コミックス2巻発売記念SS ~同じ行き先に向かって~
侯爵家の食卓(今更ですが、略称です)コミカライズ、無事完結しました。
感想、応援ありがとうございました!
アンネリーエは苦戦していた。
アルノーのためにすりおろし野菜を混ぜたクッキーを作ったものの、あまりおいしくなかった。
アルノーのためにブランケットを編もうとおもったけれど、どうしても目が詰まったり飛んだりして形がうまくきまらない。
「うーん。経験不足を補えるような何かがきっとあると思うんだけど」
ソファに寝そべって手足をばたつかせたけれど、ちっとも思いつかない。
野菜クッキーは、庭の家庭菜園で手塩にかけて作った人参と茄子を使用した。小麦粉だって、収穫作業は無理だったけれど、細かく挽くのは参加させてもらった。でも、あんまり美味しくない。触感も悪い。何しろ見た目の色が悪い。失敗続きのせいで、アンネリーエお手製小麦粉の在庫がずいぶん減ってしまった。
編み物は嫁いでから始めたのだから未熟なのは仕方がない。でも、それを補うために羊狩りから始めて毛糸を用意したのだ。
このまま贈ったとしても、アルノーが喜ぶとは思えない。そんなんじゃ、頑張る気になれない。
アンネリーエはむくりと起き上がり、すばやく立ち上がった。傍で片づけをしていた侍女がびっくりして動きを止める。
「奥様、どうされました」
「王城図書館って許可がないと入れないんだったかしら」
「ええ、そうです。図書館というか、王城には許可証がなければ入れません」
「じゃあ、アルノー様にサインいただけばいいのね」
アンネリーエと侍女が笑顔で視線を合わせて同時に頷いた。
「だめだ」
「なぜ」
帰宅したアルノーにさっそく入場許可証をもらおうとしたが、すげなく断られてしまった。
顔をしかめるアンネリーエに気づいてアルノーが気まずそうに目をそらす。
「王城なんてそんなに頻繁に行く場所ではない」
「アルノー様は毎日行ってるのに」
「私は仕事だから仕方なく、だ。それに、王城図書館に君が求めているような本はない」
「そうなのですか?」
「ああ。王城図書館は王城に勤めている者向けの資料や専門書が多い。王城ではなく王立図書館に行った方がいい」
「あら、まあ。王城の図書館が一番充実しているのかと思いましたわ」
乱暴にクラバットを緩めたアルノーが首を横に振る。
「図書館によって得意な蔵書は違う。国の機関である各省庁の職員が編み物のコツや料理のレシピなどを必要としているわけないだろう。そういったことなら誰でも入館することのできる王立図書館に行くべきだ」
「勘違いしていましたわ。教えてくださってありがとうございます、アルノー様」
アンネリーエがにこにこと笑顔で礼を言う。アルノーが満足そうにうなずき、口を開いたのと同時にアンネリーエもまた口を開く。
「いや。王立図書館に行くなら侍女たちを連れて行くように」
「では、いつ行きますか?」
えっ、と二人が顔を見合わせる。
「アルノー様、一緒に行ってくださらないのですか?」
「い、一緒に行く流れだったか?」
「てっきり同行してくださるのだと」
明らかにしょぼんとした顔をするアンネリーエの圧に負け、アルノーが目を閉じる。額に手をあて、しぶしぶ声を絞り出した。
「……明後日は休めると思う」
「じゃあ、明後日! 約束ですよ」
アンネリーエは嬉しそうに手を叩いてはしゃいで見せた。そして、思いついたように目を見開くと、アルノーの腕にしがみつく。
「ミヒャエル様も一緒に誘いましょう。図書館には図鑑がたくさんあるから、きっと喜びます」
「ああ、そうだな。騒ぐ子ではないから連れていっても大丈夫だろう」
今は、いつものごとくアルノーが残業を終えて帰ってきた時間である。とっくにミヒャエルは寝てしまっている。話は明日の朝にすることにして、アルノーは遅い夕食のためにダイニングへ向かった。アンネリーエも当然、ついて行った。今日は、アルノーのご所望通りの鮮魚店で購入した魚を、アルノーのお気に入りの専門店から取り寄せた香草を入れて煮込んだものだ。お肉もそうだったが、アルノーは香草が好きなようだ。
香草って庭で栽培できるのかしら。図書館に行ったら、香草に関する本も探してみよう。
暖かいココアを飲みながら、アンネリーエはわくわくと明後日が来るのを待ち遠しく思った。
「行かない」
「えっ」
「えっ」
あくる朝、朝食の席でミヒャエルを図書館に誘った。が、このありさまである。いつもだったら、お出かけに誘ったら嬉しそうに「行く!!」と即答するのに。アンネリーエも驚いたが、アルノーはもっと驚いていた。サラダを食べる手がすっかり止まっている。
「行かないよ」
絶句していたら念を押されてしまった。子供の成長には目をみはるものがある。
「なぜだ。お前は本を読むのが好きだろう。図書館には図鑑がたくさんあるぞ」
「んー。でも、行かない」
ミヒャエルは少しだけ迷う様子を見せたものの、顔を上げずに目の前のベーコンを口に運んでもぐもぐしている。しばし呆けていたアルノーだったが、突然ハッとして持っていたフォークを落とした。
「ミヒャエル、まさか……王立図書館で嫌な目に遭ったりしたのか? 一体誰に」
「ん-ん? ルーカス様たちと行ったけど、楽しかったよ」
ミヒャエルが首を横に振る。ルーカス様とは、王太子殿下の息子でミヒャエルの良き友人だ。無邪気なミヒャエルを弟のように何かと面倒を見てくれている頼りになる王子である。彼の将来の側近候補である年上の友人たちと共に王立図書館へ行き、たくさんの図鑑を借りてきたことがあった。その時に何か嫌な目にあわされたのでは、とアルノーは心配したのだがとんだ杞憂だったらしい。そうだった、あの時のミヒャエルはとても上機嫌で帰ってきて、眠い目をこすりながら夢中で図鑑を読んでいたのだった。
「じゃあ、なぜ」
アルノーがみるみるしょぼんとして肩を落とし、アンネリーエが笑いをこらえている。
「ちちうえはー、もう『こばなれ』しないとだめなんだよー」
「うっ、だ、誰にそんなことを!」
ミヒャエルがさらに追い打ちをかけた。
アルノーだって、薄々感じてはいた。少し、過保護すぎると。
しかし、ミヒャエルは両親を立て続けに亡くした後、誘拐されかけたことがあるのだ。過保護すぎるくらいでちょうどいい。そうでなければ、アルノーの気が済まない。兄に申し訳が立たない。
ぐぬぬ、と言葉に詰まるアルノーの背中にそっと手を添え、アンネリーエが微笑む。
「そうですか。じゃあ、ミヒャエル様。お留守番を頼みますね。私は明日、アルノー様と図書館に行ってきます」
「うん。行ってらっしゃい」
アルノーの心配をよそに、アンネリーエとミヒャエルが勝手に話を進めてしまった。アルノーはいろいろ言いたいことがあったが、ぐっと堪えて目玉焼きにナイフを入れた。ざっくりと割れた切れ目から鮮やかなオレンジ色の黄身があふれ出す。
ミヒャエルの言うことももっともである。だが、しかし、でも。
「……まあ、いい。アンネリーエ。探したい本は事前に見当をつけておくように」
「はい、アルノー様」
生ハムにたっぷりとオリーブオイルをかけて、アンネリーエが元気よく返事した。そして、大きな生ハムを器用に丸めて一口で口に押し込んだ。
澄んだ青空のもと、馬車がゆっくりと走っている。行き先は王立図書館。
アンネリーエは買ったばかりの出かけ用のワンピースに身を包み、上機嫌でシートに腰かけていた。窓ガラスを鏡代わりに前髪を直し、ちらりと向かいに座るアルノーを見つめる。
休日でもアルノーはあまり服を気崩したりはしない。きっちりとシャツを着てクラバットも欠かさない。でも、何となくゆったりとしたシャツを着ているし、襟のボタンは一つ開けているし、クラバットだって緩めになっている。整った顔つきのアルノーが若干でも服を着崩していると、どことなくセクシーな色気が漏れ出しているような感じがして、アンネリーエは頬が緩むのを押さえることができなかった。
「え」
「なんだって!?」
図書館の大きな扉の前で、アルノーとアンネリーエは愕然として立ち尽くした。
『書庫整理のため休館』
そう書かれた手書きの紙が扉に貼られている。
「臨時休館ということでしょうか」
「いや……、こういったことは事前に告知していたと思う。王城図書館は無休だからうっかりしていた。……すまない」
「残念でしたねえ。でも、書庫整理はそう頻繁にするものではないでしょうから。また来ましょうね、アルノー様」
妻の期待にこたえてやれないなんて、と愕然としているアルノーの手をアンネリーエが拾い上げ、手をつないで馬車に戻った。しかめっ面のアルノーを馬車に押し込み、シートに座るとすぐに馬車が動き出す。行き先を指示していないのにどこへ行くのかしら、とアンネリーエは窓の外をうかがった。人通りの多い道を進む馬車のスピードはかなり控えめだった。それゆえ、いつまでたっても王都の中心街を抜ける気配がない。食い入るように外ばかり眺めているアンネリーエに気づいたアルノーが足を組み替え、ゆったりとシートに身を沈めた。
「図書館に行った後は少し街を歩こうかと思っていたんだ。予定よりずいぶんと早くなってしまったが、三番街付近へ向かっている」
「そうだったのですね」
そういった予定があったのか。だから、指示しなくとも御者はスムーズに馬車を走らせているらしい。行き先を知って落ち着いたアンネリーエは窓から身を離し、シートに座りなおした。
「三番街にご用事が? お仕事ですか?」
アンネリーエの問いにアルノーが瞬く。
「いや。三番街には規模は小さいが様々な店もあり、問屋も多い。君は好きだろう、問屋」
「好きです! 私のために向かってくださっているのですか? ありがとうございます!」
「……いや、そういうわけでは、あるのだが」
アルノーはもにゃもにゃと言い訳を続けているが、嬉しそうにはしゃいでいるアンネリーエの様子を見てそのまま口を閉じた。
人通りの少ない場所を選んで馬車が止まる。降りるなり腕を組み寄り添うようにして問屋街に向かう二人の姿を、通行人たちが不思議そうな顔で振り返っていた。
「ミヒャエル様! おみやげですよ」
「ありがとう! アンネ様!」
簡素な茶色い紙袋を受け取ったミヒャエルがさっそく袋を開ける。中身はふわっふわした純白のスポーツタオルだった。
最近のミヒャエルは身長も伸びて日に日に成長している。友達も増え、様々なスポーツに、特にサッカーに夢中になっている。首に巻く汗拭きタオルはいくらあっても足りないくらいだ。
「わー! ふわふわ!」
「そうでしょう。これは問屋さんに言うと店の奥から出してくれるという、小売店には並んでいないタオルなんですって。あっという間に水分を吸って乾くのも早いという一品なのですよ」
「すごーい!」
タオルに顔をうずめるミヒャエルに目を細めながら、アルノーは小さなため息をついた。
このタオルの製造方法どころか繊維の詳細な情報まで聞き出そうとするアンネリーエは、店からライバル店のスパイなのではと疑われてしまった。怪しいものではないと証明するために、アルノーは身分を明かすことになるし、アンネリーエの特異な性格まで説明する羽目になった。そのおかげで狂っていた予定はさらに狂い、その後めぐる予定だった店には行けず、食事をして帰ってくるだけになったのだった。
本当は食事の後は、たまにはドレスやアクセサリーでも買ってあげようと服飾店へ向かおうと思っていたのだが。それでも、アンネリーエは楽しそうにしているので、まあいいか、とアルノーは思うことにした。
タオルを首に巻いたミヒャエルが、アルノーとアンネリーエの顔を交互に見つめる。
「どうした? ミヒャエル。私たちのいない間に何か困ったことでも起きたのか?」
「ううん? 何もないよ」
アルノーがミヒャエルの傍に膝をついて視線を合わせた。近くなったアルノーの顔を、嬉しそうにミヒャエルが覗き込む。
「ねえ、デートは楽しかった?」
「は!?」
「子どもがいたらデートを楽しめないんでしょう? ね、楽しかった?」
大きく口を開けたまま固まっているアルノーの代わりに、アンネリーエがこたえる。
「まあ、ミヒャエル様。私たちのために気を遣ってくださったの?」
「うん。ルーカス様がそう言ってたから。ルーカス様のお父様とお母様は、いつもルーカス様を置いて二人でお出かけしちゃうんだって」
「王太子ご夫妻も仲がよろしいのねえ」
「ねえ、父上とアンネ様も楽しかった?」
「ええ、とっても楽しかったわ! ありがとうございます、ミヒャエル様」
「良かった!」
アルノーを置き去りにして、ミヒャエルとアンネリーエがハイタッチしている。
「ちょ、っと待て。あれはデートなどではなく、ただ、アンネリーエが行きたいところへ連れて行っただけで」
「それをデートって言うんでしょ?」
「ぐっ……」
笑いをこらえたアンネリーエが手を差し出すと、アルノーが素直にその手を取って立ち上がった。指で目頭を揉みながら、何やらまたぶつぶつと言っているけれど、アルノーだって楽しそうだったではないか、とアンネリーエはにまにまと頬を上げながらそう思った。
「今度はミヒャエル様も一緒に行きましょうね」
「うん。でも、ほどほどにね」
「うふふ、そうですね。ほどほどに」
子供の成長は早い。きっと、アンネリーエはあっという間にミヒャエルに身長を抜かされてしまうだろう。その頃には、一緒にお出かけする機会なんてもっと減っていくに違いない。
それならば、今のうちにたくさん三人で一緒の時間を過ごした方がいいんじゃないかしら。
まだアルノーはぶつぶつ言って頬をほんのり赤くしている。アンネリーエは彼の背に手を添えて、その照れている顔をじっくりと覗き込んだ。
ミヒャエルの子供である時間はもう終わりが近いけれど、アンネリーエとアルノーには二人で過ごす時間がこれから先たっぷりあるのだ。家族で過ごす愛おしい時間を余すことなくじっくりと堪能していこう。
窓から入ってくるキラキラとした陽光が観葉植物の葉を照らしている。ミヒャエルが首に巻いた純白のタオルがやけに眩しい。
手をつないでダイニングに向かうアルノーとミヒャエルの後ろ姿にアンネリーエが目を細める。
きっと明日も晴れるはず。
侯爵家の食卓 コミックス2巻が7/10(金)発売されます!
2巻で完結となっております。
どうぞよろしくお願いいたしますo(≧▽≦)o




