↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「鑑定しかできない無能」と追放された俺、実は壊れた才能を直せる唯一の神職でした〜捨てられ聖女と辺境村を修理していたら、勇者より先に国を救ってしまった〜  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
175/242

第175話 覚書を待つ村

 待つ、というのは厄介な仕事だった。


 動いている時は、まだいい。


 井戸を見る。

 水量板を見る。

 薬草を見る。

 森の安全線を見る。

 記録を書く。

 王都へ返書を送る。


 手を動かしている間は、不安も怒りも、少しだけ形を持つ。


 けれど、待つ時間は違う。


 何かが起きるまで、こちらからは手を出せない。


 ローゼン侯爵家地方別邸の文書庫にあるかもしれない、オルド・ロッサ外縁覚書。


 外縁杭の本来構造を記したかもしれない紙。

 井戸縁反応印、石列冷却逸らし、旧薬草緩衝帯、旧水脈補助網の意味を繋ぐかもしれない紙。


 王都外部監査部は、リベル村と周辺三村の外縁杭記録を「生活技術に基づく観測証拠」として正式採用した。


 行政庁は、ローゼン侯爵家への提出命令を強化した。


 だが、現物はまだ出ていない。


 つまり、待つしかない。


 朝の中央井戸では、副記録係がいつものように読み上げた。


「朝。中央井戸、水温正常。水面揺れなし。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。オルド外縁覚書提出命令強化後、継続異常なし」


 ニコルが頷く。


「よいです」


 トマは井戸から少し離れた場所で、腕を組んでいた。


「井戸は待つの上手いよな」


 副記録係が首をかしげる。


「井戸が、ですか?」


「うん。ずっとそこにいて、水をためて、汲まれるまで待ってる」


 ニコルは少しだけ目を細めた。


「記録してもいいですか」


「今日はいい。待つ日の記録っぽい」


 ニコルは欄外へ書いた。


『トマ発言:井戸は待つのが上手い』


 トマは水面を見ながら続けた。


「でも俺は下手だ。待つのが一番疲れる」


「同感です」


 ニコルは珍しく即答した。


「記録を待つのも、返事を待つのも、かなり疲れます」


「だよな。動いてる方がましだ」


「でも、動かない方がよい時もあります」


「分かってる。分かってるけど、疲れる」


 ニコルは、その言葉も記録した。


『待つのが一番疲れる。動けない時間にも疲労がある』


 広間に戻ると、机の上には王都からの最新文書が置かれていた。


 新しい情報ではない。


 昨日の正式採用所見と、行政庁の提出命令強化文案。

 ローゼン侯爵家地方別邸文書庫の位置確認。

 文書保全のための立会人調整中という短い報告。


 つまり、まだ何も出ていない。


 村長はそれらを見て、静かに言った。


「今日は、待つ日じゃ」


 トマが椅子に座りながら言う。


「また休む日ですか」


「休むのとは少し違う。待つ」


「待つ方が疲れます」


「なら、その疲れも記録せよ」


 ニコルが頷いた。


「はい。待機疲労として記録します」


 トマが顔をしかめる。


「また新しい疲労名が」


 ダリオさんが豆の椀を置く。


「待機疲労は本当にある。何か起きるかもしれない時に、何もせず待つのは消耗する」


 セリアも薬草予定地の記録を抱えて頷いた。


「薬草も、回復を待つ時が一番気になります。つい触りたくなります」


 リーゼさんが壁際から短く言った。


「森でも同じ。足音がない時ほど耳が疲れる」


 その一言で、広間の全員が少し黙った。


 待つという仕事は、何もしないことではない。


 何かしたい気持ちを抑えることだった。


 ニコルは新しい紙を出した。


『覚書待機中の方針』


 一、追加調査はしない。

 二、現地確認は朝昼夕の通常範囲。

 三、旧水路隔離箱は開けない。

 四、青根布は作らない。

 五、薬草予定地は構いすぎない。

 六、北沢石列の接近制限継続。

 七、ハルマ古井戸の水汲み量は段階的に戻すが、急がない。

 八、ミード旧薬草帯の近接作業再開は老女判断。

 九、王都からの連絡を待つ。

 十、待機疲労を記録する。


 トマが最後の項目を見て、苦笑した。


「待機疲労、正式採用か」


「はい」


「じゃあ旧水路班、待機疲労あり。隔離箱が気になる。水量板も気になる。でも触らない」


 ニコルがそのまま書く。


『旧水路班:待機疲労あり。隔離箱・水量板が気になる。接触なし』


 トマはもう止めなかった。


「記録されると、逆に落ち着くな」


「どうしてですか」


「気にしてることを紙に置けるから、頭から少し降ろせる」


 ニコルは顔を上げた。


 そして、少し嬉しそうに書いた。


『気にしていることを紙に置くと、頭から少し降ろせる』


 ダリオさんが頷いた。


「いい。記録の本質だな」


 ニコルは少し赤くなった。


「トマさんの言葉です」


「今日はトマがよく働いてるな」


「待ってるだけですけど」


「待つのも仕事だ」


 午前中、各班は最低限の確認だけを行った。


 旧水路では、トマが副記録係と水車小屋前へ行った。


 隔離棚に置かれた使用済み青根布の箱は、昨日と同じ位置にある。


 札もそのまま。


『開けるな。動かすな。水に近づけるな』


 トマは立ち入り線の手前で止まり、息を吐いた。


「外部漏出、視認なし。箱、変位なし。封印札、剥がれなし」


 副記録係が書く。


「中の確認は?」


「しない。朝の携帯札確認だけ」


 携帯札を立ち入り線の外から向ける。


《使用済み青根布隔離箱》

《灰青反応:微弱残留》

《外部漏出:なし》

《隔離維持》


「灰青反応、微弱残留。外部漏出なし。隔離維持」


 副記録係が書き取った。


 トマは箱をじっと見そうになり、すぐ水車の方を向いた。


「よし。行くぞ」


「もうですか」


「見る時間じゃない。確認時間は終わり」


「気になりますね」


「気になる。だから行く」


 副記録係は頷いた。


『気になる。だから行く』


 その一文を、小さく記録板に残した。


 薬草予定地では、セリアが二本目の新芽の前でしゃがんでいた。


 今日は、昨日より少し葉が開いている。


 本株の疲労は微弱。

 一つ目の新芽も安定。

 二本目はまだ小さいが、昨日より頼りなくは見えない。


 それでも、触らない。


 ハンナが横から言う。


「セリアさん、今日は手が出てません」


「成長しました」


「自分で言いましたね」


「少しくらい言わせてください。触らないのは意外と大変です」


 ミラが記録する。


『セリア、接触自制。自己評価:成長』


「ミラさん」


「必要かと」


 セリアは小さくため息をつき、それから新芽へ向かって言った。


「今日は王都の紙を待っています。でも、あなたは気にしなくていいです。葉を開くのは、あなたの速度で」


 ハンナが微笑む。


「薬草にまで王都の話をしてます」


「聞かせているわけではありません」


「話しかけてますよ」


「声かけ程度は可です」


 ミラがまた書く。


『声かけ程度は可』


 セリアはもう諦めたように笑った。


「はい。可です」


 森入口では、リーゼさんが今日も赤杭の近くに座っていた。


 森奥へは行かない。


 第二安全線の冷えは微弱。

 灰色点の出た青根布箱は別管理。

 異常なし。


 だが、リーゼさんは耳を澄ませていた。


 護衛役の若者が言う。


「今日は静かですね」


「静かだ」


「静かだと、逆に疲れます」


「そうだ」


「リーゼさんもですか」


「耳が疲れる」


 若者は少し驚いた。


「耳が?」


「音がない時ほど、音を探す」


 若者はなるほどという顔をした。


「それ、記録しますか」


「ニコルへ言え」


「はい」


 そして、本当に昼の報告に入れられた。


『森班:静かな時ほど耳が疲れる。待機疲労あり』


 ニコルはそれを聞いて、深く頷いた。


「大事な記録です」


 昼前、三村からも報告が入った。


 ハルマ村。


『古井戸、水面静か。水汲み量、少し戻した。若い母親が、井戸番に“戻しすぎでは”と聞いた。井戸番は“井戸の顔を見て決める”と答えた』


 トマが笑った。


「井戸の顔」


 ニコルが書く。


『井戸の顔を見る:水面・濁り・匂い・汲み量の現地判断語』


 セリアが言う。


「現場語彙ですね」


 北沢集落。


『石列、冷え弱い。赤紐継続。若いのが“もう通っていいか”と聞いた。マルタが“石に聞け。返事がないならまだだ”と言った』


 トマは声を出して笑った。


「マルタさん、強すぎる」


 リーゼさんが頷く。


「良い」


 ニコルは記録する。


『石に聞け。返事がないならまだ:接近制限継続の現場語彙』


 ミード村。


『東側帯、葉ほぼ戻る。老女、“戻ったように見える時が一番触りたくなる。だから触るな”』


 セリアが深く頷いた。


「本当にそうです」


 ハンナが笑う。


「セリアさん向けですね」


「……否定できません」


 ニコルは記録した。


『戻ったように見える時が一番触りたくなる。だから触るな』


 昼食の時間になっても、王都からの新しい便は来なかった。


 トマは豆を噛みながら言った。


「待つの、やっぱり疲れる」


 ダリオさんが答える。


「豆を食え」


「食べてます」


「ならよし」


「解決が雑じゃないですか」


「待つ日は、雑なくらいでちょうどいい」


 ニコルが小さく笑った。


 それだけで、少し空気が軽くなった。


 午後は、台帳の整理に充てられた。


 オルド外縁覚書が出た場合に必要になる照合項目を、先に一覧化する。


 ただし、推測で埋めない。


 空欄を空欄のまま置く。


『オルド外縁覚書・到着時照合項目』


 一、外縁杭の定義。

 二、ハルマ古井戸との関係。

 三、北沢石列との関係。

 四、ミード旧薬草緩衝帯との関係。

 五、旧水量板および旧水路との関係。

 六、黒石祠封印層との関係。

 七、オルド・ロッサの立場。

 八、黒薔薇工房との関係。

 九、後世補修印の有無。

 十、カリム・ロッサとの関係。


 トマが最後の項目を見て、少し顔をしかめた。


「カリムの名前、ここにも出るんだな」


 ダリオさんが頷く。


「出る。だが、出るかどうかもまだ分からん」


「空欄?」


「空欄だ」


 ニコルがカリム欄に大きく空白を作った。


『カリム・ロッサとの関係:未確認』


 セリアが言った。


「空欄が大きいですね」


「はい」


 ニコルは答えた。


「埋めたくなるので、大きく空けておきます」


 ダリオさんが少し笑った。


「それも技術だ」


 夕方になっても、王都から覚書発見の報告は来なかった。


 代わりに、行政庁から短い連絡が入った。


『ローゼン侯爵家地方別邸文書庫の保全立会い調整中。侯爵家側は文書庫内整理の必要を主張。行政庁は立会いなしの整理を認めず。明日以降、再通知予定』


 トマが大きく息を吐いた。


「まだか」


 ニコルが記録する。


「まだです」


「待つのが一番疲れる」


「今日の題名にできそうですね」


「するな」


「しません」


 その日の夜、ようやく王都から緊急通信が届いた。


 日が落ち、水車の音が少し低く聞こえ始めた頃だった。


 広間には、最低限の人数だけが残っていた。


 村長。

 俺。

 ダリオさん。

 ニコル。

 トマ。

 セリア。

 リーゼさん。


 使者は馬から降りるなり、封書を差し出した。


 赤札ではない。


 だが、封書には「至急」の符号がある。


 村長が封を切り、俺に渡した。


 俺は読み上げた。


『王都行政庁より至急。

ローゼン侯爵家地方別邸文書庫において、オルド外縁覚書らしき木箱を発見。

箱外面に古い封印あり。文書名札の一部に“外縁覚……”の文字を確認。

ただし封印が古く、無理な開封は文書損傷および外縁杭反応を招く可能性あり。

開封には、リベル村中枢室との同時照合が必要と判断。

開封予定時刻の調整を求める』


 広間の空気が止まった。


 トマが低く言う。


「見つかった……」


 ニコルの筆が震えた。


「オルド外縁覚書らしき木箱……」


 セリアが両手を握る。


「外縁杭反応を招く可能性……」


 ダリオさんは椅子にもたれ、目を閉じた。


 そして、ゆっくり言った。


「待つ日は終わりだな」


 村長が杖を鳴らす。


「いや。今日はまだ動かぬ」


 トマが驚く。


「でも」


「開封は明日以降じゃ。今夜は準備だけ。焦って夜に開ける紙ではない」


 ダリオさんも頷く。


「村長の言う通りだ。王都金属資料ほど危険ではないだろうが、外縁杭に関わる。夜にやるな」


 ニコルは新しい紙を出した。


『オルド外縁覚書木箱発見。開封準備』


 トマがそれを見て、小さく笑った。


「ついに空欄が動きますね」


 ニコルは真剣に頷いた。


「はい。でも、空欄を急いで埋めないようにします」


 夜の個人記録に、俺はこう書いた。


『覚書を待つ一日。

旧水路、薬草予定地、森安全線、ハルマ、北沢、ミードの休止記録継続。待機疲労を記録。

オルド外縁覚書到着時照合項目を作成。カリム・ロッサとの関係欄は大きく空白。

夕刻まで現物発見報告なし。夜、王都行政庁より至急通信。ローゼン侯爵家地方別邸文書庫で、オルド外縁覚書らしき木箱を発見。外面封印あり。文書名札に“外縁覚……”の文字。封印が古く、無理な開封は文書損傷および外縁杭反応の恐れ。リベル村中枢室との同時照合が必要』


 最後に書く。


『待つのが一番疲れる。

今日、トマはそう言った。

待っている間、旧水路班は箱を見すぎないようにし、セリアは薬草に触りすぎないようにし、リーゼは森の静けさに耳を疲れさせ、ニコルは空欄を大きく残した。

そして夜、待っていた紙は木箱として現れた。

オルド外縁覚書らしきもの。

まだ開いていない。

まだ本物とは限らない。

けれど、外縁杭の古い記録が、ついに見つかったかもしれない。

明日、開封の準備をする。

今夜は、開けない。

待つことにも、終わり方がある。』


 地上では、水車が回っている。


 待つ日が終わり、開ける前夜が来た。


 リベル村の広間には、新しい台帳が開かれている。


 けれど、その最初の行はまだ空白だった。


 オルド外縁覚書。


 その名が、本物かどうかは、まだ誰も知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。