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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第203話 中止条件

 中止条件表は、朝から嫌な顔をしていた。


 もちろん、紙に顔はない。


 だが、広間の机に広げられたその大紙は、どう見ても「ここから先は甘くないぞ」と言っているようだった。


 成功率は出ない。


 危険度の高・中・低も出さない。


 代わりに作るのは、止まる条件。


 進めるための言葉ではない。

 止めるための言葉。

 誰かが「もう少しだけ」と言い出した時、その手を押さえるための言葉。


 トマは紙を見下ろし、唇を尖らせた。


「これ、完成したら読むだけで疲れそうですね」


 ダリオさんは豆を一粒噛んだ。


「読んで疲れるくらいでいい。実際に壊してから疲れるよりましだ」


「まし、って言葉、最近重いですね」


「戻すよりはましだ、のせいだな」


「あれ、もう忘れられないですよ」


「忘れるな」


 ニコルは大紙の上部に、昨日の見出しをもう一度濃く書いた。


『命令核分離第一仮手順・中止条件表』


 その下に赤字。


『失敗した時ではなく、失敗する前に止める』


 村長がそれを見て頷く。


「よい。今日は、その紙を逃げ道にする」


 トマが首を傾げた。


「紙を逃げ道に?」


「そうじゃ。いざという時、人は言葉を失う。ならば、先に紙へ逃げ道を書いておく」


 ニコルが小さく頷き、余白に書いた。


『紙へ逃げ道を書いておく』


 ダリオさんが少し笑った。


「その表現、王都には通じにくいが、リベル村には通じる」


 セリアが言った。


「薬草の手順書も似ています。慌てた時に読めるように、先に“触らない”と書いておきます」


 ハンナが横で頷く。


「セリアさんは、慌てると逆に静かになりますけど」


「それは悪いことではありません」


「でも、静かすぎると怖いです」


 ミラが記録板を抱えて、真面目に言った。


「セリアさんが静かすぎる場合も、中止条件ですか?」


 セリアが目を瞬かせた。


「私ですか」


 トマが笑いをこらえながら言う。


「人員状態に入るかも」


 ダリオさんは冗談にせず、真顔で頷いた。


「入る。薬草担当が静かすぎる時は、何かを見ているか、何かを我慢している」


 セリアが少し困った顔をした。


「そこまで見なくても」


 ニコルはもう書いていた。


『薬草担当が静かすぎる場合、確認。観察集中か、異常我慢かを分ける』


 セリアは諦めたように息を吐いた。


「……分けてくれるなら、いいです」


 朝の中央井戸では、いつもの報告が行われた。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。中止条件表作成開始後、継続異常なし」


 副記録係の声は、少し緊張していた。


 ニコルが頷く。


「よいです」


 井戸番から通信が入る。


『井戸の中止条件を決めるなら、まず“連続揺れ”だ』


 ダリオさんが聞く。


「一度の揺れではなく?」


『一度の揺れは、桶でも風でも子どもの足音でも起こる。だが、同じ間で続けて揺れるなら、井戸が何かを受けてる』


 ニコルが記録する。


『中央井戸:水面連続揺れ。一定間隔で二度以上。原因不明の場合、中止候補』


 トマが聞いた。


「二度で中止ですか?」


 井戸番は少し考えた。


『二度で声を上げる。三度で止める。けど、二度目の時点で“たぶん大丈夫”って言う奴がいたら、その場で止めろ』


 広間に変な沈黙が落ちた。


 トマがゆっくり言う。


「“たぶん大丈夫”は危険語ですね」


 ニコルが赤字で追加した。


『井戸水面二度揺れ時に“たぶん大丈夫”発言が出た場合、即時停止』


 ダリオさんが頷く。


「いい。反応より先に、人が危ない」


 井戸番は続けた。


『あと、濁りより匂いだ。井戸は濁る前に匂う時がある。嫌な鉄の匂い。湿った灰の匂い。そういう時は水を汲むな』


 セリアが反応する。


「湿った灰の匂い……薬草帯の灰化と繋がるかもしれません」


 ニコルが書く。


『中央井戸:湿った灰の匂い、鉄臭、原因不明の水面遅れ。水汲み停止。命令核作業中止候補』


 トマは井戸を見た。


「水面の遅れって、見分けられるんですか」


 井戸番は短く答える。


『毎日見ていればな』


 それは、王都の測定器では拾えない言葉だった。


 毎日見ていれば分かる。


 その一文を、ニコルは赤字ではなく普通の墨で書いた。


 強調しなくても重い言葉だった。


 広間に戻り、次は旧水路の条件を詰めることになった。


 トマが前へ出た。


 妙に背筋が伸びている。


「旧水路班から。第一中止条件は、灰青再発です。浅層緩衝線の外側に灰青点が出た場合。水路内に戻った場合は即停止。あと、水量板周囲の冷え。水量板には触りません。見て、記録して、離れます」


 ニコルが書く。


『旧水路:灰青再発。浅層緩衝線外側灰青点。水路内灰青戻り。水量板周囲冷え。水量板未操作。即時停止または中止候補』


 ダリオさんが確認する。


「青根布箱は?」


 トマは少しだけ表情を硬くした。


「使用済み青根布箱の湿り戻り。箱外側の灰色点増加。乾燥札の変色。保管場所の風向き変化。誰かが“念のため開けて確認しよう”と言った場合、止めます」


 ニコルが赤字で書く。


『“念のため開ける”発言は即時停止』


 トマは、その文字を見て少し苦く笑った。


「これ、俺が言いそうだった言葉なんですよね」


 ダリオさんが言う。


「だから良い中止条件だ」


「自分の危なさが紙になるの、変な感じです」


「変でいい。自分の危なさを自分で紙に置ける奴は、まだ止まれる」


 トマは少し照れたように頭をかいた。


「褒められてます?」


「半分な」


「残り半分は?」


「監視対象だ」


「ですよね」


 旧水路副記録係が静かに手を上げた。


「班長が箱を二回以上続けて見た場合、声をかけます」


 トマが振り返る。


「お前、そこ言う?」


「必要なので」


 ニコルが少しだけ嬉しそうな顔をした。


 トマは頭を抱えた。


「みんな“必要なので”って言うようになってきた……」


 ダリオさんが笑った。


「良い感染だ」


 次は北沢石列だった。


 マルタの通信は、朝から声が強かった。


『石列の条件は三つじゃ足りないよ』


 ニコルが筆を構える。


「お願いします」


『冷え急上昇。石の間の草が白く寝る。曲がり角一石の影が北へ伸びる。霜もないのに縁が白い。小鳥が石列を越えずに回る。若いのが石を真っすぐにしたそうな顔をする。王都の奴が“配置補正”と言ったら、その場で通信を切りな』


 トマが吹き出しかけ、途中で止まった。


 笑い話に聞こえるが、笑えない。


 配置補正。


 いかにも王都が言いそうだった。


 ニコルは赤字で書く。


『“配置補正”発言は危険語。北沢石列作業即停止』


 ダリオさんが頷く。


「非常に良い」


 マルタが言う。


『石は曲がってるんじゃない。逃がしてるんだ。それを補正されたら、石も怒るよ』


 トマが聞く。


「石、怒るんですか」


『あんた、冷えた石に足を乗せてみな。怒ってるかどうか分かる』


「乗りません」


『ならよし』


 リーゼさんが壁際で短く言った。


「石を怒らせない」


 ニコルが書きかけたが、ダリオさんが止める。


「それは現場語彙欄だ」


「はい」


 セリアが少し笑った。


「現場語彙欄、厚くなってきましたね」


 村長が言う。


「厚い方がよい。現場の言葉が薄い手順は、王都の風で飛ぶ」


 ニコルはそれも書いた。


 今度は誰も止めなかった。


 ミード薬草帯の条件は、老女が主導した。


『根の灰化進行。葉先の巻き。土の湿り戻り。虫が逃げる。孫娘が黙る。わしが怒鳴る前に止める。あと、薬草を見た王都の若いのが“まだ青いですね”と言ったら、作業を止めてそいつに草むしりをさせな』


 王都地図職人班が通信の向こうで少し咳き込んだ。


 トマは肩を震わせた。


 セリアは真面目だった。


「“まだ青い”は危険語です。青いことと、耐えられることは別です」


 ニコルが赤字で書く。


『“まだ青い”発言は危険語。薬草帯を使用可能と誤認する恐れ』


 ハンナが言った。


「セリアさんも、“まだ大丈夫です”って言われると怒ります」


 セリアが否定しなかった。


「怒ります」


 ミラが記録する。


『セリア、“まだ大丈夫”に怒る』


「ミラ」


「すみません。現場語彙欄です」


 トマが笑った。


「便利だな、現場語彙欄」


 ダリオさんが豆を噛む。


「便利だが、逃げ場にするなよ」


 青根布の項目に入ると、広間は少し静かになった。


 トマにとっても、セリアにとっても、青根布はただの道具ではない。


 使った記憶がある。


 使わなければならなかった記憶がある。


 セリアがゆっくり読み上げた。


「青根布隔離箱の中止条件。箱の湿り戻り。箱外側の灰色点増加。乾燥札の変色。保管場所の風通し変化。使用済み布と予備布の混同。予備布除外札の脱落。誰かが“少し広げて乾かそう”と言った場合、即停止」


 ニコルが赤字で書く。


『“少し広げる”発言は即停止』


 トマが静かに言った。


「あと、“使ったから悪かったのでは”みたいな言い方が出た場合も、止めたいです」


 広間が静かになった。


 トマは続ける。


「責める空気が出ると、次に必要な時に使えなくなるって、ニコルが言ってたので。だから、作業中に誰かが、使用済み青根布を失敗扱いする言葉を出したら、止める。説明し直す」


 ニコルは一瞬だけ目を伏せ、それから書いた。


『青根布使用を失敗扱いする発言が出た場合、作業停止。用途を再説明。使用者を責めない』


 ダリオさんが小さく言った。


「いい。人を守る条件だ」


 トマは照れくさそうに視線を逸らした。


「道具の条件だけじゃ足りないと思って」


 セリアが優しく言う。


「足りません。人が使うものですから」


 森退避路と空白地帯の項目になると、リーゼさんが地図の前へ出た。


 普段より少しだけ、言葉が多かった。


「鳥が消える。小鳥が空白上を避ける。草影が白い。足元の影が冷たい。霜がないのに白い。近道に見える。早く抜けたくなる。走りたくなる。誰かが“見えるところまでなら”と言う。これ全部、止める」


 ニコルが書いていく。


 トマが途中で口を挟んだ。


「“見えるところまでなら”って、駄目なんですね」


 リーゼさんは即答した。


「見えたら、もう一歩行く」


 トマは黙った。


 身に覚えがある顔だった。


 ダリオさんが言う。


「見えるところまで、は危険語だ。見えたものは人を引く」


 ニコルが赤字で書く。


『“見えるところまでなら”は危険語。空白地帯接近即停止』


 村長が低く言った。


「森は、見えるところで止まらぬ。止まるのは、見える前じゃ」


 黒石祠封印層と命令核癒着反応は、俺とダリオさんが中心になった。


 中枢室の表示を元に条件を並べる。


「水腐れ封印層圧変動。灰青反応上昇。封印層と命令核の境界表示の滲み。命令核癒着反応の不自然な低下または上昇。命令網逆流表示。命令補助印類似反応。黒紫線増加。表示遅延。中枢室が沈黙した場合」


 トマが顔を上げる。


「沈黙も?」


 俺は頷いた。


「沈黙もです。反応がないのではなく、反応できない可能性がある」


 ダリオさんが続ける。


「異常表示だけが異常ではない。出るべき表示が出ないのも異常だ」


 ニコルが赤字で書いた。


『沈黙も異常候補』


 トマは眉を寄せた。


「怖い条件が増えた」


「怖いから条件にする」


 ダリオさんはそう言い、少しだけ声を落とした。


「特に、命令核癒着反応の低下には注意だ。下がったから進むな。不自然に下がったら止める」


 ニコルが書く。


『癒着反応低下は進行条件ではなく停止条件』


 王都側要求逸脱の項目では、場の空気が少し変わった。


 これは、外縁や魔導反応ではない。


 王都とのやり取りそのものを中止条件に入れるということだ。


 ニコルが読み上げる。


「王都側要求逸脱。復元杭提案の再発。青根布常設案。命令戻し線最低限使用案。成功率要求の再発。危険度段階評価を実施許可として扱う発言。現地判断前の試験提案。防衛局単独指示」


 防衛局側の通信が、少しざわついた。


 トマが気まずそうな顔をしたが、ダリオさんは平然としていた。


「書け」


 ニコルは書いた。


 外部監査部が通信で言った。


『外部監査部としても、王都側要求逸脱を中止条件に入れることを支持する。特に防衛局単独指示は不可』


 防衛局側は沈黙していた。


 村長が言った。


「王都を疑っておるのではない。王都も人じゃ。人は急ぐ」


 ダリオさんが続ける。


「だから、王都にも止まる紙が要る」


 ニコルは赤字で書いた。


『王都にも止まる紙が要る』


 最後に、人員状態の項目が残った。


 これが、思ったより重かった。


 トマが言う。


「疲労、睡眠不足、怒り、焦り、手順を飛ばしたい感じ、ですかね」


 ダリオさんが頷く。


「あと、沈黙しすぎる者。喋りすぎる者。冗談が出なくなる者。冗談しか言わなくなる者」


 トマが顔をしかめた。


「冗談しか言わなくなるのも?」


「ある。怖い時に、ずっと茶化す奴がいる」


 トマは黙った。


 たぶん自分を思い浮かべた。


 セリアが言った。


「誰かが“自分だけなら大丈夫”と言った場合も止めたいです」


 ニコルが赤字で書く。


『“自分だけなら大丈夫”は危険語』


 ミラがそっと言った。


「“私が見てきます”も危険ですか」


 リーゼさんが短く答える。


「危険」


 ハンナが続ける。


「“迷惑をかけたくないので”も危険だと思います」


 セリアが静かに頷く。


「危険です」


 ニコルは一つずつ書く。


『私が見てきます』

『自分だけなら大丈夫』

『迷惑をかけたくないので』

『今止めると申し訳ない』

『ここまで来たのに』

『あと少し』


 トマがその赤字の並びを見て、低く言った。


「魔導反応より、人間の言葉の方が刺さる」


 ダリオさんが答える。


「一番事故を起こすのは、だいたいそこだ」


 中止条件表は、夕方には机からはみ出すほどになった。


 トマがそれを見て、とうとう言った。


「始める条件より、止める条件が多いですね」


 ダリオさんは待っていたように頷いた。


「それでいい」


 その声には迷いがなかった。


「始める条件が多くて止める条件が少ない手順は、進むための手順だ。俺たちが必要なのは、戻れる手順だ」


 ニコルが赤字で書いた。


『始める条件より、止める条件が多くてよい』


 中枢室への仮登録は、夜の手前に行われた。


 大紙の内容を一度に入れすぎないよう、項目ごとに区切る。


 中央井戸。

 旧水路。

 北沢石列。

 ミード薬草帯。

 青根布。

 森退避路。

 黒石祠封印層。

 命令網逆流。

 王都側要求逸脱。

 人員状態。

 危険語。


 表示は長く、重かった。


《中止条件表:登録進行》

《井戸水面連続揺れ:登録》

《旧水路灰青再発:登録》

《北沢石列冷え急上昇:登録》

《薬草根灰化進行:登録》

《青根布箱湿り戻り:登録》

《森退避路白影兆候:登録》

《命令網逆流表示:即時停止》

《王都側要求逸脱:停止条件》

《人員危険語:停止条件》

《第一仮手順:中止条件優先》


 俺は読み上げた。


「中止条件表、登録進行。井戸水面連続揺れ、登録。旧水路灰青再発、登録。北沢石列冷え急上昇、登録。薬草根灰化進行、登録。青根布箱湿り戻り、登録。森退避路白影兆候、登録。命令網逆流表示、即時停止。王都側要求逸脱、停止条件。人員危険語、停止条件。第一仮手順、中止条件優先」


 広間から通信で聞いていたトマが、小さく言った。


『命令網逆流表示は、即時停止なんですね』


 ダリオさんが答える。


「当然だ。議論しない。確認しない。止める」


『分かりました』


 ニコルが追加登録をしようとした、その時だった。


 中枢室が、まだこちらが入力していない項目を表示した。


《追加必須項目》

《ダリオ・ヴェント本人判断停止》

《理由:過去記録、除名処分、カリム系資料、杭抜去処置との心理的接続》

《本人判断過負荷時:村長停止権推奨》


 空気が止まった。


 ダリオさんは、表示を見上げたまま動かなかった。


 トマの声も通信から聞こえない。


 ニコルの筆が、紙の上で止まる。


 セリアが静かに息を吸った。


 村長が広間から低く言う。


『読め』


 俺は、喉が少し乾くのを感じながら読み上げた。


「追加必須項目。ダリオ・ヴェント本人判断停止。理由、過去記録、除名処分、カリム系資料、杭抜去処置との心理的接続。本人判断過負荷時、村長停止権推奨」


 沈黙。


 長い沈黙。


 ダリオさんは、ようやく椀の中の豆を一粒つまんだ。


 けれど食べなかった。


「中枢室まで、それを言うか」


 その声は怒っていなかった。


 だが、痛そうだった。


 ニコルが小さく言う。


「項目には、昨日入れました」


「分かっている」


 ダリオさんは、豆を椀に戻した。


「分かっていたが、表示されると腹が立つな」


 トマの声が通信から入る。


『ダリオさん……』


「慰めるな。余計腹が立つ」


『はい。じゃあ、慰めません』


「素直でよろしい」


 少しだけ、空気が動いた。


 セリアが言った。


「ダリオさんを疑う条件ではありません」


 ダリオさんは短く笑った。


「そう言われても、疑われている気分にはなる」


 ニコルが静かに答えた。


「はい。そう感じることも記録します」


「するのか」


「必要なので」


 ダリオさんは、今度こそ豆を食べた。


「本当に厄介な記録係になったな」


「仮です」


「こんな時まで仮をつけるな」


 村長の声が通信から入った。


『今日は、そこまでじゃ。項目だけ置く。明日、話す』


 ダリオさんは目を閉じた。


 それから、ゆっくり頷いた。


「分かった」


 夜、俺は個人記録を書いた。


『中止条件表作成。

中央井戸:水面連続揺れ、湿った灰の匂い、鉄臭、水面遅れ、井戸縁印冷え。二度揺れで声を上げ、三度で停止。二度目時点で“たぶん大丈夫”発言が出た場合即時停止。

旧水路:灰青再発、水路内灰青戻り、水量板周囲冷え、青根布箱湿り戻り、乾燥札変色、“念のため開ける”発言。

北沢石列:冷え急上昇、石間草の白化、曲がり角一石の影異常、小鳥回避、“配置補正”発言。

ミード薬草帯:根灰化進行、葉先巻き、土の湿り戻り、虫の逃避、“まだ青い”発言。

青根布:箱湿り戻り、灰色点増加、予備布混同、“少し広げる”発言、使用済み青根布を失敗扱いする発言。

森退避路:草影白化、足元の影冷感、近道に見える、早く抜けたくなる、“見えるところまでなら”発言。

黒石祠・命令核:封印層圧変動、癒着反応不自然低下または上昇、命令網逆流表示、黒紫線増加、中枢室沈黙。

王都側要求逸脱:復元杭提案、青根布常設案、命令戻し線最低限使用案、成功率要求再発、防衛局単独指示。

人員危険語:“早く”“少しだけ”“念のため”“大丈夫だろう”“自分だけなら大丈夫”“私が見てきます”“迷惑をかけたくないので”“ここまで来たのに”“あと少し”。

中枢室表示:命令網逆流表示は即時停止。王都側要求逸脱、人員危険語も停止条件。

追加必須項目:ダリオ・ヴェント本人判断停止。理由、過去記録、除名処分、カリム系資料、杭抜去処置との心理的接続。本人判断過負荷時、村長停止権推奨。詳細は次回』


 最後に書く。


『中止条件。

今日、紙はどんどん厚くなった。

始める条件より、止める条件が多い。

トマはそう言った。

ダリオさんは、それでいいと答えた。

本当に、その通りだと思う。

止まれない手順は、願望だ。

止まれる手順だけが、作戦になる。

井戸の揺れ。

旧水路の灰青。

石の冷え。

根の灰化。

青根布箱の湿り。

森の白影。

命令網逆流。

王都の逸脱。

そして、人の言葉。

早く。

少しだけ。

念のため。

大丈夫だろう。

ここまで来たのに。

あと少し。

その言葉は、きっと魔導反応より早く出る。

だから記録する。

責めるためではない。

止まるために。

だが、最後に中枢室は、もっと重い条件を出した。

ダリオ・ヴェント本人判断停止。

ダリオさんの過去、除名、カリム、杭抜去処置。

すべてが今回の作戦に繋がっている。

だから、ダリオさん自身も中止条件になる。

疑っているのではない。

でも、本人には疑われているように感じる。

それもまた、人間の面倒くささだ。

今日は項目だけ置いた。

明日、その話をする。

命令核を止める前に、俺たちは人の心が止まれる場所も作らなければならない。』


 地上では、水車が回っている。


 止まる条件は増えた。


 その最後に、人の名前が書かれた。


 ダリオ・ヴェント。


 紙の上のその文字は、どの魔導反応よりも、広間を静かにさせた。

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