第10章 試練
ミシガン・アベニューの邸宅の落成式は一八七八年の秋、十一月下旬のことだった。アイリーンとクーパーウッドがシカゴに来ておよそ二年が経っていた。競馬、さまざまな晩餐会、お茶会、ユニオンクラブやカルメットクラブ(アディソンの口添えで入会が認められた)のパーティーで出会った人たちと、マッキベンとロードが声をかけてくれた人たちを合わせて、約三百人に招待状を送ることができ、そのうち約二百五十人が返事をくれた。この時まで自分の個人的な問題には口をつぐんで誤魔化してきたため、クーパーウッドの過去に話が及ぶことはなかった……取り立てて関心を持たれなかった。金があって、人当たりがよくて、魅力的な人柄だった。街の実業家や、社交で出合った人たちは、クーパーウッドを魅力的でとても賢い人と考えがちだった。王のような上流の世界は二人のことなど知らなかったが、アイリーンはひと目を引くほど美しくて優雅だったので、多かれ少なかれ自分の価値で受け入れられていた。
社会に確たる地位のないものが、気配りと差別が横行する場で誇示するものには驚くものがある。この頃シカゴで発行された社交の週刊紙があった。マッキベンの協力を得てクーパーウッドが発行にこぎつけた、そういうものとしてはかなり出来のいい出版物だった。基本的には動機が強くないと、どんな状況下でも大したことはできない。この例のように、立派な外見と、かなりの財力と、大きな力と魅力があれば、何でもできてしまう。ケント・マッキベンは編集者のホートン・ビガーズを知っていた。かなり孤独な、覚めた人で、年齢は四十五、白髪交じりで、しょぼくれた風貌をしていた……海綿だかフジツボのような人間で、あくまで必要に迫られて、一見面白く楽しそうに元気づくだけだった。当時は社交関係を扱う編集者が……事実上……社交界の一員として受け入れられた時代だった。新聞記者というよりもゲスト扱いされていたが、それでも排除される傾向があった。クーパーウッドのために働き、彼のことを気に入っていたマッキベンは、ある晩、ビガーズに言った。
「クーパーウッド夫妻を知ってるよね、ビガーズ?」
「いや」もっと格上のグループにフジツボのようにくっついていたビガーズは答えた。「誰だい?」
「ラサール・ストリートの銀行家さ。出身はフィラデルフィア。クーパーウッド夫人は美人だ……若いうえにね。夫妻はこのミシガン・アベニューに住まいを建設中だ。頭に入れておくべきだね。いずれ乗り込んでくるぞ。アディソン夫妻のお気に入りなんだ。今のうちに取り行っておけば、やがてお返ししてくれると思うんだがな。かなり気前がいいんだ。それに、いい人だよ」
ビガーズは耳をそばだてた。この社交を扱う新聞は、よく言っても実入りが少なくて、まともに稼ぐ手立てがほとんどなかった。自分のことをよく言われたいメンバーや準メンバーは、新聞を購読、それもかなり大量にしなければならなかった。この短い話をした直後にクーパーウッドはサタデー・レヴュー紙の営業所から購読申込書を受け取り、すぐに百ドルの小切手を直接ホートン・ビガーズ氏に送った。その後、クーパーウッド夫妻が自分たちの催しで食事をすると、他はしないのにサタデー・レヴュー紙がコメントすることにあまり大物でない人たちが気がついた。まるでクーパーウッド夫妻が大切な扱いをされねばならないかのようだった。一体何者なのだろう?
スキャンダルは目立つものが大好きだから、世間の注目を集めるとか、社会でそこそこ成功することさえ危険だった。人が集団とかけ離れたものとして世の中で少しでも目立ち始めると、誰だ、何事だ、何でだ、と知りたがる者が出る。アイリーンの熱意がクーパーウッドの非凡な才能と合わさって、新居のお披露目の催しをかなり特別なものにしていた。この状況下で、あらゆることを考えると、そういうことをするのは危険だった。まだシカゴは社交が極めて緩慢だった。その動きは、これまで言われてきたように、多少鈍重で無気力だった。華麗に輝かしくものを持って飛び込むことは、すばらしいチャンスをつかむことだった。シカゴ社交界の慎重な人たちは、たとえ出席しなくても、聞き耳を立てて最終的な意見を言ったり判断をくだすつもりだった。
催しは四時に始まって六時半まで続き、その後九時にダンスがあった。演奏はシカゴの有名な管弦楽団、演目はかなり著名なアーティストが担当した。十一時から一時まで一階の三部屋を埋め尽くした小さなテーブルで、中国の桃源郷を思わせる雰囲気の中、豪華な夕食があった。クーパーウッドはその場を盛り上げるために、海外で購入した貴重な絵画だけでなく、新しいものも掛けた。その頃エキゾチックな人気が絶頂だったジェロームの特にすばらしい一品……東洋の浴室の色鮮やかな石象嵌のそばでたたずんでいるハーレムのオダリスクの裸婦画……だった。これはシカゴには多少「みだらな」作品で、芸術を知らない者には衝撃的だが、わかる者には十分無害だった。これがあるとギャラリーが少し本物らしくなり、わかる人はそういう画廊を必要とした。新たに到着して新たに掛けられた作品に、前年夏ブリュッセルで出会ったオランダ人画家のヤン・ファン・ベールスが描いたアイリーンの肖像画もあった。ベールスはアイリーンを九回座らせて、かなりすばらしい油絵を描いた。色調が高くて背景は夏らしい屋外だった……低い縁石のプール、オランダのレンガ造りの宮殿の赤い角、チューリップの花壇、ふわふわの雲が浮かぶ青空が描かれていた。アイリーンは石のベンチの湾曲した袖に腰掛けていた。足もとは緑の芝生で、片側に何となくレースの縁取りのピンクと白の日傘を持っていた。まるみをおびた元気いっぱいの体はパリの最新型の白と青の縞模様のシルクの散歩着をまとい、青と白の帯のついた大きなつばの麦わら帽子をかぶり、それが彼女の色っぽい動物的な目に淡い影を落としていた。この画家はアイリーンらしさを実に正確にとらえていた。威勢のよさや、思い込みの激しさ、未熟の勇ましさか本物の繊細さの欠如が原因の虚勢などだった。アイリーンに関わるものは全てそうだが、その独特な形の新鮮なものは少し目立ち過ぎていて、人生にあまり恩恵を授けられなかった人たちを嫉妬させがちだったが、個性の一部としてはすばらしかった。かすかにチラチラ燃える暖かいガス灯の光に照らされて、アイリーンは特に輝いて見えた。甘やかされて、暇を持て余し、軽やかだった……ちゃんと面倒を見てもらえて食事をたっぷりもらえるペットの世界だった。大勢が立ち止まって鑑賞した。私的なものからそうでないものまで、たくさんの感想が述べられた。
この日はアイリーンの突然の胸騒ぎと嫌な予感と共に始まった。クーパーウッドの提案でアイリーンは社交を任せる秘書を雇った。貧しい下働きの娘で、手紙を出し、返事を表にまとめ、使いっ走りをして、あれこれと細かい助言をしてくれた。フランス人のメイドのファデットは、この日に行われなければならない二回の着付け、遅くとも二時までのものと、六時から八時の間のものの準備で大変だった。ドレスを探したり、装飾品やバックルやブローチを磨く間に、ファデットの「神さま」だとか「青い方のが」とか言う声がひっきりなし聞こえた。いつものようにアイリーンは完璧であろうと必死だった。着たら最も似合うガウンを考えるのに苦労していた。自分の肖像画が、ギャラリーの東側の壁にかかっていた。張り合えとたきつけていた。まるで招待客の全員が自分を裁こうとしているかのような気分だった。地元のドレスメーカーのテレサ・ドノヴァンが、いくつかアドバイスをしてくれた。しかしアイリーンはパリでワースに仕立ててもらった重厚な茶色のビロードに決めていた……首と腕を完璧に見せて肉体や髪とも魅惑的に調和するいろいろな側面を持つものにした。アメシストのイヤリングを試して、トパーズに変えた。足は茶色いシルクのストッキングと、赤いエナメルのボタンがついた茶色の室内靴をはいた。
社交を効率的にこなす人ならきっと気軽にやってしまうのだろうが、困ったことにアイリーンは、こういうことを気楽にできなかった。アイリーンは決して状況を支配することはなくむしろ状況に自分を支配させた。クーパーウッドのゆとりに満ちた優しい応援がないとアイリーンは時々乗り切れないことがあった。いつもそうだった。クーパーウッドが近くにいるときは、どこに出ても通用する立派な貴婦人になった気分だった。ひとりのときは、勇気はすごいのにどっちに決めていいかわからずに揺れていることが多かった。自分の危険な過去が頭から離れなかった。
四時に、フロックコート姿の気取ったケント・マッキベンが、すばやく見極める目でこの見世物と努力全体の一部だけを認めて、大きな応接室に陣取ってテイラー・ロードに話しかけた。ロードは最後の点検を終えて、夜遅く戻ってくるために立ち去るところだった。この二人がもっと親しい友人か親友だったら、クーパーウッド夫妻の社交の展望を話し合っただろうが、見てのとおり、退屈なありきたりの話題に抑えていた。ちょうどこの時、アイリーンが華麗な姿で少しの間降りてきた。ケント・マッキベンはこんなに美しいアイリーンを見たことがないと思った。抜け目なく、したたかで、骨ばっていて、計算高く、自分の安定した地位を利用しながら社交界で動き回る尊大な連中に比べれば、やはりアイリーンは立派だった。もっと冷静でないのが残念だった。もう少し冷酷になるべきなんだ……必ずしもそんなに温厚ある必要はないんだから。しかしクーパーウッドがついているんだ、うまくいくかもしれない。
「おや、クーパーウッド夫人」マッキベンは言った。「最高に魅力的ですね。この家が勝利を飾りましたねとちょうどロードさんに申し上げていたところなんです」
社交界のメンバーのマッキベンから、別のメンバーのロードのそばにいるときに、こう言われてアイリーンは元気をもらった気分だった。うれしそうに顔が輝いた。
到着した第一陣は、ウェブスター・イスラエルス夫人、ブラッドフォード・カナダ夫人、ウォルター・レイサム・コットン夫人たちで受け付けの手伝いをすることになっていた。この女性たちは、先見の明と人を見る目に対する将来の評判を自分たちが手に入れつつあることを知らなかった。アイリーンの豪華な姿、クーパーウッドの高まる財力の評判、新居の優れた芸術性に心を奪われていた。ウェブスター・イスラエルス夫人の口は独特な形で、アイリーンはいつも魚を連想した。しかしけっして不器量でなく、今日は元気で魅力的に見えた。ブラッドフォード・カナダ夫人は、驚くほど痩せた人向けに多少手を加えられた灰色がかったピンクとシルバーグレイのドレスを着ていたが、それでも魅力的で、注目の人だった。彼女はこれがとても重大な出来事になると信じていた。ウォルター・レイサム・コットン夫人は他の誰よりも若かった。彼女にはヴァッサー生活でつちかった洗練さがあり、多くのことで秀でていた。どういうわけか、夫人は、クーパーウッド夫妻が駄目かもしれないとうすうす疑っていた。しかし夫妻は順調にいっていたし、おそらく他のすべての志望者たちに勝っていたかもしれない。夫人にすれば楽しいからそれでよかった。
人生はときどき個性や独立性がなくなってモンチセリ石っぽい色へと変化する。そこには個体がなく、輝いている全体があるだけだった。一階にすてきなフランス窓と、重厚な帯状の石の花と深く奥へ入り込んだ花柄の扉がある新しい家は、たちまち動いている色鮮やかな人の流れで混み合った。
アイリーンとクーパーウッドが全然知らない大勢の人が、マッキベンとロードに招待されていた。来てその時に紹介されたのである。隣接した脇道や家の前の空間は、くつわを噛み鳴らす馬や、うわべをきれいに飾った馬車で混雑した。クーパーウッド夫妻がかろうじて知っているだけの人たちが早いうちから来て、その場が色鮮やかで面白いとわかると、しばらく滞在した。ケータリング業者のキンスリーは訓練された使用人の小隊を投入していた。それが兵士のように配置されて、クーパーウッド家の執事に用意周到に指揮された。ポンペイ風の色使いをたっぷりほどこした新しいダイニングルームは、豊富なガラスと優雅に並んだごちそうで輝いていた。秋らしい灰色、紫色、茶色、緑色が散見される女性のパーティードレスは、玄関ホールの茶色系の壁、広々としたリビングの濃い灰色と金色、ダイニングの古代ローマの赤、音楽室の白と金色、ギャラリーのくすんだセピア色にいい感じで溶け込んだ。
アイリーンはクーパーウッドという勇敢な存在に支えられて、ダイニング、書斎、ギャラリーで男性たちと目立たないように会っていた。無駄に美しく突っ立っていた。見る価値はある……そう見えるものすべてが見栄で、もっているものもまだもっていないものもまがい物になるのだから嘆かわしいといっていい。この列をなしている人たちは、関心より物珍しさ、共感より嫉妬、好意的というより批判的で、ただ見物しに来ているだけだった。
「ねえ、奥さん」シムズ夫人はさらっと言った。「今日のお宅は美術展でもなさってるのかしらね。どういうおつもりなのか私には見当がつきませんけど」
アイリーンは言葉にトゲがあるのを感じとったが、うまい切り返しの言葉を持ち合わせていなかった。そういう才能に恵まれなかったが怒りで燃え上がった。
「あら、そうですか?」アイリーンはぴしゃりと言い返した。
シムズ夫人は、自分が作り出した効果が満更不満ではなく、自分の尻を追いかけ回す若い画家を従えてご機嫌で立ち去った。
アイリーンはこのことやこれに似た他のことから、自分がいかに「仲間」でないかを思い知った。上流の排他的な人たちはまだアイリーンとクーパーウッドをまともに相手にしてはいなかった。アイリーンはその時そばにいて話を聞いていた割りと鈍いイスラエルス夫人を嫌っていると言ってよかった。しかしイスラエルス夫人でもいないよりははるかにましだった。シムズ夫人はイスラエルス夫人には穏やかな挨拶をしていた。
アディソン夫妻、スレッド夫妻、キングズランド夫妻、ホエクセマ夫妻が来てくれたのに無駄だった。アイリーンは安心できなかった。しかしディナーが終わるとマッキベンに誘導された若手がダンスに向かった。アイリーンは迷いながらも全力で臨んだ。きらびやかで奔放で魅力的だった。かつてはグランドマーチでわからないことがあったら彼に任せておけば大丈夫だったケント・マッキベンは、この空虚でおとぎ話のような行列にアイリーンを担ぎ出して楽しんだ。シムズ夫人に腕をかしたクーパーウッドがその後に続いた。ところどころが銀色っぽく感じられる白のサテンをまとい、ネックレス、ブレスレット、イヤリング、ダイヤモンドの髪飾りをつけたアイリーンはエキゾチックに輝いた。断然輝いていた。すっかり魅了されてしまったマッキベンは細心の気の使いようだった。
「これは愉快だな」マッキベンは親しげにささやいた。「あなたはとても美しい……夢のようだ!」
「ちゃんと生身の体なんですよ」アイリーンは答えた。「とくと拝見したいものです」マッキベンは陽気に笑った。アイリーンは隠された意味を察しながら、からかうように歯を見せた。シムズ夫人は聞きたかったろうがクーパーウッドに夢中になっていて聞こえなかった。
グランドマーチのあと、六人の陽気で礼儀をわきまえない思慮の浅い若者たちに囲まれたアイリーンは彼らを引き連れて自分の肖像画を見に行った。保守派は、大盤振る舞いされるワインや、ギャラリーの片隅にあるジェロームの強烈な裸体画や、別の隅のアイリーンの生き生きした肖像画や、アイリーンに近づきたがる何人かの若者の熱中ぶりを話題にした。人当たりがよくて思いやりがあるランボー夫人は、アイリーンは「生きることにとても夢中」なんだと思うわと夫に語った。アディソン夫人は自分とアディソンがこれまでに成し遂げた規模と充実度に及ばないにしても、華麗さが断然勝っているクーパーウッド夫妻の物質的なきらびやかさに驚いて「お金の稼ぎ方が随分早いのね」と夫に言った。
「あの男は、生まれながらの資本家なんだよ、エラ」アディソンはもったいつけて説明した。「相場師だからね、確実に金を儲けるのさ。社交界に入れるかどうかはわからんがね。彼ひとりなら確実に入れるのにな。奥さんは美しいよ。でも彼には別のタイプの女性が必要だと思うな。容姿は良すぎるといってもいいんだけどね」
「私もそれを考えてるのよ。いい奥さんなんだけど、あの人、うまく立ち回れないんじゃないかしら。それも悩みの種よね」
その時、散々ちやほやされて嬉しくてほくほく顔になったアイリーンが両脇に笑顔の若者を従えてやって来た。音楽室とダイニングルームを一体化させたダンス会場を目指していた。目の前は動く群衆できらきらしていた。花の香りと音楽と人の声がその場に満ちていた。
「クーパーウッド夫人は」ブラッドフォード・カナダは社交界紙の編集者のホートン・ビガーズに言った。「私が長年出会った中で最もかわいらしい女性の一人だ。かわい過ぎると言ってもいいな」
「夫人はどうなるとお考えですか?」慎重なビガーズは尋ねた。「魅力的なんだが、ちゃんと感情を抑えられないんだと思うな、あまり器用じゃないんだね。もっと硬いタイプじゃないと。ちょっと元気が良すぎるかな。年配のご婦人方は決して近づきたがらないだろうね。自分の老いが際立つだけだから。あそこまで若くもかわいくもなかったら、うまくいくのにな」
「私もそう思ったんですよ」ビガーズは言った。実は、ビガーズはそんなこと思いもしなかった。そんな的確な結論を出す能力がなかったからだ。しかし今はそう信じていた。何しろブラッドフォード・カナダがそう言ったのだから。




