4-27:見守ることしかできず
危機管理センターの空気が張り詰めていた。
九条恒一は正面のモニターから目を離せずにいた。
神崎錬司の配信映像。
防衛線の混乱が一段落した頃、彼一人があの門をくぐっていく姿を職員たちと共に見守っていた。
「内部の荒れ具合、想像以上ですね」
職員の一人が緊張した声で呟く。
映像の中、崩れた壁や瓦礫の量が、これまでの氾濫とは規模が違うことを物語っていた。
やがて二十層。
いつもの穏やかな桜の広間が変わり果てた姿で映し出される。
「......これは」
九条は思わず身を乗り出した。
赤黒く染まった花びら。
立ち込める異様な魔素の気配。
そして霧の奥から現れたあの女性。
額に二本の角。
『わらわは鬼族じゃ』
その一言に会議室が静まり返った。
『酒呑童子、という』
「酒呑童子......」
誰かがその名を呆然と繰り返す。
伝説上のあの名前が、こんな形で現実に繋がるとは。
「総理」
黒沢玲が急遽呼び出され、モニターの前に立っていた。
「これは......想像していたどの可能性より大きな話です」
「詳しく」
「モンスターという存在が、単なる魔素の産物ではなく、時に明確な自我と過去の記憶を持ち得るということです」
黒沢の声にも隠しきれない興奮と緊張が混じっていた。
映像が進む。
夜桜が平安の記憶を語る。
童子切安綱という名刀にかつて斬られたこと。
そして、その刀を打った刀匠、大原安綱。
その名前が出た瞬間、会議室の空気が、また変わった。
「天下五剣の一つですね」
資料をめくりながら南一颯が静かに言う。
「あの刀に、そんな来歴があったとは。歴史学的にも大きな発見です」
「さらに」
黒沢が続ける。
「あの刀の本来の銘が、継刃、だったと」
九条はしばらく言葉を失っていた。
神崎くんと佐伯氏が視聴者と共に、あの日、何気なく選んだ名前。
それが遥か昔から同じ意味をこの国に伝え続けていたのだとしたら。
「偶然なのでしょうか」
職員の一人が誰にともなく呟く。
誰も答えられなかった。
映像は戦闘の場面へ移る。
これまで見てきたどの戦いとも違う圧倒的な力の差。
防戦一方の錬司の姿に会議室の誰もが息を呑んだ。
「......危険です」
「撤退を指示しますか」
職員の一人が無線機に手をかける。
「待て」
九条は静かにそれを制した。
「今、我々にできることはない。彼の判断に委ねるしかない」
もどかしさが拳に滲む。
だが、それが事実だった。
あの深さに、あの相手に、送り込める者は誰もいない。
映像の中、天音澪と佐伯の姿が加わる。
水球の一撃。
そして二人の言葉。
「彼らも独自に現地へ......」
「止められる状況では、なかったでしょう」
職員が資料を確認しながら答える。
「結果として、あの一瞬が局面を変えたようです」
そこから先、映像の中で錬司の動きが明確に変わった。
防戦から反撃へ。
技による圧倒。
「見事です」
黒沢が静かに呟いた。
「この二ヶ月の修行の成果が、こういう形で実を結ぶとは」
そして決着。
継刃が致命の一撃を突き込む。
刀身に亀裂が走る映像に会議室の何人かが小さく声を上げた。
夜桜の瞳から赤黒い色が消えていく。
理性を取り戻した彼女の姿。
そして崩れていく体。
最後の会話は音声こそ届いていたが誰も口を挟める空気ではなかった。
九条もまた、ただ静かに、その光景を見守るしかなかった。
『よくやった』
その一言と共に夜桜の姿が消える。
会議室に長い沈黙が流れた。
「......終わりました」
職員の声が静かに響く。
「氾濫の元凶は消滅。神崎氏、負傷はありますが命に別状はないとのことです」
九条は深く息を吐いた。
安堵。
だが、それだけでは済まされない重みが胸に残っていた。
「南くん、黒沢くん」
「はい」
「今回のことで、はっきりしたことがある」
九条は静かにモニターを見つめた。
「モンスターという存在を、我々はこれまで単なる脅威としか捉えてこなかった」
「はい」
「だが時に、彼らの中にも記憶があり、意志があり、そして悲しみがある、ということだ」
会議室の誰もがその言葉に深く頷いた。
「これは今後の対応方針にも大きく関わってくる問題だ。慎重に検討する必要がある」
「かしこまりました」
「それと」
九条は少し声を和らげた。
「神崎くんへの手厚いケアを忘れるな。あの子は今日、一人で、あまりにも大きなものを背負った」
「はい」
窓の外、朝の光が静かに差し込んでいた。
この国は、また一つ、これまでにない深い問いを突きつけられていた。
だが、その問いに正面から向き合う覚悟だけは失っていなかった。
(大原安綱、か)
九条は資料の中のその名前を静かに見つめた。
歴史の奥に眠っていた一つの真実。
それが今、確かに、この時代へと継がれていた。




