11.薄幸令嬢と研究所(1)
閑静な林の中。
帝都の外れにその場所はあった。
香月瑛人の女中である佛木蛍は、仕事を終え、自室で過ごしていたところ瑛人によって急に研究所に呼ばれた。
黒髪をボブスタイルにして、香月家のお仕着せを身にまとった蛍は、二十代にしてはやや童顔で、猫の目のようにくりっとした目をくるくる働かせながら簡素なベッドで寝込んでいる小夜の世話をこなしている。
ここは特務陰陽機関。別名を香月研究所と呼ばれる政府の軍部に所属している研究機関だ。
周囲には同じようなベッドがいくつもあり、それぞれカーテンで仕切られている。
「血清は打ったけど、この先この子をどうするの? 香月のお坊ちゃん」
白衣姿で、栗色の長髪を一つ結びにしたアーモンド形の薄茶色の目をした整った顔の男が、外した眼鏡のモダン部分を色っぽく加えながら瑛人に問うている。
「隼、お坊ちゃんはやめてくれ」
「あら、ごめんなさい。つい」
ふふっと笑った男は、女性と見まごう仕草で髪をかき上げ微笑んだ。
彼の名前は宇佐美隼。
瑛人の祖父であり、香月研究所の初代所長に能力を買われて雇われた、帝国大学医学部出身の医師だ。
「首筋の噛み傷以外にも、腕は傷だらけ、腹部や背部に痣がある。どれも治療はしたけれど、久々にみたわね。こんな胸糞悪くなるような傷跡は」
色素の薄い茶色がちな瞳で、苦しそうに寝息を立てている小夜を見た隼は、眉根を顰めた。
汚れていた小夜の体は蛍により拭き清められ、蛍のお下がりの浴衣を着せている。
香月研究所は男所帯で、併設されている病院には看護師はいない。そのため、汗と泥で汚れていた小夜の世話を蛍に頼んだのだ。
「そのうえ、栄養失調で体は弱っているし、熱は過労によるものね。こんな病人を蔵に閉じ込めておくなんて、殺人行為よ」
「このまま返すわけには、いかないよな……」
小夜の現状を知った瑛人は、困ったように頭を掻く。
「若旦那はいつもそうやって人を拾ってくるんだから。いい加減にしないと身を亡ぼすよ!」
「そうはいってもな、蛍」
「なに? 保護者から被保護者を引き離すことなんてそうそう出来やしないんだよ。今回のことだって、下手したら誘拐だって言われたかもしれないんだから」
瑛人と蛍は、主従関係ではあるが、幼いころから共に育ち、瑛人の面倒を蛍が見てきた仲だ。
そのため、蛍は瑛人に遠慮がない。瑛人も他の使用人には頼めないことも蛍には頼める間柄だ。
「もっと言ってやりなさい。蛍ちゃん。坊ちゃんは基本的に甘いのよ。そういうところがまたいいんだけどね」
最近まで瑛人は蛍に坊ちゃんと呼ばれていたが、坊ちゃんはやめてくれという瑛人の要請から、若旦那という呼び名で落ち着いている。
しかし、年上である隼の坊ちゃん呼びまではなかなかなおしてはもらえないようで、時折頭を抱えている。
「念のため、下調べはしてから強硬したさ。そうぽんぽんぽんぽん怒らないでくれ。袖振り合うも他生の縁というだろう」
「それなら、彼女の保護は霧城子爵にお願いすべきじゃないのかな。婚約者なんでしょ。あの家での扱いを見たら、保護するはずだよ」
「それなんだがなあ……」
小夜が血清を受けにこなかったという報告を受けてから、瑛人は幾度か華峰邸を訪問していた。
しかし、その都度はぐらかされたり、度重なる訪問の際、血清は打たせないと強く言い募る菖蒲の様子に違和感を覚え、内密に華峰家の事情を調べたのだ。
その結果出てきたのは、華峰家の財政が火の車だということと、屍食鬼に襲われていた少女が華峰家の使用人ではなく長女であり、悪名高い霧城子爵の年若い婚約者だということだった。
使用人のお仕着せを着ていたので、てっきり使用人だとばかり思っていた瑛人は、華峰家の使用人虐待を疑っていたのだが、蓋をあければ実子だということで驚いた。
帝都のみならず、この国では使用人への虐待事例が事欠かず、昨今では法律で使用人への虐待的な扱いを禁ずるものができている。
しかし、家族間での問題に関しては未整備だ。
菖蒲にも、家族の間でのことだから口を出すなと言われ数度引き下がっている。
今回菖蒲を引き下がらせることができたのは、政府が内々に打ち出している法令のおかげだ。
屍食鬼ならびにそれに準ずる者に噛まれたものは、すべからく血清を打つものとする。と数十年前、香月研究所の尽力で定められたものだ。
傷から入る病原体の潜伏期間が過ぎようとしているといってもなお血清を打たせようとしない菖蒲に対し、令状をとり小夜を連れ出し治療をほどこしたのだった。
小夜が使用人であれば、使用人への虐待を理由に保護し、新しい雇い主を探せばいい話だったのだが、小夜には保護者以外にも婚約者がいる。
そこで、霧城邸に出向き、大和に目通りを願ったのだが、連日不在で会うことがかなわなかった。
その上、華峰家のことを調べているうちに、幼いころから大和が小夜への虐待に加担しているという噂も浮上してきており、引き渡すにはためらわれたのだ。
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