34,たっちゃん
出産予定日から2日が過ぎている。
『また来週来てくださいね。その時、まだ産まれる様子が見られなければ、陣痛促進剤の話をさせていただきますからね』
先週受けた定期健診でそう言われ、早く出て来いと、一生懸命、お腹に念を送っていたところだった。
朝から少し腰がだるくて、時折グッと差し込むような痛みが走った
少し休むと落ち着くので、それを繰り返していたら母に言われた。
「万里ちゃん、それ陣痛が始まったのよ」
「え?そうなの?」
「病院に電話しなさい。たぶん、動けるうちに移動しておいた方がいいわ」
母は入院の準備を始め、私は病院に電話をした。
「もしもし、陣痛が始まったみたいなんですが」
『そうですか、間隔は?痛みが引いて、次の痛みが始まるまでどのくらい間がありますか?』
「え、と。1時間くらいかな……今は大丈夫です」
『そうですか。では、30分置きに痛みがくるようになったら、こちらに来てください』
「はい」
事務的な口調で、あまり親切な感じではなかったが、いよいよ産まれてくるのかと思うと興奮してきた。
病院はたっちゃんが亡くなった市民病院で、最初は建物に入るのに抵抗があった。
だけど、定期健診でちょくちょく呼ばれ、お腹が大きくなるにつれ頻度が増してきたので、今はもう平気だ。
きたきたきたきた……お腹が痛くなって立っていられない。
横になってい、うーん、うーんと唸っているといつの間にか楽になり、ほっと息をついて活動をする。
そしてまた、お腹が痛くなって……確かに、毎回、痛みがくる間隔が短くなってきている。
「万里江、車を出すから、乗りなさい」
「でも、お父さん、まだ30分間隔になってないよ」
父は私が横になるたびに狼狽し、私を見ていられないといった感じだった。
「そうよ、パパ。早く行っても病院で待たされるだけだから、もう少しここに居ましょう」
母は冷静で、行く準備を整え終えた後、文庫本を読んでいる。
臨月を迎えて以降、私たち三人家族は、たっちゃんの家で過ごしている。
母が家事をしに来てくれるのは分かるが、何も出来ない父までもが付いて来てしまったのだ。
「パパ、運転大丈夫かしら。タクシー呼んだ方がいい?」
「そうだね。慌てて事故ると嫌だから、タクシー呼んでもらおうかな」
ショックだったんだろうな……父は不貞腐れてどこかに行ってしまった。
うわああぁぁぁぁ
お腹痛い、怖い怖い、お腹の中心から下に向かって、ものすごい圧を感じる。
怖いよ、体が半分に裂けそう、ってか、このまま赤ちゃんが詰まって死んじゃうかも……
出産は恐怖との闘いだった。
10分間隔でやってくる陣痛に耐えながら、ベッドで待機する。
お腹に心電図を貼られ、赤ちゃんの心音がモニタに映っている。
ピコピコと波打つ波形を見ていると、あの日、たっちゃんの病室で見た最悪の記憶が蘇ってくる。
「ほら、パパ、手を休めないで」
父が私の腰を擦ってくれている。
「まだなのかなぁ?今何時?」
「まだ1時間しか経ってないわよ」
結局、夜になるまで家で過ごし、病院に来たのは20時を少し過ぎた頃だった。
「分娩室に移動するのは明け方になると思います」
そう看護師さんに言われ、気が遠くなった。
夜じゅうこの痛みに耐えなきゃならないなんて……聞いてないよ……と、へこたれそうになる。
たっちゃんと過ごした家でのことを思い返しながら、ぼんやりとモニタを眺めていた。
規則的に動く波形を見ていると、眠くなってくる。
次の痛みまで、少し目を瞑っておこうかな……そう思った時だった。
ツーーー
ピコンピコンとジャンプしていた波形が真横に伸びる。
ポンポンポンと大きな音がして、廊下に響いた。
驚いて息が止まった。
なんで?
医師と看護師が部屋に入ってきて、両親が部屋から追い出された。
私のお腹に貼られている心電図を確認している。
「赤ちゃんが苦しんでますからねー、ちょっと確認させてくださいねー」
明るい口調で言っているが、不安でいっぱいになる。
「どうしたんですか?どうして、心電図が動かないんですか?」
「今、調べてますからねー、ちょっと待っててくださいねー」
ピコン
再び心電図が動き出した。
ほっとして泣きそうになった。
「外れてたんですか?」
「いえ。今、一瞬、赤ちゃんの心音が止まりました」
医師が険しい顔をして言った。
「レントゲンの準備をお願いします」
そう看護師に指示を出し、それから私にこう言った。
「ここまで産道に降りてきていると、帝王切開に切り替えることができません。普通分娩で取り上げますが、何かあったらいけないので、こちらの書類に目を通してサインをお願いします」
死刑宣告を受けた気分だった。
「失礼します」
大きな機材を転がしながら、別の医師が入ってきた。
「腰を浮かせてください」
鉄板のようなものを体の下に敷かれ、上からレントゲンを撮られた。
片時も心電図から目が放せない。
もう、痛いとか、辛いとか感じなくなっていた。
お願いだから無事に産まれてきて……!
「はい、今です!」
助産師と息を合わせて、お腹に力を入れる。
私が押し出そうとしなくても、赤ちゃんは自らの意思で出ようと頑張ってくれていた。
「はい、いいですよ。その調子で頑張って」
初産にしては早い方だと言われた。
明け方を待たずに、私は分娩室にいる。
心音低下でひやっとした後、私は祈るような気持ちでお産に挑んでいる。
自然と大きくなるお腹に、自分の健康、私はそういった幸せを当たり前のように思っていた。
ある日突然、命が奪われるという経験をしているのに。
お願いだから、早く、赤ちゃんを見たい。
「そうそう!もう、自分のタイミングで、いきみたい時に、いつでも力を入れて構わないから!」
助産師さんの言葉を合図に、私はありったけの力を込めていきんだ。
おぎゃぁ
小さな声が聞こえてきた。
「あらぁ、大きくて可愛い男の子ですよ」
まだ半分濡れた赤ちゃんが、私の胸に置かれた。
眠そうに目を瞑り、口をパクパクしている。
緊張して動けない。
感動して動けない。
「触ってあげてください、お母さん」
そう言われ恐る恐る赤ちゃんの背中に手を当てた。
小さい。
温かい。
可愛い。
むくむくと愛情が湧いてくる。
お腹にいる時からたっぷりと愛していたけど、目にした我が子は、まさに目に入れても痛くない程に可愛いものだった。
病棟の相部屋のベッドに移動したのは、みなさんの朝食が済んだ頃だった。
「南原さんのも出ますからね、もう少し待っててくださいね」
赤ちゃんは検査に連れて行かれてしまい、私は一人、ベッドの上で過ごしていた。
「万里ちゃん、お疲れさま」
両親が訪ねて来てくれた。
元に戻ったぺちゃんこのお腹はペコペコだった。
「なんか食べるもの持ってない?」
朝食が出てくるまで待てそうにない。
「パパがメロンパン持ってるわよ」
かぶり付いていると、滝岡社長と柏木さんが入って来た。
「産まれたって聞きました!赤ちゃんどこですか?」
「なんかね、検査だって」
「えー、会いたいですー。あ、これ、プリンです」
「ありがとう!」
メロンパンを食べ終えてしまったので、遠慮なくプリンを開ける。
「ここのカスタード美味しいよね」
そう言いながらスプーンで口に運んでいると、小竹さんと間宮さんもやって来た。
「産まれたって連絡もらったっす。おめでとうございます!」
「万里江さんも元気そうでよかったなぁ。ほれ、大福もち好きかぁ?」
「大好きです!」
素手で掴んで頬張った。
「えへへ。なんか、すごいお腹が空いちゃって」
急に恥ずかしくなって下を向いていたら、助産師さんがやって来た。
「はい。よく頑張りました」
タオルに包まれた赤ちゃんを手渡される。
初めての抱っこにドキドキが止まらない。
「おー、可愛いもんだなぁ」
「ちょー小さい!めっちゃかわいー!」
「マジ、すげーっす!」
さあ、初めましてのご挨拶をしなくちゃね。
「南原 達也です。たっちゃんって呼んでください」
完




