第9章 勝利の模索
その間、アイリーンの社交は少しずつ成果をあげていた。かといってすぐに受け入れられることがないのは明らかだった……期待されることはなかった……完全に無視されることがないことも明らかだった。すてきな調和のとれた効果的環境を提供するのに役立ったのは、クーパーウッドの妻に対するあからさまな優しい愛情だった。アイリーンを少し生意気で無作法だと思う人は大勢いるかもしれないが、それでもクーパーウッドのような強くて有能な男性の手にかかれば、通用することを証明するかもしれない。例えば、アディソン夫人とランボー夫人はそう考えた。マッキベンとロードも同感だった。もしクーパーウッドが見かけどおりにアイリーンを愛しているのなら、おそらくはうまく「躾ける」だろう。なのに現実は、彼は独自の愛し方をした。彼に家庭と妻子があることや、自分の家族がおそらく反対するのを十分に知りながら、因習を放り投げて彼の愛を求めたあの頃のアイリーンの素晴らしさを、クーパーウッドは決して忘れることができなかった。無償で自分を与えたのだ! 狭量な潔癖症じみた言い争いや駆け引きはなかった。クーパーウッドは最初から「あたしのフランク」だった。最初の素晴らしくて、恐ろしいくらいだった日々を生み出した「あなたと一緒にいたい」「あなたのものになりたい」というアイリーンの中のあの熱い思いを今でも強く感じた。アイリーンだって彼が他の女性と浮気をすれば、喧嘩をしたり、悩んだり、騒いだり、議論したり、疑ったり、責めたりするかもしれない。しかし彼の標準値が少し変わったくらいでは悩まなかった……少なくともアイリーンは、悩まないと言った。何の証拠もつかんだことはなかった。彼のことは何だって許す用意があると言った。彼が自分を愛するだけでもその用意があった。
「この悪魔」アイリーンはよく遊び半分でクーパーウッドに言うことがあった。「わかってるんだから。あなたがよそ見をしているのはお見通しよ。事務所にすてきな速記の人がいるじゃない。多分、その女よね」
「馬鹿なことを言うな、アイリーン」と、クーパーウッドは反論した。「みっともないまねはしないことだ。私が速記の人間なんか相手にしないことくらい知ってるだろう。事務所っていうのはそういうことをする場所じゃないんだ」
「あら、違うの? 侮らないでよね。わかってるんだから。あなたならどんな古い場所だって平気でしょ」
クーパーウッドは笑った。アイリーンも笑った。アイリーンはどうすることもできなかった。夫のことをとても愛していたからだ。責め立ててもこれといった辛辣さがなかった。アイリーンはクーパーウッドを愛していた。クーパーウッドはよく彼女を両腕で抱きしめて、優しくキスをして、甘くささやいた。「きみは私のすてきな大きな赤ちゃんかな? 私の赤い髪をしたお人形さんかな? 本当に私を愛しているかい? じゃ、キスしてくれよ」心置きなく、二人の中の快楽主義者の情熱は高まった。外からの要因で二人が仲違いしない限り、これ以上にすてきな人との触れ合いをクーパーウッドが求めることはありえなかった。とりたてて反動はなく倦怠期も来なかった。アイリーンの肉体は彼に受け入れられていた。アイリーンは取り澄ました旧態依然とした考え方で彼の知性を苛立たせなかったので、クーパーウッドはいつも優しく、からかうように、そしていつくしむようにさえ話しかけることができた。アイリーンはある意味で愛らしく愚かだったから、心無い非難をされたり制裁をくらうのである。漠然とした考えで失敗を重ねながら、二人のためになりそうなことを提案することができた。今二人が主に考えていることは、シカゴの社交界と、すでに契約済みの新居と、デビューして地位を確立するためにはどうするかだった。女性の人生が、これ以上にバラ色に見えるものはないとアイリーンは思った。本当のことであってもあまりにも出来過ぎていた。彼女のフランクは、とてもハンサムで、とても優しくて、とても寛大だった。クーパーウッドにはけちのつけようがなかった。もしクーパーウッドが時々アイリーンから離れたらどうだろう? クーパーウッドは精神的にはアイリーンに忠実だった。アイリーンは彼が自分を裏切った例をまだ一つも知らなかった。この問題になるとクーパーウッドがどれほど平然と嘘をついて反論できるのか、アイリーンはほとんど知らなかった。しかし、それでもクーパーウッドはアイリーンのことが好きだった。本当に全然迷いはなかった。
これまでにクーパーウッドはガス会社に十万ドルほど投資していて、見通しが立ったものだから喜んだ。運営権は二十年間有効なのだ。その頃には、六十歳近くなっている。買収して合併を済ませているか、既存の会社に売却して大儲けしているだろう。シガゴの将来はすべてクーパーウッドの有利に働いた。いい絵が見つかれば三万ドルくらい投資して、とても美しいうちにアイリーンの肖像画を描いてもらおうと考えた。この芸術の問題がまた彼に大きな関わりを持ち始めていた。アディソンは名画を四、五枚持っていた……ルソー、グリューズ、ウーヴェルマン、ローレンス……出所は不明だった。コラードという名前のホテルマンで、衣料雑貨や不動産を手掛ける男は、とても素晴らしいコレクションを持っているという話だった。アディソンは金物業界の第一人者のデイヴィス・トラスクという人物が、今盛んに集めていると教えてくれた。彼が知る美術品が集められ始めている家は多かった。クーパーウッドも始めなければならなかった。
運営権が確立したとたんにクーパーウッドはシッペンスを自分の事務所に入れて、しばらく仕事を任せた。実務用のプラントの建設が続いている場所に、小さなレンタルオフィスがあって事務員がいた。差止や無効や規制を求めるありとあらゆる訴訟が既存の各社によって起こされたが、マッキベン、スティムソン、ヴァン・シックル老将軍は軍人魂やら自己満足で戦っていた。いい展開だった。まだ誰もクーパーウッドのシカゴ進出をあまり知らなかった。存在感がとても薄かった。彼の名前はこの仕事の関係者の中に登場さえしていなかった。他の者が日増しに有名になっていくのが少し妬ましかった。いつになったら自分は輝き始めるのだろう? きっともうすぐだ。六月、ゆとりができ、金ができ、胸が弾み、健康で元気いっぱいの中、初めての海外休暇を満喫しようと二人は旅立った。
すばらしい旅行だった。アディソンはご丁寧なことに、船上のクーパーウッド夫人に花をとどけようとニューヨークに電報を打った。マッキベンは旅の本を送った。クーパーウッドは誰かが花を贈るとは知らなかったから自分でも注文していた……とびっきりの二籠がアディソンのと合わさって三籠になった。それにカードが添えられて、メインデッキのロビーで二人を待っていた。船長席ではクーパーウッド夫妻は引っ張りだこだった。二人はカードパーティや内輪のコンサートに招待された。しかし海が荒くてアイリーンは体調を損ねた。自分を元気に見せるだけでも大変だったので、アイリーンは船室に閉じこもった。態度がとても傲慢で、ひと握りの人以外にはよそよそしく、その人たちと話をするにしても慎重だった。自分がかなりの重要人物になりつつあることを実感した。
アイリーンは出発前にシカゴのドノヴァンの店のものをほどんど買いつくしてしまった。下着、部屋着、外出着、乗馬服、夜会服などをたっぷり持っていた。全部で三万ドル相当の宝石を入れた宝石袋を体に隠しもっていた。靴、ストッキング、帽子、アクセサリーがいろいろ数え切れないほどあった。クーパーウッドはアイリーンのこういうところがかなり自慢だった。アイリーンはこういう力を持って人生に臨んでいた。最初の妻は青白くてかなり貧血気味だったが、アイリーンは肉体そのものの力で今にもはち切れそうだった。鼻歌を歌い、冗談を言い、おめかしして、気取ってみせた。それまでのことを修正も反省もしない、ありのままでいる人がいる。アイリーンにとっては、長い歴史を持つ地球だってただのイメージでしかなく、浮かんだとしてもぼんやりとだった。かつて恐竜や空飛ぶ爬虫類がいたという話を聞いたことがあるかもしれないが、聞いてもそれはアイリーンに深い印象を与えなかった。我々を猿の子孫だとある人が言った、いや言っていた。それはれっきとした事実かもしれないが実に馬鹿げていた。荒れ狂って隆起する海の緑色の水は、ある種の大きさと恐怖を感じさせたが、詩人の心の大きさとは違うのだ。食事中は真鍮のボタンのついた青い制服姿の船長がしきりにアイリーンに気を遣って、船は安全ですと言った。アイリーンは船長をすっかり信じていた。そしてクーパーウッドは、この人生という感動的な光景を、疑り深くて、心配しているのではない用心深い目で見つめながら、それについて何も語らずに、いつもアイリーンと一緒にいた。
ロンドンでは、アディソンからもらった手紙のおかげで、オペラやディナーや週末のグッドウッドなどへ招待された。四輪馬車、四頭立て大型馬車、辻馬車が呼ばれた。週末はテムズ川のハウスボートに招待された。これを金持ちの旅行とかいい儲け口と見ていていた二人のもてなし役のイギリス人は、礼儀正しく丁重だったが、それだけのことだった。アイリーンはものすごく珍しがって、使用人や礼儀作法などに注目した。多分アメリカがよくないんだ、とても多くのものが欠けている、とアイリーンはさっそく考え始めた。
「ねえ、アイリーン、きみも私も、ずっとシカゴで暮らしていかねばならないんだ」クーパーウッドは言った。「おかしなことを考えないでくれよ。ここの人たちはアメリカ人なんか気にかけないんだ、わからないかね? 私たちがこっちに来たって、受け入れてはくれないよ……とにかく今のところはね。私たちはただの通りすがりのよそ者で、丁重にもてなされているだけだからね」クーパーウッドにはお見通しだった。
アイリーンはある意味で甘やかされていた。しかし仕方がなかった。徹底的に服を着まくった。イギリス人の男性は、馬や馬車に乗っていたハイドパークや、宿泊していたクラリッジズや買い物をしていたボンドストリートでアイリーンを見かけた。超保守的で好みが単純なイギリス人の女性は、その大半は寄り付きもせず目をつり上げた。クーパーウッドはその状況に気づいていたが、何も言わなかった。アイリーンを愛していた。少なくとも今のところはアイリーンに満足していた。とにかく美しかった。シカゴでのアイリーンの立場を調整できれば、まずはそれで十分だった。アイリーンがイギリスの歴史も栄光も備えた名士たちにでかい態度をとったとても活動的な三週間が終わると、二人はパリに向かった。
ここでアイリーンはさらに活気づいて子供のように夢中になった。「ねえ」二日目の朝、アイリーンは大真面目にクーパーウッドに言った。「イギリス人は服の着方を知らないのよね。てっきり知ってると思ってたわ。でも一番まともな人がしていたのがフランス人のものまねだったのね。昨夜カフェ・アングレで見かけた人たちでも参考にすればいいのよ。あたしが見たイギリス人で、彼らに匹敵する人はいなかったわ」
「アイリーン、きみが外国好みなんだよ」クーパーウッドはネクタイを直す間、うれしそうにしげしげとアイリーンを見ていた。「フランスのおしゃれな人たちときたら、それはもうおしゃれを通り過ぎて最高だね。中にはコルセットをつけている人もいると思うよ」
「だから、何?」アイリーンは言った。「あたしはコルセットって好きよ。おしゃれをするつもりなら徹底してやればいいんじゃないかしら?」
「ご高説はごもっともだけどね。過ぎたるは及ばざるが如し、さ。それ相応に見えないのなら妥協しないといけないよ。たとえ方向性が正しくても、あまり著しく周りの人たちと違い過ぎてはいけないからね」
「まあ、どうせ」アイリーンは立ち止まって相手を見ながら言った。「あなたはそのうち石頭になるわ……うちの兄さんたちみたいにね」
アイリーンは近寄って、夫のネクタイに触れ、髪をなでた。
「まあ、私たちの二人のうち、一人は家族のためにもそうでないとね」クーパーウッドは苦笑いして言った。
「でも、それがきみだ、なんてことはないと思うよ」
「すてきな日だわ。白い大理石の像なんかが見ごろじゃないかしら。クリューニーかベルサイユかフォンテーヌブローへ行きましょうか? 今夜はフランセーゼでベルナールを見ましょう」
アイリーンはとても浮かれていた。とうとう本当の夫と一緒に旅行ができるようになったのが、うれしくて仕方がなかった。
芸術と人生を楽しむ心と、それらを持とうというクーパーウッドの決意が最大限によみがえったのは、この旅行がきっかけだった。ロンドン、パリ、ブリュッセルで一流の美術商たちと知り合いになった。芸術の偉大な巨匠や古くからある流派に関する自分の考えがはっきりとした形になった。自分に将来のパトロンの素質を見出したロンドンのあるディーラーの一人にアイリーン共々招かれて、クーパーウッドはある個人のコレクションを鑑賞しに行った。すると、レイトン卿、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、ホイッスラーなどの画家がいたるところにて、クーパーウッドは関心をお持ちの外部の方だと彼らにさり気なく紹介された。相手は、強くて、礼儀正しくて、人とは違う、保守的な人しか眼中になかった。彼は、そんな感情豊かで、自己中心的な、雅な心を理解した。クーパーウッドは、個人的な接触という点ではこういう人たちと自分との間に共通点はほとんどないと瞬時に感じた。しかしお互いが出会える場所は存在した。クーパーウッドは何事にもおいても隷属的な崇拝者にはなれなかった。高貴なパトロンにしかなれなかった。自分の壮大な夢はいつ頃実現するのだろうと考えながら歩いて観賞した。
ロンドンではレイバーンの肖像画、パリではミレーの農耕風景、ヤン・ステーンの小さな作品、マイソニエの戦闘を描いたもの、イザベイのロマンチックな中庭の絵を購入した。こうして、かつての芸術への関心がよみがえった。後年の彼に大きな意味をなす将来のコレクションの中核になった。
帰国後は、シカゴの新しい豪邸の建設が、アイリーンとクーパーウッドの人生の次に待ちわびる楽しみになった。フランスで見たどこかの城だか、テイラー・ロードの提案でそれが修正されたものだったかその形が採用された。ロード氏は、完璧な状態で引き渡すには丸一年、いや一年半はかかるだろうと考えたが、これに関して時間は大した問題ではなかった。その間に、二人は社交に力を入れ、シカゴの名士になるのが楽しみな日々に向けて備えていた。
この時期にシカゴを構成する要素はいくつかあった……しがない貧困から突然豊かになった人々は、簡単に村の教会や村の社会基準を忘れられなかった。財産を相続した者や、昔から豊かでいた東部から移住した者は、このゲームのうまいやり方をずっとよくわかっていた。新たに金持ちの仲間入りしてアメリカ社会がさらに高度に移り変わるのを見ている者は、自分たちがその中で輝いてもいいのではないかと願い始めていた……この最後グループはとても若い人たちだった。そのグループはちょうどキンスレーでのダンスや、定期的な教会献堂祭や、ヨーロッパ的な夏の娯楽を夢見始めていたが、まだ到達してはいなかった。上流階級は退屈極まりなく鈍重だったが、依然として一番力があった。何しろ彼らが一番のお金持ちだった。今のところはまだ最高の水準をもたらすものはお金だった。この人たちが提供する催し物は、頭がおかしくなるほど退屈だった。その実態は、平日のパーティーと、日曜の午後にスクダンクやホーホーカスへ出かけることの繰り返しにすぎなかった。全ての行事の目的は、見ることと、見られることだった。考え方も行動も目新しいものは断固避けられた。事実上、求められたのは、慣例に則った考え方と行動と、慣習を重んじることだった。たとえば東部やロンドンで時々あったような「女優」を入れるという考えなどもってのほかだった。歌手や芸術家でさえ横目で見られた。人は簡単に限度を超えかねなかった! しかしもし(絶対ないが)ヨーロッパの王子がシカゴで道に迷ったとか、東部の社交界の大物が列車で一、二泊しようものなら、地元富裕層のトップの面々は、限界ぎりぎりまで精一杯の努力をする覚悟だった。クーパーウッドは到着の時点でこういうことを全て感じていた。自分が十分な富と力を持ったら、自分とアイリーンが自分たちのすばらしい家の助けを借りて、全体を明るくする促進剤になればいいと思った。残念なことに、アイリーンは上のランクでなくても上流社会で認められて対等に扱われるチャンスを狙っているのがわかりすぎるくらいだった。無作法で、脇が甘く、気質的なひどい気まぐれに翻弄される彼女は、失敗するのではないかと考えると時々臆病になった。あるタイプの上流社会の女性たちと付き合うことは、自分には性分的に合わないことがすぐにわかった。ある日のこと、ダウンタウンの店先で会った繊維業界の第一人者のアンソン・メリルの妻が、あまりに冷淡でよそよそしい印象をアイリーンに与えた。メリル夫人は上流意識と教養を備えた女性で、シカゴでつり合う相手を見つけるのは大変だと自分でも思うほどだった。東部出身のボストン市民で、何度か訪れたことがあるロンドンの上流階級とも何となく付き合いがあった。夫人にとってシカゴはせいぜいむさ苦しい雑然とした商業地だった。ニューヨークやワシントンの方が好きだったが、ここに住まなければならなかった。だから、夫人は頭をのけ反らせ、疲れた瞼をたらし、眉をきりっと吊り上げて、いかにすべてがくだらないかを示しながら、見下して付き合っているほぼ全員に尊大な態度をとった。
メリル夫人がいるのをアイリーンに教えたのは、ヘンリー・ハドルストン夫人だった。ハドルストン夫人は、クーパーウッド夫妻の仮住まいの家のすぐ近くで暮らしている石鹸メーカーの妻で、夫妻は社交界でも隅っこにいた。クーパーウッド夫妻が資産家であり、アディソン夫妻と親交があり、二十万ドルもする豪邸を建築するつもりだと聞いていた。(家の価値というものは常に話題になることで高まる。)そんなものだった。三軒離れたところに住む夫人は立ち寄って招待状を残していった。あちこちでいい顔をしたがっていたアイリーンは返事を出した。ハドルストン夫人は小柄な女性で、外見はあまり魅力的ではなかったが、社交上手で、かなりさばけた人だった。
「メリル夫人が」この日、ハドルストン夫人は言った。「あそこにいるわ……服のカウンターの近くに。あの柄付きのメガネをいつも持ち歩いているのね」
アイリーンは振り向いて、西部の上流階級の、とても近寄りがたくて、人を見下してかかる、お高くとまった、背が高く、陰気な、細い女性を値踏みするように観察した。
「あの方とはお知り合いではないのですか?」アイリーンは余裕を持って相手を知りたそうに見ながら尋ねた。
「存じ上げませんわ」ハドルストン夫人は身構えて答えた。「あちらさん、ノースサイドにお住まいですもの。地域が違うとあまり交流しませんから」
実際は、この「サイド」という勝手な分け方などお構いなしで、三地域のすべてから仲間を選べるのが頂点を占めるメンバーの実力だった。
「そうですか」アイリーンは平然と言った。ハドルストン夫人が気づいてメリル夫人を重要人物だと指摘してくれてもよさそうなものだと考えるとアイリーンは密かにイライラした。
「ほら、眉を少し濃くしているわ」ハドルストン夫人は、うらやましそうに相手を観察しながら言った。「あの方のご主人が世界で一番誠実な人ってわけではないもの。別の女がいるのよ、グラデンズ夫人っていう、すぐ目と鼻の先に住んでる人よ。その人にご主人がご執心なのよ」
「まあ!」アイリーンは用心して言った。フィラデルフィアでの自分の経験があったから、アイリーンは警戒して、あまりにゴシップに首をつっこまないことに決めていた。この種の矢に限っては、まっすぐ自分に向かって飛んで来かねなかった。
「でも、実際にはあの方のグループが頂点なのよ」アイリーンの連れはお世辞を言った。
それからというもの、アンソン・メリル夫人と近づきになりたい、完全に無条件で受け入れてもらいたいとアイリーンは願うようになった。本人は危惧していたかもしれないが、この願いが絶対にかなうことがないことをアイリーンは知らなかった。
しかし最初のうちはクーパーウッド邸を訪問したり、クーパーウッド夫妻が何とか親交を築き上げた人たちもいた。サンダーランド・スレッド夫妻がいた。スレッド氏は市に乗り入れている南西地区の鉄道の一社で運行業務全体を取り仕切っていた。芸術と文化を解するそれなり資産家で、その妻は野心だけの無名の人だった。ウォルター・レイサム・コットン夫妻がいた。コットンは卸売り業を営むコーヒー豆のブローカーだが、それにもまして地元社会の文人で、妻はヴァッサーの卒業生だった。ノリエ・シムズ夫妻がいた。シムズは〈ダグラス信託貯蓄会社〉の秘書兼財務担当で、アディソンやランボーが代表を務めるグループとは全く別の金融グループの実力者だった。
その他に、裕福な毛皮業者のスタニスラウ・ホエクセマ夫妻、小麦粉卸売業者のドゥエーン・キングスランド夫妻、梱包業者のウェブスター・イスラエルス夫妻、宝石商のブラッドフォード・カナダ夫妻がいた。この全員が一応社交界にいた。全員が相当な家と相当な収入を持っていた。だから考える価値があった。アイリーンとほとんどの女性との差は、自然主義と幻想との差だった。しかしこれには多少の説明がいる。
この時代の女性の心の状態を本当に知るには、教会が栄え、人生の事実を中途半端に学んだ勤勉な詩人が神秘の後光で女性を包んだ中世まで戻らねばならない。それ以降、未婚者も既婚者も、女性は男性よりも繊細な土でできている、女性は男性を高めるために生まれた、女性の好意は貴重である、と信じるように教育されてきた。このバラ色のロマンスの霧は、個人の道徳とは関係ないのに、女性が男性に対して、さらには女性が女性に対して聖人らしく振る舞うことを強いるようになった。今、アイリーンが我が身を置くこのシカゴの雰囲気は、まさにこの幻想である程度が構成されていた。彼女が紹介された女性たちは、この空想の上位世界の人たちだった。宗教画や小説の中で表現されるときでさえ、女性たちは自分たちが完璧な状態であるべきだと考えた。自分たちの夫は模範的であって、自分たちの高い理想にふさわしくなくてはならないし、他の女性たちにどんな欠点があってもならなかった。もし理解できていたなら、切実で単純素朴なアイリーンは、これを笑い飛ばしていただろう。理解できなかったので、ある人たちに囲まれると気おくれを感じて自信がなくなった。
このいい例になるのが、アンソン・メリル夫人の取り巻きのノリエ・シムズ夫人だった。アンソン・メリル家のお茶やディナーや昼食会に誘われたり、メリル夫人にビジネス街にドライブに連れ出されると、シムズ夫人は天にのぼる心境だった。自分についての誤った認識に対して警句を唱えたり、自分の驚くべき教養の高さを論じたり、たとえ自分がアンソン・メリルの妻だと言っても時々相手が信じないことがある……といったエジプトとかカルデアに出典があるに違いない社交界で言い古された話……を語るのが大好きだった。シムズ夫人本人は、これといった特徴がないタイプで、大人物ではないが、賢く、きれいで、優雅な人で、社交界で頭角を現していた。シムズ家の二人の子供たち(少女)は、当時の社交上のマナー……年長者たちがとても喜ぶような、たたずまい、笑い方、膝を曲げた挨拶など……をすべて教え込まれていた。担当の保母は制服を着ていて、家庭教師はかなり気取った人だった。シムズ夫人は傲慢な態度の主で、目上の者にしか目を向けず、自分が暮らさなくてはならない平凡な世界を静かに軽蔑していた。
クーパーウッド夫妻をもてなした最初のディナーの席で、シムズ夫人はアイリーンのフィラデルフィア時代のことを詮索して、アーサー・リー夫妻、トレヴァー・ドレイク夫妻、ロバータ・ウイリング、マーティン・ウォーカー夫妻を知っているか尋ねた。シムズ夫人本人はその人たちを知らなかったが、メリル夫人が話をするのを聞いたことがあった。話題を振るには十分なきっかけだった。アイリーンはとっさに身構えて自分のために堂々と嘘をつき通す覚悟をした。クーパーウッドと自分にまつわる噂が広がる前に……ごくさりげなく……ありのままに知っていると言った。これを聞いてシムズ夫人はよろこんだ。
「ネリーに言わないと」シムズ夫人はなれなれしくメリル夫人の名を出しながら言った。
こんなことが続いたら、妻になる前に自分が愛人だったことや、離婚訴訟で言及されていない共同被告だったことや、クーパーウッドが刑務所にいたことが、すぐに町中に広まってしまうとアイリーンは恐れた。自分を救えるのは、夫の財力と自分の美貌だけかしら? 果たしてそんなものは頼りになるだろうか?
ある晩二人はドゥエーン・キングスランド家のディナーに出かけた。ブラッドフォード・カナダ夫人がとても改まった感じで、フィラデルフィアにいる夫人の友人のスカイラー・エバンズ夫人に会ったことがあるかとアイリーンに尋ねた。これにアイリーンは震え上がった。
「あのうちの何人かはあたしたちのことを知っていると思わない?」帰り道にアイリーンは、クーパーウッドに尋ねた。
「知ってると思うよ」クーパーウッドは考え込むようにして答えた。「確たる自信まではないけど。私がきみだったら、そんなことは心配しないよ。それを心配するくらいなら、自分から言ってしまえばいい。私だってフィラデルフィアの刑務所で服役したことは何も隠してないんだし、隠するつもりもない。あれは公平な処置ではなかった。私をあんなところへ収容する権利などなかったのだからね」
「そうよね」アイリーンは答えた。「世間が知ったところで、大して変わりはないかもしれない。でもどうしてそうなっちゃうのかわかんないわ。結婚でトラブルを抱えたことがあるのは、あたしたちだけじゃないはずよ」
「これには問題が一つだけあってね。世間が私たちを受け入れるか、受け入れないか、なんだ。受け入れなくても、それはそれで仕方がない。私たちじゃどうしようもないからね。このまま家を完成させて、態度を改めるチャンスを与えてみよう。もし駄目なら、他にも都市はある。ニューヨークならお金が問題を解決するんだ……そのことはわかってるんだ。十分な資金ができたら、そこに本拠を構えて対等な立場で付き合えるんだ……私が十分な金を手に入るよ」少し考えてからクーパーウッドは言った。「心配することはない。世間が私を求めようが求めまいが、私はここで何百万も稼ぐんだ。そしたら……まあ、その後がどうなるかは見ていればわかるだろう。心配しちゃ駄目だ。この世の中で、お金が解決しない問題はあまり見たことがないからね」
危険なほど真剣な時にはいつもそうなるのだが、何ともきれいな歯の食いしばり方だった。クーパーウッドはアイリーンの手をとって優しく握りしめた。
「心配することはない」と繰り返した。「シカゴだけが都市じゃないし、十年後にアメリカで最も貧しい者が私たちなわけじゃないんだ。ただ胸を張っていればいいさ。すべては順調にいくからね。絶対にいくから」
アイリーンはランプの灯ったミシガン・アベニューを眺めた。二人は静寂に包まれたたくさんの豪邸の前を通り過ぎていた。すべてのランプは上の方が白く、夕闇を通してかすかに光り、やがて薄れて見えなくなった。あたりは暗かったが、すがすがしくて、心地よかった。ああ、フランクのお金があたしたちに、この面白い世界の地位と友情を買ってくれればいいのに、せめてそれができたらなあ! この闘いが自分の人格、もしくはその欠如にどれだけ左右されるものなのか、アイリーンはよくわかっていなかった。




