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「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第184話 青根布は戻さない

 青根布は、戻してはいけない。


 それは、リベル村ではもう何度も確認してきたことだった。


 使った青根布を、水へ戻さない。

 土へ埋めない。

 焼かない。

 根へ戻そうとしない。

 乾かして、隔離して、札をつけて、見すぎない。


 そうしてきた。


 そうするしかなかった。


 だが、それが本当に古い技法として正しいのかどうかまでは、まだ分かっていなかった。


 分からないまま、現場の反応を見て決めてきた。


 灰青反応。

 水腐れ系微圧。

 浅層土壌。

 青根緩衝帯。

 薬草の疲労。

 使った布の沈黙。


 そして昨日、オルド外縁覚書はミード旧薬草緩衝帯について語った。


『腐り水を土へ深く入れるべからず。根浅き草にて受け、根走りにて横へ逃がす』


『三度受けし帯は一季休ませよ。根色灰を帯びれば抜くな。眠らせよ』


『過負荷の兆しあらば、人を退けよ。草に勝たせるな。草は逃げ道なり』


 そこまで読まれたところで、文書保存官は作業を止めた。


 下段には、小見出しだけが見えていた。


『布にした根……』


 青根布のことだろう。


 誰もがそう思った。


 だからこそ、今朝の広間には妙な緊張があった。


 水路でもない。

 井戸でもない。

 石でもない。

 今日は、あの一枚の布の話になる。


 旧水路で使った青根布。


 灰青反応を水へ戻さず、浅層土壌に留めた一枚。


 トマが、失敗ではなく「逃げる時間を作った」と記録させた一枚。


 その扱いに、覚書が答えを出すかもしれない。


 朝の中央井戸では、副記録係が読み上げた。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。ミード旧薬草緩衝帯、根系逸流構造確認後、継続異常なし」


 ニコルが頷いた。


「よいです」


 トマは、いつもより口数が少なかった。


 井戸の水面を見ているようで、たぶん見ていない。


 頭の中は旧水路の隔離棚にある青根布箱でいっぱいなのだろう。


 ニコルが声をかけた。


「トマさん」


「ん?」


「今日は旧水路の青根布箱を開けません」


「分かってる」


「見るだけでも近づきすぎません」


「分かってる」


「気になりますか」


「めちゃくちゃ気になる」


 トマは隠さなかった。


「だってさ、あれ、俺が使う判断に関わった布だろ。使った後も、水へ戻すな、埋めるな、焼くな、箱に入れろって、何度も言ってきた。正しいと思ってやったけど、やっぱり腹の底では怖いんだよ」


 ニコルは筆を持ったまま、静かに聞いていた。


 トマは続ける。


「もし覚書に、布は使ったあと川で洗えとか、土へ戻せとか書いてあったらどうするんだろうって」


「その可能性は低いと思います」


「分かってる。でも、怖いもんは怖い」


 セリアが少し遅れて井戸前に来て、その言葉を聞いた。


「怖いと言えるのは、大事です」


 トマが苦笑する。


「セリアも昨日怖いって言ってたもんな」


「はい。だから分かります。自分が守るために選んだ処置に、後から古い記録が答えを出すのは……怖いです」


 ニコルはそこでようやく記録した。


『青根布項目確認前。トマ、使用判断への不安あり。セリア、後から答えが出る怖さに同意』


 トマはそれを見て、眉を下げた。


「俺の不安、正式記録入りか」


「大事です」


「最近それ言えば何でも書けると思ってない?」


「思っていません。必要だから書いています」


「強いな、記録係」


 ニコルは少しだけ笑った。


 広間には、旧水路班、薬草班、村長、ダリオさん、リーゼさんが集まった。


 今日は旧水路と薬草予定地の両方が重要になる。


 王都覚書開封室。

 リベル村地下工房中枢室。

 ミード旧薬草帯。

 旧水路。

 薬草予定地。

 使用済み青根布隔離箱。


 ただし、隔離箱は開けない。


 それが今日の最重要事項だった。


 村長は机の上に木札を置いた。


『布を戻さない』


 続けて、もう一枚。


『箱を開けない』


 トマがその二枚を見て、深く頷いた。


「はい」


 ダリオさんが言う。


「今日は布の意味を読む日であって、布を確かめる日ではない」


 セリアも頷いた。


「青根布は、根ではありません。根だったものを布にした時点で、もう元の薬草帯には戻せないはずです」


「それを覚書で確認する」


 ダリオさんは机の資料を整えた。


「ただし、確認できても処置を急に変えるな。特に、使用済み布の反応が弱まったとしても、隔離を解かない」


 トマが顔を上げる。


「弱まること、あるんですか?」


「照合で弱まる可能性はある。名前が合い、扱いが合うと、封印反応や外縁反応が落ち着くことがある」


「じゃあ、弱まったら安全?」


「違う」


 ダリオさんは即答した。


「弱まったことと、安全になったことは別だ」


 ニコルが書く。


『反応低下と安全確認は別』


 トマはしっかり頷いた。


「分かった。弱まっても箱は開けない」


「そうだ」


 午前、王都覚書開封室から通信が入った。


『王都覚書開封室より。三枚目下段、“布にした根”項目の視認を開始します。文書本体は箱内保持。保存官判断で、見える範囲のみ判読。布項目は劣化少。ただし墨が薄いため、短く区切って読み上げます』


 ニコルが復唱する。


『三枚目下段、布にした根項目。短く区切って読み上げ』


 旧水路のトマ班へ通信が繋がる。


『旧水路、状態をお願いします』


 トマの声。


『旧水路、上流灰青なし。緩衝線安定。水量板未操作。使用済み青根布隔離箱、外部漏出なし。封札剥がれなし。箱は開けていません』


 セリアが薬草予定地から報告する。


『薬草予定地、傷洗い草本株、青反応微弱。二本目新芽、倒伏なし。青根布未使用。予備布箱、灰色点の出た布は除外管理済み。箱は開けません』


 ミード村。


 孫娘の声。


『旧薬草帯、葉は安定。祖母、根は見ていません』


 老女の声が横から入る。


『布の話なら、なおさら根を触るんじゃないよ。根と布は違うんだからね』


 セリアが静かに頷く。


『はい』


 王都側の声が届く。


『判読開始。“布にした根は、二度と根へ戻すべからず”』


 広間の空気が止まった。


 トマの息を呑む音が通信越しに聞こえる。


 セリアは目を閉じた。


 中枢室の表示が走る。


《布化根項目:照合開始》

《青根布運用:照合》

《根系復帰禁止:確認》

《使用済み布:隔離維持推奨》


 俺は読み上げた。


「布化根項目、照合開始。青根布運用、照合。根系復帰禁止、確認。使用済み布、隔離維持推奨」


 トマの声が小さく入った。


『戻さない……合ってた』


 ニコルは筆を止めなかった。


 王都側が次を読む。


『続き。“水に戻せば、受けしものを水へ返す”。さらに、“土へ埋めれば、受けしものを土へ返す”。』


 ダリオさんが低く言った。


「だから戻すな、だ」


 セリアが続ける。


「水へも、土へも返してはいけない……」


 王都側。


『次。“火に投ずれば、煙にて散る”。続き、“ゆえに焼くべからず”。』


 ハンナが薬草予定地から、震えた声で言った。


『焼いても駄目なんですね』


 セリアが答える。


『はい。燃やせば消えるわけではなく、散る』


 ダリオさんが通信へ入る。


「よく聞け。焼却不可の根拠が出た。使用済み青根布は、燃やすな。埋めるな。洗うな。水へ戻すな」


 ニコルが大きく書く。


『使用済み青根布:水戻し不可、土中埋設不可、焼却不可』


 王都側の読み上げは続く。


『“乾かし、風を避け、石床より離し、浅き箱に眠らせよ”。続き、“湿りを戻すな。黒土を与えるな”。』


 トマが旧水路から言った。


『乾燥隔離……』


 セリアが続ける。


『石床より離す、浅き箱……今の隔離箱は木棚の上です』


 ニコルが確認する。


『旧水路、隔離箱の位置をお願いします』


 トマの声。


『水車小屋奥、木棚二段目。床から離しています。箱は浅い木箱。内側に乾燥布。湿りなし。黒土なし』


 ダリオさんが頷く。


「かなり合っている」


 トマは通信越しに、少しだけ笑った。


『よかった。箱、変な置き方してなくて』


「変どころか、良い置き方だ」


 ダリオさんが言うと、トマは黙った。


 褒められて照れたのかもしれない。


 王都側。


『次。“三日見て、七日触れず、二十一日風を避けよ”。続きは不明瞭。保存官判断では、使用後初期管理期間に関する記述と見られます』


 ニコルが復唱する。


『三日見て、七日触れず、二十一日風を避けよ』


 トマが言う。


『三日見るって、見すぎないってことですかね』


 ダリオさんが答える。


「おそらく、最初の三日は外部漏出や湿り戻りを確認する。七日は開けて触らない。二十一日は風を当てない。そんな意味だろう」


 セリアが頷く。


「今の管理でも、初期確認後は開けずに隔離しています」


 ミラが薬草予定地から言った。


『見すぎない、にも根拠が出ましたね』


 ニコルが書く。


『初期確認後、開封・接触不可。風避け期間あり』


 王都側の声が、少しだけ慎重になった。


『下段に短文あり。墨薄いですが、判読可能。“布は勝つためにあらず”。』


 広間の全員が、その続きを待った。


 王都側。


『“逃げる時を買うものなり”。』


 トマの声が消えた。


 旧水路の水音だけが、通信の奥からかすかに聞こえた。


 布は勝つためではない。


 逃げる時を買うもの。


 あの日、トマは言った。


 青根布を使ったから失敗ではない。

 逃げる時間を作った。


 その言葉が、古い覚書の中にあった。


 違う言い方で。


 でも、同じ意味で。


 中枢室が明るく反応した。


《青根布目的:照合》

《撤退時間確保具:確認》

《旧水路青根布使用:適正処置》

《水路復帰禁止:確認》

《乾燥隔離:維持》


 俺は少し声が詰まりそうになりながら、読み上げた。


「青根布目的、照合。撤退時間確保具、確認。旧水路青根布使用、適正処置。水路復帰禁止、確認。乾燥隔離、維持」


 ニコルが広間で復唱した。


『旧水路青根布使用、適正処置』


 トマは、しばらく何も言わなかった。


 誰も急かさなかった。


 やがて、通信の向こうで、トマが小さく笑った。


『……使ったから、失敗じゃなかったんですね』


 ダリオさんが答える。


「そうだ」


『あの時、布を出したら負けみたいな気が少ししてて。でも、出さなかったら、水に戻ってたかもしれない。逃げる時間、買えてたんですね』


「ああ」


 トマは、今度ははっきり言った。


『旧水路班、記録訂正なし。青根布一枚使用は適正処置。逃げる時を買った。水へ戻さず、浅層土壌で受け、乾燥隔離継続』


 ニコルはその言葉を、一字ずつ丁寧に書いた。


 セリアは目元を押さえた。


 ハンナが小声で言う。


『セリアさん、今日は泣いてますね』


『……少しだけです』


 ミラが優しく言った。


『記録しません』


 トマが通信越しに言った。


『それは書いてもいいんじゃないか』


 セリアが即座に返す。


『駄目です』


 広間に、少しだけ笑いが生まれた。


 けれど、その笑いは軽すぎなかった。


 ずっと抱えてきた不安が、少しだけほどけた時の笑いだった。


 王都側の文書保存官が続けた。


『布項目、可視範囲はここまで。下部に保存手順らしき細字あり。ただし本日はこれ以上の視認を推奨しません』


 村長が頷いた。


『中止せよ。文書を休ませる』


 王都側。


『了解。箱内保全へ戻します』


 その直後だった。


 旧水路の副記録係が声を上げた。


『使用済み青根布隔離箱、携帯札反応に変化』


 広間の空気が引き締まる。


 トマの声がすぐに入った。


『全員、箱から一歩下がれ。開けるな。副記録係、札表示だけ読め』


 副記録係が読み上げる。


『使用済み青根布隔離箱。灰青反応、微弱残留から極微弱へ低下。外部漏出なし。湿り戻りなし。乾燥隔離維持』


 ニコルが復唱する。


『灰青反応、極微弱へ低下。外部漏出なし。湿り戻りなし』


 ダリオさんがすぐ言った。


「開けるな」


 トマが即答する。


『開けません』


「箱を動かすな」


『動かしません』


「安全になったと判断するな」


『しません。反応低下と安全確認は別』


 ダリオさんが満足そうに頷いた。


「よし」


 セリアが薬草予定地から言う。


『覚書照合で、布の扱いが合ったために反応が落ち着いた可能性があります。でも、隔離は継続です』


 ミードの老女が通信へ割り込んだ。


『当たり前だよ。寝ついた根を、寝顔が静かだからって起こす馬鹿がいるかい』


 トマが笑った。


『いません』


『なら、箱も開けるな』


『はい』


 ニコルは記録した。


『寝ついた根を、寝顔が静かだから起こさない。使用済み布も同じ』


 午後、使用済み青根布の管理手順が正式に更新された。


 ただし、実際の作業は変えない。


 記録上の根拠が増えただけだ。


『使用済み青根布管理手順・暫定正式版』


 一、使用後、水へ戻さない。

 二、土へ埋めない。

 三、焼かない。

 四、洗わない。

 五、根へ戻さない。

 六、浅い木箱に入れ、乾燥隔離。

 七、石床へ直置きしない。

 八、湿りを戻さない。

 九、黒土を入れない。

 十、初期三日、外部漏出・湿り戻り確認。

 十一、七日触れず。

 十二、二十一日風を避ける。

 十三、反応が弱まっても開けない。

 十四、安全判断は別途行う。


 トマがその一覧を眺めて言った。


「ほとんど、今やってたことですね」


 セリアが頷いた。


「はい。けれど、根拠が戻りました」


 ニコルが言う。


「現場判断に、古い技法の裏づけがつきました」


 トマは少しだけ俯いた。


「よかった」


 ダリオさんがトマを見る。


「お前の判断は、悪くなかった」


「……はい」


「いや、そこは“悪くなかった”じゃなくて、“よかった”と言ってもいい」


 トマは顔を上げた。


 ダリオさんは、照れくさそうに豆の椀へ手を伸ばしながら言った。


「青根布を出す判断も、水へ戻さなかった判断も、隔離した判断も、全部よかった。七割くらい」


 トマが目を丸くする。


「七割なんですか」


「八割と言うと調子に乗る」


「乗りませんよ」


「乗る顔をしている」


 セリアが微笑んだ。


「では、私は九割と言っておきます」


 トマが今度こそ慌てた。


「やめてください。そっちの方が照れる」


 ニコルが小さく言う。


「記録しますか」


「絶対しないで」


「必要では?」


「必要じゃない」


 村長が低く笑った。


「では、村長記録には残しておこう」


「村長まで!」


 広間に久しぶりに明るい笑いが広がった。


 それでも、机の上の木札は動かない。


『布を戻さない』

『箱を開けない』


 笑っても、手順は緩めない。


 それが、この村の強さになりつつあった。


 夕方、王都へ報告を送った。


『オルド外縁覚書三枚目下段、布化根項目を確認。

“布にした根は、二度と根へ戻すべからず”

“水に戻せば、受けしものを水へ返す。土へ埋めれば、受けしものを土へ返す”

“火に投ずれば、煙にて散る。ゆえに焼くべからず”

“乾かし、風を避け、石床より離し、浅き箱に眠らせよ。湿りを戻すな。黒土を与えるな”

“三日見て、七日触れず、二十一日風を避けよ”

“布は勝つためにあらず。逃げる時を買うものなり”

中枢室表示:青根布運用照合、根系復帰禁止、撤退時間確保具、旧水路青根布使用適正処置。

使用済み青根布隔離箱は、覚書照合後に灰青反応が微弱残留から極微弱へ低下。外部漏出なし。ただし隔離継続。安全確認とは別』


 ニコルは最後に一文を足した。


『反応が落ち着いたことを理由に、箱を開けてはならない』


 ダリオさんが頷く。


「よい」


 夜、俺は個人記録を書いた。


『オルド外縁覚書三枚目下段、布化根項目確認。

使用済み青根布の水戻し不可、土中埋設不可、焼却不可、根系復帰禁止の根拠が確認された。

乾燥隔離、風避け、石床直置き禁止、黒土禁止、初期確認期間についても記述あり。

“布は勝つためにあらず。逃げる時を買うものなり”。

中枢室表示:青根布目的照合、撤退時間確保具確認、旧水路青根布使用適正処置、水路復帰禁止、乾燥隔離維持。

旧水路使用済み青根布隔離箱は、灰青反応が極微弱へ低下。外部漏出なし。湿り戻りなし。隔離継続。

トマ発言:使ったから失敗ではなかった。逃げる時を買った。

老女発言:寝ついた根を、寝顔が静かだから起こすな』


 最後に書く。


『青根布は戻さない。

根だったものを布にした時点で、もう根へは戻せない。

水へ戻せば、受けたものを水へ返す。

土へ埋めれば、受けたものを土へ返す。

焼けば、煙となって散る。

だから、乾かし、風を避け、浅い箱に眠らせる。

布は勝つためのものではない。

逃げる時を買うもの。

旧水路で青根布一枚を使った判断は、適正処置だった。

トマの“使ったから失敗じゃない”は、古い技法と同じ場所に立っていた。

その照合で、使用済み青根布の灰青反応は少し弱まった。

だが、箱は開けない。

反応が弱まったことと、安全になったことは違う。

寝ついた根を起こさない。

布は、眠らせる。

そして俺たちは、ようやく青根布を“戻さない理由”を手に入れた。』


 地上では、水車が回っている。


 旧水路の奥、浅い木箱の中で、使われた青根布は静かに眠っている。


 それは失敗の証ではない。


 逃げる時間を買った、確かな証だった。

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