10.薄幸令嬢は閉じ込められる(2)
しばらくの間丸まる小夜を叩いていた旭は、怒りが冷めやらぬといった様子で、菖蒲を呼びに部屋の外に出ていった。
せめて、菖蒲に不知火という男の不気味さを説明できれば。と思いながら唇を伝う血をぬぐう。
扱いに差があるとはいえ、これまで家族として育ってきたのだ。怪しいと分かっている場所に旭を行かせるわけにはいかない。
はだけてしまった着物の衿を正し、改めて菖蒲と話をしなければ。
と居住まいを正した時だった。どすどすと大きな音を立てて菖蒲が部屋に入ってきた。
「作り話をしてまで妹の好機を邪魔しようとするなんて。今まで育ててきていた恩を忘れたようね」
屍食鬼のことを隠し、たどたどしく説明した昨晩の話は菖蒲に一蹴された。
昨夜の傷や物取りの事件に不知火家が関わっているかもしれないと言った瞬間の菖蒲の顔は、般若のようだった。
幾度も話を聞いて欲しいと懇願し、不知火家に行くことの危険性を解いたが、その都度頬を叩かれた。
「しばらくそこで生活していなさい!」
最後には、腕を捕まれ引きずられ、裏にある蔵の中に放り込まれてしまった。
「話を……話を聞いてください」
閉じられた扉を叩くが重厚な扉はびくともしない。
小夜が幼いころから、しつけの一貫として閉じ込められてきた蔵だ。
小夜に使われる以前は、粗相をした使用人への罰に使っていたらしく、蔵の中に小さな厠が作られていて、貴重なものは置いていない。
じめじめした地面は埃と黴臭く、唯一ある窓は遥か高い位置にあるうえに、小さすぎて外に出られそうもない。
何度も声を枯らして出してほしいと懇願したが返事はなく、昨夜からの疲れと、血を失い過ぎてしまったせいか立っていることもできなくなり、その場にへたり込む。
暗く底冷えのする室内で、唯一空の灯りが入ってくる場所まで這ってゆき、その場で暖をとるように丸くなる。湿った着物が重く、寒い。
地面よりも体が熱くなってきた。熱が出てきたのかもしれない。
昨晩、香月という軍人が言っていた血清を打っていないから、何かの病気になってしまったのだろうか。と、不安になりながら、重くなってきた瞼を閉じた。
幾度か夢うつつの中で目を覚ましたが、体がだるくて起き上がれなかった。
熱が上がってきて喉が激しく乾いたが、蔵には誰も近づかず唾を飲み込みどうにかやり過ごす。
夜になると思い出したように菖蒲が現れたが、地面でうなされている小夜に、汚物を見るような視線をよこすだけだった。
死んでしまったら、『霧城子爵の婚約者』を失うことになってしまうため、最低限の水と食料が届けられるようになったのはありがたかった。
夜に、口元を押さえた女中が水差しと握り飯を一つ差し入れてくれる。
水も食料もこれだけなので、慎重に口にしなければと思うものの、すぐに底を付いてしまい喉の渇きにあえいだ。熱のおかげで空腹を感じなかったのは幸いだ。
熱がある以上、蔵の外に出さないようにという菖蒲の言葉通り、小夜は数日蔵の中に放置された。
窓の外から聞こえてきた騒ぎ声に目を覚ます。
外はすっかり暗くなっており、蔵の窓からは月明りがさしている。
地面を照らす月明りは、昨夜小夜を助けてくれた瑛人の目の色のようで温かみのある色をしていた。
「だから、うちの子に血清など必要ないと言っているでしょう!」
「政府の方針で首筋に傷のある者は血清を打たねばならないと申し上げたでしょう。放っておけば命を落すこともある。三日待っていたが来ないため、迎えにきたまでだ。先日の娘を出しなさい」
うっすらと聞こえてくる声は、菖蒲と瑛人のものだった。
「勝手に入らないでくださいな!」
「あの娘を放っておけば、あなたがたを逮捕せざるを得なくなるが、それでもいいのか」
土を踏む靴の音といくつかの草履の音がこちらに近づいてくる。
昨夜から水も食料も尽きている。
熱も一向にひかず、体が痛む。
このまま放置されていては、死んでしまうかもしれない。
忍び寄る死への恐怖に身がすくむ。
「助けて……」
からからに乾いた唇から、思わず言葉が漏れていた。
胡桃色の柔らかそうな髪に、月の光色の垂れ目で、優しく笑って失せ物を共に探してくれた顔が思い浮かび、気づかぬうちに声を振り絞っていた。
「助けて……ください……‼」
遠くのほうから、こちらから声がしたぞという声が聞こえ、靴音が近づいてくる。
菖蒲の怒鳴り声が近づき、蔵の鍵が開けられる音がした。
「大丈夫か⁉」
重い音をたてて開いた扉の先に、険しい顔をした瑛人が月を背に立っていた。
これで助かる。
そう思った瞬間、小夜の意識は再び途切れた。
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