欠陥クラス―7
欠陥クラス――もとい、特進科に入ってから数日が経った。三階にある教室は階段をのぼるのも面倒で、一階から階段の上を見上げる度にいつも引き返したくなってしまう。
どうして行きたくもない場所に体を張って行かなければいけないのか?
白崎ではないが、どうしてもそういう考えが頭の中をよぎる。自分の考えは白崎に教えた通りではあるのだが、やはり人間だからだろうか、都合の悪い事から目を背けたくなり自分の正当性を探してしまう。
友達をつくろうとしないのは、ただ喋るのが億劫だから――だとか。
虚勢を張って生き続けるのは、相手に自分が強い事を誇示するため――だとか。
ない頭を絞って自分の正当性を探してはみるものの、どれも表面だけを飾る張りぼてのようになんの根拠もない。
だが、結局は自分が納得できればそれでいいのだ。それを咎められる存在なんて、自分しかいないのだから。
そして授業中である今、俺はこう思っていた。
――どうして白崎をこんなに観察しなくちゃいけないんだ?
阪無から白崎と会話して欲しいと頼まれて数日、俺はまだ一言も白崎と喋ってはいない。
そもそもの話、白崎をまだ何も知らないのだから話の種も何一つ思い浮かばない。だからこうして白崎の行動を観察してはいるのだが、はっきり言って何も起きない。
規則正しく学校へと通い、真面目に授業を受け、休み時間は何かしらの本を読みふけっていて、授業が終わると何事もないままに帰宅する。
強いて目立った行動を上げるならば、昼休みは必ず本を読んでいる事ぐらいか。しかし読書に関しては俺の方が全く興味がない。どんな話をすればいいのかもわからん。
――いっそ、後をつけてみるか?
学内での行動では白崎の内面が全く見えてこない。もしかすれば学校を出た瞬間から溜まっていたテンションが解放され「ヒャッハァ!」なんて言って夕暮れに染まる路地裏を闊歩しているのかも…………んなわけねぇよな。
しかし、このままではらちが明かない。学校が終わったら白崎の後を追いかけてみるか。
「おいぃ! 黒屋。なあに白崎の方ばっかり見てんだ。授業に集中しろや」
「うぃ~す」
こういう指摘を受けても嘲笑や非難の目が向けられない辺り、このクラスは気が楽で済むのだが。
「…………」
自分の名前が聞こえてきたはずなのに、白崎は黒板から視線を外さず、先生に対しても俺に対しても、何の興味も抱いていないようだった。
本日の授業が終わり、他のクラスメイトもそれぞれ教室を後にする。
白崎は毎日最後に教室を出ていた。とろい訳ではないが、動きの一つ一つが機械的であり、緩慢でもなければ俊敏でもない。落ち着いているというより、慌てると言う事を知らないのだろう。
わざと最後まで残り、教室を出た白崎の後をついて行く。白崎は教室から真っ直ぐ靴箱へと向かい、靴を履き替え昇降口を出ると、一定の速さで校門へと向かって歩いていった。
校門を出たところでふと気づく。
……これってストーカーじゃね?
人間観察――いや、白崎観察をしようと後をつける訳だが、一歩間違えれば『不良男子生徒に後をつけられました!』と言いつけられ、ストーカーだと間違われても文句は言えない。
やめるか……いやしかし、別にやましい気持ちがある訳でもない。それに万が一白崎に気付かれたとしてもあいつは多分、何とも思わないような気がする。
学校周辺にひしめく住宅地を過ぎると人通りの多い賑やかな大通りへと出る。この通りには駅があるから白崎はもしかしたら電車なのかもしれない。
ちなみに俺は電車通学ではなく、既に家の近所を通り越してしまった。暇でブラブラしてる時にはこの辺りまで来る時もあるが、用もなければ電車に乗りはしない。
雑踏に紛れる白崎を見失わないよう距離を縮めた。思った通り駅まで辿り着き、改札へと進んでいく。これ以上追うかどうかも考えてみたが、どうせここまで来たんなら家まで突き止めてやろう――と、改札をくぐり白崎と同じ車両に飛び込んだ。
車両の反対側から白崎をずっと観察していた。電車の中で白崎は開閉ドア近くの手摺りに捕まり、流れゆく景色を見つめていただけだった。降りたのは俺たちが乗った駅から五区間離れた駅で、それまでずっと電車の中で揺られていただけだった。
駅を出ると塩の香りが漂っていて、海の存在を近くに感じさせた。滅多にこの駅では降りないが、ここは海の隣接する落ち着いた雰囲気の街だ。
つーか地味な街だよな。夏には海水浴で人が多くなるみたいだが。他にはこれといって目ぼしいものもない。どっちかっていうと田舎に近いのか?
周りのものに目もくれず、白崎は駅前にある閑散とした商店街を歩いていく。俺は時に看板に、時に電信柱に、時にサラリーマン風のオッサンの影に隠れながら、白崎の後を追った。
住宅街でいくつものアパートやマンションを景観に捉えながら通り過ぎると、次第に空が開け、強い風に潮の濃い香りが運ばれてきた。どうやら海が近い。
ついには海が見えた。夕焼け空のオレンジ色を水面に称えた海はとても穏やかで、じっと見ていると段々郷愁にかられてくる。
堤防手前の道路に沿って白崎は歩いていく。遮蔽物もなく、人通りもめっきり少なくなってしまっていたが、あまり気にする事なく白崎の後をついて歩いた。
もう隠れて歩くのもめんどくせぇ。見つかってもあいつなら何の反応も示さないだろ。
一定の速度で歩く白崎の十メートル程後ろまで近づいた。振り向かれたならすぐに俺だとばれるだろうが、その時はその時だ。
白い髪を潮風になびかせ歩いていた白崎は、不意に立ち止まった。
ん? 別になんもないが……どうした?
すぐ後ろで白崎を観察していると、白崎は堤防の方を向いた。
「ん……」
堤防の上に手を、斜面になっている側面に足をかけ、上に登ろうとし始めた。しかし、身長の低い白崎はなかなか登る事ができないでいる。
「あっ……」
何度もズリズリと地面に降り立ってしまっていた。
白崎に気付かれないよう横でずっと観察していたが、堤防相手に悪戦苦闘している白崎を見ていて少しイラっとした。
離れて歩いていた分の距離を縮めて白崎の前に立つ。
「おい」
「ん……あれ……黒屋?」
俺の顔を見上げ、どうしたの? と表情も変えず首を傾げた白崎。まあやはりこいつはこの程度にしか思わないのだろう。普通なら知り合って別に仲良くもない奴が、学校からこんな離れた場所にいきなり現れでもしたら怪しむに違いない。
でもそこは欠陥クラスの白崎だ。常識なんか通用しない。
俺は白崎の無垢な双眸から堤防へと視線を移す。そして堤防の上面に手を着いて地を蹴りあげた。
「よっと」
難なく堤防の上へと着地する。海を見渡すと、夕陽を反射した海がキラキラと輝いていて宝石が散りばめられているかのように美しい。空と海の曖昧な境界が果てしなく遠く、何故だかやるせない気を起こさせた。
景色はさておき、下にいる白崎に手を伸ばす。
「登りたいんだろ? さっさと手ぇ貸せよ」
「…………」
じっと俺の手を見つめていた白崎であったが、何も言わず俺の手を握った。
「よっこらせ」
白崎を堤防の上まで引っ張り上げた。小柄な白崎は思ってた以上に軽かった。
「いつもは一人で登れる。今日は調子が悪かっただけだから」
「そうなのか? にしては苦戦してたみたいだがよ」
堤防の上に立ち、白崎と視線を交わし合う。
人通りが少ないとはいえ、かなり目立っている構図だ。正直恥ずかしくなってきた。
どうするか? ――と考えを巡らせていた俺より先に動いた白崎は、俺の皮肉とも取れる言葉に何の反応も示さず、海の方へと向いて腰を下ろす。足を海側へと放り出し、夕陽で煌めく海を眺め始めた。
俺は立ったままポケットに手を突っ込み、白崎と同じ景色を見る。
「お前……海眺めるのが好きなのか?」
「別に」
なんつー無機質な声なんだ。俺の声を小鳥のさえずりとでも思ってんのか?
予想以上に俺への反応を示さない白崎に、俺はここからどう会話を繋げていけばいいのかわからない。
しかし、沈黙はそう続かなかった。
「ただ、海を眺めているくらいしかやる事が思い浮かばないだけ。正確には眩しい夕陽を、不規則に揺れる波を、空と海の境界を……見ているだけ」
「はぁ……だが、別に好きでもねーんだろ?」
「うん」
「本当によくわからんやつだな、お前は」
別にやりたくもないけど海を眺めるしか思い浮かばないからって……じゃあ学校が終わったらいつもこうして海と夕陽を眺めているのか?
「というより私には、好きって言う言葉自体わからない」
「は?」
「好きって何? 私は何が好きなの?」
「いや……」
そんなの知るわけがないし、考えた事もない。俺を哲学者か何かだと思っているのか?
一応少しだけ突っ込んでみるか。
「本とかよく読んでんだろ? 好きな本とかないのかよ?」
「本はよく読むけど、知識として内容を取り入れてるだけ。別に好きな本はない」
「んじゃ絵とか描かないのか?」
「キャンパスを前にしても、何も描きたいものが思い浮かばない」
「音楽は?」
「ずっと聞いていたい音楽はない」
「なるほど。じゃああれだ。お前は海を見るのが好きなんだよ」
「え?」
「なんかしんねぇけど、おまえはこうしていつも海を眺めてんだろ? さっきこの景色を見る為に苦労して堤防の上に登ろうとしてた。多少の苦難も乗り越えてまでそうしようと思ったんなら、それはお前の好きな事だって言えるんじゃねーのか?」
岸壁から聞こえてくるチャプチャプとした音に重ね、俺はいつかと同じように白崎に自分の考えを押し付けた。俺の考えを白崎がどう思ったかは白崎次第だが。
「おお……」
なんか意外と好反応だ……と思う。表情が変わらないからわかりづれぇ。
「じゃあ私は、夕陽と、波と、空と海の境界を見るのが好きなんだ」
「ああ。それでいいじゃねぇか」
確かにここは景色もさる事ながら海風の感触も心地いい。それに今は夕方だが、昼間にでも見ればまた違った趣を感じられるだろう。
「なんだ。お前、普通に好きなものあんじゃねぇかよ」
「うん。今黒屋に言われて気が付いたけど」
「自分で納得出来りゃそれでいいだろ」
白崎を納得させ、何故だか一仕事終えたような達成感があった。
こいつには感情という機能が失われているのかもしれないが、こうして綺麗な夕陽を眺めようとするあたり、俺や他の奴と同じような感性をちゃんと持ち合わせている。阪無からの頼みも、そう難しくもないだろうな。
夕陽が徐々に位置を変え、海が陰り始める様を俺たちはずっと眺め続けていた。
「ところで、黒屋はどうしてここに?」
「今更かよ。……いや、ちょっとな」
「ちょっとって? 私に何か用事でもあった?」
「んまあそんなところだが、あんま気にすんなよ。もう大体は解決したから」
「変なの」
「お前だって十分変だ」
出たとこ勝負ではあったが、気付けば自然と白崎と会話している自分がいた。言葉自体が少なく、俺が今までに出会った事のないタイプの人間であるのは確かだが、それでもビクビクして会話自体に臆病になる人間よりかは遥かに話しやすい。
四月の終わり。肌寒さの残る海風に晒されながら、夕陽が海の向こう側へと消えて行ってしまうまで、俺は白崎と目の前に広がる景色を眺め続けていた。