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庭には二羽使い魔がいる

おまけの後日談。お皿のおじさんの話です。

 春も深まり、そろそろ夏の足音が聞こえはじめたこの庭には、一昨年まで猫がいた。猫を構いたい人が頻繁に訪れる、賑やかな場所だった。

 昨年は、猫と入れ違いに戻ってきた王女殿下の婚約者候補についてなぜか相談され、その関係で頻繁に人が訪れる、少し賑やかな場所だった。

 今年の春、王女殿下は成人を迎え、正式に婚約者も迎えられた。半ば役目を終えたこの庭は、今はとても静か、……な、はずだった。


「ちょっとこれ、設定に失敗していると思うのだけど!」


 執拗につついてくるニワトリから逃げながら、ノエミ王女殿下が大声をあげた。二羽のニワトリがココッと鳴きながら、彼女の後を追いかける。

 怪我をしていた右手の包帯も取れた彼女の動きは、なかなかに鋭かった。外出用の短めな、しかし数ヵ月前の装いより裾の長いスカートを翻しつつ、上手にニワトリの攻撃をかわしている。


「不審者対応なんだから、動きとしては間違ってないっすよ。姫様を不審者認定してるのはさておき、動きがちょっとしつこくて威圧的だなとは思いますけど」

「待って、私を不審者扱いするのはダメなのでは? あと、そろそろ助けてくれてもいいと思う!」


 ひらひらと動く王女殿下を半笑いで見ているのは、魔術師団のカラシュ医官だ。この春、彼女の婚約者として発表されて、二人は現在、正式に婚約の関係にあるという。

 登場人物だけを見れば、婚約者同士の逢瀬と言えなくもないが、王女はニワトリに追われているし、婚約者はそれをあきらかに面白がっている。


 王女殿下に攻撃をしかけていたニワトリは、護衛が合図した途端にぴたりと止まり、彼女はその場に座り込んだ。


「いやあ姫様、とてもいい動きでした。まるでダンスを踊られているような」

「曲にあわせるのができないだけだから……! あんまり失礼なことを言うなら、ニワトリに魔術師団っぽい服を着させて、カラシュさんの代わりのパートナーにしてやる」

「見てみたい気もしますけど、俺の代わりにニワトリってのはさすがに悲しすぎるんで、やんないでくださいね」


 差し出されたカラシュ医官の手を自然に取って、王女殿下が立ち上がった。


「動きのしつこさは製作者の性格が出たのかもね。お父様、子供にかまいはじめるとしつこいもの」

「俺、それ聞かなかったことにしていいっすか」

「事実を指摘した位でお父様は怒らないから大丈夫」

「その大丈夫は姫様だからっすよ。少なくとも俺に適用されるとは思えません」


 王女殿下は先々、魔術で構築する使い魔を使った事業を立ち上げる予定があるという。そのせいか、王族の方々の間で使い魔の作成が流行しており、この二羽のニワトリも国王陛下がお作りになったのだそうだ。

 庭に放っておき、不審な人物がいれば騒ぎ立てる、という役割で、さっそく実際に庭に置いて試してみたところ、王女殿下が不審者と見なされてしまった。

 そんな会話が耳を通り抜ける。


 結婚を約束している二人の間に、甘い雰囲気は全くない。


「近衛と庭師は不審者じゃないし、魔術師団も不審者じゃない、あたりの設定ですかね。そうすると姫様が一番不審者っぽいという」

「酷い」

「設定したの、俺じゃなくて陛下ですからね?」

「これさあ、もしかして、必ずその場に不審者がいる前提になっていたりしない? 庭で実際の動きを見るって聞いているのだけど、それって不審者撃退の動きのことだった?」

「ああー、なるほど。よくある行き違いっすね」


 ぽんぽんと飛び交う会話が小気味良い。

 甘さはなくとも、この二人の仲が良いことはわかる。王女殿下の表情はとても豊かで、彼女の幼い頃を思い起こさせる。

 あの頃、この庭はとても賑やかだった。


 この場での作業は一旦終わりにするようだ。護衛が二羽のニワトリを抱えて箱に入れている。何かを書き付けていたメモを侍女に渡した王女殿下は、脇に控えていた庭師に向き直る。


「朝からずいぶん騒がしくしてしまってごめんなさい。明日以降、ちょっと先の日程になるかもしれないけれど、また後で改めてここを使わせてもらうから、申し訳ないのだけどそのつもりでいてね」

「久しぶりに賑やかで楽しかったですよ。次も是非、お待ちしております」

「そうよね、昔はもっとうるさかったわよね。今日は木に登る王女はいなかったし、まだましなほうかもしれない」


 ふふ、と笑んだ王女殿下は、婚約者と共に軽口を叩きながら屋内に戻り、庭師はそれを見送った。





 王都近郊の農家の四男として生まれ、成人してすぐに国軍に入っていたラデクが、転属で王宮勤務となって、最初に配属された場所は庭だった。この王宮は広大な敷地を持っており、庭が建物を囲むようにいくつも配置されている。その庭の警備をする部署に配置され、やがて幾つかある通用門のうちの一つの門番をするようになった。

 通用門にも種類があるが、ラデクの担当は使用者の少ない裏口とも呼べるような場所で、あまり人目をひきたくない来客を通すことが多い。例えば、当時の国王陛下は長年の激務で体が弱っており、王宮勤務の侍医だけでなく民間の医師が呼ばれることがしばしばあった。王の健康不安は表向きには隠されており、呼ばれた医師はラデクが担当していた門を使って出入りしていた。

 王宮の庭の目立たない場所には、侵入を試みる者が現れる。この門にもそういった者が現れるため、軍出身の、現場叩き上げで経験を見込んだ者を配置した、と説明を受けた。ラデクは体が大きく、口を利かずに睨みつければ小者はそれだけで委縮する。上も向いていると判断したのか、それから数年間、ラデクは同じ通用門の門番として働いていた。


 ラデクが立つ通用門は、王宮の本宮と呼ばれる建物にある、王族の私的な区画からそう遠くない場所にあった。

 門と王宮の建物の間には開放的な広い庭があり、小舟を浮かべられる程度には大きな池があった。敷地内の水路から水を引き込んだ池は、本宮の建物が建てられた当初からあるもので、有事の際には用水として利用できるよう、真冬でも凍りきらない作りになっていた。池のほとりには一本だけ高さのある木が植えられており、早春になると花を咲かせる。ラデクは、この場所の静かな佇まいが好きだった。


 今はもう、存在しない光景だ。



 氷が浮かぶ池に、まだ若い娘が沈んでいたというあの日、彼女を見つけたのはラデクではなかったが、それでも、彼女のことは知っていた。池で見つかる数ヶ月前、青白い顔でふらふらと庭を歩いていた彼女を、保護したのがラデクだったからだ。交代のために門に向かう途中で見つけた。


 ――外に行きたい。


 彼女はそう言った。


 もう嫌、ここに居たくない、と訴える彼女は、あきらかに心身ともに弱っている様子だった。ラデクはこの若い、どことなくまだ幼さの残る女性が、王の子を身籠っているということを聞いていた。

 立っていられない様子で座り込み、家には絶対に戻らない、でもここも嫌、消えてしまいたい、と小さな声で吐露する彼女を宥めながら、慌ててやって来た彼女の侍女に引き継いで、少し遅れて交代したラデクは門の前に立った。


 それだけだった。



 職務中の怪我で腕に軽い障害が残り、衛兵の部署から転属して庭師となった。農家育ちだったラデクには植物に対する基礎的な知識があり、向いているだろうと上司が手を回してくれたのだ。

 怪我の療養で仕事を休み、見習いの庭師として庭に戻った時には、既にあの池は埋められていた。池の水面があった場所には黒々とした土の地面が広がり、かつてほとりだった場所では木蘭が花を咲かせていた。


 池の水面だった場所を、今後どうするのかという指示は貰っていないのだという。視認性を落とさないために高さの制限はあるが、それ以外は現場の裁量で構わないらしい。

 新人の練習がてらこの場を整えようという先輩庭師に、ラデクは丈の低い花を植えることを提案した。なるべく花を絶やさないよう、定期的に一部を植え替えて、花畑のような場所にしたい。

 ラデクの提案は採用され、かつての池の水面は、花の絶えない場所になった。晩秋に葉の色を変える植物も配置した。木蘭の元には素朴なベンチが置かれ、座って眺めることができるようにされた。



 池だった場所を花畑に変えて一年後、ラデクは離宮の庭師への配置転換の辞令を受けた。王妃殿下からの指名だった。長年使われていなかった離宮を家族のために整えた王妃殿下は、最低限の手入れしかされていなかった庭を、子供が安心して駆け回れる場にしたいと言っていた。


 新たに離宮に配置された者達は、技能もだが本人の性質を重視して選んだとも言われた。

 例えば、離宮の下働きのメイド頭として抜擢されたサーラは、先王陛下に薬を盛った実行犯として捕まり、処刑された従僕の従姉妹にあたる。普通に考えれば王族の近くに配属するには不向きと思われる立場にあるが、彼女には表沙汰にできない事情があるという。


 事件当時、違う、覚えていない、と叫びながら拘束された従僕は、その後の近衛隊の聞き取りで犯行を認めた。ここまでは王宮内の口さがない者達の間で広まっている話だ。

 ところが、刑が決まった後に面会したサーラには、覚えていないのだと話したという。短くも記憶がない時間が何度かあり、その前後にはいつも近くにある大貴族がいたとも。近衛隊の聞き取りの際にも、被害者の近親者として大貴族が同席していた。

 サーラ本人は、係累とはいえ連絡を取り合うようなことは長らく行っていなかったといい、無関係と判断されて処罰はされなかった。しかし衝撃的な事件として人々の耳目を集めた結果、元の部署では腫物のような扱いを受けていたそうだ。

 そして、処刑前の従僕と面会して大貴族の名を耳にした後、彼女はその大貴族直々に声を掛けられ、部署での扱いに対して強く同情されたのだという。言外に、余計なことを言うなと脅されているようなものだった。


 そのことを知った王妃殿下が、離宮を整える作業の中心を担う者として引き抜いた。

 かの大貴族の被害者を増やさないという思惑もあったのだろうが、王妃殿下はそれ以上に、ベルナルト殿下に対する悪意を遮断したかったようだ。


 わざわざ指名を頂くほどの腕はない自覚があるラデクが呼ばれた理由は、池だった場所への手入れが評価されたからだった。

 事件の後、あの池のあった場所は忌まれて、王宮で働くものすらあまり近付きたがらない。それでも、ラデクはあの場所を淡々と手入れしていた。たくさんの花に囲まれるようにと願いながら。




 あれから十年以上の月日が過ぎて、王宮のこの場所に池があったことを知る者も減ったのだろう。ラデクが手入れする花畑は、今では知る人ぞ知る休憩スポットのような扱いを受けている。

 離宮の敷地内の庭の責任者になったラデクだが、あの場所の手入れも続けていた。今日も時間が空いたので、幾つか植えている灌木の、茂りすぎている枝を落とす作業をしている。作業の手を止めてふと周囲を見遣ると、いつの間にか近くにベルナルト殿下がいた。


「手伝えることはあるか」

「そうですね、こうやって、茶色くなっている花殻を摘んで頂けますか。残しておくと樹勢が落ちますので」

「わかった」


 ベルナルト殿下は時々ここにやって来る。


 ラデクがここで彼を見るようになったのは、六年前の襲撃で王女殿下の行方がわからなくなった後からだった。おそらく本宮の誰かから、この場所が何であったのかを聞いたのだろう。花畑となった場所で俯いていたのを見たのが最初だった。

 庭師は、この王宮においては完全に裏方の職掌であるので、高貴な方々が庭にいる時は、彼らから見えない場所にいるのが本来の姿だ。だから、一人でぽつりと立っている子供がいて、それがどんなに気になったとしても、緊急時でもない限りは許しなく庭師から声を掛けることはできない。ラデクになすすべはなく、まだ幼い印象が強い王弟が、一人で静かに佇む姿を見守るだけのことが何度も続いた。

 その後、猫をきっかけにベルナルト殿下から声をかけられるようになり、簡単な作業を手伝ってくれるようになり、それ以来ずっと、この場で居合わせた時にはラデクの作業の手伝いをしてくれている。


「ノエミは幸せそうでよかった」

「そうですね。先程も楽しそうになさっていました」


 比較で何を思い浮かべているのか、ほっとしたような顔で言う彼は、かつてあった幼い雰囲気も抜けた立派な青年だ。それでも、顔立ちには彼の母親の面影があるように思えた。ラデクは、外に出たいと願っていたあの時の顔しか知らないが、この場所で見るベルナルト殿下には、その印象が重なることがある。


 だが、彼はもう子供ではない。王弟という高い地位にいる彼の行動を、妨害し意のままにしようとしてくるような者も、もういない。


「ベルナルト殿下の婚約者候補を検討する際も、是非あの小屋を使ってください。私もサーラもお待ちしておりますので」


 ベルナルト殿下は声をあげて笑った。





 国王陛下が作ったニワトリが庭に戻ることはなかった。王女殿下によれば、「条件の組み方が難しい」のだという。もっと詳しい話をカラシュ医官としているのも耳にしたが、専門的すぎてラデクにはわからなかった。

 ニワトリのかわりに、今、離宮の子供達と猫がいた庭には、二羽のウサギがいる。ミニサイズの白いウサギと黒いウサギだ。

 これは王族のどなたかが作ったというものではなく、魔術師団の研究室の作だという。傷病者の慰問に使えるものを作るにあたり、機能を減らしてどのぐらい長時間、安定して動くことができるのかの実験を行うのだそうだ。


「ウサギだけど植物をかじったり穴を掘ったりはしないから、何日かここに置いて様子を見させてね。夜も置きっぱなしで構わないから」

「わかりました」

「内蔵魔力が無くなったり、強い衝撃を与えても消えるんで、見当たらなくなってたら教えてもらえますかね。マーカーは付けてますけど、積極的に発信する機能は切ってますんで」


 前に猫が出入口うろちょろした時は大変だったんすよ、と言うカラシュ医官を、王女殿下が睨み付けた。


「あれは通知回りの実装が単純すぎたのよ。猫の責任にしないでよね」

「してませんよ。大変だったって事実を言ってるだけっす」

「猫を相手に諭してた人がすましてても説得力ないですー。本当にもう、時々すっごく子供っぽいよねカラシュさんって」

「俺、言うほど大人じゃないんで」

「腹立つなあ!」


 ますますむくれる王女殿下を見ながら、カラシュ医官が笑った。


「姫様はこういうとこ、本当にかわいらしいっすね」

「それは子供っぽいって意味かなあ?」

「そういう意味以外もあるんですよね、これが」

「……んん? 今のってそういう話だった?」

「そういう話になったとこっすね」


 しれっと返された王女殿下の頬が少し赤くなっているように見える。これは、もしかすると婚約者としての関係も進展しているのかもしれない。

 周囲の人間の様子を伺うと、当事者二人以外の皆が皆、なんとなく笑みを浮かべているような気がする。特に護衛の女性騎士と、王女殿下の侍女達は明らかに楽しげな表情をしている。


「――とにかく! 今はそういう話じゃなくて! お仕事!」

「はいはい」

「『はい』は一回!」

「はい」


 無理やり仕切り直すようにウサギの説明をまとめた王女殿下は、婚約者と侍女と護衛を連れて戻り、庭には静けさが戻った。



 ラデクの近くには二羽のウサギが残されて、口をもぐもぐと動かしながら時々少し移動することを繰り返している。生きた本物のウサギのような仕草でいて、植物を口に含む様子は見受けられなかった。じっと見ていても意外と飽きない。元々あまり鳴き声を立てる動物ではないので、騒がしさもない。これは確かに、慰問に向いているかもしれない。


 今の庭は静かだ。だが、そう間を置かずにまた先程の二人が訪れるのだろう。そして弾むような会話を聞かせてくれるのだ。

 冗談として口にしたベルナルト殿下の婚約者候補の相談も、なんとなくこの庭で行われるような気がしている。今度は王女殿下も積極的に加わるだろうし、カラシュ医官も参画してくるかもしれない。

 そして先々、次世代の子供達が遊ぶ庭になればいい。



 足元に猫だけが居た頃を懐かしく思い出しながら、ラデクは作業を再開した。



お読み頂き、ありがとうございました。

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面白かったです!猫のちょっと上から猫目線が可愛くて好きでした。 ハード・ミドルウェアを子猫が、ソフトウェアを人の魂が担当することで、人の思考力を持った猫が猫として矛盾なく生活出来るという設定は斬新で興…
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