強者の証と弱者の証―8
俺たち三人は騒動の起きたショッピングモールから離れ、待ち合わせをした公園まで引き返してきた。戻る途中も白崎と黄地は手を繋いでいて、一言も喋らないまま雑然とする繁華街を歩いていた。
公園は都合よく人っ子一人いなかった。待ち合わせた時より範囲を広めた影の下にあるベンチに、手を繋いだままの白崎と黄地をとりあえず座らせた。
「黄地、落ち着いたか?」
声を掛けると、ポカンとした表情の黄地に見上げられた。
「あ、はい。なんかいろんな事が一気に起こりすぎて、脳みそが無くなってしまったような気分です」
「要するにまだ全然頭が回ってねぇみてーだな。まあ、落ち込まれるより百倍マシだ」
『笑わなくちゃ笑わなくちゃ笑わなくちゃ――』
あの時の黄地は完全に壊れていた。今はどうやらネジが一本飛んでったぐらいの状態まで戻っているみたいで何とか気が休まる。
影の中に点在する木漏れ日が、ベンチに座る白崎の銀髪と黄地の黒髪の上で揺らめく。誰もいない公園は横の車道を車が時折通り過ぎていくくらいで、待ち合わせた時と同じく、後は穏やかな風に葉の擦れ合う、耳に息を吹きかけてくるような音が聞こえてくるだけだった。
女子二人がベンチに座って黙ったまま手を握り合う、平和に思えるようなその光景を黒シャツ一枚の俺はポケットに手を突っ込んで見下ろしていた。
「すみません」
黄地がポツリと、葉擦れの音に負けそうな声で呟いた。
「ん? なんだって?」
「取り乱してすみませんでした。自分の秘密があんな大勢の前で見られてしまって、つい自分を見失ってしまいました」
さっきの――腕の傷を言っているのだろう。取り乱したのは無理もない。
痛々しい腕の傷跡――それに血が浮き出てきそうなほどの引っかき傷。白いシャツの裂け目から見えた黄地の腕は恐らく、現在も傷跡を増やし続けているのだろう。いつも学校で長袖のブラウス、ジャージを着ていたのはそれを隠すためだったのだ。
見えた瞬間の衝撃は流石に俺もうろたえた。いつも黄地がヘラヘラと、ニヤニヤと笑っているだけに、まさかあんなにも多くの傷が腕の中だけに刻まれていたなんて……。
「家族と、担任の阪無先生にしか知られていなかったのですが、私には自傷癖があります」
物悲し気な表情で語り始める黄地の声に、俺は軽い口調で言った。
「言いたくなかったら別に言わなくてもいいんだぞ。別に気にしねーし」
「いえ、あの……今ではお二人に知ってもらいたい、理解してもらいたいと思っています。……駄目でしょうか?」
「ふん。じゃあ言えよ。気が済むまで」
「ありがとうございます」
白崎と繋いだ右手。黄地はその上のブラウスで隠された腕を、左手で押さえる。
「最初はいじめに遭っていた時からです。いじめなんてこの痛みより全然軽いものなんだと、そう自分に言い聞かせながら腕に傷をつけました。いじめに耐えられず家に引きこもっていた間も、誰とも会わない自分の存在を確かめるよう更に傷を増やしました……いつしかそれは習慣になっていて、日を追うごとに腕の傷は増え続けていきました」
話し続ける黄地を見下ろしながら、やはりこいつは俺に似ていると思った。
俺も喧嘩をしていたのは痛みを感じたかったからだ。黄地は自分で自分を傷つけていたようだが、俺は他人に傷つけられる事を望んだ。蹴られて、殴られて、痛みを感じていると、俺は今生きているのだという確信を得られる。
痛みは痛覚として体に残る――消えない限り、生きているのだと教え続けてくれる。
「この傷は私の弱さの証です。元々人に寄りつかれなかった私ですが、この腕だけは今までずっと隠し通してきました。誰かに見られてしまい、周囲に笑いかける意味がなくなってしまう事が怖くて……」
笑顔は強者、腕の傷は弱者の証——黄地はそう捉えているのだろう。笑う事で強者を演じようとしていた黄地にとって、生の証であり、弱者の証でもある腕の傷は絶対に見られたくないものだったのだ。
「誰かに見られたくはなかった。痛みでしか自分を保てない弱い私を隠していたかった。……ですがさっき、大勢の人たちにこの腕を見られてしまい、目の前が真っ暗になりました。あの時私は間違いなく自分を見失ってしまっていたのです」
黄地は繋がれた手をギュッと握りしめ、白崎の顔に微笑みかけた。
「ですが、そんな私に白崎さんがかけてくれた言葉は……とても暖かかった」
『大丈夫だよ。今は私の方が変な格好だから』
白崎は確かに笑ってそう言っていた。あの時白崎の心に何が生まれたのだろうか?
「心の底から救われた気分でした。何も見えない闇の底に沈んでいく自分を拾い上げてくれるようで、フフッ。あの時私は白崎さんの笑顔に見惚れていて、腕の傷を見られてしまった事なんて忘れていました」
いつもギョロリとしている目は優し気に細められ、白崎を愛おしそうに見つめている。
「うん。ありがとう」
黄地に対し、白崎は変わりなく無表情で感謝を述べた。
「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。私を助けていただいて……私と友達になっていただいて本当にありがとうございました」
黄地は座ったまま深々と白崎に向かって頭を下げた。
俺たちにとって、あんな普通の蔓延る場所は今はまだ来てはいけなかったのかもしれない。というか絡まれたのも結局俺の悪評のせいだ。あるいはこいつら二人でならあんな事態にはならず、楽しいひと時を過ごせたのかもしれない。
「まあ、今度は二人で――」
「また三人であそこに行きましょう! 今度こそ目一杯楽しむのです!」
黄地はすっかり元気になったようではあるが……。
「は? いや、俺はもうついて行かない方がいい。実際は俺のせいであんな奴らに絡まれて、お前の腕が見られてしまった原因にもなったんだぞ?」
俺も普通ではなかった。あの場ではただの疫病神だった。
「お前は俺を恨んではいないのか?」
「恨むなんてとんでもない! 黒屋くんがあの場で私の味方であってくれた事が本当に嬉しかったのです。すごく頼もしかったですよ」
黄地は隣を見て「それに」と言った。
隣で赤いポロシャツを着た白崎が、手を伸ばして俺の黒シャツを掴んでいた。
「また、黒屋も一緒に行こう」
白崎が微かに、ニッ――と、不器用に笑っていた。
「……しゃあねぇな」
俺はこの時わずかにではあったが、喜びの感情が胸の中に混じっていたのを、それからいつまで経っても、恥ずかしさとして忘れられないでいた。




