第三十話 先代勇者の噂(前)
お読みいただいている皆様へ。
前回更新からひと月以上を明けてしまうという不手際、大変申しわけありませんでした。
休暇で執筆を離れていた二週間はやむを得ないとして、そのあとの仕事、体調悪化、予防接種によるさらなる体調悪化で執筆どころではなかった三週間が、全くふがいないものでありました。
楽しんでいただいているかたがたのためにも、こちらの都合で宙ぶらりんにすることなく、頑張っていきたいと思いますので、どうか今後もよろしくお願いします。
「アズマ、その、それは大丈夫なのか? 始めたあとは、その女を避けて打ちこむようなことはできんぞ? きみにしても、まさかわたしを相手に、その亡霊もどきを背負ったまま何かできるとは思っていないだろう?」
いつもの修練場でアンドロメダ師匠と向き合うぼくに、師匠は本当に微妙な表情を浮かべながら尋ねた。その気遣わしげな視線の先にいるのは、いうまでもなくコンスタンスだ。彼女の信じる教義の正当性に、反駁の難しい疑義を、よりによって彼女がいまだに崇拝を捨て切れていないミステルに突きつけられてこのかた、ずっとこんな感じである。ぼくの行動に抗うでもなく、といって、自分の意思を表明するでもなく、ただ魂が抜けたようなたたずまいで後ろをついてくる。
それでも日常生活はさほど不自由はない。幸か不幸かコンスタンスもぼくと生活空間を共有することに慣れた、というかあきらめた雰囲気ではある。長期的にそれが好ましいかはともかく、短期的にはむしろ彼女との言い争いが起きないぶん、ストレスは少なくなる。だが、訓練、特にアンドロメダ師匠との物理関連の訓練はまったく別の問題だ。ただでさえ歯が立たない相手に背中を気にしながら立ち向かうのは、本来は自殺行為だ。
「あはは、ハンデをつけて視野を広くとる訓練、ということでよろしくお願いします」
「さすがにわたし相手にハンデを背負うのは早すぎると思うが……まあ、きみがそう言うなら気にしないことにしよう。では、行くぞ!」
言うなり、アンドロメダ師匠はなんの予備動作もなく床を蹴り、流れるような美しさで斬りこんできた。師匠自身の美しさも相まって、いつもながら惚れ惚れする動きだ。だが、その美しさにそぐわない師匠の意図はえげつない。剣の向かう先にはぼくではなく、コンスタンスが立ち尽くしている。
「わわわ! 師匠! ハンデとは言いましたけど! コンスタンスを的にするのはさすがに反則っ!」
「ハハハ、甘いぞアズマ! 『反則』という言葉は、戦場では死に行くものだけが言う言葉だ! ふらぐ、というそうじゃないか!」
(……なんだ、この違和感?)
コンスタンスをかばう位置に身体を入れたぼくは、得体の知れない不自然さを感じて動きを止め、棒立ちになった。そのぼくを、師匠がとてつもない剣圧で吹き飛ばす。ぼくは、コンスタンスのいる位置とは自分が飛ばされた方向が少しズレているのを確認して、壁への激突に備えて身体からよけいな力を抜く。
<ブニュッ! ボム!>
固い壁の代わりにぼくを受け止め、弾き返したのは、なんとも言えない感触の弾力だった。
「ワハハハハハッ! アンドロメダも、勇者どのも気合いがはいっとるな! 勇者どの、いまの飛ばされかたは悪くないぞ!」
そこにいたのは現魔王のダーマト様だった。ぼくを受け止めて弾き返したのは、二メートルを大きく超える彼の巨躯を覆い尽くしているムキムキで黒光りするその筋肉だったらしい。少し気分が悪くなってきた。
ちなみに、コンスタンスにとっては魔王は天敵のような存在であるはずだが、魂が抜けたような状態の彼女は、ちらとダーマト様のほうを見たが、なんの反応も見せずにまたボーッと中空に視線をやった。
「相変わらず美しいな、アンドロメダ」
ダーマト様が腰を落ち着けてしまったので、ぼくの稽古はいったん小休止となった。ダーマト様はいきなりアンドロメダ師匠を褒め始める。おいおい、口説きかい?
「興味はない」
相変わらず、師匠はニコリともせずに自分の美に対する賞賛を切り捨てる。
「いやいや、重要なことだ。おまえが全身に力を伝え、それを一気に収束するまでの流れるような動き、一つの完成された美だ。金を払ってでも見たいと思わせる」
賞賛は師匠の容姿ではなく剣に対してだった。しかも手放しの絶賛だ。
「そ、そうか……? あなたにそうまで言われると、その気になってしまうではないか」
師匠は、こんどは頬を赤らめて、なんだか身を捩らせている。本気で照れているようだが、なんなんだ、いったい?
「それに勇者どの、だいぶ剣のもらい方が板についてきたようだ」
ダーマト様はこんどはぼくを見てニッコリと笑う。ウワッ、男くせえ。あ、「漢」か。
「そ、それって、やられ方がうまくなった、ということでしょうか?」
確かに、最近は師匠にやられたときの一回ごとのダメージが、前より小さくなってきた気はする。しかし、そこだけを褒められても、自分の剣が上達しているという実感が得られないのが哀しい。
「もともと勇者というのは、並外れた身体能力を与えられただけの素人だと聞くぞ? 素人が武の芸術たるアンドロメダにいいのをもらって、大怪我をせずにすませられるようなら、それは力がついてきた証拠だ。誇りたまえ!」
武の芸術と言われた師匠はさらにモジモジし始めているが、それは横に置いておこう。ダーマト様は今、妙なことを言わなかったか?
「勇者というのは……って、ダーマト様、勇者の知り合いなんかいないでしょう?」
百年前にひとりを返り討ちにしているのが唯一の接点のはずだ。その前の勇者襲来は、先代の魔王のときだったと聞いている。
「いや、先日までこの王宮にいたぞ?」
はい?
ぼくはアンドロメダ師匠を見たが、彼女も即座に首を横に振った。知らないらしい。魂の抜けていたコンスタンスまで、眼の光を少し戻している。
「ダーマトどの、先日とはいつごろの話だ?」
「五十年ほど前かな」
少し肩から力が抜けた。知らないのが当然だ。慣れてきていたはずだったのだが、やはり時間軸に関する感覚の違いは怖い。
「あれか? ダーマト殿と、時もところも人の迷惑も構わず勝負を繰り広げていた初老の人間か? あれはあれで、話しているとおもしろい人物だった。そういえば最近姿を見ないが……」
師匠にとっても、五十年の不在は「最近」らしい。
「おお、そうそう。おぬしに完敗してショックを受けてな。修行をし直すと言って出ていった。その後連絡はないし、まだ生きているかどうかは知らんな」
百歳を超えているか。身体能力にチートをもらっていれば、生きていても不思議は……って、問題はそこじゃない!
「ダ、ダーマトさま、勇者は百年前に返り討ちにして殺したはずじゃ?」
「ん? 返り討ちにはしたが、殺してはおらん。いや、向こうは殺す気で来ていたし、こちらも相応の心構えで戦ったぞ? 最後は我が輩が勇者を完封してほかに動くものがいなくなったところで終わりになったがな」
「その死んだはずの勇者がどうして?」
気がつくと、コンスタンスも少し身を乗り出している。ちょっと教会的にもシャレにならない話になってきているしな。
「だから死んではおらんと言うに……。戦いのあと、試しに蘇生の魔法をかけてみたら生き返ったのだ」
蘇生の魔法は聖属性の魔法の中でも最上級に当たる。魔族とは非常に相性が悪いはずだが、ダーマト様はそれが使えるのか? やはり魔王、侮れないな。
「ダーマトどの、あなたは蘇生の魔法など使えたのか? 初耳だが……」
そこはやはり、アンドロメダ師匠も気になったようだ。
「使えるぞ。倒れているもののここにこう、手を置くのだ」
ダーマト様は胸の上、人間の心臓があるあたりを手で押さえる。
「そして手に思い切り気を乗せて押し込む。力も入れるが、力まかせにならないところがポイントで、反動を感じるようにする。それを何度か繰り返すのだ」
ダーマト様、それは蘇生の魔法じゃなくて、心臓マッサージです。
お読みいただいた方へ。心からの感謝を!




