己を支配する感情との出会い―1
白崎と並んで海を眺めた日の翌日。教室での白崎の席が俺の隣になっていた。
「いや、なんでだよ」
すぐ隣に白崎がいる。今日も無表情で何を考えているのかわからない。そして、俺の隣の席に来た理由ももちろんすぐにはわからなかった。
「黒屋の近くにいれば、もっと自分を知る事ができると思って」
いつものように平坦で透き通った声が真横から聞こえてくる。
どうやらこいつは俺を人生のナビゲーターか何かかと勘違いしてるらしいが、何でもかんでも人に教えを乞おうなんて、そんな甘い考えが気に入らない。
「自分を一番よく知っているのは自分だ。他人に教えられるもんじゃねぇよ」
「でも、私は私がわからないから」
「……」
不思議な言葉に、まともに返す言葉が見つからず、とりあえず白崎は放っておいて俺は黙って前を向いた。
赤石はチラチラとこちらを見ては阪無の話に集中している体を装っている。さすがの白崎の席替えに思う所でもあるのだろうか?
黄地は相変わらずニヤニヤと人の顔を横目で観察してくる。こいつはこいつで楽しんでいるのかそれとも何か企んでいるのか。現れている感情は一つでも、その心は読ませないでいる。
青野は明らかに怪しんでいた。恐らくこいつが一番普通に近い反応だろう。クラスメイトの意外性のある行動に動揺を隠しきれていないみたいだ。
そして白崎の奇行を見て一番自分の感情を抑えきれていないのは……。
「来週には小テストを行いますので……ブゥフッ」
俺と――そして隣の白崎をずっと嬉しそうに見ていて、たまに堪えきれずに吹き出してしまう我が欠陥クラスの担任であった。
昼休み――購買で焼きそばパンとフレンチトーストを買い、阪無の秘密基地――視聴覚準備室へと赴いた。
昼休みにあの場所へ来てくれと言われ、飲み物は敢えて買ってこなかった。そんなものがなくともこの秘密基地でなら普通のインスタントコーヒーがタダで飲める。俺はあまり味なんて気にしないからそれで十分だ。
そして今は焼きそばパンを齧りながら、嬉々として話す阪無の対面に座っている。
「ねぇねぇ。どんな魔法を使ったのよ? 白崎さんがあんな他人に人懐っこいところ見せるなんて初めてだわ」
「人懐っこい? ただ隣に座ってるだけじゃないすか」
「あの子が自分のしたいように自分の意思で行動するなんて初めて見たわよ。今までなら何をするにしても事務的で、こっちが何か言わないと絶対に余計な事はしなかったのに」
「じゃあ余計な事すんなって、叱ってやった方がいいんじゃないっすか?」
「いいじゃないの~。黒屋君だって別に嫌がってないんでしょ?」
「まあ、別にって感じっすけど、急にどうした? って感じもあるっすね」
「だからそれが私も知りたいんじゃない」
興奮してしつこく聞いてくる阪無に、昨日白崎の後をつけ共に海を眺めたあらましを説明した。後をつけた時の阪無は俺に疑いの眼差しを向けていたが、多少脚色しロマンチック気味に海を眺めた話をすると、うっとりと蕩けるような表情を見せた。
「白崎が言ったんすよ。海を眺める事しか思いつかない、って。でもあいつはこうも言ったんです。別に好きで見ているわけではない、と。それで俺はこう返しました。……気づいたら海を見てんだろ? だったらお前は海を眺める事が好きなんだ。……そしたら白崎は目を輝かせて俺を羨望の眼差しで見つめてきたんです」
「はぁ~。あなたたち……意外としっかり青春してるのね……」
こんなのが青春であってたまるかっての……しかし、この人には媚を売っといて損はない。あわよくば成績なんかを改ざんしてもらって高評価をもらえないだろうか?
阪無と話しながらパンを食べ終え、食後のコーヒーを堪能する。阪無も二杯目のコーヒーをゆっくり啜っており、味わい深い香りが狭い空間の中を漂っていた。
「白崎さんも……もっと普通の子供っぽく、笑って、泣いて、怒って欲しいものだけれどね。はっきりとした感情を表に見せない分、教師として見てるだけじゃわからない部分が多くて」
教師としては生徒の日常が授業中でしかほとんど見られない。だとすると、生徒として模範的な行動しかしない白崎なんて、規則的に動く機械のようにしか阪無の目には映らないのだろう。
「そりゃそうですよ。俺だって白崎をつけてみて初めて、あいつの人間性みたいなものを感じたんで。ってかそれくらいしてみないと多分、あいつが何者なのかってのはわかんないでしょうよ」
俺がお手上げのポーズをして見せると、阪無は困ったように苦笑した。
「教師の私がストーカーを推奨するわけではないけど、そうね。それくらい積極的にあの子に対してアクションを起こしてみた方が見えてくるものもあるのかもしれないわ」
「いや、別にストーカーはしてないっすからね? やましい気持ちなんてないっすから」
なんでストーカー扱いになってんだよ……。もしかしてこの前おっぱいの匂い嗅がれたのを気にしてんじゃないだろうな?
その後も「今のクラスはどう?」とか、「普段何してるの?」とか特に当たり障りのないような質問をされつつ、コーヒーを啜りながらゆったりとした時間を過ごした。自分のカップの中身がなくなりかけた頃に、狭い空間に一つだけある壁掛けの丸い時計を見ると、昼休みが終わるまで十分もなかった。そろそろ戻っておいた方がいいな。
「そんじゃ俺はこの辺で戻ります」
「あーそうね。私も午後の準備しないと。カップは置いといていいわ。私が片づけておくから」
「どもっす。ごちそうさまっした。それじゃ」
自分のと俺のカップを持って流し台の前に行く阪無に背を向けた。
「あっ! そうそう。君に言っておこうと思ってたんだけど」
呼び止められて振り返ると、阪無は器用に顔だけをこちらに向けカップを洗っていた。
「最近不良生徒が襲われる事件が市街地周辺で起きてるらしいわ。好戦的ではない見た目が派手なだけの生徒も見境なく襲われてるみたい。あなたも結構悪そうな顔してるんだから、気を付けておきなさい」
まるで登校前に息子を送り出す母親のように、そう言って阪無は顔を自分の手元へと向け直した。
「……うす」
その母親が言うような忠告をしっかりと耳に入れ部屋を後にし、視聴覚準備室本来の姿である資料の溜まり場を抜けていく。湿っぽい空気を煩わしく感じながら、俺は阪無の言っていた事件について考えを巡らせた。
不良生徒が襲われる事件――街中を歩いていると自然と耳に入ってくる。
端的に聞けばただの不良同士の喧嘩にしか思えないが、その犯人は三、四人程度のグループでも平気で闇討ちを仕掛け、殴る蹴るなどの暴行で相手を無力化し、地に伏した不良たちを見下ろしては何事もなかったかのように去って行くらしい。
この情報もチャラい奴同士の話に聞き耳を立てただけであって、犯人の情報は喋っていなかった。そこが一番気になるところではあるのだが――。
「にしても……俺ってそんなに悪っぽく見えんのか?」
ほったらかしにしていた自分の髪をつまんでみる。いい加減散髪にでも行こうかどうかと考えながらつまんでいた髪をピンと弾き、ゆっくりと教室への道のりを消化していった。




