感情の道標―2
その日の阪無の数学の授業は二者面談にあてがわれた。教室内では自習をし、呼び出された者は廊下で待つ阪無と面談を行う。
既に赤石、青野、黄地の面談が終わっており、黄地の次に俺の名前が呼ばれて廊下へと出た。廊下の端で椅子に座る阪無の前の椅子にだらりと腰を下ろす。
「俺としては、結構頻繁に二者面談してる気がするんですが?」
「ここは隠れ家じゃないから、教師としてみっちり聞いていくわよ」
じゃああそこでのあんたは一体教師じゃなく何なんだ……?
手元の資料に目を落としながら事務的な声を発する阪無は、確かにあの隠れ家でのリラックスした態度とはまるで違い、緊張の糸を張り巡らせている。
「黒屋星治君。あなたは……そうね。一学期の期末は――全く勉強してないってわけでもないらしいわね。もっとも、学年内での平均より下回っているけれど」
「そっすね。最低限の成績取れればいいか――って感じでやってんで」
元々俺は高校に入る気もそこまでなかった。
中学を卒業して義務教育は終了する。小学校でも中学校でもスクールライフを謳歌できなかった俺にとっては、高校進学というステップに必要性を見出せなかった。中学時代は敵も多く、仲のいい友達なんてもってのほかで、高校に入ってもまた同じように腐敗した生活を過ごすだけなら行かない方がいいのでは? と、高校進学には否定的だった。
しかし今はもうこの世にいないが、中学生の頃はまだ健在であった俺のじいさんから高校への入学を強く勧められた。俺の面倒をいろいろ見てくれていたじいさんを俺は少なからず尊敬していて、じいさんが言うなら……と、俺は渋々高校受験に臨んだのだ。
だから高校を卒業した後の将来なんて、全く考えた事もなかった。
「一応言っておくけれど、一昨年、去年と、特進科の卒業生は成績だけは優秀な生徒が揃っていたみたいで、有名大学への進学実績もあって普通科の生徒より評価が優遇されているみたいね。だから今からでもみっちり勉強すれば、あなたでもよさげな私立ならって感じだけれど――」
「あー……いや、就職っすかね。俺は」
勉強したい事も、やりたい事も何もない。だったらいっそ、どこか適当な場所で働いて経験を積んでいくっていうのも悪くないんじゃないかと俺は思う。
「勉強するのも、もーいーかなーと」
「……言っておくけれど、楽したいなら進学した方がいいわよ?」
「え? そうなんすか?」
「私立だとお金はかかるだろうけれど、それでもまだ学生でいられるからね。社会人なんて大変なのよー? 待遇のよくないとこなんかは、年休はないわそもそも休日も少ないわで仕事に忙殺される人なんかもいるんだから。その分学卒であれば就職の幅も広いし、やりたい事が見つかったらその能力を伸ばして就職に繋げる事もできなくはないから」
「まじか……」
急に働くのが嫌になってきた。かと言って勉強すんのも嫌だし……ニートすっか。
「ま、就職にしても進学にしても私が一緒に候補を探してあげるから、夏休みまでには決めておいてちょうだいね」
「うぃす。わかりやした」
教室に戻って最後の一人である白崎を廊下へと送り出し、自習なんかせずただただぼんやりと窓の外を眺める。
熱意や願望もなく、何事にも無関心に怠惰な生活を送ってきた。高校生活というものはそんな何となくな気分で乗り越えようと思えば乗り越えられる。ある程度勉強さえしていれば、時間なんてあっという間に過ぎ去っていくものだ。
何も考えていなくても、友達なんていなくても、未来が何も見えなくても、時間は刻一刻と過ぎていく。いつかは俺も時間に追われて何かに打ち込めるのだろうか?
じいさん……高校卒業したら、次は何すりゃいいんだ?
「白崎さんっ! もっとしっかり考えてっ!」
阪無の怒号が廊下の方から飛んできた。ただ事ではない阪無の声量に教室の連中も廊下の方へと視線を向ける。
「――っ、――」
それからは何と言っているか聞き取れなかったが、さっきの言葉だけで阪無が白崎との面談に苦戦しているのがわかる。
またあいつ、わけわかんねぇ事言ってんじゃねぇだろうな?
面談が終わり、疲弊の色が表情から窺える阪無と、表情に何の感情も映さない白崎が教室へと戻ってきた。
俺の隣の席に座った白崎は、またいつものように背筋をピンと伸ばしていた。
「おい……おまえなんか言ったのか?」
「別に」
俺の方を見もせずに白崎はそう言った。わかってはいるが、多分白崎は面談で何を言っていたとしてもそう答えるのだろう。
それから覇気のない声で授業を締めくくった阪無は俺の方へとやってきた。
「黒屋君、放課後ちょっとあそこにきて」
「へいへい」
小声で俺と話を交わすと、阪無は教室を去って行った。




