第22章 念願の路面鉄道
〈ノース・シカゴ・シティ鉄道〉の取締役の中に、エドウィン・L・カフラスという若い前向きな男がいた。この会社の大株主だった父親が最近亡くなって、一人息子に持ち株のすべてと実質的な取締役の地位を残した。若いカフラスは路面鉄道の実務者ではなかったが、チャンスがあればうまくやれると思っていた。五千株のうち約八百株を持っていたが、残りは分散されていたので、小さな影響力しか行使できなかった。それでも、会社に入った日……クーパーウッドが問題を真剣に考え始めた数か月前……から、改革を強く求めた。路線の延長、事業規模の拡大、車両も馬もいいものにして、冬は車両にストーブを設置するなどを提案したが、そのすべてが同僚の取締役には若気の至りの無謀な衝動にしか聞こえず、ほぼ一様に反対された。
「車両がどうしたって?」カフラスが出席していつもの抗議をしていた会合の一つで、年上の取締役の一人のアルバート・トーセンが尋ねた。「何の問題も見当たらないがな。私だって乗ってるんだ」
トーセンは、太った、埃とタバコまみれの六十六歳で、少しどんくさいがおっとりした人だった。塗装業をやっていて、お尻と腕が皺だらけのとても軽い鉄灰色のスーツをいつも着ていた。
「多分、それが問題なんだよ、アルバート」出席していた仲間の一人のソロン・ケンプフェルトが甲高い声で言った。
この突っ込みは笑いを誘った。
「私にはわからんね。きみ以外の人たちだって車内でよく見かけるんだよ」
「じゃあ、問題点をあげましょう」カフラスは答えた。「汚いし、貧弱だし、窓がガタガタうるさくて考え事もできやしない。線路はひどいし、冬に敷いておく汚い藁のせいで気分が悪くなる。線路は補修が万全ではない。客が不満をもらすのも不思議じゃありません。自分も不満ですからね」
「私はそんなにひどいとは思わんな」社長のオニアス・C・スキナーが口をはさんだ。とても短い頬髯を生やした顔は中国の神さまのように印象が薄かった。年齢は六十八歳だった。「世界一の車両とは言わんが、いい車両だよ。中には塗装が必要とか、ニスの塗りがかなりひどいのもあるが、それを別にすれば、まだ何年でも使えるさ。新しい車両を入れられたらとても嬉しいんだが、出費が馬鹿にならないからな。構築しつづけなくてはならない延長路線と五セントの長距離輸送が利益を食いつぶしているんだ」いわゆる『長距離輸送』は市外のたったの二、三マイルに過ぎなかったが、スキナー社長には長く思えた。
「では、サウスサイドを見てください」カフラスは食い下がった。「ぼくにはあなたがたが何を考えているのかわかりませんね。フィラデルフィアで導入されたケーブルをここで使ってるんです。サンフランシスコでもそうですよ。ぼくが理解するところでは、電気で走る車両を発明した人だっているんです。それがこっちは藁を積んだ車両を走らせているんですよ……ぼくなら納屋と呼びますね。何にしても、そろそろ自分たちで気づく者が出てきてもいい頃だと思うんですよ」
「どうも、わからんね」スキナー氏は言った。「ノースサイドではかなり頑張ったように思うんだがね。大したもんだよ」
取締役のソロン・ケンプフェルト、アルバート・トーセン、アイザック・ホワイト、アンソニー・エワー、アーノルド・C・ベンジャミン、オットー・マットジェスは厳粛に紳士らしく、ただ座って見つめるだけだった。
しかし血気盛んなカフラスはそう簡単に引き下がらなかった。別の折にも自分の不満を繰り返した。この同じノースサイドのサービスのことで新聞に時々かなりの不満が掲載されるが、ある意味ではうれしかった。おそらく、足もとに火がつけば亀だって動き出すだろう。
このときにはもうクーパーウッドがマッケンティと合意していたので、ノースサイドの会社が占有していない通りに追加の運営権を得るとか、ラサール・ストリートのトンネルを使用することさえできなくなっていた。カフラスはこれを知らなかった。会社の取締役も役員たちも知らなかったが、事実だった。さらに、マッケンティは、ノースサイドで自分の息のかかった市会議員を通じて、現経営陣の評判を落とすために、さらなる不平不満をあおり始めていた。ノースサイドの会社に古い車両を廃棄させることや、もっと良質で丈夫な線路を敷設させることを強いる何者かの運動があって、議会は大騒ぎだった。奇妙なのは同じ状況でも、ウエストサイドとサウスサイドはこうならなかった。あれこれの目的を達成するために政治の世界で絶えず使われているトリックを知らない都会の一般大衆は、このいわゆる『市民の反乱』に大喜びした。彼らは自分たちがゲームの駒であることも、いかに薄っぺらな誠意が原動力になっていたかも、ほとんど知らなかった。
アディソンは、ノースサイドの会社の中でクーパーウッドの役に立ちそうな別の人物を考えていたが、最終的に若いカフラスを理想的な工作員に選び、ある日のこと、いかにも偶然らしくユニオンリーグでカフラスに自己紹介をした。
「あなたがたノースサイドとウエストサイドの路面鉄道事業者には、かなり深刻な出費が目前に控えているんですね」アディソンは折をみて言った。
「それはどういうことでしょう?」事業の発展にかかわることなら何でも興味を持って聞きたがるカフラスは尋ねた。
「まあ、私が大きな誤解をしているのでなければですが、あなた方はすべて、ごく近いうちに路線を全面的に改修する費用を負担することになりますからね……私が聞いたところでは……サウスサイドで始まっている新しいモーターだかケーブル・システムを導入するんだとか」アディソンは、市議会か市民感情か何かが、この大規模で高額な一連の改善を〈ノース・シカゴ鉄道〉に強制的にやらせたがっている印象を与えたかった。
カフラスは耳をそばだてた。市会議が何をするというのだろう? カフラスはそれについてすべて知りたかった。二人はすべての問題を話し合った……ケーブルが通る溝の特徴、動力施設のコスト、新しいレールの導入、もっと丈夫な橋の必要性、川を越えるかくぐるかする他の手段。アディソンは、〈シカゴ・シティ鉄道〉と〈サウスサイド鉄道〉は川を横断する問題がないから、他の二社のどちらよりもはるかに幸運な立場にあることをしっかりと指摘した。それから改めて、ノースサイドの会社がかなり厳しい立場にあることを憂慮した。「あなたの会社はとても大きな仕事をかかえることになりますね」アディソンは繰り返し言った。
カフラスは十分感銘を受け、適度にがっかりした。トンネルや他の改修に多額の出費が必要になるため、自分の持つ八百株は価値が低下するのだ。それでも、アディソンが今言ったような改善をすれば長い時間はかかるが路線の収益を向上させるられる、と考えて多少の慰めができた。しかしその間は波乱の航海が続くかもしれない。老いた経営陣は今すぐにでも行動を起こすべきだと考えた。サウスサイドの会社が改修しているのなら、自分たちもそれを見習わねばならないだろう。だがやるだろうか? 今後何年も鉄道に抵当権を設定する必要はあるが、長い時間をかければ返済できると、どうすればわかってもらえるのだろう? 古い保守的で慎重なやり方にはうんざりだった。
クーパーウッドの代わりに活動をつづけているアディソンは、数週間おいてからカフラスと二度目の私的な話し合いをした。しばらく秘密にしておく約束を取り付けてから、前回の話をしたおかげで、新たな展開に気がついたと言った。その間に、他の地域で長年路面鉄道にたずさわってきた人物数名の訪問を受けた。先方は、自分たちの資本の手頃な投資先をさがしながらいろいろな都市を回っていて、最終的にシカゴを選んだ。そしてこの地でいろいろな路線を調査して、〈ノース・シカゴ・シティ鉄道〉がいずれにも勝る投資先と判断した。それからアディソンは、クーパーウッドが要約した考えを、細心の注意を払いながら詳しく説明した。最初疑ったカフラスも最後は納得した。旧体制の埃をかぶった、ぐずぐずした態度に、彼はずっといらいらしていた。この新しい男たちが何者だかわからなかったが、この計画は彼の考えと一致していた。アディソンが指摘したとおり、それには数百万ドルの費用が必要だった。鉄道に多額の抵当権を設定しない限り、外部の援助もなしに、どうすれば資金が調達できるのか、彼にはわからなかった。もしこの新しい人たちが、進歩的な政策を始める他にも、この株の五十一パーセントに九十九年間高い金利を支払ってくれて、そのまま全株式に満足な利回りを保証するというのなら、任せてもいいのではないか? それは古い財産の魂を抵当に入れるのと同じだろう。とにかく、経営には価値がなかった。どうすれば、クーパーウッドの建設や設備の子会社からこの新しい投資家たちのための大金を作り出せるのか、どうしていったん必要な開業資金(彼の好む言い方だと『ものを言う資本』)が保証されると、新旧の鉄道会社の水増しした株式を発行することで、ほとんどクーパーウッドが一ドルもかける必要がなくなるのか、カフラスにはわからなかった。このときまでにクーパーウッドとアディソンは、もしこれが終わったら、数百万ドルの資金を持つ〈シカゴ信託〉を組織してすべての取引を操作することに合意していた。カフラスは、自分の株利回りがよくなったことと、新会社の(新しい表現で言うと)『基本計画』に参加するチャンスを得たことしかわからなかった。
「過去三年間ずっと、うちの連中に言ってきたことなんですが」カフラスは最後にアディソンが個人的に目をかけてくれたことに喜び、その大きな影響力に畏敬の念を抱き、声高に言った。「みんなはぼくの言うことなんか全然聞いてくれませんでした。このノースサイドの経営方法は犯罪ですよ。子供だって、ぼくらよりも上手にできたでしょうからね。うちは線路と車両を節約して、人の数で負けたんです。あそこで欲しいのは人なんです。そして、人を獲得する方法は一つしかありません。ちゃんとした鉄道サービスを提供することなんです。率直に言うと、うちは全然やってこなかった」
このすぐ後でクーパーウッドはカフラスと短い話をして、その中で、カフラスが所有している、もしくはリースで手放すことになるすべての株式の一株につき六百ドルを支払うだけでなく、尽力に応じて新会社の株もボーナスに与えると約束した。カフラスは自分と会社のために大喜びしてノースサイドへ戻った。搦め手から攻めるのがクーパーウッドの目的に一番かなっていると考えた後で、一見関係のなさそうな人物から微妙な話が持ち上がる方針でいくことに決めた。その結果カフラスは、他の取締役三名アイザック・ホワイト、アーノルド・C・ベンジャミン、オットー・マットジェスと大株主たちが、持ち株にとても驚くような価格を提示されて、他の株主を冷遇したまま売却するつもりでいることを内々に聞いたと打ち明けて、技術長のウィリアム・ジョンソンを、取締役で最も攻めやすいアルバート・トーセンに接近させた。
トーセンは悲嘆のあまり我を忘れてしまい、「いつ耳にした?」と尋ねた。
ジョンソンは教えたが、情報源はしばらく秘密にしておいた。トーセンはすぐに友人のソロン・ケンプフェルトのもとへ急行した。すると今度はケンプフェルトが情報を求めてカフラスのところへ行った。
「そういう話を聞いたことはあるが、本当のところは知らないよ」カフラスはそれしか言わなかった。
トーセンとケンプフェルトは、カフラスは売り払って自分たちには特に価値ある収穫を何一つ残さない陰謀をたくらんでいる、と想像した。これはとても悲しいことだった。
その一方で、クーパーウッドはカフラスの助言どおりに、アイザック・ホワイト、アーノルド・C・ベンジャミン、オットー・マットジェスに直接接触して、まるで自分が取り引きしたいのはこの三人しかいないかのような口ぶりで話をしていた。少し後で、トーセンとケンプフェルトは同じような訪問を受けて、内心ではびくびくしながら、他の人たちにも同じことができるのであれば、売り払うか、あるいはクーパーウッドが提示するとても有利な条件で貸すことに同意した。取締役会でクーパーウッドを強く後押しする気運はできあがった。最後に、アイザック・ホワイトが会議の席で、自分は興味深い提案を持ちかけられたと述べて、すぐその場で概略を説明した。自分はどう考えていいかわからないが、取締役会としてこれを検討したい、と語った。すぐに、トーセンとケンプフェルトは、ジョンソンの話がすべてが真実だと確信した。クーパーウッドにご足労願い、取締役全員に彼の計画の内容を説明してもらうことが決定された。これをクーパーウッドは時間をかけて淡々と明るい表情で語った。近い将来、道路の整備が必須であることが明らかにされた。今回提案された計画が取締役全員から仕事と不安と関心を取り除いた。さらに、今後二、三十年かけて得られると期待していた以上の利益が一度に保証された。そしてクーパーウッドと彼の計画が試されることになった。もし提案された利息を期日に支払うことができなかったら、資産は再び自分たちのものになることや、全ての義務……税金、水道代、既存の債権、わずかな報奨金……を彼が引き受けたことを確認してみると、ずいぶんと楽観的な構想に見えた。
「さて、みなさん、今日は我ながらいい仕事をしたと思います」アンソニー・エワーはアルバート・トーセン氏の肩に親しげに手をおきながら言った。「クーパーウッドさんの事業の成功を願うことで我々全員が結束できるものと私は確信しております」自分の持株七百十五株、七万千五百ドル相当が、四十二万九千ドルへと評価額を上げたので、エワー氏はおのずと大喜びだった。
「おっしゃるとおりだ」総計七百九十株から四百八十株を手放して、その価値が二百ドルから六百ドルへと跳ね上がるのを目にしたトーセンは答えた。「面白い男だ。彼の成功を願うよ」
クーパーウッドは翌朝アイリーンの部屋で目が覚めた……昨夜は遅くまでマッケンティ、アディソン、ビダーラたちと外出していた……振り向いて、うとうとしている妻の首をなでながら言った。「ねえ、きみ、昨日の午後、私は〈ノース・シカゴ・シティ鉄道〉を整理したんだ。自分の経営陣を結成してさっそく私が新しいノースサイドの会社の社長におさまったよ。結局あと一、二年もしたら、私たちはこの村でそれなりの人物になってるからね」
中でもこの事実が自分に対するアイリーンの気持ちをなだめる結果になればいいとクーパーウッドは願っていた。リタを激しく攻撃してからずっと何日もアイリーンは、ふさぎ込み、よそよそしく、疲弊していた。
「それで?」寝ぼけまなこをこすりながら、半端な微笑を浮かべて答えた。アイリーンは白とピンクの泡のようなネグリジェを着ていた。「すごいんでしょ?」
クーパーウッドは肘をついて起き上がり、いつも感心して眺めている丸みのある素肌の腕をなでながら、アイリーンを見た。明るく鮮やかな髪はその魅力をまったく失っていなかった。
「つまりね、一年くらいしたら〈シカゴ西部鉄道〉にも同じことができるんだ」クーパーウッドは続けた。「しかし、これについてはいろいろな話が出ると思う。それに今すぐほしいわけじゃない。どうせうまくいくよ。シュライハートやメリルたちが、じきに気づくのが目に見えている。向こうはシカゴがこれまでに築き上げた最大のものを二つ、ガスと鉄道を取り逃がしてしまったからね」
「すごいわね、フランク、おめでとう」アイリーンはかなりわずらわしそうに言った。夫の裏切りを悲しんではいたが、それでも前進をつづけていることがうれしかった。「あなたはいつだってうまくやるわよ」
「きみがあまり気分を害してないといいんだが、アイリーン」一種の愛情を主張したつもりでクーパーウッドは言った。「私と一緒に幸せになろうと頑張らないかい? これは私と同じようにきみのためでもあるんだ。私よりもきみの方が溜め込んだものを解消できるからね」
クーパーウッドは得意そうに微笑んだ。
「そうね」うらめしげではあるがそのことで穏やかになり、少し悲しげに答えた。「大金のおかげね。でもあたしが欲しかったのはあなたの愛よ」
「それならちゃんとあるだろ」クーパーウッドは言った。「何度も言ってるけど。私はきみを大事にすることをやめたことは本当にないよ。そんなことがなかったことはわかってるだろ」
「ええ、わかってるわ」夫が腕にしっかり抱き寄せる間に、アイリーンは答えた。「あなたがどれほど大事にしてるかはわかってるわ」これがアイリーンの夫への優しい反応を妨げることはなかった。アイリーンのわきあがる不満の背景にあるものは、心の痛みと、夫の愛情がそのままであってほしい、かつて永遠に続くと信じたあの初期の愛情を復活させたい、という願いだった。




