかったっす。金属塊はなくて、不自然な骨塊や石塊も見当たらないです。魔力溜まりも、なりかけすら見当たらないし、これ以上は俺では無理ですね」
特に何かされた感はなかったけど、猫の体の非破壊検査が行われていたようだ。日本人三十三歳にはおなじみのCTスキャンとかMRIみたいなことを、この医官のお兄さんはできるのかもしれない。すごいな、歩く医療機器だ。
「お前が無理なら検出できる者はこの国にはいない。体内にはほぼ何も仕掛けがない、と考えるしかないな」
「実際には不自然すぎるんで、このちっこい体のどっかに絶対なんかあるんですけど……。それがたまたまなのか、悪意があるのかわかんないですし、悪意があっても発動してるのかしてないのかもわかんないんで、あとは近衛の側と師団長の判断にするしかないとは俺も思います。可能性を潰すんなら、殿下たちに近づけないで処分しちゃうのが一番いいんでしょうけど、今更な上にたぶん無理ですよね、もう」
「ルミール殿下がことのほか気に入られているからな……」
それだけじゃないでしょ、という気配を隠さず、医官のお兄さんが魔術師団長の人を見た。この二人は部下と上司の関係だと思うけど、ずいぶん気安い感じがする。師団長の人はとてもわかりやすいおすまし状態になっていて、なんのことやらって態度である。
そりゃねえ、二日に一度猫の遊具になりに来てる人だもんねえ。周りには知れ渡っているでしょうね。
魔術師団長の人がわざとらしい咳をした。
「近衛からはこちらの判断でいいと言われている。今更だというのもあるが、私が責任を持って防護術式をかけておけば、構わないそうだ」
「なんかあったら師団長の首切る気満々じゃないですか」
「それも今更だな。――予定していた通りに対処する。手伝え」
猫の肩に、魔術師団長の人の首の去就まで乗ってしまった気がする。首切るって比喩だよね? 物理じゃないよね? ありそうでこわいよ!
猫には荷が重いっていうか、猫は猫でしかないし何の自覚もないので、何もないことを祈るしかない。なんかまたレントゲン撮るみたいに光ってるから、魔術的な何かの処置がされているんだと思うけど、よろしくない何かがあるんだったら、その辺が仕事をしてくれるはず。魔術師団長の人と医官のお兄さんの技術に期待しよう。
診察に処置にと、いい加減じっとしすぎて飽きた私は半分寝ていたのだが、バタバタとした気配がして目が覚めた。庭師さんの作業小屋に飛び込んできたのはルミールくんだ。
「ミケル! クロちゃんは?」
「ここにいますよ」
魔術師団長の人が苦笑している。
最初にルミールくんを猫と引き会わせたのは魔術師団長の人だけど、ここまでルミールくんのお気に入りになるとは思っていなかったのだろう。猫は猫ってだけでかわいいし、子猫は特にかわいいからね、仕方がないよね。猫はこの国の魔術師団の底力を信じていますよ、具体的に何がどうなっているのか全然わからないけども。
「お部屋につれていってもだいじょうぶ……?」
「離宮の中に入れられるよう、許可を設定します。殿下のお部屋に入れていいかどうかは、私ではわかりかねますので妃殿下と相談してください」
「はい!」
猫に対する魔術的な何かの作業は終わっていたようで、魔術師団の二人はルミールくんに一礼すると小屋を出て行った。猫の私はルミールくんに見守られながら、匠のおっかさんに再度もしゃもしゃと拭かれた。
「クロちゃんもいっしょにお夕飯をたべられるよう、母上におねがいするね」
「かしこまりました。クロの食事は後ほど用意しますね」
猫と一緒に食事はどうかな? お作法的な問題で難しくないかな? と思ったけど、匠のおっかさんはその辺をうまいこと濁した返答をした。プロの技を感じる。
上機嫌のルミールくんに抱えられて小屋を出ると、雨は止んでいるようだった。
庭師さんの作業小屋から、離れの建物の通用口らしき場所は結構近い。最初の日に、お皿のおじさんが猫のために獣臭い箱を置いてくれた場所が、この通用口の隣である。
近くには魔術師団長の人と医官のお兄さんがまだいた。建物に向かって何か作業をしている。猫が建物に入れるようにしてくれているのかもしれない。
通用口の扉は開いていて、奥からベルナルトくんが顔を出した。ルミールくんを迎えに来たっぽい雰囲気だ。気が付いたルミールくんは満面の笑顔! って感じの気配を振りまいている。幸せそうな子供は、猫の健康にもよいものである。
「ベル兄さま! だいじょうぶでした!」
「そうか、よかったな」
「はい!」
猫を抱えたルミールくんはするっと戸口を通り抜け、猫はついに、お屋敷改めお城の建物の中に足を踏み入れた。いや踏んでないですけどね。気分ですよ気分。
楽しげな子供たちに気を取られていたので、魔術師団長の人が息を呑んでこちらを見たことに、私は気が付かなかった。




