表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

156/173

第156話 王都の封印箱が軋む

 王都の封印箱が軋んでいる。


 その知らせは、紙の上の一文でしかなかった。


 けれど、リベル村の広間に置かれると、それは木箱の軋む音のように聞こえた。


 ローゼン侯爵家が持ち込んだ金属資料。


 黒薔薇工房系の旧式命令補助印と一致し、黒石祠残存命令核と遠隔共鳴する可能性がある危険物。


 それは今、王都で共同封印されている。


 開封はしていない。

 資料本体の露出もない。

 それでも、封印箱の外縁に微弱劣化が出た。


 中にある命令補助印が、箱の内側から何かを叩いているように。


 朝の中央井戸で、ニコルはいつもの記録に新しい一文を加えた。


「朝。中央井戸、水温正常。濁りなし。匂いなし。青反応、微弱安定。王都金属資料封印箱劣化通知後、継続異常なし」


 トマは井戸の水面を見ながら、少しだけ眉を寄せていた。


「こっちは落ち着いてるな」


「はい」


「でも王都の箱は軋んでる」


「はい」


「遠いのに、落ち着かないな」


 ニコルは記録板を閉じた。


「遠い場所の異常が、ここに影響することが分かってしまいましたから」


 トマは小さく息を吐いた。


「王都って遠い場所だと思ってたんだけどな」


「僕もです」


「今は、同じ水路の向こうみたいだ」


 その言い方に、ニコルは少しだけ目を細めた。


「……それ、記録してもいいですか」


「え、今の?」


「はい。王都とリベル村の距離感が変わった記録として」


 トマは困った顔をした。


「変なこと言ったつもりだったんだけど」


「変ではありません」


「じゃあ……村内記録なら」


 ニコルは頷き、欄外に小さく書いた。


『トマ発言:王都が、同じ水路の向こうみたいだ』


 トマはそれを見て、照れたように鼻をこすった。


「なんか、俺の言葉がだんだん紙に残るのに慣れてきたな」


「良いことです」


「いいのか?」


「はい。現場の言葉は、後で役に立ちます」


 広間では、王都から届いた通知の写しが机の中央に置かれていた。


 村長はそれを読み返し、静かに言った。


「再封印は避けられぬな」


 ダリオさんが腕を組む。


「避けられません。放置すれば、封印箱が内側から弱る可能性がある。かといって無理に開ければ、黒石祠残存命令核が揺れる」


 セリアが青根緩衝帯の記録を持って言う。


「王都で再封印処理をする時、こちらでは青根布と旧水路緩衝線を準備する必要があります」


「森もだ」


 リーゼさんが壁際から短く言った。


「王都の箱が揺れて、黒石祠が反応するなら、森の安全線にも出る」


「はい」


 俺は頷いた。


「王都の再封印処理は、黒石祠命令核分離作戦そのものではありません。でも、遠隔共鳴の強さを見ることになる。実質的には、本番前の本番です」


 トマが顔をしかめる。


「嫌な響きだな、本番前の本番」


 ダリオさんが返す。


「嫌なものほど、ちゃんと名前をつけておけ」


「名前をつけると怖くなる時もあるけどな」


「怖いまま放っておくよりはましだ」


 ニコルが新しい紙を出した。


『王都金属資料再封印処理・同時監視準備』


 その見出しだけで、広間の空気が引き締まる。


 村長が言った。


「まず、受ける条件を整理せよ」


「はい」


 ニコルは書き始めた。


 一、王都側が金属資料本体を露出させない範囲で再封印できるか、手順確認。

 二、露出が必要な場合、その時間を事前通告。

 三、王都開封室、行政庁別室、資料庫跡で同時記録。

 四、リベル村は中央井戸、旧水路、薬草予定地、森安全線、中枢室で同時記録。

 五、ハルマ、北沢、ミードの広域同時記録を再起動。

 六、危険度上昇時は王都側も即中止。

 七、リベル村側も撤退判断を優先。

 八、再封印後、王都封印箱の劣化状態を再報告。


 トマが手を上げた。


「王都側も即中止って、向こうはちゃんと止まるのか?」


 広間が一瞬静かになった。


 ダリオさんが苦い顔をする。


「そこが問題だ」


「え、問題なのかよ」


「王都の作業は、王都の人間がやる。こちらは見て、警告することしかできない」


 セリアが不安そうに言った。


「もし、こちらで強い反応が出ても、王都側が“もう少しで終わるから”と続けたら……」


「最悪だ」


 ダリオさんは即答した。


「だから、事前に中止条件を紙で決める。こっちの中枢室反応がこの段階を超えたら止めろ、と」


 ニコルが別紙を出した。


『王都再封印処理・中止条件案』


 - リベル村中枢室で残存命令核反応が中位へ上昇。

 - 水腐れ封印層に揺れ表示。

 - 中央井戸に濁り、匂い、青反応急増。

 - 旧水路緩衝線が受容不能。

 - 青根布複数枚に同時灰色反応。

- 森安全線に灰青の滲み。

 - ハルマ、北沢、ミードのいずれかで強反応。

 - 村長または現地班長が撤退判断。


 トマが「現地班長」という文字を見て固まった。


「……俺?」


 ニコルが顔を上げる。


「旧水路班では、トマさんです」


「班長じゃなくて水路全体見張り役」


「では、水路全体見張り役が撤退判断」


「長いな」


「でも、トマさんがそう呼んでほしいなら」


 ダリオさんが呆れた顔で言った。


「もう班長でいいだろ」


 トマは少しだけ考えた。


 そして、諦めたように肩を落とした。


「……分かった。班長でいい」


 広間に小さな笑いが起きた。


 ニコルは真面目に訂正した。


『旧水路班長:トマ』


 トマはその文字を見て、何とも言えない顔をした。


「重いな」


 セリアが優しく言う。


「でも、トマさんなら水路の変化を見逃さないと思います」


「やめろ、そういうの。余計重い」


「でも本当です」


 トマは顔をそらした。


「……なら、ちゃんと見る」


 村長は頷いた。


「それでよい」


 午前中は、各班の準備確認に使われた。


 中央井戸班。


 ニコルは総合記録へ回るため、中央井戸の主担当を副記録係へ移す必要があった。


 それに副記録係が不安そうな顔をする。


「僕で大丈夫でしょうか」


 ニコルは少し考えた。


「大丈夫かどうかは、やってみないと分かりません」


「え」


「でも、一人で全部見るわけではありません。水温担当、水面担当、匂い担当を分けます。分からない時は、分からないと報告してください。判断は広間で照合します」


 副記録係は、少しだけ落ち着いた。


「分からないって言ってもいいんですね」


「言ってください。分かったふりが一番危険です」


 トマが横から言う。


「それ、俺も最近覚えた」


「トマさんは時々忘れます」


「厳しい」


「大事なので」


 旧水路班では、緩衝線の再確認が行われた。


 トマは班員に指示を出す。


「上流、緩衝線、青土封じ札、水量板、下流黒粒子。見る場所を分ける。灰青が出ても追うな。青根布はセリアさんの合図なしで水路脇へ置かない。水には絶対入れない。使用済み布は隔離箱。俺が逃げろと言ったら、記録途中でも逃げる」


 若者の一人が言った。


「記録途中でも、ですか」


「ああ」


 トマは一度言葉を切った。


 それから、昨日の条件表を思い出すように言った。


「記録より命を優先する。これは、まだ本番前だけど、もう入れとく」


 ニコルが少し離れた場所でその言葉を聞き、記録した。


 トマは今度は止めなかった。


 薬草予定地では、セリアが青根布の予備を確認していた。


 新品五枚。

 小型三枚。

 森安全線用二枚。

 旧水路用二枚。

 薬草予定地用一枚。


 ただし、全部を使う前提ではない。


 むしろ、使わずに済むことを目指す。


 ハンナが布を見ながら言った。


「準備しているのに、使わない方がいいんですね」


「はい」


 セリアは布を一枚ずつ乾いた箱へ入れた。


「青根布は、使わなかったら成功です。使ったら、撤退時間を作れたという意味で成功かもしれません。でも、たくさん使うのは危険です」


 ミラが記録する。


「使わなかったら成功……」


「はい。守りの道具は、使わずに済む日が一番いいです」


 リーゼさんは森の安全線を再確認した。


 第一安全線。

 第二安全線。

 退避路。

 青根布設置候補。

 足場の悪い場所。

 使わない経路。


 戻ってくると、地図に新しい印をつけた。


「第二安全線の北側、土が少し冷える」


 ダリオさんが顔を上げる。


「灰青か?」


「違う。水の冷えに近い。だが、再封印時に見張る」


「青根布は?」


「置くなら退避路側。冷える場所には直接置かない」


 セリアが頷いた。


「土の反応が分からない場所に先に置くと、布が疲れる可能性があります。退避路側がいいです」


 村長は各班の報告を聞きながら、ずっと黙っていた。


 最後に、王都への返書を作る時になって、ようやく口を開いた。


「受ける。ただし条件付きじゃ」


 ニコルが筆を構える。


「はい」


 村長は一つずつ言った。


「王都側は、再封印手順を事前に全て送ること」


「はい」


「命令補助印の露出があるなら、何呼吸か明記すること」


「はい」


「リベル村中枢室が中止条件を示した場合、王都側は作業を中止すること」


「はい」


「王都側が中止できぬ手順なら、その手順は認めぬ」


 ニコルの筆が止まりかけた。


 トマが小さく言う。


「強いな」


 ダリオさんが頷く。


「必要だ」


 村長は続ける。


「王都が危ないからといって、リベル村の水と土を犠牲にはせぬ。リベル村が危ないからといって、王都を見捨てることもせぬ。だから、同じ時刻で見て、同じ条件で止まる」


 セリアが静かに頷いた。


「同じ条件で止まる……」


 ニコルはそのまま書いた。


『同じ時刻で見て、同じ条件で止まる』


 王都への返書は、これまでよりも強い紙になった。


『リベル村は、王都金属資料再封印処理時の同時監視協力を受諾する。

ただし、以下を条件とする。

一、再封印手順の事前送付。

二、命令補助印露出工程の有無、時間、遮断方法の明記。

三、リベル村中枢室および各地点反応が中止条件に達した場合、王都側は即時作業中止。

四、王都側が中止不能な手順を含む場合、リベル村は同時監視を承認しない。

五、王都開封室、行政庁別室、資料庫跡の三地点同時記録。

六、リベル村、周辺三村との最大同時記録網を起動。

七、再封印後、封印箱状態を詳細報告』


 最後に、村長の言葉を添える。


『同じ時刻で見て、同じ条件で止まる』


 トマがそれを読んで、腕を組んだ。


「王都、嫌な顔しそうだな」


 ダリオさんが答える。


「するだろうな」


「でも必要?」


「必要だ」


「なら送ろう」


 使者が王都へ向かったあと、広間には少し疲れた沈黙が残った。


 その沈黙を破ったのは、セリアだった。


「王都の封印箱が劣化したということは、金属資料の中の命令補助印は、まだ生きているんですよね」


「そう考えるべきだ」


 ダリオさんが答える。


「そして、それが黒石祠残存命令核と繋がっている可能性がある」


「もし再封印に失敗したら?」


 トマが聞いた。


「王都側で命令補助印が暴れる。こちらでは黒石祠残存命令核が揺れる。最悪、封印層にも影響する」


「だから止める条件がいる」


「ああ」


 ニコルが静かに言った。


「今回は、王都を助けるだけではありません。王都に止まり方を守ってもらう作業でもあります」


 ダリオさんが少し笑った。


「いい言い方だ」


 ニコルは少し赤くなった。


「記録しますか」


 トマがすぐ言った。


「自分で言ったいい言葉は記録しろ」


「恥ずかしいです」


「俺なんか散々残されてるんだぞ」


「それは、トマさんが現場でよく言うからです」


「褒めてる?」


「半分です」


 トマがダリオさんを見る。


「半分が移った」


 広間に小さな笑いが生まれた。


 その笑いは短かったが、必要だった。


 三日後。


 王都の封印箱再封印処理。


 それは避けられない。


 だが、リベル村はただ見守るだけではない。


 条件を出した。


 止まる線を引いた。


 戻るための準備を始めた。


 夜、俺は地下工房で個人記録を書いた。


『王都金属資料封印箱外縁微弱劣化を受け、再封印処理時の同時監視協力を条件付きで受諾。

王都側へ、手順事前送付、命令補助印露出工程の明記、中止条件到達時の即時中止、中止不能手順の不承認、王都三地点記録、リベル村および周辺三村の最大同時記録網起動、再封印後詳細報告を要求。

村長発言:同じ時刻で見て、同じ条件で止まる。

各班準備開始。中央井戸、副担当訓練。旧水路班、撤退判断と青根布運用確認。薬草予定地、青根布予備と隔離箱。森安全線、第二安全線北側の冷えを追加記録』


 最後に書く。


『王都の封印箱が軋んでいる。

開いていないのに、劣化している。

中の命令補助印は、まだ眠っていない。

王都を助けるには、リベル村の水と土も同じ時刻で見なければならない。

だが、助けることと、無理を許すことは違う。

同じ時刻で見て、同じ条件で止まる。

これが守られなければ、再封印処理は危険すぎる。

三日後、本番前の本番が来る。』


 地上では、水車が回っている。


 その音は変わらない。


 けれど、遠い王都の封印箱が軋む音が、もうリベル村には聞こえている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ