笑う鬼
「勝った。また勝った。だがそれももう終わりかけだ。」
アレキサンダーの死体だけが転がる以外何ひとつとして何も無い部屋の一室でイリイチは嘆いた。アレキサンダーは難敵だった。不条理であるシックス・センスに対して不条理で対抗した。根比べで何とか勝っただけで、奥の手である一号式だけでは間違いなく負けていた。闘いには負けていたのだ。恐れを知らずに不遜に笑い続ける鬼は、自らの脳に起きた異常なバグには敏感であった。
「シックス・センスが上手く作動しねぇな…。酸素と共にシックス・センスまで奪われたのか…。この状態で平和維持軍や科学者が来た日には造作もなく死んでいくな。」
脳に対する異常事態は彼の忘れている感覚である恐怖を呼び起こすきっかけになる。シックス・センスに頼り切っていた彼はシックス・センスなしではなにも出来ないただのイカれた殺人鬼だ。仲間もいない東京という都市では頼るものもない。
「クソが…!ホテルまで帰れるか…?」
身体は不自由無く動く。何とかホテルまで戻り、これからのことを考える。
「これが一時的なものだとしたら、なんてことは無い。身を隠してればいいんだ。だが永久なものだったら、俺は終わりだ。なにもすることなく座して死を待つ屍になる。」
もう今日限りではどうすることも無い。ホテルのデカいベットにて眠りにつく。
シックス・センスは魅力的で愉快で痛快でそして強い力だ。少なくとも、超能力者という人間の願望をそのまま絵にしたようなものの中では最強クラスの力だ。その力を持つものはこの世に2人観測されている。
イリイチとイリーナ。兄妹である2人は、性格は真逆に近い。だが、能力自体は概ね同じである。シックス・センス。言葉では表しにくいものそのものだ。イリイチは経験で質を作り、イリーナは才能で質を作っている。2人は一心同体ではないが、どこかで互いのことを観測している所があった。空想の世界の妹、空想の世界の兄。夢の中で現れる兄妹は空想として片付けるにはすこしリアリティがありすぎる。
「悪い夢だな。」
イリイチが起床したのは8時頃。思えば昨日はずっと闘いをしていた。その疲れもあったのだろう。きっと今日はシックス・センスも作動するはずさと気楽に考えていた。
「……。作動しないな。いつもは他人の意思が入り込んで疲れるというのに、不気味なぐらいに意思が入ってこねぇ。本当に脳が壊れたか。」
酸素欠乏症。酸素が欠乏することによって重度の脳障害を起こす。仮にこれが当てはまるなら、いまイリイチの脳は空洞化を起こしている可能性がある。
「左脳が空洞化…。そうなってるなら言語能力なんて消滅してるはずだ。右脳か?いや、そうなれば身体を動かすことも出来なくなっているはず。だがシックス・センスは作動しない…。」
いつもは自らの意思で切り替えられる第二号式も使用不能だ。目は奈落の底のように沈んでいる。普段は綺麗な青眼も、何故だか紫色に見えた。
「感覚は自分では対処できねぇからな。だからといって外に出るのは自殺行為だ。ホテル暮らしは長引きそうだ。」
イリイチにはもはや友などいない。大智やリーコンといった日本人の友人は付き合いの短さからあまり信用には値しない。他の連中もそうだ。翔や高橋や義経といったヤツらはむしろ敵側の人間だ。頼られることに慣れている人間はいざと言う時に頼る人間が居ないことに気付く。
「生まれた時からひとりだ。生きていてもひとりだ。死ぬ時だってひとりだ。だから今更誰かと頼るなんて芸当が出来るほど器用でもないのさ」
所詮こんなものさと言わんばかりに無意味なことを呟く。あれだけ強い赤鬼は今日になっては退治されるのを待つだけの哀れな負け役だ。そんな現実に一種の面白さが湧いてくる。
「上等じゃあねぇか!悪の赤鬼が正義に退治されて終わりだと思うなよ。俺は最後まで不遜に豪快に笑い続けてやる。さぁ、退治して見せろ!」
シックス・センスという虎の子を失っても尚悪の鬼は笑い続ける。開き直りにも近い彼の笑い声は、いつまでも続いた。
ちなみにイリイチのという名前の元ネタになっているウラジーミル・レーニンは、革命家としての激務から発作を何回も起こして、最終的には2桁の足し算に苦しみ、言語を話すことは出来なくなります。志半ばで死んで行った男の夢はスターリンという現実主義者によって非情な現実に塗り替えられていきました。
「ロシア人にとって1番の悲劇はレーニンが生まれたことだが、ロシア人にとって2番目の悲劇はレーニンが死んだことである。」by.ウィンストン・チャーチル




